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闇口そぼろと幽々しき奇録  作者: 燈海 空
なにこれ、おかしいよ
5/10

ー5ー

なにこれ、おかしいよ


「これってさ……」わたしは画面から目を離して、一葉を見た。「マジなやつ?」

「うちはマジだと思うんだ。やらせじゃないかってコメントも目立つけど。サカキン、炎上商法に頼らなくてもいいくらい人気だし。てか炎上商法否定派だし。本人、マジで怖がってたし……」

「帰ったら音声有りで、もっかい見てみる」

「それ、その音声なんだよ」


 一葉は目を見開いた。次にタコみたいに口をすぼめて、人差し指をそこに当てる。これが暗い夜で、顔の真下から懐中電灯が当たっていたら完璧だろう、ある意味で。


「いま、いろんな人が音声解析しているんだけど。サカキンがこわいよ、やめてよ、って言っているとき……。怖くないよ、って子供の声が入っているんだって……!」


 両腕の鳥肌を撫でながら一葉は言った。ちょうどここで、授業開始五分前を告げるチャイムが鳴った。


 タイミングを測っているかのように、先生が教室に入ってきた。


「はーい、授業すっぞぉ。なんページからだっけかぁ?」


 生徒たちが適当だから、先生も適当なのか。はたまた、その逆か。定時制高校らしい脱力系の授業は、いつもどおりにスタートした。


 わたしの席は窓際のいちばんうしろにある。

 視線を窓の外にむけると、広々としたグラウンドが見える。


 その中心にだれかが立っている。

 なにをするでもなく、棒のように。


「ん……?」


 目を凝らす。

 知っている人ではなさそうだ。

 用務員さんでもない。


 すると一葉が、紙を渡してきた。出席を確認するための紙だ。これに名前を書かないと、授業に出たことにならない。わたしが最後の順だから、名前を書いたら教卓まで持っていかないといけない。


 シャーペンで書き慣れた漢字と、書き慣れたひらがなを記入する。


 ——闇口そぼろ。


 出席をとる際、わざわざ先生が名前を呼ばないから、本当に助かっている。小学校三年生のときに父が死んでから母の旧姓になった。そのおかげで、わたしの人生はひどく変化した。


 摩訶不思議な苗字のおかげで、小中学校と、要らぬいじめを経験した。病院で名を呼ばれるときも、心のなかでわたしは山口だ、と何度も連呼した。ナースの口がすべって、《やま》が《やみ》になっただけです、と待合室にいる全員に念を送った。その念が届いていたかは、定かではないけれど。


「お、サンキュ」


 教卓に紙を置くと、先生がこっちを見た。そして教卓の紙に視線を落とす。嫌な予感がしたので、さっさと席にもどろうとした。


「おまえは……、ああ闇口か。山口じゃなくてな。まちがえないようにしないとな」


 わたしの背中に、先生の声が飛んできた。 

 突然の公開処刑。これはひどい、最低だ。


 五〇代の未婚男性教諭の無神経さを憎んでもいいだろうか。それとも母の旧姓を恨むべきか。死んでしまった父を恨むべきか。あるいは菩薩のように、寛大な心を芽生えさせたほうが楽だろうか。それがいい。そうするべきだ。わたしがだれかと結婚するか、母が再婚でもしないかぎり、この苗字は一生つきまとってくるのだから。


 くすくす、と男子の笑い声が聞こえてくる。わたしはなにもかもを無視して席に座った。つまらなそうに頬杖をついて、とても菩薩とは程遠い不機嫌な顔を外にむける。


 グラウンドの中心に立っていたはずの人物は、いなくなっていた。


「ねぇそぼろ」一葉が話しかけてきた。「さっきグラウンドに猫いたよ」

「猫?」わたしは小声で返す。「それよりも、人が立ってたのが気になった」

「人……、人なんていた?」

「いたよ? グラウンドの真んなかで、ボーッと立ってた」

「そう?」一葉は訝しげに、「きょうってさ、業者がグラウンドの整備をするとかで。だれも入っちゃいけないって、言われてたじゃん?」


 そうだ。先週末、担任がそんな話をしていた。だから体育の授業は、晴れていても体育館で行うと決まっていた。


「忘れてた?」

「うん、そうみたい」

「そぼろ、なんか顔色わるいよ?」

「そう……?」

「幽霊でも見たんじゃないの?」


 一葉は冗談らしく言って、小型犬みたいな顔をしてみせてから、くるっと前をむいた。いまは授業中だ。普通の高校なら、こんなにわざとらしく会話できるはずがない。一葉がこっち側を向いてから一五秒が経過した時点で、チョークが飛んでくるのが普通だろう。その危険がないのだから、この高校で学ぶのもわるいことばかりではない。よくもわるくも自由だ。


「幽霊……、ねぇ」


 だれにも聞こえない、ちいさなひとりごとが、わたしの口からするりと落ちた。


 きょうは朝から似たような現象がつづいている。もし、幻覚を見ているのだとしたら、本気で病院を受診しようか……。


 そのときは、山口と呼んでください、と。受付には、前もって言っておいたほうがいいかも。



 四限の時間に、わたしの選択した科目の授業はなかった。定時制高校ではたまにこういうことがある。


 単位が安定して取れていると、きょうの授業はでなくても支障はないな、という悪知恵も働いたり。わりと暇な時間もできてくる。


 一葉はいま授業を受けているから、話し相手はいない。こういうとき、わたしは決まって図書室に行く。


 この学校の図書は、充実しているとはいい難い。むしろひどいほうだろう。けれど、たまに国語の女性教員である飯島先生が、オススメ作品を見てを紹介するコーナーを作っていて、それが面白い。書店のポップみたいにカラフルな宣伝だ。


 盗まれる可能性があるので、本そのものが置いてあるわけではないが、良書を購入するための優れた情報源だ。


 テスト期間などで忙しい時期だと、オススメのラインナップはなかなか更新されない。が、ついこのあいだ更新された、とクラスの生徒が話していた。


 もうすぐ期末試験の時期なのに、珍しいと思った。と同時に、そのラインナップが気になるわたしはきょうにも確認したいと考えていた。


 飯島先生は、わたしが一年生のころの担任だった。いまは別のクラスを担任している。最近はあまり会う機会がなくて、すこし寂しい。忙しそうに生徒と話している様子を、遠目で眺めるくらいだ。わたしと話している暇なんかないだろうな、と思ってしまう。


 図書室で待ち伏せでもすれば、いつか会えるだろうけど……。そこまでするのも、どうかと思ったり。



 音が鳴らないように、図書室の引き戸をそっと開いた。なんにでもまず恐縮するのは、わたしの習性のようなものだ。


 なかに入ると、独特のにおいが鼻をついた。ほこりとカビを含んだ空気を大量の本が吸いこんで、吐かれたような……。本が呼吸をしている証拠だ、と飯島先生はこのにおいを好んでいた。


 一時期、「換気厳禁」という張り紙がこの室内にあった。

 意味不明の張り紙だ。


 貼ったのは飯島先生。しかしあれは先生個人の趣味趣向でしかない、生徒の健康にはむしろ悪影響だ、という理由によって早々に撤去された。


「ああ、換気すればするほど本独特の香りが太陽に侵食されてしまう! 車の排気が、汚染された現代社会の大気が、聖なる図書空間を汚してゆくぅぅ!」


 そう言って錯乱する飯島先生を見ている分には楽しかった。本人は真剣に発狂していたわけだが。しかし換気はしないと肺にわるい。


 この学校には、図書委員会というものは存在しない。本の貸し借りを管理するのは、だれもいないカウンターに常設されている帳簿のみだ。自分が本を借りるとき、帳簿にどの本をいつ借りたかを記入する。そして返却したら、返却日を記入する。


 だれしもが思うことだが……、このシステムだと本は盗み放題だ。本を持ちだした本人が申告をしなければ、いつのまにかあの本が消えている、という事態になるのは必然。


 しかしながら、このシステムでも問題がない。


 盗みたいと思えるほどの新刊や新作は、まず置いてない。どの本も、古本屋で探せばワンコイン以下で手に入るものばかりだ。一〇〇円もする本があれば奇跡だろう。天地が黄ばんでいて、ほこりまみれの本を欲しがる人は、この学校にはまずいない。


 ——と、きょうまで思っていた。


 室内に入ったときは気づかなかったが、本棚と本棚のあいだ、狭い空間にだれかがいる。その人物は五、六冊の本を両手に抱えてこちらに来た。逃げるわけにもいかず——


「あっ……」


 相手はこちらを見つけておどろいた。度の強そうな角メガネと、うねりのあるミディアムの髪が、いかにも大人しそうな女子を演出している。身長もわたしより低いと見える。一五〇センチあるかないかだろう。ワンサイズオーバーのチェックシャツに、白く細い足が露出する短パン。いずれも地味な色合いだ。


 アシックスの中履きスニーカーはほとんど汚れておらず、入学してから日が浅いのがわかる。デパートに売っていそうな女子むけのリュックのサイドにはアニメキャラの缶バッジが噛みついている。オタクっぽい感じだ。


 ギャルっぽい見た目の生徒と、この子のようなタイプに二分するのが、この学校の特徴ともいえる。


 まわりに馴染めなかった中学生時代を経て、定時制高校を選んだタイプならば、わたしに近い人種かもしれない。人の中身など、話してみなければわからないけれど。


「どうもぉ……」わたしは会釈した。

「ご、ごめんなさい。本に夢中で気づかなくて、すいません……」

「い、いえ、そんな謝らないでください」

「ん……?」


 相手は、こちらの顔をぐいっと覗きこんだ。こちらは少々身構える。


「あ……。あれ……」

「なんですか……」


 顔になにかついているかと思ったが、そうではなかった。相手はこちらに見覚えがあるらしい。わたしもおなじく、この子を知っていた。



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