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ここはどこ、あなたはだれよ
「冬夜は、粉の仮死薬をそのまま飲んでからすぐに、トイレットペーパーに包んだ蘇生薬を服用したの。トイレットペーパーは水に溶けるから、胃液に溶かされていく。その時間差で、仮死からの蘇生をしようと測ったのよ。子供なりに考えた方法だった。ただ危険すぎるし、うまくいく保証などどこにもなかった」
そして実際、冬夜さんは帰らぬ人となった。一時的に。
「仮死薬の量さえ狂っていなければ、冬夜は蘇るはずだった。けれど蘇生薬の効能をかき消すほどの量を飲んでしまっていたの」
「ん? ちょっと待ってくれ」上田さんが言った。「深夜にだれもいない部屋に忍びこんで、勝手に死んじまったやつに、一体だれが気づいたんだ? いくら禁断の術だのなんだといったって、朝まで死んでいたやつは……。さすがに蘇こせないだろう?」
「——当時生まれたばかりの白夜が、冬夜の死を知らせたのよ。母親にね」
「赤子が、どうやって?」
「白夜はめったに夜泣きしない子だった。それが、その日にかぎってものすごい勢いで泣いたの。その鳴き声で、壺のなかで寝ていたあたしまで目を覚ましたわ……。飛び起きた母は、白夜の片手を見て、すぐに緊急事態を察した。赤子の白夜は、西の方角を指差していたの。その方角には、儀式が行われるための部屋があった——」
そして駆けつけた母親によって、冬夜さんは一命を取り留めた。
「そいつぁ……」上田さんは顔をしかめた。「霊感……、というか、《《死に近い一族》》ならではのエピソードだなぁ……」
わたしもこれから、説明できないことに何度も遭遇するのだろうか。そう考えると気が遠くなる思いがした。
「実のところ……。白夜は、死に還りの儀をパスしているの」
「パス? 儀式そのものをやってねぇ、ってことか?」
「ええ。白夜は、産まれてすぐに心配停止になった。すぐに心臓の緊急手術が行われた。それで、どうにか一命を取り留めた。だから彼の胸にはいまも手術の痕が残っているわ」
——あんたも一回、死んでみる——?
白夜くんの声が脳裏に蘇る。
「死に近い……」
わたしはぼそりと言った。
包帯が巻かれた自分の腕に、自然と視線が落ちた。
「わたしも、この怪我で失血して……。いったんは意識不明になったから、霊感がさらに増してしまったのでしょうか……」
「それはあり得るわね」シラツユさんは微笑んで、「よかったじゃない。結果オーライよ」
いいんだか、わるいんだか、である。
「おれなんか、逃げる犯人を追いかけて、やっと捕まえたかと思ったら、背後から共犯者にぶん殴られて意識が飛んだこともあったぜ。あれも、いったん死んじまった、ってことだろう? でも霊感の覚醒なんて、てーんでだぜぇ」
はっはぁ、と上田さんは大声で笑った。
「一族の血って、重要なんですね」わたしは真顔で言った。
「そうね。ほんとうにね」シラツユさんは適当に流した。
「きょうのカレーは煮込みチキンだから。あっさりしてて、クドくなくて、おいしいわよぉ」
シラツユさんが言った。おしゃれな皿にライスを盛り、温まったカレーを掬ってくれる。店内にスパイシーな香りが漂うと、それだけで唾液が口いっぱいに溢れた。
「おお、いい香りだなぁ」上田さんのお腹がぐるると鳴った。「そぼろちゃん。シラツユさんのカレーは別格だぞぉ」
「あら」シラツユさんは嬉しそうに微笑んだ。「おだてたってエビフライカレーにはならないわよぉ」
「エビフライなんかいらねぇさ」上田さんは片手をぱたぱたを扇いで。「ふっくらと炊きあがったご飯と、野菜の旨味が溶けこんだカレーソースがあればそれで十分だよ」
一口で背筋がピンと伸びる旨さだった。シラツユさんのカレーは信じられないほどの美味だ。最初の口当たりはやさしく、舌の上で野菜のうまみが広がり、噛むとハーブで焼かれた鶏肉の香ばしさが鼻腔にのぼる。飲みこんだあとのスパイシーさも絶妙。ご飯が止まらないとは、まさにこのことだった。上田さんは三杯もおかわりした。
「たぁ——」上田さんは膨れたお腹をたぬきみたいに叩いて、「食った食った。これのために生きているようなもんだよなぁ」
「ほんとうに、すごくおいしかったです……。びっくりしました」
「あら、そぼろちゃんのおクチにぴったりみたいで、よかった」
嬉しそうに返して、シラツユさんはコンロに乗せていたコーヒーポットを手に持った。注ぎ口がとても細く作られたヤカンだ。先にセットしておいたドリッパーにお湯が注がれる。焙煎された豆のいい香りが部屋じゅうに広がった。
「カレーのあとのコーヒーがまた格別なんだよなぁ」上田さんが言った。「ここに住んでいるじゅういちが羨ましくてたまらねぇぜ。じゅういちは普段なにを食べているんで?」
「それがねぇ……」
シラツユさんはコーヒーを運んできてくれた。至れり尽くせりで、申し訳なくなった。
「冬夜は完全な菜食主義なのよ。動物性タンパク質をまったく摂取しないの。意識のあった命を食うとその後が面倒だ、とかなんとかで。——どうぞ、そぼろちゃん。ミルクいる?」
「あ、ありがとうございます」わたしはかしこまって、「ブラックで大丈夫です」
上田さんも置かれたコーヒーにおじぎをして、「それじゃあ、じゅういちはカレーも食わねぇのか?」
「一度でもお肉が沈んだカレーは食べないわねぇ。完全に野菜だけのものじゃないと」
答えて、シラツユさんは空いた皿を流し台に持って行こうとする。
「あ、手伝いますよ」わたしは席を立とうとした。
「いいのよ。お客さまは、ちゃんとコーヒーの味を堪能していて♡」
あまりにもアットホームな雰囲気にかまけて、自分が客であることをすっかり忘れていた。シラツユさんは蛇口をひねって皿を洗いはじめた。
「あとで上田さんから、カレー四杯とコーヒー二杯の代金をしっかりといただくから。あとカフェを貸切にしたから、それの手数料もね♡」
微笑みながら皿を洗う彼女の姿から、なんともいえない畏怖を感じた。
「おおう、すえおそろしいぜ……」上田さんは目を細めてコーヒーをすする。
すると、店の入り口がざわめいた。鳥たちが一斉に飛び去ったようなさわがしさが伝わってきた。ノックの音が鳴る。シラツユさんの表情が急変し、一瞬にして緊張感が漂った。
「だれかしら。お店は閉めているのに」
シラツユさんは足早に入り口へと向かう。内鍵を外してそっとドアを開けた。カラン……、とドアベルの音も忍ぶように鳴った。
「こんにちは。えと……、カフェのお客さまかしら?」
突然の来客と顔を合わせたシラツユさんがたずねる。こちらからはシラツユさんの後ろ姿しか確認できない。ドアはまだすこししか空いていない。
「いえ……。ここに、探偵事務所があるとうかがったもので……」
若い男の声だ。
「あら、やっぱりそっちのお客さまだったのね」シラツユさんは声のトーンを若干落とした。「たしかにうちは探偵事務所ですけど、ちょっと風変わりですよ? 依頼の内容によっては対処できないかもしれません。それでもよければ、お話をうかがいますが……」
「うちの嫁を探してほしいんです。三日前から行方不明で……」
行方不明、という単語に、上田さんがぴくりと反応した。まるで飼い主の足音を察知した小型犬みたいに。
「三日前……」上田さんがぽつりと言った。
「あ……」男性客は店内をちらりと見た。「先客がいらっしゃるんですね、出直します……」
帰ろうとする男性客をシラツユさんは引き止め、店内にいるのが刑事とその連れだけだと説明した。それを聞いた彼は、さらに申し訳なさそうに首を下げながら店内に入った。身長は一八〇前後で、かなりの細身だ。猫背のせいで、身長のわりにちいさく見える。青いチェックのシャツはすこしくたびれている。
体調が優れないのか、元からそうなのか、頬がガイコツみたいに痩けていた。三日三晩どころか、ひと月くらい食べ物にありついていないような顔に見える。立っているだけでも倒れないかと、心配になるほど。
「あ、どうも」
上田さんは立ち上がり、男性客に頭を下げた。次に胸のポケットから警察手帳を取りだした。水戸黄門の《《あれ》》みたく正面にかざしてから、すぐにポケットにしまった。
「おれはここらで刑事やってる上田といいます」
「あ……、それなら、うちの件もご存じでしょうか……」
男性客の声は弱りきっている。
「ええ。察するに、奥さんが突然消えた件ですよね? 担当ではありませんが、話はうかがっています」
「あ、はい……。やっぱり知れ渡っているんですね……」
「署のもんが対処しているはずですが……、どうなさったんで?」
問われた男性客は顔を沈めた。
「話すと長くなります……。ここ、座ってもいいですか?」




