表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/250

舞子と圭の出産

やっと紅羽、圭、舞子の出産が終わりました。「案ずるより産むが易し」と言いますが、これからもなかなか大変です。


 今日は(けい)の帝王切開による出産が行われる日だ。


 舞子は自分の手術が1週間後だと少しずつ実感が湧いてきた。お腹の中の子も、ほとんど動かなくなってきている。あんなに元気にお腹を蹴っていたのに、生きているのだろうかと不安になったが、赤ちゃんは出産間近では大きくなって、動けないのだと、(くが)医師に教えて貰ってからは、余り気にしないようにしている。


「ふ~ゆつき。今日はパパが帰ってくる日ですよ~。圭の赤ちゃんが生まれるのと、どっちが早いかな?双子ちゃんも早くみたいな」


 そんなことを考えながら、トイレで座っていた舞子は、急にめまいがして立ち上がれなくなってしまった。もう排尿は終わったのに、大量の水が便器に落ちていく。

「ただの貧血だよね」


「もしもし、誰か入っていますか?」

外から、7月入学組の須山深雪(すやまみゆき)の声がする。

「舞子です。貧血みたい。大丈夫だから、少し休んでから出ます」

「ねえ、誰か。舞子の具合が悪いんだって」

「舞子。開けていいですか?」

蓮実水脈(はすみみお)の声もする。水脈は既に1回出産しているので、冷静だ。


「あっ、ごめん。まだ、パンツ下ろしたままだから」

「立てないんでしょ?ちょっと開けますよ」

桔梗学園のトイレの鍵は、緊急ボタンを押すと誰でも開けられるようになっている。


「舞子、顔色が真っ青」

舞子は、深雪と水脈に脇を抱えられ、身支度を手伝ってもらって、やっとのことトイレを出た。トイレに排出されたデーターから、児島(こじま)医師が駆け上がってきた。


「舞子さん。破水ですよ。分娩室に行きます。今日は1件帝王切開が入っているから、人手不足なんでストレッチャー押すの手伝って」

深雪と水脈に、力自慢の栗田卓子(くりたたかこ)も加わって、舞子をストレッチャーに乗せた。

「ごめん。重くて」

舞子には珍しくボロボロ泣いている。出産間近で精神的に不安定になっているのだ。

児島医師が優しく舞子の頭を撫でた。

「泣かないの。破水したからって、すぐ生まれるわけじゃないから。落ち着いてね。

3人ともお腹がかなり大きくなっているんだから、ゆっくりストレッチャー押していいよ」



 高等部の女子寮のすぐ下の階が、分娩室だ。分娩室の廊下には、祈りの姿勢で石のように固まった晴崇(はるたか)がいた。

「晴崇、もう1人、妊婦を入れるから、通路を開けて。隣のモニター室に行けば出産が見られるだろう?」

児島医師とは思えない乱暴な口調で、晴崇を蹴散らして、分娩室から人を呼び出す。


 スピーカー越しに生駒(いこま)助産師の声がする。

「児島医師、舞子さんを陣痛室に入れてください。酸素吸入器を当てて。こちら、全員消毒が済んで、今まさに圭の帝王切開に入るところです」


児島医師が、7月入学組の3人をねぎらった。

「ありがとう。ここまで運んでくれて。悪いけれど、トイレの後片付けしておいてくれるかな?」

舞子と児島医師が陣痛室に入ったので、7月入学組はほっとして、高等部女子寮へと歩き出した。


「あー。びっくりした。破水って、あんな風にオシッコと区別がつかない感じで出るんだね」

第一発見者の深雪が、興奮しながら話し始めた。

「そうね。ああいう風に、便器で羊水が出ちゃうと困るよね。手術のために浣腸(かんちょう)なんかしていると・・・」

「水脈、浣腸って?」

「え?出産の時、うんちも一緒に出ちゃうと困るから、浣腸しておくのよ」


「げ。お腹すくじゃない」

食いしん坊の卓子が突っ込む。

「浣腸しても、ご飯はしっかり食べさせられるの。出産まで時間がかかるでしょ?特に初産は時間がかかることが多いわね。2日くらいかかる人もいるよね」

「もしかして、食べちゃ、出しての繰り返し?」

「ちょっとぉ」


エレベーターから下りる時に、水脈がふと気がついた。

「涼達は、今日帰ってくるのよね。誰か、ドローンを迎えに行って教えた方がいいんじゃない?」

「蹴斗は?横浜だし、晴崇はあんな調子だし、鞠斗しかいないじゃない。さっき、私達の授業が終わったばかりだから、食堂かな」

「部屋のタブレットで呼び出そう」



 食堂では、鞠斗がゆったりと昼食をしていた。本日のランチは、キノコづくしのスパゲッティー。窓際の席で、庭の秋の木々をのんびり眺めながら、食後のコーヒーを楽しんでいると、桔梗バンドがタブレットへの着信を知らせた。


「なんだぁ。晴崇のSOSか?あいつは圭の出産で朝からオロオロしっぱなしだからな。

え?違う!舞子も出産だって」


 タブレットには以下のメッセージが書き込まれていた。

「舞子が破水して陣痛室に送られたので、ドローンが帰って来たら、涼を陣痛室に連れてきてください。

第一発見者 須山深雪」



 ドローンから下りた涼は、鞠斗に連れられて分娩室に走った。何故か、鮎里(あゆり)も一緒に走っている。

「到着するなり、うちの母親は人使いが荒いんだから」

どうも、名波(ななみ)医師から「手伝いに来るように」との指令が入っていたようである。


 分娩室の廊下では、相変わらず晴崇が祈りの姿勢で固まっている。いつも冷静な晴崇とは思えない動揺だ。


 鞠斗がスピーカーに声を掛ける。

「涼が到着しました」

部屋の中で、生駒助産師が舞子に声を掛ける。

「舞子さ~ん。涼が到着しましたよ」

涼はそのまま陣痛室に招き入れられた。


名波産婦人科医師の声が、スピーカーから響く。

「鮎里さん、術衣に着替えて、中に入って。人手が足りないから手伝ってください」

「へいへい」


更衣室に入った鮎里が、再び廊下に顔を出した。

「ちょっとぉ、そこの兄さん、この髪をまとめて結い上げるなんて、芸当は出来るかね?」

鞠斗は周囲を見回して、「そこの兄さん」が自分しかいないことを確認した。

実は、鞠斗(まりと)は小さい頃から、蹴斗(しゅうと)のドレッドヘアを結い上げてきているので、髪をまとめる「芸当」ができるのだ。


「自分でよければ」

小さく手を上げて前に進み出た。

「どうすればいいのですか?」

「この帽子の中に髪が入るようにしてくれ」

昨日、風呂上がりにバスタオルを巻いたまま乾いた髪は、見事に癖がついていて、今日も運転の邪魔にならないように1本に雑にまとめてあっただけだった。

鞠斗は、ぐしゃぐしゃになった髪を、手櫛でどうにかほぐし、貸して貰ったブラシで前髪をオールバックにまとめ上げ頭の後ろで1本にまとめた。

 舞子に負けないくらい豊かな黒髪は太くて、高等部の髪はなかなかいうことを聞かないので、いくつかの三つ編みにまとめ上げ、それを背中で、再度三つ編みにまとめた。一本の後れ毛もないように、丁寧に編まれた髪は、術衣の紐で背中にうまく収まった。

「帽子の中にはこの量の髪は入らないので、背中に入れました。下を向いたら引っかかりますか?」

「いや。兄さんは美容師さんかな?上手だね。次回からは予約を入れるから、後で連絡先教えてくれ」


そう言って、鮎里は何の返事も聞かずにまた病室に入っていった。鞠斗の指からかすかに潮の香りがした。



 手術室の中は戦場のようだった。

圭の手術をしている最中に、舞子の状態が思いのほか悪いことが発覚し、2つの手術を並行して行うことになったのだ。


帝王切開執刀医 名波産婦人科医、陸産婦人科医、執刀補助 久保埜(くぼの)外科医、生駒助産師

看護師 深海(ふかみ)小児科医、四十物(あいもの)小児科医、名波鮎里外科研修医


生駒助産師が舞子の異変に気がついた。

「すいません。舞子さんの子宮口全開ですが、赤ちゃんの心音が下がってきています。自力では産道を下りてこられないようなので、帝王切開に替えた方がいいと思います」


 すぐにヘルプに来ていた久保埜外科医が、モニターを確認する。

「生駒ちゃん。涼君に例のことを確認してきて」

「はい」


「圭の赤ちゃん、1人目出ました。深海さん、体重測定頼む」

看護師代わりに小児科医の深海医師と四十物医師も駆り出されている。

「1人目、体重2500g男、四十物、足首につけるバンドが体重計から印字されて出てきたら、それ頂戴」


「名波さん、こっちはあと1人だから。再度消毒をして、舞子の方に行ってください」

「圭の出血が多いけど大丈夫?」

「双子だからね。胎盤がでかいよ」


「鮎里、2人目受け取って、身体拭いてから、体重測定」

「あいよ」

「2人目、体重2600g男」

「よおし、圭頑張ったね。2人とも男。低体重でもなかったよ。お疲れ。後は縫合するから」

「久保埜さん、縫合のヘルプに入って」


「鮎里、舞子の手術準備手伝って。手術セットは後ろの棚に『東城寺舞子』と名前がついているボックスがあるから、それを出して、手術台に並べて」


「板垣圭さん、手術終了。退室します。出血が多いのでしばらく安静。モニター監視」



生駒助産師が戻ってきた。

「涼君に確認しました。どちらかの命を選ぶなら、舞子さんを助けて欲しいそうです」

舞子の容態は一刻も争う。


「了解、舞子さん手術室2に入室」

「舞子~。腰出して、腰椎(ようつい)麻酔するよ。痛いね。ゴメンね。足の指を触っているの分かるかな?」

「舞子さん、帝王切開手術します。顔上げて。モニターに涼君の顔見えるかな?」


「筋肉傷つけないように縦切りしますね。はい、子宮も切ります。ああ、赤ちゃん、お腹に帯みたいに臍の緒(ひそのお)を巻き付けちゃって、これじゃ下りてこられないね。お腹の中で、受け身しすぎたかな?」

舞子は、一生懸命話しかけてくれる名波医師の声と、泣きそうな涼の顔のギャップに戸惑っていた。

「はい、赤ちゃん出ました」

「陸さん、赤ちゃんは、うんち混じりの羊水飲んでいる。至急吸い出してやって」


ゴーゴー。バンバン。


何度も赤ちゃんの背中を叩く音がする。

冬月の声がなかなか聞こえないので、舞子はだんだん不安になってきた。


「こほ。んぎゃ。んぎゃ。ふにゅあー」


「ほら、お母さんくらい元気な声で泣いて」

「体温低下、温めて」


泣き声が聞こえたのに、先生方の声は緊張感を保ったままである。


「舞子さんのお腹の縫合終了。舞子、赤ちゃんは後で連れて行くから、まずは病室で休もう」


病室では、圭がぼんやり天井を見つめていた。晴崇が圭の手をしっかり握って祈りの形のままである。

「舞子ぉ。お疲れ。どうにかして、この男。ずっと私の手を握って、『ありがとう』って泣いているんだけれど、暑苦しいよぉ」

舞子はおどけた圭の声を聞いて、少し声が出せるようになった。

「圭もお疲れ。双子ちゃん見せて貰った?」

「ちんちんがついているのだけ見せて貰った。見たいのは顔なのにね。2人とも2500g越えた男の子だって」


舞子は自分だけが、赤ちゃんを見せて貰わなかったと気がついた。


「圭、私、赤ちゃんの泣き声聞いたのに、赤ちゃん見せて貰えなかった」


コンコンコン


病室のドアをノックする音がした。


名波医師と陸医師、生駒助産師が3人の赤ちゃんを連れて入室してきた。

「おまたせ~」

「こちらが圭さんの1番目の子、こちらが2番目の子。まだお猿さんみたいな顔だけど、赤みも目の形も、これから変わるから毎日楽しんでみていてね。はい。晴崇も赤ちゃん抱っこして、病室の壁のモニター見てね。記念写真撮っておくよ」

名波医師から、手術の経過説明があった。出血が多かったので、圭は少し、安静期間を長くするようにと。

「じゃあ。初乳を含ませるんで、カーテン引きますね」


 生駒助産師がカーテンを引くと、今度は舞子のところに名波医師と陸医師が来た。

「さっきは、涼君を驚かせてしまいましたね。冬月君3500kg男の子です」

圭の子供より一回り大きい赤ちゃんが、舞子の腕に渡された。手の大きな赤ちゃんで、舞子の腕の中で、長い指を広げて何か掴みたいようにもがくようにしていた。涼が指を出すと、冬月はしっかりそれを掴んだ。


「破水したんで、自然分娩でいけるかと思っていたけれど、臍の緒が胴体に二重に(から)んでいて、産道を下りられなかったので、帝王切開にしました。冬月君、羊水も減ったから、苦しくてうんちしちゃったんだね。普通は羊水の中にはおしっこしかしないんだけれど、喉に詰まったうんちを吸い出すので時間取ったよ。一時、体温が下がったので、今ゆっくりお風呂に入れてきて、綺麗な身体になりました」

舞子は名波医師の説明を聞いて、なかなか冬月に会わせて貰えなかった理由が分かった。臍の緒を首に巻き付ける話はよく聞くが、胴体に巻き付けるなんて、生まれながらに「帯」をしているんだ。私達の子らしいと思った。

「名波先生、笑わそうとしているのに、涼が晴崇並みに緊張しているんで、不安になっちゃいました。

ありがとうございます。出産が終わったので、柔道の練習はいつから出来ますか?」


陸医師が笑い出した。

流石(さすが)。でも、胎盤がかなり大きかったので、出血量も多かったです。1週間はベッドで安静にしてください。ただ、ハンドグリップや電気での筋肉刺激は明日から、少しずつ出来ますよ」

「じゃあ、こっちも初乳をあげましょうか。ちょっとでも初乳を口に入れると免疫力つくからね」



 手術後の医師達は、緊急事態に備えて待機していたが、手伝いの鮎里は風呂に入って休憩することを許可された。

「あれ?美容師君、ずっと廊下に待機していたの?」

「今日スタッフは僕1人なんで、緊急事態に備えて待っていました。それから、俺は美容師ではありません」

「ごめん。ついでといては何だが、私ではこの髪をほどけないんだ、これからシャワーを浴びるのに、また、ほどいてくれるかな?」


 鞠斗は、三つ編みを丁寧に1本ずつ解き、手櫛で下から少しずつ、毛をちぎらないようにほぐしていった。前髪を結わいている最後のゴムを解いた後、美容師のように頭皮を少しほぐした。手をゆっくり髪から出そうとすると、鮎里は自分の肩を指さした。

(え?()めってこと?)

しょうがないので、かなり固い肩をゆっくり揉むと

「上手いね。君、マッサージ師も向いているね」と褒められた。

なかなか固い上に筋肉質な肩はほぐれないので、鞠斗が一生懸命に揉んでいると、

突然、鮎里の身体がガクッと前に倒れた。


(寝ないで!)


倒れた鮎里の身体を、鞠斗が慌てて抱えた瞬間に、手術室から陸医師を先頭に女医軍団が出てきた。

(間の悪いこと)


「鞠斗君、こんなところで鮎里ちゃんと抱き合っていると、ママに怒られるよ」

「陸、よく見てよ。被害者は鞠斗だから。こら鮎里、どこでも眠るの止めなさい」

名波医師は腰に手を当てて、鮎里の頭上から雷を落とした。


「う~ん。折角、チーンエイジャーのいい匂いを嗅ぎながら眠りについたのに」

名波母は、細い鮎里の身体を抱えて持ち上げた。怪力なのは母親譲りか?

「ほら、髪も解いて貰ったんだから、シャワー浴びるよ。どこでも匂い嗅いで回るんじゃないの。

鮎じゃなくて、犬みたいじゃないの」

そういうと、娘を小脇に抱えて、名波医師はシャワー室に向かった。


残った陸医師達は、口々に感想を言いあった。

「鞠斗、鮎里の抱き心地はどうだった?」

「何言っているんですか。眠って転げ落ちそうだったから、抱えただけです」

「固くなかったか?」

「そんな失礼な。まあ、肩は固いというか、筋肉?」

「あいつはコンピュータを搭載したゴリラ型チンパンジーだから」


鞠斗を置いて、女医達は笑いながらシャワー室に入っていった。



明日から3日ほど、新しい話はアップできないと思いますが、次回は退院後の新居の話と、鮎里が巻き起こす騒動について、話が展開します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ