白萩地区ツアー
昼寝が終わった啓子は、杜家の居間を見回して言った。
「連絡不足が多くて、全く圭にも困ったものだよ。
しかしまあ、ここの家はすごいね。洗濯もしなくていいし、食事も食堂で自由に取れる。離乳食もミルクも注文すれば自宅に届くなんて、私の仕事はあるんだろうか。夜の授乳は旦那さん、晴崇君だっけ?がやればいいし、おむつ交換は紙おむつだし、後は、私の仕事って言ったら、1ヶ月間圭の我が儘を聞くだけじゃない。
しょうがないから、ご近所さんに挨拶して来ようかね」
2階の圭に啓子は大声で声を掛けた。
「圭!聞こえる?」
「しー。祖母ちゃん、赤ちゃんが起きちゃうよ」
階段の上部から首だけ出して、圭が答えた。
「近所に挨拶してきていい?」
「えー?祖母ちゃんだけ?あたし達も行くよ。双子のお昼寝が終わるまでもう少し待っていて。
でも、近所をぐるっと見物するなら、どうぞ行ってきていいよ」
「そうするわ」
そう言うと、啓子は軽快に外に飛び出していった。
(冬だって言うのに、白萩地区はそんなに寒くないね)
撫子ゾーンを古民家沿いに歩くと、啓子に声を掛ける人がいた。
「圭のお祖母ちゃんですよね。体育祭の時、会ったことを覚えていますか?大神琥珀と玻璃です」
元気な双子の中学生に声を掛けられて、啓子は少し考え込んだ。
「家のお兄ちゃんと、圭さんがドローンで戦ったんですよ。一緒に観客席にいたじゃないですか」
「あー。かけっこが早いお嬢さん達」
「思い出してくれたんですか。ありがとうございます。松子さん、この方、圭さんのお祖母さんです。
あそこのForest Greenの古民家に住むんですよ」
姉さん被りで、引越しの指示をしていた松子が、手ぬぐいを取って啓子に挨拶をした。
「いえ違います。孫の産後の手伝いに来たんです。1ヶ月ほどお世話になりますので宜しくお願いします」
啓子も深々と挨拶をした。
「私も今日から、孫の子守もするんです。お宅、男の子の双子さん?家も男の子なんですよ」
そこへ若槻ひなたが引越しを見物にやってきた。
「松子ちゃん、やっと古民家再生したわね。あら?こちらはどなたさん?」
「初めまして、板垣啓子っていいます。あの端っこの緑の家に、家の孫が引っ越したんで、子守にやってきたんですよ」
「いいわね。お孫さんと同居?松子ちゃんも同居でみんな賑やかでいいわね」
「いえ、1ヶ月ほどで帰ります」
「あら、向こうにもご家族がいるのね」
「いえ、1人暮らしですけれど」
「じゃあ、こっちに来ちゃえば?」
「息子が遠洋漁業の猟師で、半年に1回ほど帰るんで待っていないと」
「次はいつ帰ってくるの?」
「先日出たばかりなんですよ。圭の出産を待っていたんですけれどね」
松子が再度手ぬぐいを頭に被った。
「ひなたちゃん。折角だから、啓子さんに白萩地区の中を案内して差し上げたら?」
「30分程度で戻るって、孫に言っているんですけれど」
「じゃあ、カートがいいわね」
松子の引越しを手伝っていた琉が空気を読んで、琥珀に指示をした。
「琥珀、こっちの引越しは一雄も来てくれたんで、手が空いたから、カート出して案内してあげて」
松子が涼にささやいた。
「大神さんのところの皆さんは、本当に気が利くご兄妹ね」
「そうですね。特に兄の琉は自己評価は低いですけれど、できる男です」
一方、乗り物好きの啓子は、カートの旅を楽しんでいた。琥珀がガイドをしてくれるので、ひなたも知らない場所まで案内して貰ってご機嫌だった。
「じゃあ、白萩地区を反時計回りにご案内します。まず、今引越しが行われている右手のゾーンは「撫子ゾーン」と言って、持ち家のゾーンです。松子さんの家は、戎井呉服店というご自宅を解体して移築したものです。松子さんとお孫さんの涼さん、お嫁さんの舞子さんが一緒に住むそうです。
子供広場に一番近い緑色の古民家は、真子学園長が晴崇さんと京さんに2世帯住宅を建てたって、聞いています。どの古民家も、同じような白壁だとわかりにくいんで、住む人が壁の色を変えるみたいです」
「2世帯住宅と言っても、片側だけ緑の壁ね」
ひまりが疑問を呈した。
「京さんが入る時、好きな色で塗るみたいですよ」
「続いて、道路を挟んで左手のゾーンは、『藤袴ゾーン』と言って・・・」
ひまりが話に割り込んできた。
「借家のゾーンなの。私も住んでいるのよ。家具もすべて作り付けで、駅の向こうの旧桔梗村の市街地に住んでいる人が、移転してきているの。引越しも、桔梗学園の子達が車を出してくれるので、私みたいな、高齢者の一人住まいの人がたくさん移転してきているのよ。だいたい女の人が多いけれどね」
「松子さんも、家ができるまではあそこにいましたよね」
カートは通りの突き当たりまで来て左折した。右手の建物から美味しそうないい匂いがしてきた。
「こちらは食堂です。和洋中と揃っていて、お店でも食べられるんですが、出前もしてくれます。あそこに自動運転の配達車が見えますよね。ネットでオーダーすると玄関先まで来てくれます。
夏はアイスクリーム屋さんやかき氷屋さんも出るんです」
琥珀の口元が緩んでいる。
「いいけれど、こんなにいい匂いが毎日していたら、お財布が空になっちゃうわ」
啓子の言葉にひまりが左手の白萩バンドを見せて答えた。
「それがね、ここではこのバンドを見せるだけで、どの食事も食べ放題」
琥珀が慌てて訂正を入れた。
「ひまりさん。食べ放題じゃないですよ。食べ過ぎると、白萩バンドからはオーダーできなくなるんです」
啓子が不思議そうに自分の手にもついているバンドを、しげしげと見つめた。
「つまり、個人の健康情報もこれをつけているとすべて把握される訳ですね」
「流石、圭さんのお祖母様ですね。理解が早い。でも、このバンドで身の安全も保証されるんですよ。この中では、犯罪も暴力も起こりませんから」
琥珀は遠い目をした。カートは再び左折して、「白萩クラフトゾーン」と「子供ゾーン」の間の通りを走った。
「啓子さん、私と松子さんはね、『クラフトゾーン』でお教室を開いているの。松子さんは着物のリメイク、私は編み物。ただで飲食できるのは、ここで働いているからなの。『働かざる者、食うべからず』なのよ」
啓子は中学生に見える琥珀が、働いていることに疑問を持った。
「琥珀さんも、働いていらっしゃるの?」
「はい。私と玻璃は、ここで子ども食堂の運営をしています。九十九農園で出た、不揃いな野菜や果物をいただいて、調理して出しています。それから塾に通えない子供の勉強会も開いています」
「あなた達が教えるの?」
「私達も高校受験があるんで、最近は兄たちや一雄さん、碧羽さんや三津さんが来てくれています。皆さん、桔梗高校生なんで優秀なんです。あっ、琉兄ちゃんは、桔梗学園生ですけれど」
道が突き当たるところまで来ると、今度はカートは右に曲がって、子供ゾーンの裏手に出た。
「ここは、宿泊棟のある『真葛が原ゾーン』です。私達も泊まったことありますが、10人~20人が一遍に泊れるところで、桔梗学園の研究生の方達がたまに会議をしていることもあります」
「どこかで聞いたような名前だと思ったんだけれど、秋の七草の名前なのね。山上憶良の歌にあるわよね。
萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」
「啓子ちゃん、すごいわね。女郎花はあるわよ。この裏手の高台が、『女郎花高台』って言うんだわ」
「あの、『尾花』と『朝顔』はないですよ」
「琥珀ちゃん。この歌の『朝顔』は『桔梗』のことなのよ。『尾花』はススキだから、ちょっと避けたのかな?」
「ちょっと待ってください。『尾花』ってどこかで聞いたような。あー『つけや』だ。桔梗高校の裏手に高校生に「つけ」でお菓子やパンを売ってくれる店があって、通称『つけや』、本当の名前は『尾花駄菓子屋』だったような」
「まあ、秋の七草が揃ったところで、秋の地区を一周したわね。琥珀ちゃん案内ありがとう。あれ、子供広場の向こうに見えるKKGという工場のようなのは何」
「あれは『桔梗研究学園』って言うみたいです。桔梗学園の卒業生が研究員になるんですが、人数も増えたので、新しく大学の研究所みたいな建物を作ったみたいです。琉お兄ちゃんは『リケジョの巣窟』って言っていますが、卒業後は黒1点で、あそこで働きたいみたいです」
「圭もあそこで働くのかね」
「そこまでは、ごめんなさい。私、桔梗学園の生徒じゃないんで分からないです」
ひなたが素朴な質問をした。
「桔梗学園の子は紫のバンドをしているんだよね。白いバンドの子はどう違うの?」
「白いバンドでは白萩地区にしか入れないんです」
琥珀が寂しそうな顔をした。
「なんかの条件があって、桔梗学園の生徒に選ばれるんです。今年、一雄さんが特別扱いで選出されて、桔梗学園で勉強できることになったんですが、碧羽さんは学園長に直訴して、1ヶ月の猶予の後、面接試験を受けたんですが、不合格だったんです」
啓子が首をかしげた。
「紅羽さんと碧羽さんは余り変わりがないような気がするけれどね。面接試験では何を聞かれるの?」
「碧羽さんに聞いたら『桔梗学園に入学するに当たって最も必要な資質は何か』という問題1問だったんだそうです」
「妊娠しているかどうかは、関係ないよね。男の子はその条件じゃ入れないはずだものね」
「それと、碧羽さんは晴崇さんに、桔梗学園では『沈黙は金。まずは観察、そして深く思考し、それから失敗を恐れず行動すること』って注意されたんですって」
「啓子さんは何だと思いますか?」
啓子は圭の持っている資質について考えてみた。
「桔梗学園が必要としている人材を集めているのかな?その条件に合わない人はいらない・・・とか」
「なんでそんなこと思いつくんですか?」
「『学園』という名前に騙されていないかな?学園の経営母体は『九十九カンパニー』なんでしょ?だから、企業として必要な人材を集めているんじゃないかな。圭は妊婦ってこともあるけれど、ドローンパイロットの能力とシステムエンジニアの能力が卓越しているから選ばれたんじゃないかな」
「お兄ちゃんもそうだ。でも紅羽さんと碧羽さんの違いは何だろう」
啓子はその疑問を胸の引き出しにしまい込んだ。
分からないことをすぐ解決しようとしないところは「年の功」である。
カートは白萩地区を一周回って、予定通り30分で元の撫子ゾーンに戻ってきた。
圭と晴崇が、乳母車に暁と瞬を乗せて、玄関前で啓子を待っていた。
「祖母ちゃん。近所の挨拶に行こう。琥珀ちゃん、ありがとうね」
晴崇の隣に経っている圭が、幸せそうな笑顔をしているのを見て、啓子はこの姿を漁に行っている父親の健に早く見せたいと思った。