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闇口そぼろと幽々しき奇録  作者: 燈海 空
ふざけんな、なにが血だよ
42/56

ー2ー

ふざけんな、なにが血だよ

「大丈夫だ。誠子さんのなかにひとまずもどっている。昏睡しているがな」


 師匠が答えるよりも先に、自分の六感でマリちゃんの居場所がわかった。誠子さんのなかで眠っているのが、エックス線写真のように見えた。


 むしろ心配になったのは、いまやふたたび取り憑かれている誠子さん自身ほうだ。森のなかで倒れたせいか服が汚れている。葉っぱの汁や、土の茶色が染みついている。


「誠子さんのほうは……?」

「肉体はひとまず無事だ。長時間の憑依によって、魂がかなり憔悴している。すべてが解決したとしても、一週間は目を覚さないかもしれん」

「おおう、マジか」上田さんが反応する。「旦那さんにはちゃんと説明しないとだぜ? 奥さんがいつまでもこんな状態じゃ、あの人こそ病んじまう」

「あぁ……。早くマリを祓ってやりたいところだがな……」


 あぐらで座っている師匠は、おもむろにあるものを手にとった。それはカビこけて湿気と土のにおいをどこまでも吸いこんだ木箱だ。変色していて、もとの色がまるでわからない。


「それは……?」


 問うと、箱はゆっくりと開かれる。

 内側の木にはまだ白さが残っていた。

 なかには、これまたカビに侵食された丸い物体が。


「あいつが探していた鞠だ」

「見つけられたんですね……」

「おれたちが狭界で《《すったもんだ》》しているあいだに、おっさんふたりがな」

「あんたらが文字どおり消えてから、わしと上田はひとまず奥へ進んだ。あんたらとそこで合流できるかも、と思ってな」


 本谷さんが言った。

 ガニ股で丸太の椅子に座っている。

 その手には猟銃が。


「まぁなんだ……」上田さんが口を開く。「いつまでもおなじ場所で待っていられなかった、ってのもあるんだ。一時間近く待っていても、おまえたちが帰ってくる気配すらなかった。しかも、ぶつぶつと念仏を唱えるクマに襲われたもんでよ……」

「クマが念仏?」


 わたしの口角がひきつる。


「白い着物の女が差し向けたんだろう」師匠が言う。「上田はあまりにも霊感がない。いくら強力な霊とはいえ、多少なりともチャンネルが合わなければ意味がないからな。上田はアンテナが毛ほどもない。ある意味最強だ。狭界に引きこめるはずもない」


 褒めているのか、けなしているのか、微妙なニュアンスだ。


「だからクマに霊を憑依させて、命を奪おうとした。物理的で単純な方法だ」

「なんじゃ、わしはその巻き添えを食らったんか」


 不服な顔で、本谷さんは猟銃を拭く。持っているクロスは煤だらけで真っ黒だ。もとは白の一枚布だったのだろう。次に猟銃は半分に折られ、ふう、と息が吹きかけられた。


「引き金を引いた瞬間とき、まるで人の命を奪ったような感覚がしたわ。クマにしては妙に人間臭くて、いやぁな感じがしよった。なかに人の魂がおれば、そうなるわな」

「あんた、おれよりも霊感があるってえのか?」


 おれよりも無骨で無愛想なのにどうして霊感があるんだよ、と言いたい雰囲気を上田さんは醸している。


「はっきりとは見えんが、きょうび、亡き妻の気配らしいもんは感じたわ」

「ああ。本谷氏は上田ほど無感ではない」師匠が加える。

「なあんだよぉ、おれってどんだけだよ……」


 がくりと首を落とす上田さんを見て、わたしはすこし羨ましく思った。きっと師匠も、この妙な嫉妬を何度となく感じてきたはずだ。あんたほどの無感なら、どれだけ楽か——と。


 ふと気づいたが、周囲から霊の気配がしない。マリちゃんの存在は手にとるようにわかる。だが他の霊を感じない。


「師匠、わたし、霊感が変に……」

「なっていない。白い着物の女を倒したから、この山から霊がいなくなっただけだ。みな逝くべき場所に行った」

「その……、着物の女ってなんだ? 幽霊山のボスみたいなもんか?」


 ちんぷんかんぷんになっている上田さんの発言には、ほのかな和みがある。


「おれたちを狭界に引きこんだ張本人で……」言っても無駄だと思ったのか、師匠は一呼吸をはさんだ。「まぁ、幽霊山のボスだ」

「そんなやつをぶっ倒したってのか!? すげぇな、じゅういち」

「すごくない。それより、この箱があった場所はどんな様子だった?」

「おう、それか」


 上田さんの話によると——山の奥にあったのは四角い石台の上に、小判型の竿石を載せた、全長一メートルほどの石碑だったそうだ。


 竿石には文字は彫られておらず、一見すると、その存在理由は不明。それ単体で見れば、なにか神を祀ったようにも見えるし、ただの記念碑という可能性もありそうで。


 石碑のかたわらにはふくらんだ土が数カ所あり、一メートルをすこし超える高さの木の棒がそれぞれに穿たれていた。棒には、おなじ縦文字が彫られており——


 〈カノ タマシイ ヤスラカニ〉


 その棒を初見した数年前の本谷さんは、その場そのものを墓所だと認識したらしい。——現代まで朽ちても崩れなかった墓の竿石をおじさんふたりがどかすと、円形にくり抜かれた石台の下に、件の木箱が埋まっていた。



 日付が六月六日に変わるまで、五時間を切っていた。マリちゃんの目が覚めたのは、わたしの意識がもどってから一時間後のことだった。木箱のなかの鞠を見るなり、彼女は涙を浮かべて喜んだ。


「これ……、これがうちだ」

「この鞠そのものがか?」上田さんが首をかしげる。

「うん。わかる。うちの体が、すごくちいさいけど、ここにある」

「まるで、鞠のなかにおまえの骨があるような言い方だな」と、師匠。


 マリちゃんはすこし黙ってから、「このなかにはうちがいる。感じられるの……」

「それじゃあなんだ、この鞠はつまり骨壷みたいなものなのか?」上田さんが困った顔で、「しかし子供ひとり分の骨が、このちいさな鞠のなかに、まるごと収まるもんか?」


 すると師匠の顔が歪んだ。


「骨壷も用意しない親が、遺体を満足に弔うと思うか? そもそもマリを殺したのは——」

「おう……」上田さんは考えて、「そうか……、いや、まさか……」


 なにかに気づいたような顔だ。眉間がぐねりと曲がっている。


「そんじゃ、この鞠のなかに入っているのは……」

「さしづめ、切り取った指かなにかだろう」


 考えるだけで嗚咽がのぼってきた。想像したくもない。しかし、師匠の顔は妙に晴れている気がする。なにか別のことを考えている。


「なぁ、マリ」

「うん?」

「鞠の中身をいま確認したい」


 つまりこの場で鞠を解体する、ということだろうか。そんなことを本人が許すのか。


「どうして、そんなことしなきゃならないん?」


 マリちゃんはにわかに苛立ちを見せる。


「そのなかにあるものが、ほんとうにおまえの遺骨なら……。マキの居場所を探すための手がかりになる」

「どういうことだよ、じゅういち」


 上田さんのこの反応は定石だ。


「遺骨や遺髪から、過去未来の出来事をまるっと見通せるとんでも奇人——。そいつにマリの遺骨を渡せば、マリ本人に起きた事象はもとい、マリに関わった人間や霊のこともまるっとお見通しだ」


 そんな人がいることがおどろきで、そんな知り合いがいる師匠もさすがだ、と思った。


「中身を取り出せればそれでいい。開けた穴も、すぐに縫うから安心しろ。そぼろが」

「え、わたしですか」

「裁縫のひとつくらいできるだろう。できそうな顔をしている」


 裁縫ができそうな顔ってどんな顔だよ。


「穴を縫うくらいなら、道具さえあれば……」

「うーん」マリちゃんは不服だ。

「なるべくなら、無傷の鞠で遊びたかったもんね……?」

「でも……、あの子が次にだれをどこで殺すか、うちにもわからない」


 深く悩んでから、マリちゃんは意を決してくれた。


「——いいよ。ちゃんと直してくれるなら」

「ああ。なかを確認するだけだ」と、師匠。

「じゅういちはこういうところがあるんだよ。妙に、心配性なところがよ。普段はゴリゴリウホウホしてるがよ、その心は繊細セーラームーンだよなぁ、はっはっは……」


 上田さんが歯を見せて言ったが、だれも反応しなかった。時代遅れのピン芸人がすべったような空気が流れる。とても寒い。


「裁縫道具ならあるぞ。妻が使っとったもんがな」


 そう言って本谷さんは猟銃を壁に立てかけ、別室に向かう。しばらくして、ひとつの木箱を持ってきた。ふたに赤い十字模様が描かれていて——


「それは救急箱じゃないのか?」師匠が言う。

「包帯やなんかも入っとるが、針と糸、ハサミもある。鞠の腹を開いて縫うくらいならこと足りるじゃろう」


 本谷さんいわく、いつクマが現れるかわからないこの山奥で、裂創を縫うくらいの常備は欠かせない、とのこと。実にワイルド。


「すぐにとりかかる」


 開いた箱から師匠はハサミを拾う。

 傷が深くならないように、慎重に刃を入れる。

 湿気を吸いつくして弾力を失った鞠が、ゆっくりと裂かれていく。

 マリちゃんは苦しそうな顔をした。


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