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あれよ、 あれよ、イケメンよ
「いえ、たまたまです。ぼくは三人の高校生にからまれたあげく、この場所で恐喝をされたんです。そこに倒れている彼が、ぼくを蹴ろうとして滑って転んで。受け身を取り損なったのか、手首まで痛めてしまったみたいで。ずいぶん、かわいそうでした」
この釈明がうそか否かは、監視カメラの映像を観ればわかることだ。それを知っているのか、警察官はあきらめの表情のままだ。
「おまえ、運がわるかったのう」
警察官は、リーダーの男に言った。胸の無線機を手に持ってどこかと通話をはじめる。
「あー、こちら……。ええ、そこの道です……。高校生が自分で転んで怪我しよったんで、救急を手配してもらえませんか」
「いまなんて……!」
リーダーの男は片手——無傷なほうの手——を地面について、上体を起こした。眉間をひどく歪ませている。手負いの体を目一杯使って、胸底に溢れかえる遺憾を表現した。
《《一十白夜が自分に怪我をさせた》》、と警察官に言ってほしかったのだろう。おそらく警察官も頭ではそう思っている。しかし悟ったようなその顔は、こうなった場合の結末をよく理解しているかのよう。
「おれやおまえがわんわんさわいだって、この一十白夜っちゅうもんは罪に問われん。監視カメラにすべてが映っとる。怪我人はまず病院へ。それ以外はいちおう署まで同行してもらう」
それ以外とは、わたしと白夜くんのことだ。数分もしないうちに警察車両内の匂いを体験することになった。幾人もの犯罪者が座ったのであろう後部座席は、思ったよりも硬かった。
同乗する白夜くんは、この匂いにも、座席の硬さにも、よく慣れているかのような涼しい顔で、淡々と流れる車窓の景色を眺めていた。
カツ丼を食べるでもなく、わたしはすぐに解放された。
監視カメラの映像を確認した警察官によると、わたしはむしろ事態解決に貢献した人物である、とのことだった。
男子高校生どうしのいざこざを、体当たりで解決した勇敢な女子高生——そんな、身に余る称号をいただいてしまった。
わたしがリーダーの男と呼んでいた彼の苗字は田中だった。あれだけ威勢をまき散らしていたわりには、ポピュラーで、かわいらしい苗字だなと思った。
時間はすでに日暮れを過ぎていた。警察の人が自宅まで車で送ると言ってくれたが、《ちょっとトラブルに巻きこまれて、警察署に行くことになった》と母にメッセージを送ってしまっていた。
その返信は《なにやらかしたのすぐにいく!》だった。きっといまごろ、車検まで残り一ヶ月の軽自動車をぶっ飛ばして、ここに向かっているはずだ。むしろ信号無視で母が捕まらないか、内心ひやひやしている。
母がくるまでのあいだ、署内オフィスにある茶色いソファ——来客用のもの——に座って待つことになった。すると刑事らしき人が近づいてきて、ノートパソコンの画面を見せてくれた。
映しだされた監視カメラの映像は、解像度が荒かった。が、白夜くんが強制的に歩かされている様子も、田中の子分がさきに手を出した様子も、その後の展開も、すべてまるごと映っていた。
「あんた、よくあそこで突っこんで行ったな」刑事のおじさんがいう。
「えと……」なんだか恥ずかしくなった。「体がさきに動いてしまって……」
はっはぁ、と刑事さんはおおらかに笑った。
「いや、大した勇気だよ。表彰もんだ。くれる賞は遠慮なくもらっておきな。どっかに勤めるときも、有利になるぞぉ。ニュースになってもいいくらいだ」
よく地元の新聞などで映っている、市長と勇敢な高校生のツーショットが頭によぎった。
「わたしの高校……、制服じゃないので……」と遠慮してみる。
「んなこた関係ないんだよ」刑事さんは片手をパタパタと振った。「定時制の高校だっていえば、どうってことねぇさ。事実、表彰された生徒がいる高校ってのは、その年の入試倍率がぐわっ、と上がるんだぜ。高校の人気にも貢献できるんだからよ。大手を振るって構わねえさぁ!」
はっはっはぁ、とさらなる笑い。
その数秒後に刑事さんは急に顔色を変えた。
いたってまじめな雰囲気を醸してきた。
「なんてよ……。今回の件、公にはできねぇんだ。市からも警察からも、表彰されることは残念ながらねぇ。期待させちまって、わるかった」
「そう、なんですね……」
それはそれで、ほんのすこし残念な気持ちが湧いてしまった。
心のどこかで期待していたのだろうか。
例えば、一葉や母から称賛される自分の姿とかを……。
「やっぱり、残念だったか?」
「いえ……」
わたしは首を横に振った。
以前、母が言っていた言葉を思い出した。
たしか習字の作品で最優秀賞をとったときだった。
自分にとっては大快挙だったその受賞を、母は大して喜ばなかった。理由を聞くと、あんたの価値はそんな紙一枚で語れるものではないから、と母は答えた。
そのときわたしは、とても不機嫌になった記憶がある。幼かったのだろう。もっともっと大げさなくらいに褒めてほしかったのだと思う。しかしいまは母の言葉に賛成だ。
例え、栄えある賞を何度もとったとしても、人間の深いところがクズだったら、なんの意味もない。
王さまにでもなったように振る舞い、傍若無人な人間性を周囲に露呈してしまえば、恥ずかしいことこの上ない。そういった人がきらいだし、自分がなりたいとも思わない。
「表彰されたからって、人間性の深いところまでも評価されるわけではないので……」
「お、意外にも達観しているな」刑事さんは感心した顔で、「若いうちから讃えられて、周囲から持ち上げられたあげく。驕っちまって没落するやつはごまんといる。人生の落とし穴ってのは、幸せの絶頂にあるもんだ。あんたは……、それをよく知っている顔だ」
そんな顔をしている自覚はない。が、驕っちまって没落するやつの顔は、ついこのあいだ見た気がする。
「ところで、白夜くんはいまどうしているんですか?」
「ああ、あいつならもう帰ってるよ」
わたしよりも早く帰路についていたなんて……。
「もう、用は済んだのですか?」
「なぁに、いつものことなんだよ」
刑事さんはバツのわるそうな顔をした。
片手で後頭部をぼりぼりと掻いている。
「あいつにからんだやつはみんな怪我をする。だが、あいつ本人が直接手を出した証拠はどこにもない。監視カメラがあるなら、なおさらにあいつの無実が証明される。超常現象やなにかが、あいつの周囲で起こっているのはまちがいないが……。念力で怪我させた場合も暴行罪に問う、そんな法はこの国にはない……」
それなら彼はやりたい放題では? 気にいらない相手を片っ端から痛めつけてまわることもできるはずだ——と思ったわたしの表情を察してか、刑事さんは鼻で笑って、話をつづける。
「どちらにせよあいつの行為は正当防衛だ。自分から先に手を出したことは過去に一度もない」
そして刑事さんは最後に険しい顔をした。
「あんた……、もし白夜やその兄貴と関わることになったら……。わるいことは言わねぇ。あちらの世界に近づくな。あいつらはわるいやつじゃない。が、こちらの世界の人間でもない」
「兄貴……?」
「ああ、いや、なんでもねぇ」
刑事さんは気まずそうに後頭部を掻いた。それからすぐに署内の入り口付近がさわがしくなった。聞き慣れた声がした。母が迎えにきたとわかったわたしは、鞄を手に持ってソファを立った。
「あ、あの、いろいろとありがとうございました」
「なぁに、礼をいうのはこっちだよ」気持ちを切り替えたように、刑事さんは朗らかに笑った。こっちの顔がよく似合う。「あいつが世話になった。いつか暴走して、人のひとりでも殺しちまうんじゃないかって、ちょいと心配してるんだ」
しかし一変して曇った顔色になった。顔が忙しい人だと思ったが、白夜くんを心配していることが、よくわかる。
「流石に殺人となると……、かばってやれる自信はねぇ。今回のことはあんたがいてくれて、本当に助かった」
わたしが白夜くんの力を目の当たりにするのは、これで二度だ。しかし刑事さんにとって、こういった件はおおかた茶飯事らしい。さらに今回のことは、いままでのよりも深刻な部類であるようだ。
「なるべくなら……、あいつに関わるんじゃねぇぞ」
そう言って刑事さんは胸ポケットに指を突っこんだ。
「おれの名刺だ。なにかあったら、いつでも連絡してくれ」
「あ、ありがとうございます」
腰を低くして、わたしは名刺を受けとった。ここではじめて、刑事さんの名前が上田真也だと知った。