地獄の子連れ旅行3日目
四国旅行3日間の話はこれで終わりです。
珍しく3人は寝坊してしまった。
9時の時計に飛び起きた涼がみんなを起こして、身支度をしてフロントに下りた時は9時半を回っていた。
「おはよう。早いね」
ロビーで新聞を読んでいた、鮎里が立ち上がった。
「ご飯はまだでしょ?どうする?」
「どうって、途中で食べようかと思って」
「じゃあ、14階の朝食ブッフェに行こう。松山城もよく見えるよ」
「時間はいいのですか?」
「島根分校までは、休憩抜きで4時間くらいだからね。のんびり行こう」
少し遅い時間の展望ブッフェは、客足も減り、ゆったりと食事が出来た。
「松山の食事で有名なのは、じゃこ天とか鯛飯かな。勿論、蜜柑ジュースは知っているよね。松山の至る所で、有料だけれど、蛇口から蜜柑ジュースが飲めるんだ」
鮎里は、昨日しっかり乾かしてなかったため、ボサボサの頭で堂々と展望ブッフェを歩いている。
「琉兄たん。コックさんがいる」
「おう、瑠璃ちゃん、コックさんにオムレツ頼んでみるか?」
「すいません。アンパンマンが好きな、3歳の子が喜ぶようなオムレツお願いします」
鮎里は、風呂でだいぶ瑠璃と仲良くなったようで、テキパキとオーダーしてくれた。
シェフは笑顔でケチャップでアンパンマンの顔を描いて渡してくれた。
「お嬢さん、これでどうですか?お母さんと一緒でよかったね」
「あゆたんはママじゃない」
急に瑠璃は母親を思い出してしまったようで、泣きそうになってしまった。
慌てて琉が来て、瑠璃を抱き上げて、食卓に連れて行った。
鮎里は肩をすくめて、笑顔でオムレツを食卓に持ち帰った。
「3歳の子がいるように見えるかね?私もまだ、大学生なんだけれど」
「はは、僕たちなんか、高校生なのに大学生扱いですよ。まあ、普通の高校3年生が子連れで、12月に旅行していないですしね」
柊がさりげなく、食卓の雰囲気を和らげた。
「ところで、鮎里さんはなんで、愛媛大学医学部からN大学医学部に移ることになったのですか?」
柊は、大学生の進路選択にかなり興味があった。
「うちの父親の実家がここにあるんだ。下宿代も浮くし、四国の自然にも興味があったから、愛媛大学の医学部の来たんだ」
「でも、実家から出て、1人暮らししていましたよね」
「ああ、うちの父さんが突然実家に戻ってきたからね。そこで居心地悪くなって下宿することにしたんだ。まあ、山登りやトレイルマラソンばかりしていたから、下宿に戻るのも少なかったけれど」
「こんなこと言っちゃ失礼ですけれど、やっぱり年頃の娘は父親が嫌いってヤツですか?」
「私は、男のパンツも加齢臭も嫌いじゃないよ。好きでもないけれど。まあ、この話をするとなかなか出発が出来なくなるんで、今日はこの辺で止めにしよう」
「すいません。立ち入ったことを聞いて」
「さて、そろそろ出発しようか。しまなみ海道まで山道で行きたいんだけれど、朝のラッシュ時は、細い道なのに結構荒い運転が多くてね。今出るくらいがちょうどいいんだ」
しまなみ海道までの道は、鮎里が言ったように、昨日今日、免許を取った人が運転できるような道ではなかった。細く急カーブが多く、膨らんでくる対向車も多く、助手席にいるだけでも、柊はひやひやした。鮎里の運転は、実に男らしかった。
危険な山道を越えた後は、今治市内を越えて、車はしまなみ海道を走った。
鮎里は、2時間に1回休憩を入れるだけで、ハンドルを離すことはなかった。ただ、眠気覚ましといって助手席には、3人を交代に座らせた。
最初に助手席に座ったのは、柊だった。
「へえ、柊君は卒業後は東京の大学に行くんだ。お母さんは、政情が不安定な国に派遣されたんだろ?君の大学受験の時には帰って来られるのかい?」
柊は考えたくない現実を突きつけられた。
「帰国するという話は、まだ出ていません」
「じゃあ、梢ちゃんはどうするの」
「桔梗学園に預けて・・・」
「預けてもいいって学園長は言った?」
「いいえ、聞いてもいません」
「自分の目の前に横たわっている問題に、目を背けちゃいけないな」
次の犠牲者は琉だ。
「琉君は7人兄弟なんだ。へえ、お母さんは8人目を妊娠しているんだ。その子が生まれたら、今度は誰が面倒見るの?」
「来年高校1年生になる玲は、今九十九農園で働かして貰っているので、生まれるこの面倒を見るのは、多分、中学1年になる琥珀と玻璃?ですかね。あの子達は、生まれたこのヤングケアラー枠で、桔梗学園に来たいとは言っているんですが」
「まあ、中学生じゃ無理だね。君は高校3年だから入れたんだろ?」
「そうですよね。この間、桔梗学園の内科医師に、2人は体脂肪が少なすぎるって言われたらしいです」
その場にいた柊が、後ろの席から乗り出して琉の応援をした。
「妹さん達は、栄養失調なので、このままだと生理が来ないかも知れないって」
「でも、食べれば生理なんて来るよ。白い桔梗バンド持っていれば、タダで食べられることは確実なんだし」
「結構冷たいんですね」
柊が突っかかった。
「そうかな。琉はすべての兄弟の面倒を、自分1人で見る覚悟があるのかい?」
「それは無理だと」
「君は兄弟の先行きを、心配している振りをしているだけだよね。まずは『兄であること』を止めてみたら?」
「兄であること?」
「そう、大神琉は、兄弟の面倒を見る以外に、将来何をしたいの?」
車の中は、今まで目を向けなかった事実について、鮎里に情け容赦なく暴かれ、暗い雰囲気になった。
「最後は涼君だね。君はもう結婚しているんだよね。そして、ナニーになりたくて、今度島根分校に出来る保育専門学校に行く予定なんだ」
「はい。まだ悩んでいますが」
「何を悩んでいるの?ナニーになること?彼女と離れて島根分校に行くこと?」
「ナニーになることは、男性も子連れで働けるために必要な世界になると思うので、その第一人者になりたいと思っていましたが、・・・今回の出張で、他人の子供の面倒を見ることの大変さを実感しました」
「まあ、それは慣れるしかないでしょうね。今できなくても、卒業後苦労しながら、技術を身につければいいんじゃない?」
「彼女は・・・俺が島根分校に行くことを反対しています」
「まあ、子供が生まれたばかりで、夫が出て行くのは不安だろうね」
「でも、島根分校では男性ナニーの一回生として、僕に期待していてくれるようですし、生まれた子供を連れて、勉強しに行ってもいいようです」
「そんなに舞子さんと離れたいのか?舞子さんと一緒にいる選択肢はいくらでもあるじゃないか。N市の保育専門学校でも、短期大学でも、彼女が桔梗学園にいるんだから、子供を預けて通えるじゃない。それとも学校に払うお金がないとか」
涼は後ろの気配を気にしながら、小さい声で答えた。
「学費はあります。祖母が出してくれます」
少し嘘を交えて答えた。
「じゃあ、今まで彼女ばかり目立っていたけれど、今回、島根分校で『君しかいない』って言われて、やっと認められたという立場にたった。それを捨てるのに悩んでいるのかな?」
涼は、自分の意思で舞子のバックアップをしていたと思っていた。しかし、いつまでも舞子の付属品という評価をされることには、苦痛を感じていたことに、今始めて気づかされた。
「そうかも知れません」
「そうだね。でもその気持ちを満足させるために、彼女から子供を奪って島根に行くのは残酷じゃないかな」
「そうだと思います」
「生まれたばかりの子育ては、何回も経験できることじゃない。その1年間は宝石のような1年なんだけれど、それを自分の自負心のために、彼女から奪うのかな?」
「すいません」
「まあ、島根分校に行ったら、よく話をするんだね。通信教育が出来るかも知れないし、または、N市の短大や専門学校も見てみるといい。ただし、彼女が不安に思っているとおり、どこに行っても女の園だけれど、笑」
鮎里お姉様の進路相談室は、3人が目を背けていたことにしっかり向き合える機会を与えてくれた。
「ここまで、君たちにきついこと言ったかも知れないんで、私も自分の話の続きをしよう」
車は、島根分校まで、後10kmと言うところまで来た。鮎里は今日はずっと一人でハンドルを握っている。真悟も下りたし、兄たちはしっかり自分の隣にいるので、小さい妹たちはゆったりと手元のおもちゃで遊んだり、眠ったりしていて昨日までの車内の騒ぎが嘘のようだった。勿論、鮎里の慣れた運転のお陰もある。
鮎里は、自分の両親の話を始めた。
「家の母親と父親は、N大学の医学部で同期だったんだ。私を妊娠した時も、普通に結婚するつもりだったらしい。でもね、私があと少しで生まれるって時に、父親にT大学の助手の口が降って湧いたんだ」
「すごいですね。日本の医学の最先端の病院ですよね」
「柊君もそう思うよね。まあ、私の父親も父親の両親も、そう思って大喜びだったが、家の母親は反対だった」
「何故ですか?」
「最先端ということは、仕事量もかなりあるブラックな職場ってことだ。だから当然、家の母親が仕事を辞めて着いていくことを、みんなが要求した」
「名波先生はそれを断ったんですね」
「そう、家の母親は、N市の自分の実家に私を預けて、N大学の助手を続けていたんだけれど、それもかなりきつかったらしい。N市の実家の祖父母も高齢だったし、8年前に桔梗学園から医者の求人が来た時は、いの一番に応募したらしい」
「ちょっと待ってください。鮎里さんって、今年医学部卒業ですよね。8年前は高校生でしたか?」
「そう、花の高校生。でもさ、反抗期真っ最中で、親から距離を取りたくて愛媛県に来たんだ」
「お父様って、最近自宅に戻られたんですよね」
「そうだね。20年近く、T大学や海外の大学で医者をしていたよ。でもね、助教授までしか昇進しなかったんだ。それでも、父親は「上がつかえていたからなかなか自分が昇進にないのもしょうがない」と思っていたら、30代の教授が誕生しちゃったらしい」
「下克上ですね」
「そして、教授になった人は、家の父親が指導教官した人だから、その分野のポストはもうないんだ」
「それで、お父様の心が折れたんですね」
「あっ、御免。ガソリンスタンドに行かないと」
島根分校まで、あと5kmになっていた。
涼は、「名波先生の話」は、自分のために話してくれたと思っていた。
自分も舞子のことより、自分のことを考えている部分はなかったろうか?そう思うと、来春からの島根分校への入学はやめた方がよいと思えてきた。そして、六車志野が話してくれた「南海トラフ大地震」の話も気になった。そうなった時、自分が島根にいて、桔梗学園の舞子と冬月を助けられるだろうか?
鮎里が、自分にしきりに近くの学校の選択肢を勧めてきたことにも、耳を傾けるべきだと思った。
そして、涼は「島根分校への入学を断る」という結論に達した。
島根分校では百々梅桃が、「入学しなくても通信教育でもいい」と、しきりに勧めてきた。
「最初から家の学校に来るとは思っていなかったよ。舞子があなたを手放すとは思えなかったから。また、生まれた赤ちゃん見たら気が変わってしまうと思って、生まれる前に来て貰ったけれど、無駄だったね。まあ、よく考えて決めて頂戴。1年後も待っているよ」
梅桃はあっさり涼を解放してくれた。その上、食堂で昼食も食べさせて貰った。梢と瑠璃は、ずっと車の中だったので、外で食事が出来て喜んでいた。勿論、おむつもしっかり替えて貰って、ドローンの中ではずっと眠ってくれた。
琉のドローンの運転は、かなりスムーズだった。鮎里は柊に肩を揉んで貰いながら、先ほどの話の続きを始めた。
「うつ病になって、松山の実家に父親が戻った話までしたっけ?そう、別に父親のうつ病が嫌だったから家を出た訳じゃないんだ。父親が帰ったことよって、祖父母の態度が変わったことが問題だったんだ」
「それまでは、優しいお祖父様とお祖母様だったんですか」
「父親の実家って、松山市に昔からある医者なんだ。伯父さんが後を継いで、伯父さんの一人息子がそのまた後を継ぐと決まっていた。でも、家の父親が帰った年にその従兄弟が、医学部を落ちたんだ。そこまで2浪していたから、従兄弟も医学を諦めて、元々好きだった機械工学部に入学しまった」
「跡継ぎの問題は大変ですね。そこで狙われたのは鮎里さんという訳ですね」
「おかしいと思うだろう?父親と母親は籍は入れていないんだぜ。まあ、そこで下宿なんてしようとした自分が、いけないんだと思って、夜逃げしたんだ」
「夜逃げ?」
「自分のしたいことは、松山の古い医者を継ぐことじゃないからね」
道理で、鮎里は琉の考えに同情しなかった訳だ。
でも、琉はその話を聞いて「逃げてもいいんだ」と思った。鮎里は松山の医者を継いだら、祖父母の世話、伯父の家族の世話、古い医院の経営のすべてを背負い込むことになる。祖父母が気に入った医者を婿に取ることを強制されるかも知れない。「逃げる」ことをスパッと選べる鮎里のことを、琉は「格好いい」と思った。
6人の乗ったドローンが、桔梗学園に着いた時、迎えに出たのは鞠斗1人だった。
「涼、急げ。舞子が破水した」
男子3人は、どうも鮎里お姉様の「下僕」になってしまうかも知れません。次回はついに出産です。