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闇口そぼろと幽々しき奇録  作者: 燈海 空
山だの、刃女だのよ
40/56

ー10ー

山だの刃女だのよ

 

 寝かされている少女——おそらくマリちゃん——のかたわらには例の女が立っている。彼女は目線を落とした。一度少女を見下すと、氷のような無表情をこちらに向ける。左手を真横にひと振りして、ビデオカメラを放り投げた。


 硬い土に落ちた衝撃で三インチのモニターが破損し、本体から外れた。まるで腕を引きちぎられた死体だ。赤や黄色の繊維みたいなコードが露出し、やけに生々しい。


「ここは狭界。霊の意志により創られる世界。その者の記憶、怨念、後悔、あるいは願望。それらが世界そのものになる。ここから出る方法はふたつ。その者の願いを叶えるか——」


 シラツユさんは師匠の肩から降りた。

 その背中は明らかに戦闘体制だった。


「ぶん殴って成仏させる」師匠の右手が緑の炎を燻らす。

「願いを、願いを叶えてあげたらいいのでは?」


 わたしは震える声で言った。


「どうだろうな。あいつの顔を見てみろ。なにを考えていると思う?」


 そんなのさっぱりだ。殺意しか感じない。


「な、なにが欲しいんでしょう? おさしみ、とか……、はは……」わたしはひきつった笑顔を浮かべた。


 師匠は念じるように目を閉じる。それを見た女が、ふへらと笑った。不気味な笑顔。口って、あんなに裂けるものだろうか。


 ふたりはなにか、テレパシーのようなもので会話をした……。

 そんな風に見えた。


「あいつの願い——聞きたいか」


 かっ、と目を開いて師匠が言う。


「か、叶えられるのですか」

「さあな、無理だろうな。こちらが拒否するからな」

「きょ、拒否……?」

「あいつの願いは——」


 〈ずっと、何人も何人も、殺していたい。できればあなたたちも——〉


 師匠の声と、女の声が重なる。

 同時に頭を裂くような耳鳴りに襲われ、わたしは顔をしかめた。


 ふと、横にいたシラツユさんの姿が変わっていることに気づいた。さっきまではマムシ一匹ほどのサイズだったが、いまは人間の姿だ。それも全裸。こぼれんばかりの胸や尻の美しい丸みに目を奪われた。自分も女なのに。


 シラツユさんは両足を揃えて膝をついた。足の皮膚が、白く、鱗状に変化していく。爬虫類の皮膚がお腹の部分まで届き、ラミア(半人半蛇の見た目をした西洋の怪物)の姿になると、その体はむくむくと肥大化していった。


 ついには腕がなくなり、頭部が変化した。見上げるほどの大蛇の姿になるまで、わずか一五秒ほど。


 いままでに見たどのシラツユさんよりも大きい。最大サイズだ。人間の面影は皆無。師匠の肩に乗っていたペットのようなサイズが、かわいらしいと思える。


 周囲の様子も変わりはじめた。暗い木々のあいだに、いくつもの灯りが揺れる。それは提灯や松明の灯りだった。現れたのは五十人近くの人間たち。


 人間?

 いや幽霊だ。

 みな青白く、わずかに透けている。

 各々、鍬や鎌、スコップなどを手にもっている。

 それらをいま道具と言わないだろう。

 凶器だ。

 彼らの目が、殺意の目が、そう言っている。


 よくよく見ると彼らの姿には見覚えがあった。日流湖の駐車場、船着場、本山の山道——ここへ辿り着くまでの道中、そこかしこで佇んでいた霊たちじゃないか。文字どおり死んだような目で、わたしたちをじっ、と監視していたのだろうか。


「忙しくなりそうだ」師匠が構える。

「あ、あの人たちは?」

「死んだ日流村の人間たちだ。どういうわけか、あの女ではなく、こっちに敵意をむけている。おれたちが村荒らしにでも見えているのか」

「なら、あの女性は村の人たちにとって……」

「《《大事ななにか》》、かね」


 呆れたような師匠の口ぶり。


「村人はあたしに任せて」シラツユさんは頭を低くして、周囲を威嚇する。「冬夜は女に集中して」

「そぼろ」

「は、はい」

「静かになるまで、とにかく逃げろ。だれにも近寄るな」

「わ、わかりました」


 ずん、ずん、とおなじリズムの足鳴りが大地を揺らす。村人たちがにじりよる。なにか——、民謡のようなものを歌いながら。


 不気味に、太く、雑に重なる歌声に、女の笑い声が重なる。天を仰いで笑う。甲高い声がけたけたと、うるさい、——うるさい、——うるさい。


「い、いやぁっ!」


 わたしは頭を抱えて、しゃがみこんだ。音で頭が狂いそうだ。心臓が耳の裏で大暴れし、呼吸が詰まるのに肺が伸縮を繰り返す。まぶたがけいれんして、涙が止まらない。いま自分の目を見たらひどいだろう。ひん剥いて充血に染まった目、それこそ化け物だ。


 村人が一斉に襲いかかる声。

 吠える大蛇の響きが腹に溜まる。

 村人は悲鳴をあげ。

 なにかがちぎれる音がした。

 女の笑い声が近くまできて——


「そぼろ、走れ!」


 師匠が叫ぶ。

 逃げろ。

 どこへ?

 わからない。

 方向を気にする余裕はない。


「あっ、そっちはだめ!」


 シラツユさんの声。

 普段より太い声だ。

 気づくとわたしは、三人の村人に囲まれていた。

 右は鎌、左は鍬、正面は三叉の槍のようなもの。

 わたしはしりもちをついた。

 こわかった。腰が抜けた。

 正面の男が突っこんでくる。

 金属の尖端が迫る。

 とっさにできた反応は、手元にあった小石を投げることのみ。

 だが、それが功を成した。


 投げた小石は紫色の炎を纏っていた。襲いくる村人の顔面にそれが当たる。例のごとく相手は紫の炎に包まれ悶え、焦げていく。人型に焚き燃える紫炎に恐れをなしたのか、あとのふたりはなにかを喚いて逃げた。


 他の村人たちは、シラツユさんの牙で次々に食いちぎられていく。血飛沫こそ跳ねないが、青白い人間たちが上下半身を分裂させ、食われていくさまはトラウマになりそうだ。


 喧騒のなか、わたしは師匠を探した。

 緑色の炎はすぐに見つけられた。すごく綺麗で、はっきりと煌っていた。


 ちょうど女の短刀が振り下ろされた瞬間だった。

 師匠は左腕を女の手首に当て、攻撃を止めた。

 なにか、見たこともない色の閃光が光った。

 師匠の右手は、より一層の炎を燻らせる。

 互いの目が殺気をぶつけ合う。

 ならばと女は両手を使う。

 刃をぐいと押しつける。


「人殺しほどの悪趣味はないな!」


 師匠が思い切り拳を振り上げる。

 拳を受けた女の腹は、大砲に撃たれたように捩り凹んだ。

 そのまま真上の宙に浮く。

 手から離れた短刀が落ちてからりと音が鳴る。

 女の全身は緑炎に覆われ、燃えて、黒い花びらのように散って、どこからか吹いた風に煽られて、煙のように消え失せて——


 ひどい悲鳴——

 ひどい悲鳴——

 悲鳴——

 耳が裂けそうなほど——

 女の姿はないのに、金切り声は鳴り続ける——


「冬夜!」いつの間にかマムシサイズになったシラツユさんが叫ぶ。「あの子を……、あたし、ごめん、力を使いすぎたみたい」

「——そぼろ! シラツユを運べ!」


 わたしはすぐにシラツユさんを両手に持った。師匠は寝ているマリちゃんを抱きかかえて、こちらに走ってくる。慌ただしいお姫さま抱っこだ。


「ばか、突っ立ってる場合か!」

「あ、は、はぃ!?」

「うしろよ……、走って! 狭界が消える!」手元のシラツユさんが急かす。


 慌てて振り返る。数メートル先に、太い木としめ縄の〈門〉があった。

 門のむこうは穏やかな森林だ。まるで切り取られた絵ような別世界。そこには猟銃を構える老人と、刑事ドラマのような人影が——


「う、上田さん!?」

「いいから走れ! 門をくぐれ! 現世に帰れなくなる!」師匠が叫ぶ。


 主を失った世界は空にヒビを作った。

 次に地割れが起きて、地面が崖のように崩れて、足場が減っていく。

 胃袋が揺れる感覚。船の上みたいだ。

 下手に走ったら転んでしまう。

 慎重にならないと。


 周囲の木々は根っこから崩れて、そこらじゅうからバキバキと乾いた音がする。割れた地面のあいだから、真っ赤な水が湧いてきた。ものすごい水量だ。まるで洪水。赤い海。水中にはうごめく人の腕が何本も見えた。あれは落ちたものを掴んで、水底まで引きずりこむのだろうか。絶対に落ちてはならない、と本能が訴える。


 さらに非現実的な事象が起きた。ヒビ割れ、ついには砕けた空が、巨大なガラス片となって降り注ぐ。巨人の剣が何本も降ってくるかのよう。赤い海に突き刺さる度、轟音と水飛沫が上がる。衝撃によって波が発生し、足場がぐわりと揺れる。砕けて、離れて、赤い海に浮いて、どうにか、どうにか、足場を跳んで、跳んで、門まで、門まで——


「わっ!」


 足がぐらついた。足元が土ではなく、氷だったら滑って落ちていただろう。


「そぼろちゃん……、大丈夫? ごめんね……」シラツユさんはぐったりしている。

「な、なんとか!」


 人生において、ここまで体幹を酷使した経験はない。——わたしはどうにか門まで着いた。シラツユさんを門のむこうに下ろす。


「お、おい、そぼろちゃんか!?」


 急に現れた私を見て、上田さんがおどろく。


「なんじゃ、どうなっとる! その白蛇しらへびはなんじゃ!」


 本谷さんは《《がなった》》。


「し、師匠がまだ……!」


 おじさんふたりとの再会を喜びたいが、それどころではない。わたしはすぐに振り返った。師匠を探す。赤い海に残る足場は、あと三つ。マリちゃんを抱えた師匠が跳ぶ。一回。二回。あと一回跳べばこちらに届く。轟音が響く。波が立つ。


「師匠!」

「くっそ!」


 師匠が跳んだ。しかし、足場がぐわついたせいで、しっかりと踏み切れなかった。ジャンプが浅くなった。


 門がある足場の淵に、師匠の片足がかかる。

 わたしはとっさに手を伸ばした。が、とても届く距離じゃない。

 師匠の体はバランスを失った。

 うしろに倒れて——

 赤い海に、落ちる——

 水中の腕がわらわらと集まる——


「だめ!」


 わたしは気絶した。

 いや意識はあった。

 だが肉体は気を失った。

 自分の魂——霊体だけが飛び出して、

 師匠の背後にまわりこみ背中を支えた。

 そのまま両手で力一杯、突き飛ばす。

 師匠は前に転がり、門をくぐった。


 気絶したわたしの肉体は、いま上田さんに抱えられた。それが見えた。優しく持ち上げてもらって申し訳ないな、と思った。まるで他人事みたいに。


 四つん這いの師匠が、こっちに叫んでいる。

 頬に土をつけたイケメンがなにかを言っている。


 ばかやろう?


 ああ——

 わたしは幽体離脱をしたんだ。

 このまま門をくぐれなかったら、魂は狭界と一緒に消えてしまう?

 どうしよう。

 幽体の扱いかたなんてわからない。

 火事場の勢いで動けただけだ。

 ここからどうしたいいのか、まったく。

 浮いているだけで精一杯だ。


 なんだ。

 わたしは死ぬのか。

 なんて突発的であっけない。

 実感すらうすい。


 こんなことなら、もっと美味しいもの食べておけばよかった。

 手を伸ばす師匠が、血相を変えて叫んでいる。

 ごめんなさい。

 せっかく霊能力のことを教えてもらったのに。

 せっかく探偵助手にしてもらったのに。

 体だけを置いて逝っちゃうみたい。


 ほんとうに、ばかみたいだ、わたし。

 なにもかもが中途半端。

 ひとつのことをしっかりとやり遂げたためしがない。

 自分のしょうもなさに、くすりと微笑んだ。

 視界は真っ赤に染まって、真っ黒になった。

 一瞬だけ見えたのは——

 びっくりするほど大きな、先割れの舌だった。


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