海と仲間と脱落者
横浜の話の最終回です
オユンを乗せた栗毛の馬は、これがゲームだということを忘れさせるほど、スムーズで力強い走りを見せて、2台のバイクを先導していた。鞠斗と朱里はそれぞれバイクに乗っていたが、180cmを越える2人の身長に合わせて、750ccのバイクが用意されていた。実際に町中では取り回せるか分からないが、ゲームの中ぐらいかっこいいものに乗りたいという夢を叶えさせてくれるバイクだった。
「あれは何だろウ」
オユンが数キロ先に光る点を見つけた。何かに反射して光っているようだった。
近寄ってみると、直径1mくらいの光る球体が、忘れ去られたように置いてあった。
「オユンならどうする?矢を射ってみるか」
「どうしよう?でもピカピカとして綺麗なので、傷を付けたくないですネ。それより・・・」
オユンの目は、朱里の行動に釘付けだった。
朱里は、オユンのマネをしたいのか、球体の回りを何か捜しながら歩き回っていた。そして、何も見つからないと大胆にも人差し指で球体を突き始めた。
「熱くないから、大丈夫」
「大丈夫じゃないよ」
オユンが駆け寄ろうとするまもなく、朱里は球体に手の平を着けてしまった。
「あっ、柔らかい。きゃあ」
朱里の腕が肘まで球体に潜り込んでしまった。オユンが朱里の胴体をガシッと抱え、強く引き出すように後ろに引いた。
朱里の手が球体の中身を掴んでいたので、球体は服を裏返すようにひっくり返って、四方形の箱のような形になった。箱の蓋を開けるのには、鍵が必要だった。
「誰か、鍵を持っていないか?」
鞠斗の弾薬ケースにも、オユンの馬の餌が入っていたポケットにもそれらしいものはなかった。
「じゃあ、私がナイフでこじ開けてみます」
そう言って、朱里が腰に差していたナイフを鞘から抜いた時、鞠斗がその手首を取った。
「待って、その柄を見せて。スイスアーミーナイフのように何か、たたみ込まれているね」
「コルクスクリューだヨ」
「まさか、これで開くなんてことは、・・・あった」
鞠斗がコルクスクリューを、箱状の物体の鍵穴にコルクにねじ込むように押し込むと、するするっと回転し、蓋が開いた。箱の中には2つの箱形リュックが入っていた。
そのリュックには、こう書いてあった。
「女神への献上物」
何のためらいもなく、オユンがリュックを担ぐと、2つ目を朱里に渡そうとした。
「いや、俺が担ぐよ」
「鞠斗は昨日大分疲れていたカラ」
「大丈夫だよ」
朱里は荷物に手を出そうともしなかった。これが運命の分かれ目とも知らずに。
箱の底にはポーションが3本入っていた。これは1人1本ずつ持つことにした。
途中、寄り道はしたが、当初の目的通り3人は水辺があると思われる方向へ、草原をひたすら進んだ。平原はどこまでもまっすぐで、多少の起伏はあるが走りやすい道だった。
オユンはまっすぐ西に向かって走ったようで、目的の「海?」にたどり着いた。オユンは初めての海に興奮して、馬ごと波打ち際まで走り込んだが、何か目に見えない壁のようなものがあり、馬ごと弾かれてしまった。
「大丈夫か?オユン」
「なんか柔らかい壁みたいなものがある」
オユンは、髪までびっしょり濡れながら答えた。そして背負っているリュックを確認して担ぎ直した。といっても、リュックの中身は何か分からないので、献上物が割れていないことを祈るばかりなのだが。
「オユン」
壁の向こうから、鞠斗ではない男の声が聞こえた。
「そうだ。オユンだよ。おーい。見えるか」
寒天のような厚い壁の向こうに、小型ヨットが見えた。そしてそこから手を乗り出しているのは、柊と琉だった。鞠斗も、ヨットの甲板を見上げて、手を振った。
「おーい。柊、琉。元気か?そっちは海なのか?」
柊が答えた。
「俺達、海と空を選んだんだ。今はヨットで飛行船を探しに、地図を頼りに走行している」
「地図」という言葉を聞いて、鞠斗はとっさに思い当たって聞いた。
「俺達の地図には、右半分に草原、その北側に山林が見えるけれど、左半分が表示されていなくて、それを求めてここまで来たんだ」
柊も言いたいことを理解して、自分たちの地図が見えるように見せてくれた。
「俺達は左半分の下しかまだ表示されていない。おいトラ、肩から降りろ。海に落ちるじゃないか」
「朱里、そっちは犬なの?このトラ猫ちゃんは、蛇の口から出てきた『ガイド』ちゃんよ。しゃべるの。可愛いでしょ」
琉の腕に張り付くようにしていた苺香が、にっこり笑って猫の名前を教えてくれた。猫の毛は見事なトラ模様で、安直な名前を付けたものだ。
柊の肩には、少し大型の猫が乗っかってこちらを凝視している。
「柊、こっちの犬の名前はモンゴル語で『道しるべ』デス。地図をどうしたらいいか、猫に聞いてみてくだサイ。こっちもザムィンテムデグに聞いてみマス」
ザムィンテムデグは、「やっと俺の存在に気がついたか」と呆れた顔で答えた。
「2つの地図を壁に当てて見ろ。お互いの欠けた地図が複写できる」
「柊、地図を壁に当ててクダサイ」オユンが壁の向こうに怒鳴った。
厚い寒天のような透明の壁に、お互いの地図を当てると双方の地図に足りない部分が複写された。と、同時に船の帆が大きく風をはらんだ。
「柊、子卯午申酉戌がこっちは見つかった」
「鞠斗、こちらは子丑寅巳亥が見つかっている。じゃあ後は羊だ。お互い頑張ろう。ポーションは飲み過ぎるな」
その言葉を残して、柊達を乗せた船は壁から大きく離れて行ってしまった。
「なんか、暗号みたいな会話ですね」
会話に全くついていけなかった朱里は、緊張感のない話を始めた。
「でも、苺香は最初、『柊様』って言っていたのに、琉君と仲良くなったのね」
そう言って、鞠斗に熱い視線を送った。鞠斗は近姉妹を思い出し、思わず身震いをしてしまった。
「暗号じゃないワ、十二支の話ヨ。忘れたノ?」
(そう、多分柊達のストーリーは、牛のような怪物と鼠の大群に襲われ、蛇に追いかけられ、倒したら蛇の口から猫が出てきたと言う話か?まさか猪は、兎のように捕まえたのか?あのチームにそんなハンターいたのか?)
「ところで、ポーションを飲み過ぎるとどうなるのカナ?」
「鞠斗さんも巨人になるのかしら。ふふ」
「のんびり話をしていると、ゲームの時間が過ぎてしまう。元の小屋があるところまで戻ろう」
鞠斗に促されて、2人も動き出した。
「鞠斗、道の様子が変わってイル。気をつけて、穴がそこここに空いてイル」
確かに、海まで来る時は割と平坦な草原だったが、帰り道には穴というより、亀裂が多くは知っているようだ。馬なら軽く飛び越えられるが、バイクだとそうはいかないので、自然と亀裂を避けて走るようになった。
「鞠斗さん。バイクが跳ねます」
道には亀裂だけでなく、何カ所か隆起もあった。しかし着た時より戻るのは早かった気がする。突然、大地を揺るがすような地響きが聞こえた。馬が突然二本足で立ち上がり、オユンはそれをなだめようと懸命に声を掛けているが、結局振り落とされてしまった。
ゴー
「地震だ」
馬と併走していたザムィンテムデグが、オユンの服を引っ張って、休憩をした小屋に連れて行こうとしていた。
大地は大きく横に揺れ始め、大地の裂け目から水の混じった砂が大きく吹き出し始めた。
鞠斗と朱里もバイクを捨てて、小屋に向かって走り出した。やはり鞠斗の体力は限界に来ているようで、足をもつれさせて、転んでしまった。脇を走っていた朱里は、蹴斗に見向きもせずに小屋に向かって走って行った。
小屋の屋根に駆け上っていたザムィンテムデグが叫んだ。
「津波が来るぞ」
「来るな、オユン。『津波てんでんこ』だ」
そう三陸地方に、津波が来たら、家族が一緒にいなくてもてんでんばらばらに高台に逃げろという古くから伝わる言い伝えがある。それが『津波てんでんこ』だ。
しかし、オユンは一端逃げた小屋から全速力で駆けてくる。鞠斗も必死に立ち上がって、オユンに向かって走った。2人の手がつながれるのと、津波にのみ込まれるのが同時だった。2人はぐるぐると水に飲みこまれたまま回転しながら流されていった。
すると突然、2人の身体がぐっと上方に引き上げられた。2人は水の上に顔を出すと、目の前にボートがあるのに気がついた。背中の箱が空いて、中の浮き輪が急激に膨らんだのだ。2つの浮き輪はすぐに合体してボートに変わった。2人は必死でボートによじ登った。
オユンについてきていたザムィンテムデグも、軽々とボートに飛び込んできた。
「朱里は?」
ザムィンテムデグが答えた。
「あの小屋に飛び込んだ」
「ああ良かっタ。え?山津波が・・」
朱里が逃げ込んだ小屋は、見る間に山津波に飲み込まれていった。
「ザムィンテムデグはああなることが、分かっていて逃げてきたノ?」
オユンが責めるような口調で問いただした。
ザムィンテムデグは涼しい顔で答えた。
「仲間を見捨てると、ゲームから脱落するんだ。今頃、食堂で珈琲でも飲んで、お前達のゲームが終了するのを待っているさ」
「じゃあ、早くゲームをコンプリートしないとな。ははは」
ボートで鞠斗は仰向けに寝転がって笑い出した。
オユンは珍しく鞠斗がはじけているのを楽しそうに見ていたが、ふと風の匂いが変わったので、周囲に目を凝らした。緊張しているオユンのズボンの裾を誰かが引っ張った。
足下を見ると、鞠斗の目に空の青が映っていた。
「オユン、あの雲をモンゴルではなんていうんだろう」
珍しくゆったりした鞠斗の言葉を、微笑ましく聞いて、オユンは空を見上げた。空には羊雲が無数に広がっていた。
「日本では、羊雲。そう『羊』だ。でも、見つけるだけでいいのか?ちょっと待って、地図。あー、すべて水色に書き換わっている。もしかして地図は完成したのかな」
オユンが雲を見上げた。
「鞠斗、何か下りてくるヨ。縄ばしご?」
「おーい。鞠斗、登って来いよ」
上空から柊の声が聞こえた。
「いこう。オユン。ザムィンテムデグは梯子で登れないか」
「いや、俺は行かない。おめでとう。ゴールだ」
梯子を登ると、飛行船の中には琉と柊が待っていた。
「あれ?苺香さんは?」
「ああ、苺香さんが『女神への献上物』の箱をこっそり開けたら、指輪が入っていたんだ。それを自分の指に着けたら、飛行船の外に吸い出されて行ったよ」
「トラ様はなんておっしゃったかい?」
「献上物を私物化すると、ゲームから脱落するんだそうだ」
鞠斗は面白そうな顔をして、こちらの情報を伝えた。
「朱里さんは俺が津波に飲まれるのを見捨てて、ゲームから脱落した」
それを聞いて、他の3人は笑い出した。最後に柊が、トラに聞いた。
「それで、どこに着陸すればいいんですか?」
飛行船のタッチパネルに完成した海一色の地図と空一色の地図を2枚を貼ると、飛行船のエンジン音が静かに停まった。ハッチが開くと、賑やかな食堂があった。食堂の入り口で車掌にベルトやサングラスを渡すと、食事券を渡された。
桔梗バンドを見ると、すでに3時を回っていた。
「柊、ポーションの飲み過ぎに注意って何だよ」
「ああ、このゲーム。トイレに1回しか行けないから、飲み過ぎるなと」
「じゃあ、あのポーションの中身は?」
「経口補水液だよ。熱中症予防だ」
「飯は軽く食べて、こいつのジャケット買いに行かないか?」
琉のジャケットの袖は肩から大きく破れていた。
琉のジャケットは、ボタンは替えてあったが、よく見ると高校のジャケットだった。
「卒業生から譲って貰ったジャケットなんだけれど、その上3年間着て、もう古くなっていたんだ。ゲームの最中、袖が破れたんだけれど、生地が薄くなっていて、繕えないって柊が言うんだ」
財務省の鞠斗はニヤニヤしながら、指でOKマークを出した。
「ジャケット買うと、外回りが増えるからね。勿論、ジャケット代は、経費で落とそうぜ」
オユンが口を挟んだ。
「私は、お土産を選びたいから、もう少しここでゆっくりご飯を食べてから、帰ル。いいジャケットを買ったら見せてネ」
男3人が軽食を食べた後、買い物に行こうと立ち上がると、1時間も前に食堂に来ていた朱里と苺香が、3人を見つけて小走りでやってきた。
「やっと見つけた。今日はどうもありがとうございましたぁ。一緒に座っていいですかぁ」
「オユンは彼女たちと食事したい?」
オユンは首を横に振った。
「ごめんね。僕たちは先に帰るし、オユンは1人で食事を楽しみたいって、今日はお疲れ様、さようなら」
苺香が琉の腕を掴んで甘えた。
「えー。じゃあ、せめて一緒に写真撮りましょうヨ。オユン、シャッターを押してくれる?」
そこにいるみんなは、何故、琉の袖が敗れたかを理解した。
「ねえ、袖を離してくれる?見て。袖が破れたのは、君のせいだ。それに、そこの掲示が見えない?『撮影禁止』ってあるでしょ?ルールが守れなかったり、仲間を見捨てたりするから、ゲームから脱落するんだ」
今まで、嫌な女性に迫られてもしっかり断れなかった琉の言葉に、みんなは目を見張った。
「オユン、食べ過ぎるなよ。夕飯の時にオユンが買ってきたお土産見せてね。じゃあ、お先に」
そう言って3人は横浜の町にショッピングに出かけた。
そろそろ、次々と赤ちゃんの生まれる季節となりました。出産後もお母さんは大変です。