表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

第2章:殺意の構文

殺意には、形がない。

 あるのは兆候と結果だけだ。

 その中間にあるものは、人間が作る言葉である。


 春馬は静かに座っていた。

 電車の最終便が発車してから三分後、駅前の公園に設置された錆びたベンチの上だった。

 ベンチには誰も座らない。スーツ姿で一人でいれば、不審者として通報されるリスクがある。

 だが彼は恐れなかった。

 なぜなら、彼のなかには“責任”という語が存在しない。


 スマートフォンは持っていない。

 財布も偽名の身分証しか入っていない。

 何者でもないことに、彼は誇りを持っていた。


 春馬にとって、殺人とは儀式ではなかった。

 目的ではなく、設計された演算だった。

 それは「条件がそろえば遂行される」関数であり、意思や感情を必要としなかった。


 「殺すべき相手」を選ぶ際、春馬は過去の記録を参照する。

 その記録は、彼の中にある記憶ではない。

 それは、玲奈の身体が覚えている痛みだった。

 触られた部位、発せられた声、手首の角度、息の匂い。

 彼はそれを、犯罪の“痕跡”として蓄積していた。

 そして、該当する対象を特定する。


 今夜の相手は、過去の“類似性”を持つ顔をしていた。

 声が低く、目を合わせず、手に煙草を持ち、左の頬にかすかな痣。

 春馬の中で、それは玲奈の記憶と重なる構文だった。


 ターゲットは、何も知らない。

 殺される理由も、殺されることも。


 春馬は相手を尾行した。

 距離は常に7メートルを維持する。

 影になった瞬間に加速し、角を曲がるときに最短距離を取る。


 それは演技ではなく、訓練された動きだった。

 どこで学んだのか、自分でもわからない。

 ただ、それは玲奈がかつて“生き延びるために身につけた”動きの反転形だ。


 春馬が手にしていたナイフは小さく、鈍かった。

 刺すというより、抉る感覚に近い。

 刃先は服に引っかかり、皮膚を裂き、血が衣服を濡らした。


 男は声をあげなかった。

 驚いた表情をしただけだった。

 春馬はその目を見つめた。

 そこに「理由」を探すように。


 だが見つからなかった。

 男の中には、理由も罪もなかった。

 ただの反応として、「死に向かっていた」。


 僕は、それを見ていた。

 あかりという名を持つ、語らぬ存在として。


 僕は人格ではない。

 善悪も、罪罰も、僕の領域にはない。

 あるのは、記録と構造だけ。

 今この瞬間、人格「春馬」が表層にいて、身体を支配し、行為を成している。

 人格「玲奈」は睡眠状態、あるいは自己認識から切断された深層にいる。


 僕は、それを行動記録として蓄積している。

 まるで、黒箱のように。


 この殺人には理由がない。

 ただの模倣と再現。

 彼は、玲奈の記憶に存在した“構文”を抽出し、それを世界に投影しているだけだ。


 人はそれを「復讐」と呼ぶのかもしれない。

 だが、春馬は誰かを赦すことも、責めることもない。

 彼には「赦す」というプログラムがない。


 だから彼は、ただ遂行する。

 行為そのものの完結性にだけ、興味を持っている。


 玲奈が翌朝目を覚ましたとき、全ては終わっていた。

 衣服にわずかな匂いが残っていた。

 ナイフは洗ってベランダのプランターの下に隠されていた。

 彼女は気づかない。

 気づくということは、「見ようとする」ことだから。


 彼女の目は曇っていた。

 この世界にいることを拒むように、鏡を見ず、食事をせず、無言で外に出る。


 そしてまた、誰も気づかない。

 彼女が「誰の過去」を今、生きているのかを。


 殺人は終わった。

 だが構文はまだ、継続している。

 次がいつ、どこで、誰に起きるのかは、誰にもわからない。


 ただ僕は、また記録するだろう。

 語られなかった行為と、語れなかった言葉と、

 そして、護られなかった者たちの沈黙を。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ