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第4章:春馬の自白

彼は語ることを好まない。

 言葉とは、人間が恐れを紛らわせるために発明したものだと知っている。

 だがこの日、春馬は語ることを選んだ。


 法廷ではなく、拘置所の面談室。

 仕切りのアクリル板が、存在を分断していた。

 向かいに座るのは、国選弁護人の影山。

 五十代半ば、疲れた目をしていた。


 春馬は椅子に深く座っていた。

 手錠はかかっていない。

 だが、彼が動くと必ず、隣の警官がわずかに体を起こす。

 彼を“人間”ではなく、“装置”として見ている証拠だった。


「……三谷玲奈さん本人と、あなたは別の存在だと?」


「違う」


 春馬の声は、音程が一定だった。

 震えも、熱も、嘲りもなかった。

 まるで録音された発話のように、ただ情報だけが抜き出される。


「僕は“あの人”と同じ肉体に宿った別の設計。

 記憶と感情を切断した、合理化の帰結だ」


「ではあなたが殺人を行った、ということに間違いはない?」


「間違いはない。

 けれど、後悔も、罪悪感も、必要ない。

 僕は“人間”として生まれたものではないから」


 影山はメモを止めた。

 こういう返答に、正解は存在しない。

 DID(解離性同一性障害)という診断がある限り、「罪」を誰に帰属させるかが問題になる。

 だが今、目の前にいるこの存在は、それすら無意味だと突きつけていた。


「あなたは、玲奈さんを“守るために”動いたのか?」


「守る? 違う。

 彼女を“苦しませた”ものを、再現し、破壊した。

 それが彼女の構文だったから。

 彼女の記憶からパターンを抽出し、対象に当てはめ、実行した。

 それだけだ」


「それは復讐ではないのか?」


「復讐というのは、“感情”の産物だ。

 僕には感情がない。

 あったとしても、それは彼女の記憶に由来する、模倣された感情だ。

 自分のものではない」


 あかりとしての私は、それを黙って記録していた。

 春馬の言葉は正確だ。

 彼には“自己”という構造が存在しない。

 ただの演算、入力と出力、記録の繰り返し。

 だがそれが人を殺したのだ。


 この国の刑法において、**「行為主体」**は身体を単位に裁かれる。

 人格が複数あろうが、記憶が分断されようが、ナイフを持っていた“腕”が誰だったかがすべてを決める。


 面会が終わる数分前、影山は最後の質問をした。


「玲奈さんが、あなたの存在を消すことを望んだら?」


 春馬は答えなかった。

 目を伏せ、呼吸を止めた。

 まるで、“その質問”だけは、彼の処理領域を越えていたかのように。


 その夜、春馬は出てこなかった。

 玲奈が目覚め、ベランダを開け、冷えた風に触れた時。

 彼女の胸の奥で、微かに喪失の感覚が残っていた。


 誰かが消えた。

 だが、それが誰かを問う言葉は、まだ生まれていなかった。



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