休講
銃の暴発事件と切迫流産があった日の、山田一雄のお話です。
桔梗高校の学食で、山田一雄は妹の三津にばったり会った。
「お兄ちゃん、今日はどうしたの?」
「桔梗学園の授業は休講だって」
「珍しいこともあるんだね」
「朝、農園の仕事が終わったら、休校だって知らされて、昼飯もないものだから、昼食食べるついでに、高校に『就職届』と『公欠届』を出しに来た」
「公欠って?」
「九十九農園で働いているのを、インターンシップ扱いに出来るよう、珠子さんが書類を作ってくれたんだ」
珠子は山田一雄が朝仕事に九十九農園で働いているのを、一日働いているということにしてくれたようだ。これで、桔梗学園で勉強しているために、高校での欠席がかさむことは無くなることになる。
「じゃあね。お兄ちゃん、今日、野球部は、昨日の練習試合の代休だよね。私は夕方、『ゑびすいROOM』に農園の野菜を届けに行ってくるから、遅くなるね」
三津と分かれて学食に入ると、一雄は目立たぬように隅の2人がけに座って、今日の定食を食べ始めた。健康的な桔梗学園の昼食を食べていると、脂っこく味が濃いことに気がつく。(まあ、高校生男子はこのくらいのボリュームがないと、満足しないだろうな)
「ここに座っていいよね」
2人がけの席の正面に、五十沢健太が座った。甲子園が終わって、ほとんど話をしていないせいか、何故か違和感がある。
「夕方グランドに来る以外、全然、学校に来ないから、なかなか会えなかったね」
健太には珍しく、積極的に話しかけてくる。佐藤颯太なら、いつもこのような乗りだが、健太がこうやって話しかけてくることは珍しく、ますます違和感が膨らんだ。
「もう就職も決まったから、インターンシップしていて、今日は学校に書類を届けに来た」
一雄は、最後にとっておいた定食のデザートの葡萄を口に放りこみながら、上目遣いに健太の様子を見た。
「九十九農園に就職したんだって?おめでとう。それに颯太から聞いたよ。可愛い彼女もグランドに連れてきているんだって?羨ましいな」
「健太もR大学に推薦で決まったろう?雄太から聞いたよ。おめでとう」
「ありがとう。本当は一雄と一緒に大学に行きたかったんだよ」
明るい声に反して、健太の目は全く笑っていなかった。
本当に話したい内容がある時、全く無関係な話からスタートするものだ。
(心にもないお世辞は早く止めて、本題に入って欲しいな)
健太は笑顔を顔に貼り付けたまま、一雄に顔を寄せて言った。
「ところで一雄は、今でもチャンスがあったら大学で野球をしたいか?」
前監督は、健太と一雄をセットで母校の野球部に入れるつもりだったが、監督の辞任と共に、その話はなくなった。しかし、甲子園3回戦まで行った甘いマスクの健太には、すぐ複数の大学からスカウトがやってきた。一雄にも話はいくつか来たが、授業料全額免除レベルの推薦は来なかった。両親は下2人もいるので、県外の私立大学への進学には前向きではなかった。だから、就職を決めた一雄の選択に反対する者は誰もいなかった。
「R大学の監督が、一雄なら授業料半額免除で、寮費も格安で受け入れてくれるって言っているんだ。だから、監督と桔梗高校OBで4年生のM先輩も一緒に、来週の桔梗高校の新人戦を見に来てくれるって。悪い話じゃないだろう?」
(M先輩?俺たちが入学する前の先輩を連れてきても、誰も知らないのに。ああ、俺を大学に引き抜いて、M先輩を桔梗高校野球部の監督にさせたいんだな。そうすれば、来年雄太を、再来年は颯太を引き抜くことが出来る。とそんなところかな。監督の思惑は)
桔梗学園の講義では、戦略、データ解析だけでなく、選手獲得のテクニックや心理学も学ぶ。そして駆け引きも、何パターンかシミュレーションをする。一雄はこれこそ実践の場だと気を引き締めた。まずは、真面目に考えている顔をしてみせた。
「健太は知っているだろう。俺のところはまだ2人も弟妹がいるんだよ。野球って金かかるし、例え半額免除でも、最初から大学は無理だ。折角監督に来ていただいても、話すだけ無駄だよ」
食事が終わって立ち上がる一雄の腕を取って、健太は真剣に訴えた。
「もう、監督が来ることは決まっているんだ。来週の新人戦で、雄太や颯太と話もしたいって。俺の先輩としての顔も立ててくれよ」
(こうやって、スポーツ選手はがんじがらめになって、自分の進路も自分で選べなくなるんだよな)
今までの誠実な一雄にはなかった戦略を、最後に打ち出した。健太に顔を近づけて、一雄はその一言を放った。
「R大学の監督さんって、紅羽のこと知っているのか?」
健太は、一雄の顔を見直した。今まで誠実だと思っていた男の残酷な一言は、隙だらけの健太の心に刺さった。
「健太は、紅羽のオリンピックの夢を潰したのに、自分だけ何もなかったように甲子園に行ったんだよね」
一雄は今までくすぶっていた気持ちをぶつけた。こいつは、憧れていた紅羽を傷つけ、そのくせ、一雄の気持ちを知らずに、最後まで一雄に甘え続けていた男。最後まで、一雄が「都合の良い仲間」だと信じている愚か者。
「何で知っているんだ」
「み~んな、知っている」
(人の口に戸は立てられない。この脳天気な男は、本当に誰も知らないと思っていたのか?おめでたい男だ)
「紅羽だって、バレたら困るだろう?」
(脳天気なだけでなく、本当に無責任な男なんだな)
「いや?紅羽は困らない」
(俺たちみんなで紅羽を支えているからな。珠子さん達のために、余計なことだがもう一言言っておこう)
「困るのは健太、お前だけだ。
それに、マスコミに調べられたら、お前の叔父、慎二がマネージャーを妊娠させて捨てたっていう過去も、改めて白日の下にさらされる」
「慎二叔父さん?」
「血は争えないよな。というわけで、R大の監督にはしっかり断ってくれ。もし監督が来たら、俺の口から、お前が紅羽にしたことをすべて話すから。そんなスキャンダルを抱えている選手を欲しがる大学はあるかな」
そう言うと一雄は定食のトレーを持って立ち去った。後には、真っ青な顔でうつむく健太が1人残された。
学食を出て廊下に出ると、事務室のTVから昼のニュースが流れてきた。一雄は、事務室のカウンターの窓越しに、ニュースを聞いた。
「本日早朝、桔梗ヶ山に熊が2頭出没しました。桔梗村から依頼を受けたハンターが出動しましたが、その際、銃の暴発事故が起こり、負傷者が2名出ました。怪我の程度は軽傷で、命に別状はありませんでした。また、熊2頭はその場で射殺されました。
今年の冬は、雪が早いとの気象庁からの予報が出ています。冬眠前の熊が多く出没されることが予想されますので、山に入る場合は・・・」
(桔梗学園の休講の原因はこれだろうか?そうすると、怪我人は誰かな)
進路指導室を開けると、進路指導担当の高木美恵子先生が昼食を終えて、歯磨きを加えているところだった。高木先生は紅羽と碧羽の母親で、一雄を見ると嬉しそうに手招きした。
(まずい人に見つかってしまった。いつもは職員室にいるのに、食事はここでしているんだ)
「いいところであったね。ちょっとお話があるのよ」
そう言って、進路相談室に招き入れられた。
「甲子園が終わって、野球部の監督になったんですって、大変ね」
(ここでも、駆け引きだ。まあ、母親として知りたい話もあるんだろうな)
「ありがとうございます。全校応援には、先生方にも大変ご面倒をおかけしました」
「やだ。監督らしい話し方になっちゃったわね」
「今日は、就職届と公欠届を出しに来ました」
「そうそう、担任に住民票を出した?指導要録書くのに、卒業生は全員1通提出して貰うの。宜しくね。就職届と公欠届は受理しました。公欠届は卒業式の前日までなのね。後来るのは、卒業式だけなの。学年末考査も受けないのね」
「はい、学年末考査を受けなくても卒業できるくらいの成績はとりました。監督をするにはやはり、桔梗高校OBであることが必須ではないかと思っていますので、しっかり卒業はします」
「そうね。なのに、碧羽は退学したいって言うのよね」
(来た、来た。母親としての愚痴が来るぞ)
「そうですね。碧羽さんはまだ2年生ですよね。ただ碧羽さんは、まだ入学試験に合格したわけではないですよね」
「一雄君は、入学試験はないんですか」
「スカウトされた人は、無条件に入れるんです」
(まさか、京に婿としてスカウトされたとは言えないが・・・)
「碧羽も、スカウトされたと言っていたけれど」
(親を誤魔化したな)
「いえ、彼女は1週間の講義に参加するのを許可されただけで、その後はどうやって1ヶ月の体験入学と受験機会を勝ち取ったかは、自分はよく知りません」
(碧羽は隠し事の出来ない人なので、俺も経緯を聞いているが、親に言っていないんだな)
「高木先生すいません。この後、桔梗村役場に行って住民票を取ってこないと行けないので、用件はもう終わりましたでしょうか?」
「あら、ごめんなさい。最後に紅羽は元気ですか」
(何を答えるべきだろうか?)
「碧羽さんの方が、良く知っているのではないでしょうか?自分は紅羽さんと話す機会はあまりないので」
親の気持ちはよく分かるが、桔梗学園の内部事情をどこまで話して良いのか、一雄にはよく分からない。ああ言うしかなかった。
余り学校に長居すると、また色々な先生に捕まるので、一雄は、早々に帰ろうと自転車に飛び乗って桔梗駅の裏手にある、桔梗村役場に急いだ。コンビニでも手続きできるのだが、今日1日暇になってしまったので、役場に行くことにした。
「あれ涼と柊?どうしたの?警察になにか用事があったの?」
役場で用事を済ますと、警察署から出てきた涼と柊と出会った。
「一雄は役場に何か、用事だった?」
涼が話題を逸らすように話しかけてきた。一雄はニュースのことを思い出し、それ以上は聞かないことにした。
「俺は今日休講になったから、卒業に必要な書類を役場にもらいに来たんだ」
「ああ今日は、休講になったんだ」
「じゃあ、俺たちはバスで帰るから」
涼の言葉に柊は首を強く振った。子供らしい仕草だった。
「歩いて帰ろう。バスに乗りたくない」
「一雄はもう一回九十九農園に行くんだよな」
違うと言わせない涼の言葉に、そんな予定はなかったが、
「ああ、九十九農園まで行くから、途中まで一緒に歩いていいか」
線路を渡って、白萩地区のゲートの前を通過すると、急に柊の足が止まってしまった。
「白萩地区に今日は泊まっちゃいけないかな。この間、涼は舞子とおばあちゃんちに泊めて貰ったって、言っていたよね」
涼と一雄が顔を見合わせた。明らかにおかしい柊の様子に、涼は意を決したように行動を始めた。
「柊、一雄とここで待っていてくれないか。ばあちゃんの部屋の鍵を持って来ないと泊れないから。悪いな、一雄。今日は部活動がないのか?」
「ああ、今日は休みだ」
「一雄、悪いけれど、自転車を貸してくれないか」
涼は一雄の自転車を借りて、大至急、桔梗学園に戻った。朝、保健室で柊の診察をしてくれた精神科の児島医師と至急連絡を取った。
「本人が桔梗学園に戻りたがらない?そうだね。今日は複数の人間で様子を見ながら、白萩地区に泊まろう。柊は、朝の暴発事件がトラウマになりつつあるね。1人にすると発作的になにをするか、わからないから、私もすぐ行く。それから、臨時宿泊所を開けて貰えるように、連絡しておく。え?柊の妹の梢ちゃん?保育施設で一晩預かって貰うよ」
打合せとその他の連絡を涼が済ませた後、白萩地区のゲートに向かうと、そこには一雄も涼もいなかった。ゲートの当番情報によると、女の子が来て一緒に入っていったらしい。
ゲートを潜ると、「ゑびすいROOM」の前で、一雄が女の子と話をしていた。
「ゲートの前で待っていなくてゴメン。暗くなってきたし、ちょうど妹がここの手伝いに来ていたから、一緒に入ってしまった」
「初めまして、妹の三津です。桔梗高校1年生で野球部員です。涼さんは以前、彼女さんとここに来ていましたよね」
色々なところに「目」はあるものである。
「今、柊さんにお願いして、中学生の勉強を見て貰っているんです。教えるのが上手ですね」
「ゑびすいROOM」の中を覗くと、柊が3人くらいの中学生に、ホワイトボードを使って、三角形の問題の解き方を教えていた。
「ありがとうね、三津さん。一雄は、今日ここで泊まれるかな?後からカウンセラーの資格のある児島先生も来るんだけれど、今日は桔梗学園から離れたところで、過ごさせようってことになって、俺1人じゃ、一晩中起きているのは無理だし、困っている」
「ああ、いいよ。三津、帰ったら、母さんに俺は『友達の家に泊まる』とでも言っておいてくれ」
「兄ちゃん、私も泊まりたい」
「何言っているんだ。もう暗いから気をつけて帰れよ」
「三津ちゃん、何の話?お泊まりかぁ、いいね。うちらも今日、両親が研修旅行で、夜は子供しかいないんだ。女1人じゃつまらないでしょ?私達も泊まりた~い」
琉の妹、琥珀と玻璃も「ゑびすいROOM」から顔を出して、早速お泊まり情報に飛びついた。
全く、若い女の子が、親の許可も得ずにお泊まりなんて、駄目に決まっている。そう一雄と涼が思っていると、
「そうだね。女の子もいて、一晩中お話をしていたら気が紛れるかもね」
振り返ると児島医師が立っていた。
一雄と涼は頭を抱えたが、3人の女子はさっさと、適当な嘘をついて、外泊の許可を得てきてしまった。6人の若者は、児島医師が借りてきた臨時宿泊所に泊まることになった。
次回は、「若者宿」的な?話になりそうです。保護者は1人ついていますが・・・。




