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闇口そぼろと幽々しき奇録  作者: 燈海 空
山だの、刃女だのよ
39/56

ー9ー

山だの刃女だのよ

 

「怖かった……」

「ああ」


 師匠は軽く返事をして、軽いタッチでわたしの後頭部を撫でた。冷静な対応だけど、この温もりだけでいまどれほど救われるか。


「ごめんなさい」わたしは師匠から体を離した。

「よく生きていたな」

「なにがなんだかわからなくて……」

「さっき甲高い悲鳴が聞こえた。それでここがわかった。あれはおまえの声じゃないだろう?」

「ええ……。着物を着た女の人に襲われて……」

「ずっと外を歩いていたんだが、屋敷の入口がどこも塞がっていて、くるのが遅れた。大丈夫か?」

「はい……」わたしは返事をした。「外はどうなっているんですか……、元の場所にすぐもどれますか?」

「ここは村だ。かなり小規模だが、古い住宅が密集している」

「そんな……、山を歩いているときは村どころか、建物のひとつもなかったのに」


 師匠はごろごろといくつもの死体が転がっているの見て、気難しい顔をする。


「ここは狭界——本来は存在しない場所……」

「きょー……、かい」


 そういえば、船上の会話で、師匠がマリちゃんにそんな言葉を言っていたような……。


「あいつがつくった世界だ——理屈はあとで説明する。」

「あの、わたしたち死んだんです?」

「まだ死んではいない。肉体ごと狭界に引きずりこまれた。そうなるきっかけがあったのだろうが……」


 思い当たるのは、マリちゃんが切り株のあいだを通った瞬間だ。あれを境

 に、空気がまるごと変わった。


「どうやったら、元の世界にもどれる……」


 師匠が言った。それを聞いたわたしの胸は不安に満ちた。


「師匠でもわからないのですか?」

「これほどの狭界に入ったためしはないからな」


 師匠は右手の包帯をするすると解き始めた。腕から離れたそれは床に落ちるまでに鱗状の皮膚を見せつけ、尾の先が床についたころには純白のヘビにまるごと変化した。


「そりゃあ、冬夜だって本気にもなるわよねぇ」ヘビの姿をしたシラツユさんが言った。「ここ、やばいわよぉ」


 とろりとした口調はいつもながらだ。

 張り詰めていた空気がすこし和んだ。


「この空気、音、景色、建物からすべて……。見えるもの、触れられるもの、すべてが一片の隙もない殺気で満ちているわ。わたしたちはつまり……、とんでもない殺人鬼の胃袋に閉じこめられたようなものよ。日流山に異常な数の霊が集まっていた理由は、たったひとりの狂霊がいたから。その禍々しい、彼らにとってはある意味心地がいい怨念に引き寄せられていたから。——そう結論してもいいんじゃないかしら。ねぇ? 冬夜」


 問われた師匠はうなずきもせず、静かに語りだした。


「たいがい狭界などいびつなものだ。遠くの景色がまるでクレヨンの落書きのようであったり。芝生の上を歩いていても、こつこつと固い足音が鳴ったり。家が天地逆さまになっていて、屋根が地面に刺さっていたり——。矛盾だらけの世界だ。人が寝て見る夢みたいにな……」


 師匠は一息つく。

 廊下の壁をはさんだむこう側から、ガタンと物音がした。

 家具が倒れたような音だった。

 その音に合わせて廊下を照らしている何本ものろうそくが揺れた。風が吹いたわけでもないのに。


「ここまではっきりと、ひとつの村を作りだしたんだ。まるで現実と相違ない。それほどに、この世界の主である霊の意志ははっきりしている」


 屋敷のなかは迷路のようだった。蝋燭に照らされるうす暗い廊下は、長いトンネルみたいに果てがない。何度か角を曲がったが、すぐにおなじような一直線の廊下が現れる。気が遠くなるほど、おなじパターンが視界を占領する。


 左右にならぶ部屋の数も多すぎて、ふすまを開けても開けてもキリがない。それぞれの部屋に特徴がないのもうんざりする要因だった。どの部屋も、畳と床の間だけの空間、そしてただの行き止まりだ。結局は廊下を歩くしかない。


「部屋が全部おなじに見える。まるで老舗旅館だな」師匠が言った。


 落ち着いた様子で歩く師匠を前に、わたしの歩調は情けない。おそれが歩調に表れてしまっている。


「あ、あの……」

「どうした?」師匠が振り返る。

「もし、また幽霊に襲われたらどうするのですか? ここはあの女のホームグラウンドみたいなものですよね……」

「大丈夫よ」シラツユさんが答える。「この人、いまタガが外れているから」


 わたしはハテナの顔を返すしかなく……。


「ええとね。普段、あたしが包帯になって冬夜の右手に巻きついているでしょう? それは安全装置をかけているようなものなの」


 シラツユさんが言うと、師匠は右手の甲をこちらに見せながら、顔の横まで持ち上げた。その手は青白い半透明になり、ぼうっ、と音を鳴らして緑色の炎に包まれた。


 手品師のようにゆらゆらと手を振ってみせる。炎は朧のように漂い、それでいてはっきりと辺りを照らした。熱さを感じていないのか、本人はまったく平気な顔をしている。


 さっきのわたしの左手に似ている——と反射的に思った。


「こういうわけだ」


 師匠は炎を消した。右手は肌色にもどった。

 線香の残り香のようなにおいが宙を泳ぐ。


「手、燃えました……」


 ともあれ、わたしは困惑のままだ。


「一十家は、式神や守護霊を操ることで除霊ができる。裏を返せば、それ以外の方法では除霊できないの」シラツユさんが言った。「冬夜は……、それだけでなく、自分自身の四肢に除霊力を宿すことができるの」


 なんだか、すごいハイブリッドで優秀なひびきを感じる。


「弟の白夜に会ったことがあるなら、わかると思うけれど。彼ですら自分自身の力だけでは除霊ができない。だから守護霊を連れているの」


 赤い布を目に巻いた幽霊のことだろうか。わたしはまだ、その幽霊を実際に見たことはないが……。


「……なぜ、師匠はそんな高機能になったのですか?」

「おい、人を車みたいに言うな」

「そうねぇ」シラツユさんは師匠の横顔をじっと見て、「変な人だから、よね。きっと」


 この話は不快だ、まったく興味がない、という顔で師匠はため息をついた。なにか深い意味があるはずだが、いまはゆっくり話している場合ではない。


 ——もういいかい、と言わんばかりの地震が起きた。足の安定がうばわれる。ばたばたと大音が鳴り、廊下じゅうのふすまが外れて倒れた。壁の蝋燭が悲鳴のように燃え上がる。


 さらに揺れが大きくなり、今度こそ立っていられず、わたしたちは姿勢を崩した。しかし数秒も耐えていると、ぴたり、とビデオの一時停止のようにあたりは静まった。


 ——かと思ったら、ばたばたと連続した音が鳴り、ふすまは元の位置にもどった。蝋燭の火も落ち着いている。まさに逆再生の光景だった。自分が映画のなかにいて、リモコンで好き勝手にいじられているみたいな感覚すらある。


 景色はもどったが、廊下の奥に違和感があった。

 女がいる。

 さっき、わたしを殺そうとした女。

 白い着物の腹を赤く染めて、刃物を持つ女。


 ——りん、と強い鈴の音。

 景色が変わる。

 森の景色だ。

 霧がかかっている。

 女はおなじ距離に立っている。

 それだけが変わっていない。


 ——りん。もう一度。

 太い木が二本。それとおなじくらい太いしめ縄が、そのあいだを結ぶ。

 しめ縄から、さらに細い縄が下に伸びていて、吊りの死体がふたつ。

 ひとりは髪の毛が真っ青だ。

 どちらも胸を刃物で裂かれている。

 血がつま先まで滴っている。

 女はまだ、おなじ距離にいる。


 ——りん。もう一度。

 村だ。漁村のような村のど真んなかに、わたしたちは置かれた。空は暗く、夜の景観だ。霧は晴れている。


 灯籠のぼんやりとした灯り。魚の生臭さと、鉄のにおいが混じって漂い、顔にまとわりつく。鼻腔にツンとしみる。


 女はまだ、そこに。見まちがいでなければ、左手にビデオカメラのようなものを持っていた。長いストラップが地面を舐めていた。


 ——りん。もう一度。これが最後だった。

 雨の降る場所。

 周囲は森。


 しかし円形に伐採された土地のようで、ちいさな公園ほどの広場にわたしたちは立たされている。広場の真んなかには、石づくりの台がひとつ。セミダブルベッドくらいの幅だ。その上に少女がひとり寝ている。


 いや、寝かされているのか?


「マリ——ちゃん?」


 枯れ草色の、つぎはぎだらけの着物を見て、わたしは直感で思った。


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