舞子と鮎里
舞子は、出産後、練習を楽しんでいます。
舞子はオユンとアリアと一緒に、体育館で綱登りしている鮎里のところに向かった。
涼は保育施設に冬月を迎えに行った。松子には土、日の子守を頼んではいるが、平日は松子にも教室があるので、生後1ヶ月が過ぎた後、保育施設に冬月を預けているのだ。
「こんにちは」
ちょうどロープを降りた鮎里が、装具について蓮実水脈と確認し合っているところだった。
「水脈、久しぶり。出産の時はご迷惑おかけしました。水脈も出産が終わったんだって?」
「はい。今は産後の安静時期なんですが、今日は鮎里さんに装具について問合せを受けたので体育館に来ました」
「申し訳ないね。でも装具はすごくいいよ。手のひらに圧迫がない上に、ロープを引っかける感じがすごくいい。ただ、ロープを掴むレバーの位置をもう数ミリ上げて貰えればいいなと思って、頼んだんだ」
「そうですね。鮎里さんの親指の位置からはもう少し上に上げたほうがいいですね。朝一で改造してみます。色々、装具へのアドバイスありがとうございます」
「うん。なんか、フック船長になった気分だ。それから竹を切るチェーンソーの改造もありがとう。明日当たり、天気になりそうなんで、試してみるよ」
「いえ、私も仕事が入ると、保育施設に空と奈津を預けられて、身体が楽になります」
「水脈、お子さんは奈津さんって名前なんだ。女の子?」
「はい、7月入学組は男女半々だったんです。深雪のところは龍太郎、虎次郎の男2人で、昨日、卓子のところに美鶴って女の子が生まれたらしいです」
「あー、じゃあ、高校女子寮も5月まで寂しくなるね」
「そうですね。久保埜先生のところのお嬢さんが1部屋ずつ使っているらしいです。越生さんも中3になったら、1年早く個室が欲しいって」
「深雪や卓子は、出産後はどうするんだろう」
「深雪さんのところは、『元気な』男の子2人が生まれたので、お祖父様が張り切っているらしく、子供は実家に預けて、4月から深雪さんは地元のバレーボールが出来る大学に推薦入試で行けるみたいです」
(『元気な』ねえ)
鮎里は片眉を上げた。
「卓子さんのところは、コーチと結婚するって言っていたんですけれど。
コーチは卓子さんのことで、解任されてしまって、田舎に帰ってお見合いした女性ともう結婚していたんですって。出産後すぐにそれを聞かされて、今、ちょっと荒れていて・・・」
「そっか」
舞子は考え込んでしまった。そんな舞子の肩を、鮎里が叩いた。
「舞子、綱登り得意なんだって?久し振りにやるか?この綱、初心者にも登れるように、安全装置もつけたから、どんどん登っていいよ」
舞子はいつも登っていたお気に入りの綱に飛びついた。オユンもマリアも間髪入れず隣の綱に飛びつき、自然と競争が始まった。
「流石、舞子は無駄のない登り方をするね」
大きく足を振りながら力づくで登るダイナミックなマリアの隣で、舞子は膝を交互に上に引き上げ、そのわずかな反動を使って推進力を作っていた。下から見ると透明の梯子を登るような姿だった。しかし、いくらハンドグリップで握力を鍛えていたとはいえ、綱とは使う筋力が違う。
「あー、駄目。降る力が残っていない」
「舞子、すぐ手を離して、手の皮剥けるよ」
鮎里は、包帯が巻かれた自分の右手を、これ見よがしに掲げた。
「はあ~い」
舞子は迷わず、綱から手を離し、ゆっくりとワイヤーに釣り下げられながら降りてきた。
「こうやって降りるのも楽しい。でも手のひらだけじゃなく、上腕二頭筋がぷるぷるしている」
降りてきて寝っ転がっている舞子を横目に、鮎里が舞子と同じフォームで登り始めた。
降りる時も同じ形で梯子を下りる形を保った。
「舞子は大臀筋や腸腰筋も強いんだね。この降り方すると、お尻がぷるぷるする」
「柔道はしゃがんだり、後ろに跳ね上げたりする動きも多いから。ちょっと何してんですか鮎里さん」
鮎里は3人の選手のお尻を触りまくっていた。
冬月を連れて体育館に戻ってきた涼は再び危険を察知して、後ずさり始めた。
「君は鞠斗と違って、危機回避能力に優れているね」
涼は、鮎里にバックに回られないように注意しながら移動した。
「鞠斗をいじめちゃ駄目ですよ。あいつは見かけによらずナイーブなんですから」
「マリリンは、ガラスのハートの少年だよね」
「鞠斗はみんなのアイドルなんだから、いじめちゃ駄目だよ」
鮎里は、陸医師と久保埜医師にがっしりと脇を取られて動けなくなった。
桔梗学園の西棟2階に体育館はある。西棟は3階4階と吹き抜けになっていて、体育館を見下ろすように2層の半円形の観覧席がある。観覧席の反対側には3階部分にトレーニングルームやランニングコースがある。4階には男子寮がある。
男子寮の前には、体育館を見下ろしている鞠斗がいた。
三川は最初から鞠斗がいることに気づいていた。
「あいつら、綱登り競争やったり尻触りあったり、練習しないで何やっているんだ」
鞠斗は鮎里がトレーニングを始めた最初から、体育館が見える場所にいた。
また、鮎里が、無理をするのではないかと目が離せなかったのだ。
その内に始まった舞子達の競争は、別の意味で目が離せなかった。三川の視線を感じて、顔を引っ込めようと思った瞬間に、体育館から聞こえた言葉に、心の中で反論していた。
「鞠斗をいじめちゃ駄目ですよ。あいつは見かけによらずナイーブなんですから」
(涼の前でそんな姿を見せたことがあったかな?)
「マリリンは、ガラスのハートの少年だよね」
(・・・・)
「鞠斗はみんなのアイドルなんだから、いじめちゃ駄目だよ」
(先生方は俺のこと何だと思っているんだ)
笑い疲れて女子4人がしゃがんでいると、鮎里の髪に舞子が気がついた。
「あれ?鮎里さんの髪ゴム、もしかして鞠斗さんに編んで貰いました?」
(なんで分かるんだ)
「鮎里さん、知っていますよね。3本の髪ゴムの意味、涼も知っていて作ってくれているんだけれど」
涼がいやいや答えた。
「意味は『私を縛って』」
医師達が、鮎里を拘束している腕を離して悶絶した。
「最近の若い者は・・・のろけやがって」
鞠斗も自分の耳まで赤くなっていることに気がついた。
三川は手でメガホンを作って叫んだ。
「鞠斗、聞こえた?『私を縛って』だって」
そこにいた全員が男子寮を見上げるのと、鞠斗が部屋に駆け込むのは同時だった。
「三川、いつから知っていた?」
陸医師が手を腰に当てて、三川に詰問した。三川はすっとぼけて言った。
「鮎里さんが綱登りしている時はいつも見ていますよ。今日も最初からあそこにいましたけれど、
さあ、琥珀さん。他の施設の説明も終わらせましょう」
三川は琥珀を連れて、別の施設の見学に移動した。
陸医師が鮎里の耳元にささやいた。
「砕けたガラスの回収は早めにしなさい」
三川がいい、意地悪をしていますね。