プロポーズは病室で
前回から、アップに時間がかかりました。お待たせしました。ちょっと取材旅行?いや、観光旅行に行っていました。
「マリア、笹木さん。本当にごめんなサイ」
九十九カンパニー神奈川支社の入り口には、仁王立ちしたマリア・ガルシアと笹木香研究員が立っていた。海が見たいと「八景島シーパラダイス」を希望したのは、他でもないオユンだった。そして、自分はそれを寝坊してすっぽかし、「THE YOKOHAMA MATRIX」にイケメン?男子と一緒に行ったことを思い出した。オユンは、彼女らのことは今の今まで、忘れ去っていたのだ。
「大きなお土産袋ね。お詫びのお土産をそんなに買ってきてくれたの?」
マリアはニヤニヤしながら、お土産袋を奪い取った。
「あら、猫の可愛いマスコットね。2つあるから私達に買ってきてくれたの?」
それは、「トラ」のマスコットで、琉と柊に買ってきたのだ。
「それは・・・違いマス」
「子供用のTシャツは・・・」
「それは、オヨンチメグに・・・」
それは本当である。
「じゃあ、お揃いのTシャツは自分の分かな?」
マリアだけでなく、笹木まで大人げなく、お土産の入った袋に手を突っ込んだ・
「お菓子があるわね。犬のクッキー・・・かな」
それは、「ザムィンテムデグ」の絵が描かれたクッキーだった。
「皆さんに買ってきマシタ。モンゴルのモンゴリアン・マスティフに似ていたので、懐かしかったノデ」
そのまま行くと、鞠斗とお揃いの「ザムィンテムデグ」のマスコットが出てきてしまう。オユンの背中に嫌な汗が出てきた。
そこへ風呂上がりの舞子と涼がやってきた。
「遅かったね。鞠斗達はもう帰ってきたよ。男3人で琉のジャケットを買いに行ったんだって?琉がジャケットを着て帰って来たんだけど見違えちゃった。あいつら、結構ファッションセンスあるよね」
「柊も金持ちのボンボンだしね。でも、琉のジャケットは、琉のイメージにぴったりだよ」
「へー。オユンは、鞠斗と柊と琉と出かけたんだ。私も一緒に行きたかったな」
笹木が年甲斐もなく、羨ましそうに言った。
舞子には何の悪意もなかった。
「そうですね。笹木さんとマリアも行けば、S大学の学生2人と組むより、楽しかったんじゃないかな」
そこから、S大学の学生の笑い話や失敗談が、舞子や琉の口から語られた。さっきまで、食堂で柊や琉が面白おかしく涼に話していたのだ。
話題がうまく逸れたので、オユンはこっそり食堂に向かった。
そこでは、柊と琉がまだ色々な人に「THE YOKOHAMA MATRIX」のことを話して聞かせていた。
「これ、『THE YOKOHAMA MATRIX』の売店に売っていたんダ」
オユンはこっそり2人に猫のマスコットを渡した。琉は、今まで鞄に観光地のマスコットなど下げて通学したことがなかった。そんな友達を子供っぽいと口に出して言ってはいたが、本当は羨ましかったので、マスコットをかなり喜んでくれた。柊はいじわるな「トラ」の顔を思い出して、微妙な顔をしていた。
「売店にはこんなのが売っていたんだ。俺も見たかったな。ありがとう。オユン」
「ううん。私がついて行かなければ、男3人で楽しめたのに、本当にごめんなサイ」
気が利く柊は、オユンにささやいた。
「鞠斗は、モニターとしてゲームに参加していたから、感想を報告にカンパニーの方に行ったよ」
「違うヨ。これから紅羽のところに行くんだヨ」
オユンは赤くなった顔を隠すように、そそくさと紅羽の病室に向かった。
「あっ。オユン。今帰ってきたの?遅かったね」
カンパニーと宿泊施設を遮るドアを開けて、モニターの報告をして戻ってきた鞠斗が、突然出てきた。
「鞠斗。あの、今日は本当にごめんなサイ。私が行ったからS大学の人と組む羽目になったヨネ」
「いや、返って面白いデータが取れたって、カンパニーの人たちは喜んでいたよ。怪我の功名だ」
「あの柊や琉にも受け取って貰ったんだけれど、これ、お詫びの印デス」
「あー。ありがとう」
鞠斗はこの後も仕事があるようで、クッキーを貰うような軽さで、モンゴリアン・マスティフのマスコットを受け取っていった。
オユンは踵を返して、病室のほうに向かった。楽しかった1日は夢だったのかも知れない。「吊り橋効果」で普段なんとも思わなかった男性が、魅力的に見えたのかも知れない。そう無理矢理自分に思い込ませながら、紅羽の病室のカーテンを開けた。
「紅羽、具合はどうデスカ」
「オユンお帰り。赤ちゃんがまだ、保育室から出てこないんで、今日1日ゆっくり休めたよ。みんなも休日は楽しめたかな?今晩、みんなは桔梗学園のほうに帰るんだって」
「紅羽ハ?」
「私はここで最低1週間は入院しないといけないみたい」
「蹴斗がドローンを運転していくんデショ?」
「うん。桔梗村で出生届出してきてくれるんだって」
「名前はもう決めたんダネ」
「翠斗にしたんだ。『翠』はあおみどり色、私の『羽』の部首を持つ上に、色を表す言葉。それに『蹴斗』の『斗』を貰ったんだ」
「2人の子供って意思表示ダネ」
「届を出したら、すぐ帰ってきてくれるはず」
そこへカーテンの外から声がかかった。
「紅羽、ちょっといいか?」
蹴斗が申し訳なさそうに入ってきた。
「あのさ。俺の母親から電話がかかっているんだけれど、出たくないよな」
「なんで?寝間着姿で申し訳ないけれど、是非お目にかかりたい」
「そういうわけでは」
蹴斗がしごく嫌そうな顔をしながら、テレビ電話を紅羽に渡した。
オユンが遠慮しながら病室を出ようとすると、蹴斗が手で制した。
「話の途中で入ってきたのは、俺だから、オユンがすぐ帰る必要はないよ。電話もすぐ終わるからというか、電話は早く終わって欲しい」
「初めまして、高木紅羽と申します。蹴斗さんとは結婚を前提にお付き合いをさせて貰っています」
「見たか?登子。うちの子にこんなに素敵なパートナーが出来たって。蹴斗が隠したがる訳だよな」
登子と呼ばれた女性も、蹴斗の母一村遊と並んで画面に映っている。
「遊、紅羽さんがびっくりしているわ。まずは自己紹介をしなさいよ」
「そうだね。初めまして、蹴斗の母一村遊です。蹴斗を産んでから、性転換をしたんで、父親みたいに見えますが。左に見えるのは・・・」
「自分で紹介します!いつも鞠斗が仲良くして貰っているそうで、ありがとう。私は不二登子。遊のパートナーで、シスターコーポレーションを2人で経営しています。今は、海外の支社をいくつか作るために、もう3年も海外住まいを続けています」
「で?赤ちゃんが生まれたって?見せて貰える?」
紅羽と蹴斗は顔を見合わせ、蹴斗がスマホを持って、保育器のところまで行って、翠斗の映像を見せに行った。
「びっくりしたぁ」
「紅羽さん、蹴斗さんのお母さんと会うのは初めてですカ?」
「いやあ、もっと後に子供が生まれると思っていたからね。挨拶をまだしていなかった。のんびりしすぎちゃった」
紅羽は頬を両手で押さえて、困った顔をした。挨拶が遅くなったことの失態を気にしていたようだが、オユンに衝撃を与えたのは、性転換した一村遊と同性カップルの存在だった。
「日本では同性カップルが増えてきていますヨネ」
「そうね。一部の自治体ではパートナーシップ制度なんていうのがあるところもあるけれど、国全体ではまだまだ法整備される雰囲気じゃないね」
「アジア的家族観が影響しているのですカ?」
「モンゴルだって、結婚の後子供を作る。家族を作るのが普通って感じがあるでしょ?」
「まあ、そうですネ。遊牧って基本的に、家族が協力しないと出来ない生活スタイルですヨネ。農耕もそうですヨネ。それ以降の科学技術の発達で、家族が一緒じゃなくても成り立つ仕事が出来ましたカラ」
「でも、日本の与党は、古い家族制度にこだわっているから、なかなか法整備はされないよね」
「桔梗学園のようなシステムなら、別に家族じゃなくても、法整備がされなくても困らないですヨネ」
「う~ん。そうかもね。家族の代わりに仲間がいるし、医療機関が学園にあるから、婚姻関係になくても見舞いもできるし。そう言えば、家族を否定しているシステムだね」
「だから、誰の子供でもみんな気にせず育てられますヨ」
紅羽は、自分の子供が蹴斗との間の子供でないという問題にオユンが触れたと思った。別に責めるつもりはないが、その視線にオユンは慌ててしまった。
「これは翠斗君の話ではありマセン。私の話デス。誤解しないでクダサイ。皆さん、オヨンチメグは私の産んだ子供だと思っていますヨネ。あの子は姉の子なんデス。2年前、モンゴルので大地震がありマシタ。人口密度が低い地域で起きたので、日本には余り報道されなかったと思いマス」
オユンは自分のズボンをしっかり握りしめて、当時の記憶をたどった。
その日はオユンと姉夫婦、オヨンチメグの4人で、ゲルから離れた放牧場にいた。突然の地震で大地が避け、オユンの義理の兄がその裂け目に飲み込まれた。姉はオユンが止める間もなく義兄を追って、裂け目に飛び込んでしまった。オユンは走って行こうとするオヨンチメグを抱えたまま、一歩も動けなかった。
馬はいななきながら散り散りに走り去ったので、オヨンチメグを負ぶったオユンが歩いてゲルに戻ったのは、日も暮れて大分立ってからだった。灯を付けて、彼らを探しに来てくれた両親は泣きじゃくるオユンをやっとのことで見つけた。ゲルも倒壊して、家財道具も飛び散り、柵が壊れて、飼っていた家畜はすべて逃げてしまった。
オユンの家族は財産のすべてをなくしてしまった。そこで同じように被害に遭った人たちと一緒に、ウランバートルまで出て行かざるを得なくなった。オユンは柔道の実績を買われて、ナショナルチームに入ることが出来たが、家族のため働きながらでは、十分な練習時間を作ることは出来なかった。
そんな時、桔梗学園から「オヨンチメグを連れて柔道をするため、日本に来ないか」という信じられない申し出を受けたのだ。
オユンの固く握りしめた手を、紅羽の大きい手が包んだ。
「ごめんね。辛い話を思い出させてしまったね。じゃあ、昨日の鞠斗達とのゲームは嫌な思い出につながったんじゃない?」
「そうですネ。でも、のほほんとしている朱里さんの顔を見たら、ライバル心がもたげてしまって張り切ってしまったノ。そして、津波を見たら、もう大切な人を失いたくないって思っタ。だから、鞠斗の手を掴んだ時、すごくほっとしたノ」
「大切な人?」
紅羽が意味ありげに、オユンの顔を見た。アユンは慌てて手を振った。
「違いましタ。『大切な仲間』デス。日本語は難しいですネ」
「ということは、オユンは未婚で、彼氏慕集中なんですね。鞠斗みたいな人がタイプですか?」
「鞠斗は、『吊り橋効果』で一瞬いい人に思えただけで、タイプはがっしりしたモンゴル相撲の選手みたいな人が好き・・・」
オユンはカーテンの向こうに人の気配を感じて、口を閉じてしまった。入っていいか悩んでいた蹴斗がいたのだ。蹴斗はオユンが自分に気がついて、話を止めたタイミングで、こそっと病室に入ってきた。
「鞠斗はまた、もてなかったか。いいやつなんだけれどな」
「蹴斗、モンゴル相撲の選手って、九十九剛太君みたいな人?」
「お菓子置いていきマス。みんなで食べてクダサイ」
オユンが真っ赤な顔をして、病室から慌てて出て行った。
「あれ?図星だったかな?」
「紅羽、お前、自分が振った男の名前を簡単に口にして・・・」
剛太が紅羽が好きだったことを蹴斗はまだ気にしていたが、紅羽はもうサバサバしていた。興味は義理の母親達のことだった。
「ふふ。お母さん?達、赤ちゃんの映像を見て喜んでいた?」
本当は翠斗の肌色が、純日本人のものであるのを見て、遊と登子は一瞬言葉を失った。蹴斗の子供であれば、肌の色が少しは黒くなっているはずだ。つまりこの子の父親は蹴斗ではないのだ。
しかし、長年、桔梗学園にいるのでその辺の事情をなんとなく察して、母親達はすぐいつもの賑やかな様子に変わった。蹴斗は、「紅羽がこの場にいなくて良かった」と思った。
「喜んでいたよ。『婚姻届』と『出生届』を同時に出せって、強いアドバイスを受けたんだけれど、紅羽はいいかな?ここにサインをしてもらって」
突然のプロポーズに紅羽は、両手で頬を押さえた。蹴斗はその手をどかして、紅羽の耳に唇を寄せて言った。
「お願いします。婚姻届にサインをしてください」
カーテンの向こうにいた陸医師が突然顔を出した。
「3日後なら紅羽は外出できるよ。2人で、横浜で2枚の届を出してくればいいじゃない。蹴斗はみんなを送った後、気をつけて戻ってこいよ。出生届は2週間以内だから慌てなくていいよ」
次回から、新たな登場人物を加えて、男どもの子連れ旅行シリーズに入ります。