「沈黙の花園」再び
2月も後半になると手も完治したので、鮎里は薫風庵の竹林に出入りするようになった。水脈が改良した竹切り用のチェーンソーは、かなり静かで振動も少なかった。竹は1m間隔になるように整備され、間引かれた竹は綱がつけられ、斜面の下方に機械で引きずり落とされる。
鮎里と、カーペンターズと名付けられた研究員達は、効率よく作業を続けていく。傷心の卓子も腕力を買われ、カーペンターズに仲間入りしている。
薫風庵の丘の下では、落とされた竹を機械に入れて枝葉を落としている。微妙に曲がった竹は熱を与えられ、曲がりを矯正され、簡易的に作られた作業小屋の中に立てた形で収納された。
鞠斗は会計担当と言うことで、予算の執行や、必要物の購入のため、数日置きに鮎里の元に通わなければならなかった。
「槙田棟梁、おはようございます。この中は暖かいですね」
「鞠斗君おはよう。竹の曲がりの矯正のために、竹を温めなければならないからね。2月はこういう作業にあまり適していないんだけれど、ここはドームの中だし、そこそこ湿度があるから、11月に行う作業が出来て助かっているよ」
槙田緑という棟梁は、実家が工務店をやっている大工一家の一人娘で、今、工務店は息子一家に継がせたので、引退前に「夢の秘密基地」の製作に賛同して、ほぼボランティアで教えに来てくれている。
「カーペンターズのお姉ちゃん達は、力もあるし手際がいいね。あの栗田って子なんて、背が低いけれど、長い竹を3本くらい楽に担ぐよね。なんか未婚で子持ちって言うじゃないか。家の次男坊なんかどうかな?子連れで来てくれてもいいんだけど。子育ては大丈夫、家の爺さんは経理もしているけれど、子守も上手だよ」
色々なところに縁が転がっているようだ。
「まあ、その話はすぐはしないでくれるとありがたいです」
「おう、了解。でも唾はつけさせて貰うよ」
卓子さん、ロックオンされたね。
鮎里が、「竹林亭」の設計図を持って、作業小屋に入ってきた。
「緑さん、この間の設計図、注意されたところを直して持ってきたんですが。やっぱり、竹だけだと、家1軒作るの難しいですよね」
鮎里は鞠斗を見つけると、軽く会釈して、槙田棟梁との話を続けた。
「まあ、床材は平らなものがいいよね。ただ、竹で床を張ってその上に、厚手のマットを敷いたりすれば、簡易住宅になるよね。竹を壁に使う時は、シュロ縄で結ぶのかい?隙間が出来るよ。風通しがいいけれど。縄は輸入物でない、安価で大量に入る道具を考えないとね」
「なんで輸入物は駄目なんですか?」
鞠斗は槙田に尋ねた。
「災害に合った時、輸入品はすぐ手に入るかい?国内または県内で入手できるものを、用意しておかないと。まあ、鮎里ちゃん、取りあえず、災害に合ったら、簡易住宅が出来る前は、当座、竹で衝立かパーティションを作るといいね」
「屋内で竹が倒れるのも嫌なので。組み立てブロックのように、竹のフレームを組み上げるように出来ないか考えています」
「いいね。素人でも組み立てられるられるといいね」
「まあ本音を言えば、災害の遭遇しても、2週間くらいで日常の生活に戻りたいんですけれど」
鞠斗は2人が何の話をしているか。ついていけなかった。
「鮎里ちゃん、会計担当者にももう少し詳しい話をしてやったら?キツネにつままれたような顔をしているよ」
鮎里は槙田との話が終わると、鞠斗に近づいてきた。
「少し話があるんだけれど、あまり人の目につかないところってある?」
鞠斗は少し考えて答えた。
「じゃあ、こちらへ。屋外ですので温かい格好をしてきてください」
鞠斗が鮎里を連れてきたのは「沈黙の花園」だった。
晴崇が圭を連れてきた時は、コスモスや鶏頭などの秋の花が咲き乱れていたが、今は雪椿の花がわずかに赤い色を覗かせているだけだった。
西校舎の裏手のひっそりとした庭は、考え事をしたい時や一人になりたい時来る場所として、「誰かに会っても、話しかけてはいけない」というルールがあるとチルドレン達は教えられてきた。晴れているとは言え、冬にここに来る人は少なく、今日も誰もここにはいなかった。
「へー、こんなところがあるんだ。密会には抜群だね」
相変わらず、軽い調子の鮎里の言葉に、鞠斗はため息をついた。
「あなたと俺のGPS信号がここに長い間留まっていれば、そう思われるかも知れませんね」
「そうだっけ、晴崇と京はみんなの秘密を知っているんだね」
「彼らが、みんなの安全を守っているんですが」
「そうだね、私達が命を狙われないのも、彼らのお陰だね」
「ベンチに座りませんか?」
鞠斗がハンカチを出すと、鮎里が吹き出した。
「いやぁ、作業服にハンカチ入らないよ。これは、ぴらぴらしたスカートのお姉さんと話す時にとっておいて」
そう言うと、ベンチの右端にどかっと座った。
鞠斗はハンカチを丁寧に畳んでポケットにしまった。
(そう言えば、このハンカチは碧羽に貸したハンカチだったな)
「なんで鮎里さんは、そんな端っこギリギリに座るんですか?」
「あー。右側に人を座らせたくないからかな?今、右手は私のウイークポイントだから」
そう言うと、鮎里は包帯が取れた右手をさすった。
鞠斗は鮎里の正面にしゃがんで、右手を取った。
「まだ、痛いですか?」
引っ込めようとする手を、鞠斗は素早く捕まえ、鮎里の手のひらを開かせた。
三焼山で剥けてしまった皮は再生していたが、その奥に5針ほど縫った切り傷が見えた。
「この傷はなんですか?」
「古傷だ。ベンチに座って、話を始めよう」
そう言うと、鮎里は思いっきり鞠斗の手から自分手を引き抜いた。そして、ベンチの背に肘をぶつけて悶絶した。
「あ“-。いだー」
鞠斗はあまりのおかしさに、のけぞって尻餅をついてしまった18歳の青年の笑い声が庭に響いた。
「マリリン、後30分で昼食休憩に入るんで、本来の目的に戻ろう」
「マリリンはやめてください」
鞠斗は涙を拭いて、思考を巻き戻した。そして、鮎里はベンチ、鞠斗はその前の地べたに座って、向かい合う形で話が始まった。
「鮎里さんは、災害対応の住宅を竹で作っているんですか」
「そうだよ。私は先月まで、愛媛県、つまり南海トラフ大地震の被害想定区域に住んでいたんだよ。すべての考えは『生き残るにはどうしたらいいか』に基づいている」
「でも、ここは東日本ですよ」
「4年前の能登半島地震はどうだ。藤が浜の向こうにあるS島沖の活断層はまだ動いていない。
それなのに、桔梗村の連中は、この地に原発を作るだの、川沿いの浸水域に養護老人施設を作るだの、危機感が全くない」
「だから、珊瑚村長は旧桔梗村中心地の人を、白萩地区に移転させていますよ」
「それも、なかなか進まないらしいじゃないか」
「それは・・・」
村長の活動に反対する勢力がいるからだ。
SNSには珊瑚村長への誹謗中傷があふれている。
「珊瑚村長は公務員を減らして、税金を着服している」
「珊瑚村長は公務中、猟をして遊んでいる」
「珊瑚村長は九十九カンパニーと癒着して、便宜を図り、莫大なキックバックを受けている」
「珊瑚村長は青少年の妊娠を応援している」
原発推進派が、珊瑚村長と3月の選挙で戦おうとしているという情報は得ている。
鞠斗は、村長代理として、議員達と話していると、珊瑚村長ではない別の村長にしたいという意見が、年配の村会議員の中では大勢を占めていることがわかる。
「村長はパーティーに参加しない」
「村の経済発展のために、企業誘致をしない」
「村長は官公庁にパイプがない」
つまり、珊瑚村長では、自分たちにうまみがないからである。
「白河の清きに魚も住みかねて元の濁りの田沼恋しき」
そんな利権目当ての村会議員ばかりなので、村会議員には若いなり手がいなかった。
そこで前回の村会議員選挙で、桔梗学園の研究員が多数立候補して、皆、無投票当選をし、珊瑚村長を応援する勢力が過半数を占めた。
その中で、昨年の暮れ、珊瑚村長は大きな賭けに出た。桔梗学園の所有する敷地と藤ヶ山、桔梗ヶ山を桔梗村から独立させ、桔梗学園村としたのだ。村長には東城寺悠山住職を迎えた。
いくら村議会の多数派を味方にしているとはいえ、珊瑚村長が「桔梗学園村の独立」という暴挙に出られたのは、珊瑚村長が、国と「ある取り引き」をし、国からの支持応援を取り付けたからだ。
それは日本にある「現在稼働中の」原子力発電所を、桔梗学園が開発した「バリア」で覆い、震災や他国からの攻撃を受けても放射能が拡散しないようにするというものだ。
そしてもう一つ、現総理大臣と交わした密約がある。それは、桔梗学園のドローンの飛行については、すべての日本国内からの規制を受けないということを確約した見返りに、天皇が日本国内で被災した場合は、外国への避難の手助けをするという密約を交わした。
鞠斗はこの話を聞いた時に、珊瑚村長は何か企んでいると考えたが、その答えを探す勇気は出なかった。18歳の青年の胸にしまい込むにはあまりに大きな秘密だし、SNSやTVから隔絶されている桔梗学園の子供達は当然、このような政治的動向を知るよしもない。
なのに、鮎里は「何か」を知っていて、避難所を作ろうとしている
鮎里は尻餅をついたままの鞠斗に顔を近づけて、艶然と微笑んだ。
「3月の選挙で、珊瑚村長は負けるつもりだろう?」
「それは、まだ分からないですよ」
「いや、負けることが分かっているから、立候補するんだ」
「矛盾しています」
「立候補しなかったら、辞めること前提で今までのことをしたことになる。それでは、村長として美味しいところだけを着服したと言われtもしょうがない。だから、選挙で戦って負けなければならない。
そして、珊瑚村長が選挙で負けたら、村議会にいるすべての桔梗学園の関係者は辞任するはずだ。
公務員として働いていた桔梗学園のメンバーもすべて辞職する。彼らが築いていたデジタルデータは、すべて利用できないようにして」
「何故それを・・・」
「論理的に考えれば分かるさ。Xdayは近いのかな?」
その日は鞠斗も分からない。誰にも分からないはずだ。2年後かも10年後かも・・・。
「真子学園長はその日が分かっているような行動をしている。
琉や柊達を四国に送ったのも、名古屋の娘さんと嫁ぎ先に桔梗バンドを渡すためだ」
「じゃあ、Xdayが来る今年今年なんですか?」
「いや、舞子の柔道大会の日までは大丈夫だと思う。真子学園長は大会までの準備に難色を示したことがないから。
私の避難所用住宅が相当数出来るのも1年はかかる。それにも難色を示さなかったので、1年くらいは大丈夫かな?
5月に蹴斗達をオーストラリアに送るのも、避難拠点を作るのに1年から2年はかかるだろう。だから・・・」
「だから」
「カーペンターズへの予算増額を!」
鞠斗は仰向けに倒れてしまった。
鮎里はベンチから降りて、倒れた鞠斗の耳元に口を寄せた。
「だから、私達のスウェーデン行きは当分先だよ」
鞠斗はガバッと起き上がった。
「私達の?」
鮎里は天使のような笑顔で言った。
「鞠斗はお父さんが、私はお祖父さんがスウェーデン人じゃない?
スウェーデンにルーツがある者が派遣されるんだ」
鞠斗は鮎里の目が、灰色でその奥に薄く青色が輝いていることに気がついた。
鮎里は勢いよく立ち上がり、ぐいっと鞠斗を引っ張って立たせた。
そして、自分の尻を叩いて、枯れ草を落とした後、鞠斗の背中に回って、枯れ草を丁寧にはたいた。
「二人して、背中に草つけていたら誤解されちゃうからねぇ。さあ、私は先に食堂に行くよ」
子鹿のように元気に走り去る鮎里の背中を見て、鞠斗はつぶやいた。
「私達のスウェーデン行き」
この言葉が鞠斗の胸のあたりを温かくした。