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闇口そぼろと幽々しき奇録  作者: 燈海 空
ここはどこ、あなたはだれよ
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ー7ー

ここはどこ、あなたはだれよ


「だいたいわかった」


 一十冬夜は寝癖頭をぼりぼりと掻いた。篠田さんから見てななめ前のカウンター席に座り、だらりと足を組む。とてもリラックスしている。まるでジャングルの王さまでも見ている気分になった。王妃はシラツユさんで、家臣は外にいる鳥たち——なんて、しょうもない妄想がはしる。


「あんたの妻は取り憑かれている」

「そう……、ですよね……」篠田さんは顔を沈めて、「妻は治りますか?」

「おれが殴れば一発だ、と言いたいところだが——」一十冬夜は短いため息をついた。「それは霊が単体で存在している場合にかぎる。だれかに憑依している場合、そいつは宿主の魂に噛みついている」

「つまりあれか? 寄生虫みたいなもんか?」


 質問を投げた上田さんに対し、一十冬夜は短くうなずいた。


「おれがあんたの妻を殴れば霊はたしかに成仏する。しかし同時にあんたの妻の魂も吹っ飛ぶ。そうなれば心臓を動かしているだけの植物人間になる」


 ぞっとする話だ。


「つまり……」篠田さんは顔を青くして、「妻を元にもどすには、まず彼女に取り憑いた幽霊を切り離さなければいけないのですか?」

「そうだ。そのために、あんたの妻に会う必要がある。切り離すには、霊がなにを所望しているのか把握する必要がある。願いを叶えてやれば、大抵は勝手に成仏するからな」

「それなら、まずは篠田さんの奥さんに会いに行かねぇと、だな」


 上田さんはポケットに手を突っこんで、車のキーを確認した。


「おい、おまえ」突然、一十冬夜はこちらを睨んだ。「きょうからおれの助手になれ。給料は出す。それから今後、おれのことは師匠と呼べ」

「はう?」変な声が出た。

「それに——。中途半端に霊能が覚醒した以上、おれといたほうが安全だ。いいな?」

「あぅ、あか、わかりました」


 なるほど、上田さんとシラツユさんは、彼がこれを言うと想定していたのか。ふたりの表情を見るに、ほらね、と言っているようだ。


「あれ?」篠田さんが不思議そうな顔をして、「そぼろさんは、だいぶ前からここの助手なのでは?」

「お、そいつぁ……」


 上田さんはシラツユさんに目配せをしたが、知らんふりを返された。もとはといえば上田さんが蒔いた種だ。ついたうその処理は、ついた者がするべきだろう。


「《《助手見習い》》だったんだよな? そぼろちゃん。おお! よかった、よかったなあ! 正式な助手になれて! はっははぁっ……」


 上田さんがもしお笑い芸人だったら切腹に等しいであろう冷えた空気が漂った。言った本人の朗らかな笑い声だけが、おしゃれな店内に反響する。


「ああ……」しかし篠田さんは納得した顔で、「そうだったんですね。そぼろさん、正式採用おめでとうございます」


 ぱち、ぱち、ぱち——仏のように目を細めた篠田さんからの、心のこもった拍手が——。彼はとても純真で無垢なんだと、痛いほど伝わってくる。


 この人の奥さんを元にもどしてあげたい。心霊探偵の助手になった実感も、覚悟も、納得もなにもないが、この人が笑顔にもどるために、できることがあるなら力になりたい——。もやもやとした景色のなかで芽吹いた、ちいさなつぼみほどの気持ちだが、わたしはたしかにそう思った。



「心霊系の事件になると、けっきょく運転くらいしかできねぇんだよなぁ、おれなんてぇのは」


 運転席に座る上田さんが、へらりと笑いながら言った。


「そのおかげでおれは昼寝ができるんだ。無感ではあるが、役に立っている」と助手席の師匠《一十冬夜》が話す。

「これって、雇われているんだよな? おまえによ」上田さんは怪訝な口調で、「一十探偵事務所の仕事を手伝ってるんだからよ。それなりの報酬はもらわないと、だよなぁ?」

「やっぱりばかだな、あんた」

「おう、ばかって言ったほうがばかなんだぞ、 ばかやろう」


 それだと上田さんもばかじゃないか、と後部座席に座るわたしは思った。


「まぁ、警察が解決できねぇ問題をじゅういちに手伝ってもらっているからなぁ。その意味では、むしろこっちが報酬を払わないとならねぇもんなぁ……」

「なら払え。いますぐだ」

「いまは無理だろう。ハンドルを握っているから無理だ」

「ならハンドルを離せばいい——ほら、そこのコンビニに寄ってくれ。プロテインバーが食べたい」


 師匠の声はとても男らしい。イケメンの声だ。しかし言っていることは、まるで部活帰りの中学生だ。物欲しそうにコンビニを指さすその手には、包帯が巻かれている。それは、さっきまでカフェでマスターをしていたシラツユさん自身だ。


 師匠が事件解決のために出かけるとき、シラツユさんは包帯に変身して、師匠と行動をともにする。長細い白蛇が彼の手に巻きついて、それが包帯に変化していくさまは、まるで現実味がない光景だった。まったくもって、シラツユさんは謎に満ちている。


 ぴぃ、ぴぃ、と車が音を鳴らす。

 上田さんはバック駐車を一発で決めた。

 小慣れた手さばきだった。

 余裕と貫禄があった。

 バック駐車がうまいというだけで、男は何倍もカッコよく見える。


「そぼろちゃんもなにか要るか?」上田さんはこちらを向いた。

「い、いえ、わたしは車で待ってます」

「そういうなって。一緒に行こうぜ。見れば食べたくなるものもあるかもしれねぇ」

「あぅ……、わかりました……」


 そうこう会話をしているうちに、師匠はさっさと降りて店内に入っていった。雑誌がならんでいる棚を過ぎて、ATMを過ぎて、彼はまっさきにトイレに駆けこんだ。その姿が車内から見てとれた。


「実はよ……」


 ふたりだけの車内——上田さんは口調を変え、コンビニに入った師匠を目で追った。


「じゅういち、竹林の外に出ると気分がわるくなるんだ」

「それってつまり……。そこらじゅうにいる幽霊が目につくから、ですか?」

「だろうと思う。そぼろちゃんはなんともねぇか?」

「そうですね……。たしかに竹林にいるときよりは、肌がピリピリする感じはあります。けれど、気分がわるくなるほどではないです……」

「そうか……」


 なにかを察したような、上田さんの横顔が見えた。


「あいつの態度は氷のように冷たいことが多い。それはあいつなりの防衛手段なんだ。優しくして、尽くして、裏切られるくらいなら、最初から冷たくしておいたほうがいい——。前にそう言っていた」


 その感覚は、わからないでもない。人を信じること、人に優しくすることがばからしくなる瞬間は、だれしもあると思う。世相とかけ離れた能力や気質をもった人間なら、なおさら理解はされない。どれだけ仲良くなっても、いずれ特異菌のように扱われてしまうのなら、最初から親しくする必要はない、という感覚だ。


「でも、上田さんはつき合いが長いのだし、師匠も心を許してくれているんじゃないですか?」

「うーん……」上田さんは難しい顔で腕を組んだ。「これはたぶん、利害関係なんだよ。親友や仲間とはちがう。仕事仲間かと言われると、それもずれている。互いに利用しあっている……、というしかねぇんだよ」


 それならわたしは師匠にとってなんなのだろう。利害関係にもなり得ない、ただのお荷物のようなこちらが、彼に利益をもたらす瞬間など今後あるのだろうか。


「だからよ。おれも正直おどろいているんだよ。あいつが、そぼろちゃんのことを放っておかなかった、って事実に。——そぼろちゃんが院長室で倒れたあとのことだ。じゅういちから電話がきて、すこし話したんだよ。そしたらあいつ、そぼろちゃんを雇うって言いだしてよ。それはもう、耳を疑ったさ」


 上田さんは流れるような口調で説明した。人が嫌い、ましておなじタイプの人間などもってのほか。そんなじゅういちが霊感を持つ人間の面倒をみるなんて、ありえない、と。


「だから助手なんだとか、見習いなんだとか、篠田さんにうそをついたんですね……」

「それはすまなかった。だがよ、おれもそのほうがいいと思っていたんだ。このまま、そぼろちゃんと《《はいサイナラ》》はできねぇだろう? 突然持ちたくもねぇ霊感を手にして、心労しているそぼろちゃんを放置はできない。実際、危険な目にあっちまっている。むしろ、こっちからじゅういちに頼もうと思っていたんだ」


 わたしの腕に巻きついた包帯は、師匠のシラツユさんとはまるで意味がちがう。ぼんやりとそれに視線を落とすと、こちらの世界にようこそ、となにかに言われた気がした。


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