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「これまで、かならず六月六日にひとりを殺していた。かならずだ。実弥が約束を守る人間であるなら、なぜ六月五日に殺そうとする」
「はっ……」
すみれは顔を横に向けた。
「そんなもの、大安か仏滅を信じるようなもんさ。何度も繰り返したから、身あり神さまも、めんどうくさくなったんだよ」
師匠の頭が高速で回転しているのがわかる。おでこの熱が伝わってくるようだ。緊迫した空気のせいか、ほんの三秒ほどの間が、ずっと長く感じられた。
「高位霊能力者の息がかかっている——堂々島はそう言った」
「堂々島……。はっ、三原色のひとりか……」
「息をかけたのは、やはりあんただ。あんたひとりだ。実弥ですら、息をかけられた側だった。——やつはいま《《どうなっている》》」
「どうって……。ゆっくりおやすみさ。時間を考えなよ、不法侵入者め」
「闇口の本家に無断で侵入したのに、あんたひとりしか、いまここにいない。この部屋でなければ、あんたは大声で家族を呼んでいるはずだ。ここは、あんたしか知らない場所。家族にも悟られてはいけないなにかがある」
ふん……、とすみれが鼻息をついた。
「しかも結界が貼られている。音も光も、周りに漏れないようになっている。やはり身内にもばれてはいけないことが、あるんじゃないのか。ふすまの奥にはなにがある」
師匠が問い詰めると、すみれの眉間が次第に険しさを増した。
「うるさいねぇ。うるさいんだよ、部外者が」
がたん、と部屋全体が揺れた。
「あーあ。あきらめた。いいよ。どうせここにいる全員を殺すなり黙らせるなりすればいいのさ」
この瞬間、わたしは確信した。目の前にいるのは、理想的なおばぁちゃん像からかけはなれた、親族とは呼びたくもない、ひとのすがたをした悪魔か化け物だと。
「闇口の血は薄くなっているんだよ。そぼろの母——しずえ。その弟。そして兄。男ふたりが家を守っているがね。どっちも弱いんだよ。結婚してから、もっと弱くなった。霊媒家業といいつつ、簡単な霊視しかできない。やっていることは占い師だよ。ばからしいさ。霊を祓うでもなく、他人を呪い殺して政治を動かすでもない。ただのボンクラふたりが、この家を守っている。守っちまっている」
吐き捨てて、すみれはかんざしを頭から外した。それが床に落ち、すぐに念力かなにかに踏み潰され、中央からまふたつに折れた。髪が解けたすみれは、山姥の形相だ。
「強い霊媒師どうしじゃないと、霊力の強い子供は生まれない。あたいが無感の旦那に惚れちまった罰だよ。婿選びを失敗したのさ。霊感のなさにむかついたから、もう死んでもらったよ。われながら情けない」
この人は自分の旦那を、殺した……?
「霊感の強い男はそうそういない。一十に股を開くなんて、もってのほか……。しかもあたいは、三八には子宮の病で子供は産めないときた。だからね、可能性を探した。これしかなかったんだよ。来るかもわからない未来に期待して、備えていたのさ。まさか天から降ってきたのが、自分の子孫だったとは思わなかったけどねぇ」
妖怪みたいに笑っている。
ほんとうに、いやだ、背中が寒い。
「でもね、そぼろはね……。そんな気がしていたのさ。ばかなしずえは、わたしの本心も汲めないで、そぼろが霊感に目覚めましたぁ、なんて言って電話なんかかけてきて! あれは傑作だったよ! でもねぇ……。受話器のむこうから感じていたよぉ、あぁそうさぁ、あんたのみるみる湧き出る霊力の強さをねぇ……」
母がそんな電話をしていたなんて。
でも母は……、ほんとうにばかだ。
こんな人に助けをもとめちゃだめ。
絶対にだめだよ……。
考えすぎて暴走してしまうところ、ある。
満足したような顔で、すみれはわたしをにらんだ。
さらに気味わるく微笑む。
筆舌にならない寒気が極限に達している。
「強い霊感を持つ女。そいつがうちに来ること。いつか生まれること。それが、あたいの本願だった。だからばか兄弟ができそこないの嫁を連れてきてもいい顔で、なんでも買ってやったよ。内心煮えくり返っていたけどね!」
「おい……」師匠は苦い顔をした。これまでにない苦い顔だ。「変なこと言わないよな、ばばぁ……」
「なにが変なんだい? 実弥さまの子種をそぼろに宿して、いい霊媒師を作る——それのどこが変なんだい? ほら、冷凍庫に実弥さまの種があるから。そぼろ、こっちへおいで」
わたしは知った。
幽霊なんかこわくない。
人間こそがいちばんこわい。
生きている人間がいちばん狂っている。
わるい幽霊は祓える。
祓えばいいんだ。
けど、わるい人間を、すぐには殺せない。
殺したいと思ったとしても。
どんな嫌悪を抱いたとしても。
どんな、狂った人間だとしても。
私情で人を、殺しては、いけない。
「あんた……。狂ってる」
「どうしてだい? 大真面目だよぉう、そぼろ、ほら、生理は終わっているかい?」
「ふざけんな!」
「ねぇ、ほら、血を、優れた血を絶やしたくないだろう?」
この女は、どうにかしなくちゃいけない。
血がなんだ?
そのために、わたしの母を殺そうとした。
あげくには、わたしに、ひいおじいちゃんの子供を産め?
「ばかも大概にしろよくそばばぁ」
部屋が揺れた。揺らしたのはわたしだ。
「そぼろ、落ち着け……」師匠の諭す声。
「うるさい!」
師匠はなにかに突き飛ばされて、壁に背を打ちつけた。
「冬夜!」シラツユさんの声。
「おれは大丈夫だ——、でもそぼろが……。この空間は幻なんだろ! シラツユ」
「ええ。土の匂いがすごく濃い。たぶん地下室」
「天狗の風が乱されたのか?」
「いえ、ちがう。的確だったの。天狗は、わたしたちをいちばんいい場所に運んだ。けれど、すみれが土壇場で幻を作った。まずは術を解かないと!」
まわりがなにかしゃべっている。
わたしにはどうでもいい。
「なら、こうしようじゃないか。あんたのその霊体と、わたしの霊体、どっちが強いか勝負しよう。あたいが勝ったら、言うとおりにしてもらうからね!」
勝負?
わらえる。
試合なんかじゃない。
殺し合いだ。
——色の薄いすみれが、すみれの肉体から飛び出して、紫の炎をぶつけてきた。
わたしはそれに突っこんだ。
腕を思いきり振った。
熱かった。
どうでもいい。
気づいたらわたしは、しずえの首を絞めていて——
「どうすんの、冬夜!」
「だめだ、霊体どうしの戦いに介入できない! 手元が狂えばそぼろが死ぬ!」
両手が熱くなる。
紫の炎。
わたしの炎。
消えろ。
母を殺そうとした罪を。
狂った考えで生きてきたいままでを償え。
「あ、あああ、こんなに、こんなに強いんだねぇ、そぼろ、そぼろやぁ、あたいの、闇口の、血を、血をぉぉぉぉお」
「うるさい、うるさい、うるさいっ!」
驚くほどに体が軽い。
「そぼろ、殺すな! 手を緩めろ! そんなやつのために、自分の未来を壊すなっ!」
師匠がなにかを言っている。
わたしは——
冷静さを失っている?
「冬夜!」シラツユさんの声が。「そぼろちゃんの、倒れた体のまわり! 見て!」
「なんて数の霊……! なぜ気づけなかった!?」
「闇口の霊よ、腐っても高位霊能力者、自分たちの《《ホーム》》で気配くらいいくらでも消せる」
「あいつらがそぼろに怨念を憑入しているのか!? ただでさえ怒れる場面で余計なこと——!」
「祓うわよ! そぼろちゃんがもたない!」
「くそっ……! 血筋なんてろくなもんじゃない!」
「わたしの霊力をぜんぶあなたの腕にあずけるわ! やられないでよ! 冬夜!」
「霊界の老人ホームに強制入居させるさ!」
《一族の恥を殺せ》
《闇口の膿を浄え》
《穢れた血を訂せよ》
《霊媒への冒涜を許すな》
——なんだ?
いろんな声がする。
景色が……、変わった。
土の壁……?
目が渇いているのかな。
涙が止まらない。
「兄貴! 畳の下が揺れてる!」
「早く起こせ、畳を!」
上からごそごそと物音。
うるさい。
ぜんぶがうるさい。
頭がじんじんする。
「くそ、なんだこれ、知らないぞこんな場所!」
「封印だ、解ける?」
「五星か? 目隠しの術式も施されているが、かなり弱ってるな……。高次、揃えるぞ」
「ああ」
「——陰!」
天井が開いた。
真上に別の部屋がある。
照明の光がまぶしい。
「かぁちゃん!? なにやってんだよ!」
片方の中年男性が叫んだ。真上からこちらを覗きこんでいる。




