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闇口そぼろと幽々しき奇録  作者: 燈海 空
山だの、刃女だのよ
33/56

ー3ー

山だの、刃女だのよ

「においで死因までわかるのですか?」わたしはたずねる。

「自殺か、他殺かくらいはわかる」

「どっちですか……?」


 わたしがたずねると、師匠はつまんでいた千切れた片手の霊体をポイと投げ捨てた。


「他人の手足を切断して遊ぶ、趣味のわるいやつに殺された——そんなとこだろう」



 うす気味のわるい霞が漂う林道はしばらくつづいた。肩の重みと、足のぬかるみを感じながら歩いていると、右手に看板が現れた。


 釣竿を持った少年が、楽しそうに歩く絵が描かれている。昭和に描かれたような、古めかしいタッチだ。描かれてから何十年も経っているのか、少年の顔の部分が剥げていて、裏地の木材が見えている。のっぺらぼうが湖に向かって歩いているように見えるから、気味のわるさが増している。


「管理事務所マデ、アト百メイトル……」上田さんが、看板に書いてある文字をそのまま読んだ。「この看板古すぎだろ。おれが生まれるよりも前に立てられたんじゃねぇのか?」


 雰囲気はともあれ、もうすぐ管理事務所に着くらしい。


「やっと、人に会えるんですかね……」わたしは不安を声に混ぜて、「あの……。改めて訊くんですけど。湖そのものは、立ち入り禁止区画とかじゃないんですよね?」

「それはないぜ。ちゃんと確認したからよ。おじさんもいちおう警察だからよ。そこらへんはぬかりないぜ」


 そういえば、ここへくる前。上田さんはだれかに電話をしていたが、それがその《《確認》》だったのだろうか。


「管理事務所に人はいるんでしょうか……」わたしが言った。

「いるはずだぜ。まぁ行ってみようや。もしだれもいなくて、管理人の幽霊しかいなかったとしても、じゅういちが通訳してくれるだろう?」


 な? な? と上田さんは笑顔を振る舞いてみせた。彼なりの冗談だったらしいが、空気はひどく凍ったままだ。


「上田、お笑い芸人にならなくて正解だったな」と師匠。

「おう。まったく同意だぜ」

「面白いかどうか、はあれですけど……。それでも和みました」

「おう。そぼろちゃんがそう言ってくれると、救われる心地だぜ」


 ともあれ、この看板に描かれている《《のっぺらぼう少年》》だけでも背筋が寒くて仕方がない。和らいだ緊張感がまたふくらんでしまう前に、一行は先を急ぐ。


 辿り着いた例の管理事務所は、頭で想像していたどんな建物とも違っていた。コンクリート造られた、あたかも事務所ですと言わんばかりの真四角な建物を想像していた。


 しかし実際の管理事務所は、ぼろぼろの桟橋のそばに佇む、これまたぼろぼろな木製の小屋だった。


 なにに使われるのかわからない大型のクマ手が壁に立てかけられており、そのかたわらには毛羽だった縄が散乱していて、開けっぱなしのクーラボックスの周辺にはハエが飛んでいる。切り分けられたいくつもの薪が、ボイラーらしき機械の近くに積まれている。


 入り口らしきドアまでの道には雑草が生えておらず、土が踏み固められていた。何度も人が往来している証拠だろう。道筋に沿って、赤い布が巻かれた全長二メートルくらいの棒が左右合わせて六本、穿たれている。積雪が多いときに、なんらかの役割を果たすものだろう、と想像する。


 上田さんが先陣を切って小屋のドアをノックした。


「すいませーん。こちら、警察のもんですが。ちょっとよろしいですか?」


 しん、と音が止まった。白い霞だけが変わらずに流れている。湖は波ひとつ立てずに、まるでそれ自体が巨大な穴であるかのように、時間そのものを飲みこんだ。いまは霞が視界をさえぎっているから、湖の遠くまでは見えない。が、相当に広い直径なのだろう。海辺にいると言われても違和感がない。


「ドアは開かないのか?」師匠が、上田さんの三メートルうしろで言った。

「すいませーん」上田さんはもう一度ノックをしてから、ドアノブに手をかける。


 ふと上田さんはある音をドア越しに聞いた。

 かちゃり、という音だ。

 そして脊椎反射で叫ぶ——


「ふせろ!」


 間髪と待たずに鳴ったのは銃声。

 それも拳銃やなにかの音ではない。

 太い銃声だった。

 ぼろぼろのドアには、いくつもの真新しい小穴が一瞬にして空いた。


 内側からドアは蹴破られた。錆びた蝶番が簡単にちぎれて、ドアは転げるようにどすんと地面に倒れた。大きなうちわで扇がれたような風圧が低い地面を舞う。


 上田さんはさらに音を聞いた。

 ドア越しで聞いた音を、もう一度。

 かちゃり、と散弾銃がポンプアクションをおこなった音。

 今度は鮮明に聞こえた。


「警察だと! あんたいま警察って言ったな! おれをとっ捕まえようってぇのか! ええ! だれも殺しとらんちゅうに、わからんやっちゃのう! ええ!?」


 煙に燻されたようにしゃがれ、圧のある声が上田さんを上から押し潰す。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 銃口をむけられた上田さんは両手を広げてみせた。降参のポーズだ。


「おれたちはある事件の捜査で、この湖を渡りたいだけだ。ほ、ほら、その桟橋にある白いボート、あんたのだろう? 《《渡し》》なんだろう? むこう岸に運んでくれれば、それでいいんだ!」


 小屋のなかから散弾銃を手に現れたその男は痩せていた。年齢は七〇歳前後だろうか。色黒の頬から真っ白な髭が長く伸びて、喉仏を隠していた。頭髪はしっかりと生えそろっているが、髪そのものはひどく傷んでいた。トリートメント、などという言葉とはよほど縁がなさそうだ。


 しかしその目つき。鷹のような目つきには若さが漲っていた。男は上田さんに銃口をむけたまま、わたしを二秒見て、師匠を二秒見て、マリちゃんを五秒見た。


「なんじゃ……。客か……」


 小屋の男は銃口を天に向けた。この瞬間、上田さんは絶命の危機から解放された。


「この霧じゃあ、船はだせん。すこしでも晴れんことにはの。——茶もだせんが雨風は凌げる。なかに入れ」


 そう言って小屋の男は、建物のなかに消えてしまった。


「ど、どうします?」わたしは師匠に訊いた。

「おれは入りたくない」

「小屋に入らなければ、なんで入らんのじゃぁ、って。それはそれで撃たれそうだよね」マリちゃんが言った。

「それもそうか……」師匠の顔がひどく歪んだ。幽霊のことは得意だが、生の人間に関するトラブルほど苦手なものはないのだろう。「茶は出されても飲まないぞ」


 小屋のなかに入ると、わたしたちはまず濃い茶色の絨毯の上に座らされた。部屋は一五畳ほどの広さだろうか。壁には錆びたノコギリや、ナタが掛けられている。乾燥した魚肉も何枚か、ぶら下がっている。


 なんの動物かもわからない、灰色の毛皮が小窓を覆い隠しているが、あれはカーテンの代わりだろうか。火のついていない暖炉のなかには、煤けた棒が残っていた。信じたくはないが、あれは骨だ。肉を火で炙って、食べて、残った骨を暖炉に投げたのだろうか。野蛮というか、豪快というか。


 殺人鬼がテーマの映画で、よくこんな小屋が舞台になっているよな、と自然と思った。ほんとうに殺されなければいいが。


「梅雨の時期だってのに、暖炉を炊くことがあるのか?」上田さんが世間話のリズムで言った。

「朝方、めっぽう寒くなることがあるんじゃ。背中がぞくぞくとするから、陽が昇るまで暖炉をつけることもあるわ。冬ほど薪をくべるわけじゃないがの。ゴミや骨なんかを入れて炊くくらいがちょうどいい」


 小屋の男は、散弾銃を壁のフックにかけながら言った。外ではよく見えなかったが、銃身が黒光りして艶のある、キレイな銃だった。この小屋にあるもののなかで、 いちばんに手入れされていると言ってもいいくらいに。


「背中がぞくぞくするのは、別の原因じゃないのか?」と師匠。

「あ?」小屋の男は振り返って、「なんじゃ、別の原因って。湖のそばじゃ。寒くなることもあるわ」


 小屋の男は、無骨な切り株の椅子に座って言った。ガニ股の前傾姿勢。腰痛をかばうように座っている——そんな風に見えた。着ている服は穴だらけ。全身にノミを飼っていてもなんら不思議ではない風体だ。安物でもいいから新しい服に新調してあげたくなった。


 ちなみに、小屋のなかにもひとりの霊がいた。

 中年の女性の霊だ。

 髪は短くて、スポーツをしそうな雰囲気だ。


 その霊は、これまでに見たどの霊よりもやわらかい表情をしていた。こちらに対して、丁寧におじぎまでするから、逆にどう見たらいいのか困った。眼球の底が奈落みたいに真っ暗な霊ばかり見てきたから……。こんなにも人間らしい目をした霊は、はじめてだ。


「おれたちは、湖を越えたむこうの山に渡りたいだけだ」あぐらをかいた上田さんが言った。

「霞が晴れなければ、だめだ」小屋の男の態度は厳として変わらない。

「それが……、急ぎなんだよ」

「《《死に急ぐ》》っちゅうんか?」

「詳しく説明すると長くなる。人の命がかかっているんだ。時間制限があるんだよ。あしたの陽が昇るまでに、山のなかであるものを見つけなきゃならねぇ」


 上田さんが言うと小屋の男は視線を横に流した。不機嫌そうな鼻息をつく。




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