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終わり、終われど、終わんなよ
冬夜はインテリアにこだわりがない。迷彩柄のアウトドアチェアでも、リクライニングさえできればそれでいい。
部屋にはベッドもソファもない。あるのは古い本の山と、ファイリングされた資料が雑に積まれたデスク。主がいるのか不明なクモの巣も、インテリアの一部と化している。
無愛想な木目天井をぼんやりと眺めながら、冬夜は思い出していた。そぼろが、すみれと霊体戦をしているときのことを。
そぼろの霊力は異常に強い。それを呼び起こした責任が、自分にある気がしていた。霊感に悩むそぼろに対し、むしろ悩みをふくらませて苦しめてしまった。その自責が冬夜にあった。
あの日。そぼろが初めてここに来た日。
なにも言わずに追い返せばよかったのか——
「はぁ……」
考えても、考えても、ため息しかない。
「おれが中途半端に連れまわしたせいで……」
頭のなかで、そぼろの声が何度も鳴る。
師匠——
「師匠、か……」
なにが師匠だ。冬夜は自分を殴りたくなった。
「……そうか。そうしよう」
思いついた勢いで、デスクに向かった。進む足に積まれた本の角がいちいちぶつかる。卓上にある資料の山を両手で乱暴にどかし、手元の引きだしから紙をとって、その辺に転がっている羽根ペンを掴んだ。
・…………………………・
「もー! 最っ高!」一葉は二段のバニラアイスを頬張った。「そぼろも元気になってくれたし!」
「うん、なんとかね」
「しかもぉ」一葉はうさぎみたいに跳ねて、「仲間が増えた! まじ、もー、かわいすぎだよぉ、あづきちゃん!」
一葉はプリッとした頬をあづきちゃんにこすりつけた。プリンとマシュマロが触れ合っているような微笑ましい光景だ。
「あ、あうう、苦しい、というか、アイスがコーンから落下しそうです先輩……」
あづきちゃんは顔を硬直させて、頬を赤く染めた。
「あ、あぶな!」
一葉は慌ててアイスにかぶりついた。口の端が白くなった。
「よかった、落下は防がれました」
「ひんやりしたぁ、アイスだけに。——ね、次はどこに行くぅ?」
平日の正午。商店街には年配の方が多い。学校帰りで遊んでいる中高生もいない時間だ。午前で授業が終わったわたしの至福の時間がここにある。
「あの……」あづきちゃんは鼻の頭を触った。そしてメガネは傾く。「もしよかったら、本屋さんに行きたいのですが……」
「あ、それなら近くにあるよ?」一葉はざくざくとコーンかじりながら、「カフェブースがある、おしゃれな本屋さん」
「じゃ、そこにしよっか」わたしは賛成した。「甘いもののあとは、やっぱりコーヒーだよね」
「そう! それ! Wi-Fiもあるし、ゆっくりしちゃお〜」
本を見物する気はなさそうな一葉がかわいい。
「あ〜、まだ六月なのになーんか暑い。蒸してるからかなぁ。湿気がしつけ〜」
暑がりの一葉はすでにタンクトップ姿だ。服の胸元をつまんで、ぱたぱたと仰いでいると、すれちがった初老の男性の視線が明らかだった。
「こら、胸、見えるよ一葉」
「え? 見えないよー、見せブラしてるからだいじょーぶー」
そういう問題じゃないと思われる。
「いいなぁ、わたしも先輩みたいに大胆になってみたい……」
視線のやり場に困った様子で、あづきちゃんは頬を赤くした。
「あづきちゃんには、あづきちゃんの魅力があるんだから。それを大事にしよ?」
「わたしの魅力……」悩ませてしまった。
「文学系女子って、けっこう男子に刺さるよ? 需要あるよ、ぜんぜんあるよ」一葉が言った。
「でも……」あづきちゃんは申し訳なさそうに、「ただの陰キャと紙一重じゃないですかぁ」
ぱちっ、と一葉のスイッチが入った。
実際に鳴っていないが、明らかに鳴った。
この真顔になったときは頼りになる。
「まずね。陰キャのなにがわるいのかって話しになるわけよ。陰キャは得なのよ? なぜかって未知の部分が多いから。度の強いメガネの奥に……、重ね着された地味服の下に……、どんなワンダーを隠しているのか。男は興味が湧くわけよ。最初からメイクがご立派な女子よりも、断然可能性に満ちている——」
伸びしろしかない! と一葉は叫んだ。なにかに怒りをぶつけたようだったが、気のせいか。周囲の目線はもはや仕方ない。
「すっぴんにほど近いメイクを本格的に開拓したらどうなるだろう……? うねりにうねったくせ毛が、艶めくストレートに変貌したら……!? ああ、こんなに美人だったなんて! なんでこの可能性に気づかなかったんだ、君は! 天使じゃないか! 天使の輪っかが見えるよ! ——ってもう、そっからはもう。ねぇ。大変よ。ねぇ。そぼろっちゃん」
「最後のほう、なんでおっさん口調なのよ」
「つ、ま、り!」
一葉の講義はつづく。
「フェアリーゴッドマザーは、いつでもあなたの内側で待っている! ガラスの靴はそこらじゅうに売っている! あのトップス! あのパンツ! 韓国のメイク道具! ——あづきちゃんは気づいていないだけよ、自分がシンデレラであることに!」
その白熱は留まるところを知らない。頭のてっぺんからやかんの音が鳴ってんじゃないかってくらいだ。
「ただの陰キャ——それは混じり気のない一〇〇%ってことでしょ? オレンジジュースだって一〇〇%のほうが、ぜったいにおいしいじゃん!? あづきちゃんは可能性の塊よ! わかってる!?」
「はぅ、は、はい……」
「外見を変えることはもちろんいい。効果がある。一〇〇%のオレンジジュースも、アレンジすれば色んな料理に変身するみたいに」
でもね……、と一葉は言葉を溜めた。
「だからこそ、あえて言う! いまのままでもかわいい! 不足があるとするなら自分に対する自信よ! 猫背をぶっとばせ! うそでも胸を張れ! そうすれば男子の視線は勝手に動く!」
なんだ、いま名言が生まれなかったか?
「猫背をぶっとばせ……」あづきちゃんは姿勢を正した。「うそでも胸を張る……!」
「いいぞ、それだぁ!」一葉の口調は、もはや軍曹だ。「よぉし、本屋さんでコーヒーを買ってやろぉおお」
「あ、ありがとうございます!」
「そぼろのおごりだ、ありがたく思えぇ!」
「払うのわたしかよ」
しかしこの短時間であづきちゃんの見た目というか、雰囲気がガラリと変わった。姿勢がよくなったせいか、体のラインがはっきりとした。服も髪型も変わっていないが、女らしさはすでに上昇している。一葉にはなにか、アドバイザー的な才能があるのかも。
才能……、か。
才能……。
どこにいても、なにをしていても、わたし。
師匠のことばっかり考えてる。
病気かもしれない。
カフェのある本屋さんに着くと、一葉はアイドルの写真集をちょこっと見てから、すぐにカフェに直行——。片手にはスマホとイヤホンが用意されていたから、Wi-Fiを繋いだらしばらくひとりの世界だろう。
わたしはあづきちゃんと文庫を物色することにした。
「先輩、知ってますか? 堂々島さんの新刊が来月上旬にも出るらしいんです」
ついこのあいだ会ったばかりのミリオンセラー作家……。
超変人かつ超優秀な霊能力者という印象しかないから、困ったものだ。いつ本を書いているんだろう。
「そっか、楽しみだね」やはり、実際に会ったとはいえない。「過去作は、ちょうど読もうと思ったときに体壊しちゃったから……。きょうこそ買って読もう」
「そういえば先輩、体調は大丈夫ですか? 入院してたって聞いたときはもう……、死ぬかとおもいました」
「あづきちゃんは死なないよ、大丈夫」
あの事件で何度か死にかけたわたしが言うのも、なんだが。
「早めの夏バテだったのかな……、ははは」
「もしや、わたしと話したせいで、具合わるくなったんじゃないかって……」
「それは考えすぎ。ありえない。むしろ元気もらってるんだから」
「そ、それなら……。よかったです」
考えすぎて、マイナス思考が暴走してしまう——あづきちゃんほどではないけど、わたしにもその部分はある。だから彼女の感覚はよくわかる。気遣いという言葉では足りないくらい、他人を心配してしまう。
「堂々島さんの新刊なのですが、あるうわさが立っていて。これはリーク情報くらいで、信憑性が定かでないのですが、堂々島さん、その作品を一週間ほどで書き上げたそうなんです」
「そうなの……? すごい……」
書くか、書くかぁ、と言いながらぱぱっと書いてしまいそうだ、あの人なら。
「新刊の情報なんですけどね、あ、こっちは公式の情報でして」あづきちゃんはスマホで確認しつつ、「文字数にして一四万文字くらいの作品らしいです。それをほんとうに一週間で書いたのなら、やばいですよ……。まさにゴッドハンドです」
しかもあの人、タイプライターもパソコンも使わないはずだ。やはり人間離れしている……。まさか霊能力かなにかで、一度に数枚の原稿に数本のペンをはしらせる——なんて、ちょっとありえるかも。
「タイトルがもう、びっくりですよ。わたし、笑っちゃいました。これです、えへへ」
あづきちゃんは、スマホをこちらへ見せた。
「ん? どんな?」
画面を見たわたしの口から出たのは、おかしな声で、しかもでかい声だったから静かな書店には迷惑だったろう。
しかし声を出さずにいられようか。
「一ノ一そぼろの幽々しき奇録……、だと……」




