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闇口そぼろと幽々しき奇録  作者: 燈海 空
ここはどこ、あなたはだれよ
23/56

ー2ー

ここはどこ、あなたはだれよ


「あら、いらっしゃい」


 ドアノブに手をかけたまま、女性はこちらに声をかけた。どこかで聞いたことのある妖艶な声だった。


 女神のように微笑んだ彼女の髪は白に近い金色。その肌は真珠のような白。黒のキャミソールワンピースの上に、ベージュのエプロンを重ねて、足元は紺色のサンダル。いたってカジュアルな服装だ。


 全体的に布面積がすくないせいか、一見しただけでスタイルがいいとわかった。胸の谷間を隠す気は毛頭ないらしい。女のわたしですら怯みそうなほどにフェロモン感がすごい。


「いま、お客さんがひとりいるのよ。ちょっと待ってね」


 カフェの店員と思われる女性は店内を振り返った。


「あ、お会計ね。いまいくわ〜」女性は店内に声を投げてから、こちらを向いて、「なかに入って。空いてる席、適当に座って」

「おう、そんじゃ、お言葉に甘えて」上田さんはいたって普通に入店した。「どうした? そぼろちゃん」

「どうしたもなにも……。なんだか違和感だらけでどこから言及したらよいのやら……」

「言及なんかいらねぇんだよ」上田さんは軽く笑って、「こういうもんだ、と思えばいい。とりあえずなかに入って休もうや」

「は、はぁ……」


 まったく別の世界。まるで異世界にぽつんと存在する隠れ家カフェ。現実から離れて、逃避して、心と体を休めるにはもってこいだ。


「それじゃあ……、お邪魔します」


 濃い茶色の片開きドアには、木製のドアプレートが打ちつけられてあった。それをよく見ると、〈カフェレストラン・シラツユ〉と、これまたおしゃれな洋風フォントで書かれていた。


 プレートの下部分をよく見ると、さらに文字が打ってあった。その文字は申し訳程度の大きさで、虫眼鏡でもないとろくに読めなさそうなものだった。


「ときどき……、一十探偵事務所……」


 わたしは目を凝らして、書いてある文字をそのまま読んでみた。


 ——ふと、背後に気配を感じて振り返った。背中に風が当たった気がした。その風は、幽霊と対峙したとき、決まってわたしの頬を撫でていたような、冷たくて生臭い風だった。


「だれかいるの?」


 この竹林に入れば幽霊は現れない——上田さんが言っていたことが、さっそく覆ったのではないかと肝を冷やした。


 生垣のむこう側からガサガサと音が鳴った。

 茂みのなかから飛びだしてきたのは、一羽の白鳥だった。

  わたしはその飛び立つ勢いにおどろいて、わっ、とちいさく声を漏らした。白鳥をあんなに近くで見たことはなかったし、変に気構えていたのもある。


 あれは白鳥ではなかった。サギ——白鷺だ。


 首がSの字を描いていたし、足がフラミンゴのように細くて長かった。くちばしも細くて鋭さがあった。どちらかというと、白鳥はアヒルに近い見た目をしている。


「歌う白鳥……、踊る白鷺……、どちらもうそはついてない……」


 どこかで聞いた歌の歌詞を、ぼそりとつぶやいた。だれの歌だったかも覚えていないが、メロディと歌詞だけは覚えていた。


 白鳥だと思ったが、白鷺だった、という事実について人は《《騙された》》という。しかし白鷺は騙すつもりなどない。ただ白鷺に生まれて、目の前の現実を生きているだけだ。


 勝手に白鳥と比較して、勝手に騙されたとさわいでいるのは、人間のほう。


「どちらも、うそはついてない……」


 自分が想像していた探偵事務所が目の前に存在しない。それだけの理由で、わたしは勝手に心をさわがせているだけだ。ここは、カラフルで摩訶不思議な草花に囲まれたおしゃれなカフェであり、ときどき探偵事務所。なにも不思議なことはない。


 自分一人の知識や常識などたかが知れている。自分こそが正しいとか、だれよりも賢いとか——あまり思わないほうがいいと、古い哲学者が言っていた気がする。


 ところがだ。さっきまで妖艶でグラマラスでセクシーなカフェ店員だった女性が白ヘビに変身した件についてはどう飲みこめばよいのだろう。


 一方で、店内にいたお客さんは五〇代の女性だった。上田さんと面識があるらしく、あいさつからの軽い世間話をしていた。名は橋本さん。普段は専業主婦らしい。


 そして新顔のわたしを見るや、橋本さんは一方的に自己紹介をはじめた。旦那が仕事に行き、要介護の義父がデイサービスに行って、家に一人になったころ合いでよくこのカフェに来るのよ、あなたもここのカレー、一度食べたら病みつきよ——と。


「じゃあまたね、シラツユちゃん」


 優しい声を残して、橋本さんはカフェを出ていった。


 カランカランとおしゃれな鐘が鳴り、シラツユさんと呼ばれた店員が見送る。そしてシラツユさんはドアノブにcloseと書かれた表札を掛けた。


 その三秒後。シラツユさんは白ヘビに変身した。それを見たわたしと上田さん——四人席のテーブルに対面で着席している双方の反応——はとても対照的だった。上田さんは落ち着いている。これが普通である、とリラックスした顔が語っている。なんだったら眠そうだ。間の抜けた頬をつねって、上田さん起きてください! 女性が白ヘビに変身しました! とさわぎたい気分が湧いた。


「どうなっているんですか……」わたしの表情は、それはもうひどく怪訝なものだ。「幽霊なんかよりよっぽどこわいですよ。いろんな意味で」

「もーう、そんな気味わるがらないでぇ? あたし、こっちが本当の姿なんだからぁ」


 シラツユさんは先の割れた舌をしゅるしゅるいわせながら、こちらのテーブルに近づいた。とても慣れた足取り? で、テーブルの脚を伝って、上まで登ってきた。とぐろを巻いて、首を杖のように持ち上げてから、さらに舌先をしゅるしゅる……。顔はまちがいなくヘビだが、表情はとても人間味があった。


 それでも至近距離でヘビを眺めるのはこわい。慌てて席を立って逃げたくなったが、それはどうにか堪えた。


「まぁ、おれがじゅういちの霊感や、それに関する事象を信じられるのも、シラツユさんのおかげなんだ。こんなにも非現実的な存在が、目の前にいるんだからよ。幽霊の一匹や二匹、いねぇほうがおかしいってもんだ」


 上田さんはそう言ってグラスを手に持った。冷水で喉を潤してから、わたしを見て朗らかに笑った。


「しっかし、そぼろちゃんの反応は新鮮だなぁ」

「そりゃ新鮮ですよ!」わたしは前のめりになって、「正直幽霊なんてささいなものだったな、っていまは思ってますよ! なんですかこの状況!」

「あら、嬉しい♡」


 シラツユさんはウィンクをした。


「語尾にハートがつくような喋り方されても困ります……」わたしはどうにか平静を装って、「さきほどの……。橋本さんも、シラツユさんがヘビであることを知っているんですか?」

「ううん。お客さんはだれも知らないわよ。この近所でわたしの秘密を知っているのは、冬夜と上田さん。あとは白夜くらいかしら。あ……、そぼろちゃんのお母さんも目撃者ね」

「たしかに、母は見てしまってますね……。記憶がたしかなら、そこまでおどろいていない感じでした……」


 こちらの話を聞いてシラツユさんはくすりと笑った。


「闇口家の血族なら、一十家が式神しきがみを使役することくらい知っているはずだわ。因縁が深いもの。——まぁ、式神《しき(略称)》といっても色々だけどね。あたしみたいに《《普段から見える》》式神は珍しい部類よ。それでもお母さまは、瞬時に理解して、納得なさったんじゃないかしら」


 ——脳裏によぎったのは、わたしを襲った霊が一十冬夜に殴られたシーンだ。


 彼は、右手に包帯を巻いていた。

 白布が巻かれたその拳でわたしを救ってくれた。

 霊が緑色の炎に焼かれて、危機が去ったとき。

 彼はその手から包帯を解いた。

 ハラハラと地面に落ちたそれはやがて白ヘビとなり、しゃべった。


「だもんでよ。白夜を守ってるのも式神なんだよ」上田さんが会話に入った。「おれはもちろん見たことはねぇが。本人いわく、赤い布を両目に巻いた、黒い着物姿の女がいつもそばにいるんだとか。そいつが生きている人間にちょっかいを出しているから、白夜が直接手を出すことはない。だから、あいつの口ぐせは——」


『《《ぼくは》》、なにもしていない』


 わたしと上田さんの声が重なる。


「おう、なんだ、そぼろちゃんも聞いたことがあったのか、そのセリフ」

「ええ……。彼とは二度ほど会っているので……。そのどちらも、だれかにからまれていて殺伐とした状況でした。彼が手を出さずとも、相手が飛んだりひっくり返ったりしてました……」


 それはそれは、とても痛そうな光景だった。


「不思議なもんだろう? 白夜はただ突っ立ってるだけなのに、あいつに喧嘩を売ったやつは全員ぶっ飛ばされちまう。証拠も残らねぇから、罪にも問われねぇ」

「どのみち、正当防衛なんじゃないのぉ?」とシラツユさんのいい声が。

「だがよ……」上田さんは顔を曇らせた。「いつか一線を越えるんじゃないかって、こっちはヒヤヒヤしてんだ」


 あのとき——わたしが白夜くんに体当たりをしなかったら……。彼にからんだ三人の高校生のうち、一人はほんとうに死んでいたのではないか……。そう考えると背筋がゾッと冷えた。


「生まれつきあの髪色だから、白夜はまちがいなく苦労人だ」上田さんは顔を沈めて、「なんだったか……、一十さんとこで、白髪の人間が生まれることは特別なことなんだろう?」

 問われたシラツユさんは思案して、「ああ、それねぇ……。なんだったかしら……?」

「——始白冥使しびゃくめいしだ」


 一行は声のしたほうを見た。男らしい、低音の心地よい声。キッチンカウンターの裏から、寝癖頭をぼりぼりと掻きながら現れたのは一十冬夜だった。


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