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あれよ、 あれよ、 イケメンよ
「平日の午後からフリーって、特別な感じだね」
「これがあるから、普通の高校には行けないのよねぇ」
「これがなくても、わたしは行けないけどねぇ」
学力とか、性格等の関係で。
「定時制に入るときはさぁ、まわりからいろいろ言われたけど。そのおかげで、そぼろに会えたし。仲良くなれたし。——自由な校風が気に入っているし。ここでしか学べないことはあるってわかった。だから、批判も否定もガン無視でオッケだよね」
すっきりと一葉は言った。彼女にとっての理想の未来はなんだろう。そこまで深い話はしたことがないけれど。わたしたちふたりが、どの道に進んでも、どんな人と出会っても。できれば、最後の日まで仲良くいたい。
一葉は——どこでもうまくやっていける気がする。人当たりがよくて、だれとでも仲良くなれる。モテるし。
引き換えわたしの未来はひどく狭いものに感じられた。このまま単位を順調に取得していけば、来年は就活か進学に悩むことになる。もし、あの幻覚らが本物で、わたしに霊視能力があるのなら。それを活かせる道は、どこかにないものか。
いずれにしても都合のいい話だ。不確定な事柄を考えるまえに、地道な進学コースでも探っておくべきだろう。
電車がブレーキをかけると、内臓が横にずれる感覚がした。走っているときの縦振動は嫌いじゃない。けれど、止まるときの、内臓がずれるような重力は苦手だ。
ホームを歩いている人は、そう多くはなかった。
長袖のワイシャツを着て、片手にビジネスバッグを持ち、もう片方の手にハンカチを持って、汗を拭いながら出口へと急ぐサラリーマンを数人みかけた。そんな彼らの横を、休日の顔で通るのは少々気が引ける。
階段を登って、連絡通路を歩いているとき。となりにいる一葉の横顔が、すこし寂しそうに見えた。しかし、どうしたの? と声をかけるのもちがう気がした。
——なにも悩みがなさそうに見られる、それがわたしの悩み——
以前、一葉はそう言っていた。明るく振る舞うのも、周囲から気に入られるのも、それはそれで負担になったりもするのだろう。わたしにはわからない苦労を、一葉は重ねているはず。
「ふう……」一葉はすこし上を見て、「いまがいちばん落ち着く」
「平日の午後だから?」
「ううん。ちがう。そぼろといる時間が、いちばん落ち着くの」
急に言われても、照れを隠す準備もしていない。
「わ、わたしも一葉といるじぅ……、時間がいちばん楽しいよ」
《《きょどって》》しまったが、これはほんとうだ。うそではない。
「八方美人って言葉があるじゃない。あれ、わたし嫌いなの。はたから見たら笑顔の素敵な、いい人なんだろうけど。本人からしてみたら八方にうそをついてばかりで、疲れるだけよ……」
一葉は短いため息をついた。改札まで、まだすこしの距離がある。彼女は潤った厚めの唇をすぼめた。
「いっつも常にどんなときも、笑顔が心の底から湧いてくる人ならいいよ? でも人間だもん。暗い顔をしていたいときもある。悲しい顔のときだってある。一度でも暗い顔を見せたら、あいつはダメになった、実はダメなやつだったんだって、煽られる。本性が見えたって、喜ぶ人もいる。いろんな時期があっていいのに。いろんな素顔が見えるからこそ人なのに。ロボットでもなければ、ずっと笑顔を振りまいてるなんて無理だよ……」
その語調から、一葉にしかわからない苦労が垣間見えた。たしかにわたしも、一葉が楽しそうに周囲と話しているのを見ると、楽しそうだな、としか思わなかった。あんなに人当たりがよくて、うらやましいな、という気持ちも湧いた。
ただ、本人が見ていた景色はまったく別物だったようだ。常に笑顔を振りまかなくてはいけない——その辛さは経験者でないとわからないだろう。
わたしといるときの一葉は、とくに笑っているでもない。真顔だったり、変顔だったり、暗い顔だったり。
校内で人気のある彼女が、どうして根暗のわたしなんかとペアでいたがるのか。いままで不思議だった。その答えが、いまやっとわかった気がする。
「そぼろといるとき、やっと呼吸ができるの」
なぜか一葉は、すぼめた唇をわたしの顔に近づけてきた。
「わたしが人間関係に窒息しそうになったら……。そぼろ、人工呼吸して」
「ちょっと……」わたしは片手で、一葉の肩を軽く押した。「人目があるから、やめてよ」
ベビーカーに座る赤ちゃんが、とおりすがりにこちらを凝視していた。つばの広い帽子を深く被ってベビーカーを押すママは前方の景色に集中していたため、こちらの行為には気づいていない様子だった。
「もう、釣れないなぁ」一葉はむっ、と頬を膨らませた。
「わたしなんかを釣らないで……」
なんだかんだと会話を交わしながら、わたしたちは駅を出て、商店街に向かった。そのあとはいつもの流れだ。適当にウインドウショッピングをして、汗ばんできたころにジェラートを食べる。
次に緑色のエンブレムが看板のコーヒーショップに行って、口内の甘みをアイスコーヒーで流す。
最後には、デパートのゲームセンターでUFO機キャッチャーに勤しむ。三回分ほどの課金しかしていないが、今回は長さ四〇センチほどのぬいぐるみをゲットできた。思わぬラッキーに一葉も喜んでいた。予算三千円にして、十分楽しいデートプランだ。
ひととおり遊んだところで、さよならの時間が近づいてくる。
一葉は、彼女の母の仕事場が近くにあるので、そこに向かうのが通例だ。そのまま彼女は車に送られて、自宅に帰る。デパートを出たら、わたしたちは別々の方向へ帰ることになる。いつもの流れだ。
「もうすぐしたら、帰宅勢が電車を占拠するから、早めに帰ったほうがいいよ、そぼろ」
一葉のいうとおりだ。夕暮れどきになると、制服を着た高校生軍団が電車内を占領する。満員電車になるだけでなく、下手をすれば小中学時代の同級生らに遭遇してしまう。その時間帯に電車を乗るのだけは避けないといけない。
一葉と別れたあと、わたしは家路を急いだ。商店街といっても、ここは田舎に毛が生えた程度の地域だ。人の流れは、東京や大阪に比べたら大人しいものだ。
近くに有名な歴史城があるので、そこにまつわる和風のおみやげ屋さんは何軒か立ちならんでいる。が、そのいずれもご近所さん——主に高齢者——の溜まり場になっている印象が深い。年に何度か武将祭があるし、ネット販売で大稼ぎしているから、平日の店番は遊び感覚でいいんだよ、と高校の先生が言っていた。真偽は不明だが、おそらくはそうなのだろう。
あと三分も歩けば駅に着くというところで、ある気配に気づいた。飲み屋街につづく細い路地に、見慣れた人影があった。
その人物は三人の男に囲まれていた。
どうにも、仲がよさそうには見えない。
「白夜くん……?」
ほんとうは大声を出して彼を呼びたかった。なぜか助けなければいけない気がした。が、むこうに漂う、どよどよと歪んで、それでいて張り詰めた空気を無視できるほどの度胸はなかった。
「ああ、どうしよう……、絶対なんか変だよ……」
わたしはスマホを取りだした。まず時間を確認したかった。それと、なにかあったら警察を呼べるようにしたかった。
このまま白夜くんを追うことに時間を費やせば、例の満員電車に乗らなければならない。それは避けたい事態であり、最悪な展開だ。それでも彼をほうっておくことは、どうしてもできなかった。
白夜くんを真んなかに歩かせる男たちは、とにかく狭い道を選んで歩いていた。何メートルかの距離を保ちながら、わたしは跡をつけた。まったくバレる気配がない。普段から影がうすい自分に感謝したくなる。
暗い路地裏に入った。明らかに人目がない。ここなら殴っても、ナイフで刺してもバレない。わたしは建物の死角に張りついて、よくよく耳を澄ませた。
「なんだ? その白い髪。改めて不気味だな」
ひとりが言った。声の感じからして、高校生かと思われる。白夜くんを囲んでいる男たちは全員私服だった。この時間、普通の高校なら制服姿だろう。彼らはうちの高校の生徒か、もしくはおとなりの……?
「あいつのこと、ぶっ飛ばしてくれたみたいで、おれたち感謝してんのよ」
しゃべっているのはリーダー格だろう。ほかのふたりは、漫画でよくいる悪役の子分みたいに、ケラケラと笑っている。
「あいつ?」白夜くんは静かに答えた。「だれのこと? おまえらみたいなの、てんで区別がつかなくてさ」
「てめぇ……!」
子分のひとりが唸った。ほんとうにまずいのでは、と思った。物陰から彼らを覗く。白夜くんに向かって振り上げられた拳が見えた。スマホを握る手に汗がにじむ。一一〇、一一〇……わたしは心のなかで復唱した。