帝国陸軍大尉
エレナの補佐官になってから、数日が経った。
あの一件以来、エレナのあたりは随分優しくなった気がする。睨まれることもなければ、自然に会話もできている。
ある程度の信用をおいてくれたと見ていいだろう。
「今日は大分仕事が多いですね」
普段は自分から話しかけることはないルイスだが、今日のエレナの仕事量は普段より一段と多かったため、つい声をかけずにいられなかった。
「上の連中のせいだ。式典に参加するとかで、全部私に押し付けていきやがった」
ルイスは、エレナの不憫を哀れんだ。
ただでさえ普段の仕事量が多いのは、少将以上の将校に仕事を押し付けられているからかもしれない。
「コーヒー、淹れますか」
「頼む。砂糖を瓶で持ってきてくれ」
最近、エレナが超がつくほどの甘党ということがわかった。
仕事の合間につまむ軽食も、キャンディや携行食のビスケットなどで、時間がないという事もあるだろうが、塩辛いものを食べるところを見たことがない。
コーヒーなど苦いものが嫌いという事なので、単に子供舌という事なのかもしれない。
子供舌
自身の胸に浮かんだ言葉を反芻する。
顔は整っているが幼く、頭の上で二つに結んだ髪がまるで幼女である。身長もおそらく、成人女性の平均には十数センチ足りない。
初めは自身よりも年下を疑ったが、上官なのだから年上と考える方が自然だ。
ルイスはここで猛烈に、エレナの年齢に対する興味が湧いた。どうにか年下かどうかだけでも知りたい。そんな欲求が生まれてきた。
しかし、女性に年齢を聞くのは失礼にあたる上、相手はあのエレナだ。
何もしなくても怖いのに、粗相までしたらどんな恐怖が待っているのかわからない。
「大佐、趣味とかありますか」
「何だ急に、黙って働け」
「そう言わず、俺のも教えますんで」
「対価になってないぞ。働け」
かくして、趣味から年齢を推測しようというルイスの作戦は、見事玉砕した。
まあ、趣味と年齢はあまり相関しないし、盆栽でもない限り推測は難しいのだが。
「ルイス、少し頼めるか」
エレナが何やら紙を折りたたみながら尋ねてくる。
「はい、何でしょう」
「私の健康診断の結果だ。人事局に届けてくれ」
エレナは机の上から封筒を取り上げ、ルイスに差し出す。
「わかりました…」
了解をし、エレナから封筒を受け取り、執務室から出る。ルイスは数歩進んだところで、あることに気づく。
この封筒の中を見れば、年齢を聞く事なく知れる。
健康診断とあれば、当然年齢が記されているだろう。ルイスは懐からペーパーナイフを取り出し、封蝋に当てる。
しかし、ルイスの手はそこで止まった。
しばし得体の知れないものと格闘した後、ルイスはペーパーナイフを懐にしまう。
何となく、盗み見をするのは気が引けた。
それだけだ。
「遅かったな」
人事局に届けた後、執務室に戻ったルイスにエレナが言う。机の上の資料は、すでに三分のニほどになっていた。
「すごく疲れました」
「なんか知らんが、よくやった」
どうしたものかと、ルイスは考える。
万策尽きた、と言うほどではないが、これ以上自然に年齢を聞く方法が思いつかない。
「大佐、失礼ですがおいくつですか」
「26だが」
「えぇ!?」
「何でそんな驚くんだ」
エレナがあっさりと年齢を答えてくれた事。また、ルイスよりも年上かつ容姿に納得できる年齢だったという、二重の衝撃で随分素っ頓狂な声をあげてしまった。
「俺と2つしか変わらないんですか」
「何なんだお前は」
「ちょっと待ってください、それなのに大佐って凄すぎないですか」
その言葉がきっかけだろうか。書類にペンを走らせるエレナの手は、急に止まった。
「私は…凄くなんかない。父親が父親だけに、分不相応な立場をもらっただけだ」
少し前に茶髪の軍人から聞こえた話だ。エレナの父親は陸軍元帥であるというのは、本当だったのか。
自虐とも取れるその言葉を、ルイスはどう受け取るべきか迷っていた。
怒っているようにも、自嘲しているように見えない。諦めているような、流されてここにいるような、そんな風に聞こえた。
ただ、これだけは言える。
「分不相応なんかじゃないです。大佐は、仕事に真摯で、誠実な、軍人の模範のような方です。権威だけで立場を手に入れたなんて間違いです。胸を張ってください」
驚くほど、流れるように言葉が出てきた。
戸惑うように聞いていたエレナは、ルイスが言い終わると、高らかに笑った。
「お前、私と会ってから1週間も経ってないだろう?」
「それでも、わかりますよ」
エレナはひとしきり笑った後、優しく微笑む。
「ありがとうな、ルイス」
それでこそエレナだと、ルイスは笑う。
窓から差し込む光が、部屋を暖かく照らす。
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