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闇口そぼろと幽々しき奇録  作者: 燈海 空
山だの、刃女だのよ
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ー4ー

山だの、刃女だのよ

 

「あんたらぁ、いちおう客じゃぁから話すがの。方角さえ定めときゃ湖は渡れる。だが問題は山んなかじゃ。この霞のなかでクマに会えば、まず逃げられん。あっちのほうが気づくんも早いしの。あんたらみたいなのは、人間臭くてかなわん」


 まるで自分は人間のにおいがしない、と言っているような口ぶりは、とても正しいように思えた。この小屋そのものが、すでに獣っぽいにおいに満ちている。


「きょうみたいな曇りか晴れかようわからん空模様じゃ、クマはよう出る。風下にクマ《やつ》がおれば一発で勘づかれるわ。日暮れになるこの時間から山んなかに入るなぞ、自殺行為じゃ。それにおととし——ばかな若造がふたり、映像を撮影するとか行って山に入ったっきり行方不明じゃ。わしは止めたし、暗くなるまでは探してやった。警察も動いたが結局見つかっとらん」

「あのユーチューバーの話か? タムナントカってチャンネルの」上田さんが言った。

「お湯チューブ? ——なんじゃが知らんが、署の人間ならこの山の失踪事件くらい知っとるじゃろ」

「おれの管轄ではないが、結局捜査が打ち切りになった、ってところまでは知っている。……ところで、いまさらだが、あんたはこの湖畔管理事務所の主でいいんだよな?」

「そうじゃが?」


 小屋の男は面倒くさそうに返事をした。


「よく勘違いをされるがの。わしがせっかく建てた小屋に行政が訪ねてきたんじゃ。管理事務所を設立するから小屋を撤去しろと。つまり立ち退きを言い渡された。こん土地はわしのもんじゃ。従う理由がなかったわ」

「なるほど……」上田さんはすぐに理解したようだ。「立ち退く気がないなら、この小屋で管理事務所をやれと。そう言われたわけか?」

「ほう」小屋の男は上田さんをにらむようにして、「あんた話がわかるやつか」

「これでもいちおう刑事だ。その手の話題は得意だ。すくなくとも幽霊の話よりは……」


 ふん、と小屋の男は鼻息を返した。刑事だからなんだ、という顔で。


「——行政とはずいぶん言い合いをしたもんじゃわ。とくに金の問題とかな。この小屋からすこし離れたところに、もう一本桟橋がある。それは行政が建てた橋じゃ。その橋の周囲二キロメートル半径を整地して、人が来たら安全指導をせい、っちゅうのが管理人の主な仕事なんじゃと」

「なら、小屋のそばにある桟橋は?」上田さんが質問をした。

「見りゃわかるじゃろう。わしが建てた橋じゃ」


 行政が建てた橋なんぞ、わしは絶対に使わねぇ——。そんな強い意志を感じた。


 上田さんは感心した様子で、「あんたひとりで建てたのか? すげぇな…… 。器用なんてもんじゃねぇぜ……」


 褒められたはずの小屋の男は、どういうわけか顔を曇らせちいさく舌打ちをした。上田さんが言った《《あんたひとりで建てたのか?》》の部分に反応したように見えた。


 自分ひとりで建てたわけではなく、橋の建設を手伝った《《別の人間》》がいたのだろうか。


「なぁあんた」師匠が言った。

「なんじゃ?」


 小屋の男が視線を突き刺す。

 さっきよりも機嫌がわるくなっている。


「これからおれが言うことに、わるい気を起こすな」

「どうしたんだ、じゅういち」上田さんが反応した。

「おれにはあんたの死んだ妻が見えている」


 空気ががらりと変わって、なにかがぴきっと音を立てるように凍った。


「ふざけとんのか」


 小屋の男は眉間にシワをつくった。

 深いシワだ。怒りが見える。


「こんなことを言えば、野獣みたいなあんたが、またこっちに銃を構えるだろうことくらい想像がつく。だからある意味残念ながら命がけで言っている。勘違いをするな」

「ほう……。霊感商法っちゅうやつか」


 小屋の男は黄ばんだ歯をわざとらしく見せた。


「なら、ハッタリじゃないことを証明しろ。これからわしと妻にしかわからんことを訊く。答えを外したら帰ってもらう。問答無用じゃ」

「ああ。なんでも訊け」


 師匠は首を左右にかたむけて、肩をほぐす仕草をした。ケンカ上等といった感じだ。


「結婚指輪を、この部屋のどこかに隠してある。一発じゃ。一発で当てろ。それができんかったら、帰れ」


 師匠は目を鋭くして、女性の霊をにらんだ。

 彼女はゆっくりと微笑み。

 ゆっくりと片腕を持ち上げた。

 青白い人差し指が指し示した方向には暖炉があった。

 師匠は暖炉を一瞥。

 そのわずかな視線の動きを見た小屋の男は、肩をこわばらせた。


「ちがうな」と師匠はひとこと。

「なにがじゃ」


 小屋の男は両手を組み合わせて、前のめりになった。肘と膝をくっつけて座る姿勢だ。


「暖炉に指輪はない。煉瓦の隙間にでも隠しているかと思ったが、その線はうすそうだ」

「ほう」

「そもそも、あんたは妻に金属製の指輪を渡していない」

「なぜそう言える」


 問われた師匠はすっ、と息を吸った。

 その目はうすく閉じられていた。


「日流山の奥に、一本しか生えていない木あった。それはヒノキの木だ。あんたは単身、斧を背負って山奥まで歩いた。山に一本だけのヒノキを伐採して、その幹のなかでもとくに丈夫な部分を切りとって、家に持ち帰った。丹精こめて、指輪型に削って、ニスを塗って、この世にふたつだけの指輪を作った。自分用の指輪のサイズはぴったりだった。が……、妻に送った指輪は……」


 師匠がそこまで話したところで、小屋の男は笑った。

 車のエンジンを空ぶかししたような大笑いだ。


「いいぞ、つづけろ!」

「はぁ……」師匠はかったるそうに、「妻に送った指輪は、サイズがデカかった。親指にしか嵌まらなかった。めんどくさい性格のあんたは激昂して、妻から指輪を奪った。そして投げ捨てたのさ、火の燃える暖炉のなかに」


 昔を懐かしむような顔で、女性の霊もくすくすと笑っているのが見えた。


「だが、あんたの妻は喜んだ。なぜか。気持ちが嬉しかったからだ。 不器用でバカなくせに、繊細ないい男——」


 師匠が言った瞬間、小屋の男の顔色が一変した。

 奥歯を噛んで、こみ上げるものを堪えているような顔だ。


「それじゃ……」すぅ、と息を吸って小屋の男は鼓動を整えていく。「桂子がよう……、よう言っとった。不器用でバカなくせに、繊細ないい男——そうか。インチキではなさそうじゃの、若いの」


 小屋の男は立ち上がって背を向けた。

 涙を隠しているようにも見えたが——それは邪推というもの。


「見えるんか?」

「ああ」

「どこじゃ。桂子はどこにおる」

「あんたが向いている方向。三〇センチ前だ」


 師匠が言ったとおり、小屋の男と桂子さんの霊は向かい合っている。すぐにも抱きしめられそうな距離で。


「すぐそばか」小屋の男は拳を握りしめた。「じゃが……、遠い」

「死んでからもあんたの妻は、あんたが心配で心配でたまらない。だから成仏できずにいる」

「そうか。わしんせいか……」

「——この湖が好きで、貯金をはたいて岸辺の土地を買ったあんたは、自分で木を伐採って小屋を立てた。小屋が完成するまでは、ビニールの屋根の下で寝たこともあった」

「そんなことまでわかるんか……」

「指輪の答えに関しては、おれの霊視だ。しかし、いま話していることは

 、あんたの妻が直接、おれに伝えてきていることだ。よくしゃべる奥さんだよ」


 やっと通訳さんが見つかってよかったわぁ、と桂子さんの霊は言っている。師匠は同時通訳の要領で、口を開いていく。


「都会暮らしが嫌になって、身投げしようとこの湖を選んだ。しかし、そこであんたに助けられた。水に濡れた体を乾かせと言われ、焚き火の前に座った。そこで長い話しをした。あんたがだれの力も借りずに、ここに住もうとしていることを聞いた桂子さんは、その生活を手伝わせてほしいと言った。それからふたりの生活が始まった」


 ふう……、と小屋の男は息をついた。

 いまにも思い出に押しつぶされそうな、自分の心を撫でるように。


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