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切迫流産

タイトルほど生々しい描写はありませんが、創造力豊かな人にはショックかも。

 悪いことは重なるという。その日、早朝、桔梗ヶ山(ききょうがやま)に熊が出たという知らせが、桔梗村にやってきた。始めて4月入学の3人組が、猟の現場に出ることになり、応援と言うことで、蹴斗(しゅうと)鞠斗(まりと)晴崇(はるたか)も総出で、駆除に出かけた。勿論、珊瑚(さんご)村長の護衛もあるし、研究員から2名ほど猟に慣れたメンバーが駆り出された。

 本来なら始めて猟に出る3人は、山での歩き方も含めて、バイアスロンが専門の久保埜外科医や飯酒盃いさはい獣医師から、事前にみっちり教えてもらえるはずだったが、今年は雪が早いので、準備不足のまま、熊と対峙(たいじ)することになってしまった。久保埜(くぼの)は当直、飯酒盃(いさはい)は牛の出産があり、人手が足りなかった。そこで、海外でのハンティングの経験も豊富な珊瑚美子(さんごよしこ)が、今回の猟に参加することになった。


 そんなわけで、圭は朝の仕事を、京と2人で行った。地下室には無線も入る。

「緊急。銃の暴発。医療チーム待機していてください。怪我人2名を搬入。命に別状はありませんが、足に大きな怪我。1名緊急手術の可能性あり」

(けい)は、京の腕をつかんでガタガタ震えだした。

「晴崇じゃないよね」

「大丈夫だ。落ち着いて、命の別状はないって言ったよ」

京はしっかり圭の肩を抱きしめて、落ち着かせたが、圭の震えは止まらなかった。

「圭、圭。大丈夫?くそ、こんな時に」

薫風庵(くんぷうあん)、こちら薫風庵、板垣圭(いたがきけい)の様子がおかしい。産婦人科医師をこちらに寄越してください。晴崇は今朝は猟のヘルプに行っていて、地下室には四之宮京(しのみやきょう)と板垣圭の2名しかいません」


幸いなことに真子(まさこ)が、今日は薫風庵にいたので、階段を駆け下りてきた。

「圭、圭。意識がないね。どうしたの?」

「無線を聞いて、晴崇が暴発事故に巻き込まれたのではないと、ショックを受けて・・」

「真子学園長、(くが)が来ました。名波(ななみ)は分娩室の方を準備しています。碧羽(あおば)が近くにいたので連れてきました」

「ストレッチャーに乗せます。碧羽、圭をゆっくり抱えて」

碧羽は意識が半分ない圭を抱き上げて、静かにストレッチャーに横たわらせた。

陸医師と碧羽の2人の手で、ストレッチャーは、薫風庵の地下室から、直接、外に出られるドアを抜け、通路を走り抜けると、そこには救急ドローンが待っていた。ドローンにストレッチャーに乗せられた圭と陸、碧羽が乗ると、無人運転のドローンは、直接、分娩室の外の入り口に横付けされた。

 京と真子学園長は、双方の緊急事態に対応できるように、無線の前に戻った。



 旧桔梗小中学校にある保健室1も、騒然となっていた。暴発事故に巻き込まれたのは、鞠斗(まりと)と珊瑚村長だった。正確に言えば、村長を守ろうとした鞠斗の足に銃の破片が刺さったという事故だった。熊は親熊1頭だと思ったが、子熊も近くにいたらしい。思いも寄らないところから子熊が現れて、(しゅう)が慌てて銃を落としてしまったのだ。多くの人間がいる場合は、一部の人間だけが弾を込めているものだが、弾の装着に不慣れな柊は、一々弾を抜く手間を惜しんでしまったのだ。


 「鞠斗、ゴメン」と半狂乱になって泣きわめく柊は治療の邪魔と言うことで、涼は柊を担ぎ上げて、(りゅう)と共に、体育館脇の保健室2に、柊を隔離しに行くことになった。精神的に不安定な柊の、衝動的な行動への対策でもあった。その途中で、分娩室から戻ってきた碧羽(あおば)に出会った。


「『鞠斗、ゴメン』って、事故に遭ったのは鞠斗なの?」

琉が動揺する碧羽の肩を抱えて、

「大丈夫、暴発した銃の破片が足に刺さっただけだから、今摘出手術をしているよ」

「どこで手術しているの」

「保健室1,旧桔梗村小中学校跡だよ」

「連れていて」

動揺する碧羽を見て、涼が琉に(あご)で指示した。「ここで鞠斗のことで騒ぐ碧羽がいれば、ますます柊が動揺する。碧羽を保健室のそばまで連れて行け」という意味だ。


琉は妹たちにするように、自分より背の高い碧羽の背を()でながら言った。

「じゃあ、俺が鞠斗のところまで連れて行くけれど、大声で騒がないと約束できるかな?

周囲の状況を見てね。話が分からなかったら、連れて行けないよ」

その言葉で、碧羽は、何故、いつも冷静な柊が泣きわめいているのか、理解した。


「ところで、碧羽は、どうしてここにいるの?」

「圭さんが、切迫流産を起こして、今分娩室に運んだ帰りなんです」

「切迫流産って?え?早くない?双子だからまだ、母胎にいないと行けないのに」

「無線を聞いて、事故は晴崇さんだと勘違いして、ショックを起こしたみたいです」


保健室1に碧羽を連れていった琉は、廊下で待機していた晴崇を見つけて、圭の話を耳打ちした。晴崇が血相を変えて、分娩室に走って行ったのは当然のことだった。



保健室1の廊下には、蹴斗と五十嵐瑛(いからしあきら)他、数人の警察官が立っていた。

処置が終わって、珊瑚村長が保健室から出てきた。

「申し訳なかったわね。もう私も猟に出ない方がいい年になったかな。鞠斗の容態は後で知らせてください。」そういって、外で待っていた警察官と警察署に事情聴取に向かって行った。蹴斗も目撃者と言うことで、別の車両で警察署に向かっていった。


 残された五十嵐瑛は、手術が終わった鞠斗の事情聴取をするために残っていた。

「碧羽ちゃんだっけ?」

「はい」

「どうしたの?」

「鞠斗さんは大丈夫ですか?」

「医者じゃないから、大丈夫とは言えないけれど、命に別状はないとは言えるね」


保健室1のドアが開いた。久保埜(くぼの)外科医が顔を出した。

腰椎麻酔(ようついますい)だから、意識はしっかりしている。今、軽く事情聴取する?」


久保埜医師は、廊下に碧羽がいるのを見て、

「碧羽さん、どうしたの?鞠斗君のお見舞い?1時間くらい待たないと会えないよ。それでも待つ?」

碧羽は、こくりと(うなず)いた。



 碧羽は廊下に膝を抱えてしゃがみ込んだ。

半分うとうとしていると、保健室のドアが開いて久保埜医師が、鞠斗の車椅子を押しながら出てきた。期待していた晴崇がいないので、碧羽に向かって言った。

「まだ、麻酔が()いているんで、あまり動かせないんだけれど、柊が心配だから会いに行きたいんだって、連れて行ってくれる?柊は、体育館の脇の保健室2にいるから」

「はい」


 車椅子の鞠斗は左足を包帯でぎっちり巻かれ、顔色は少し青かったが、落ち着いた口調で久保埜医師に振り返って言った。

「先生、碧羽の顔を拭くタオルありますか?」

「はいはい。上着の代えも必要だね」

久保埜に渡されたタオルで、顔を拭くと、今まで涙で張り付いていた(まぶた)が開くようになった。そして、圭を抱えた時についた血で、左腕が真っ赤だったことにも気がついた。


 鞠斗は、ごく自然に碧羽に語りかけた。

「晴崇がここにいたはずなんだけれど、どこに行ったか知っている?」

碧羽が、かいつまんで圭の切迫流産の件を話した。そして、それを伝えたら晴崇が、血相を変えて分娩室に走って行ったと知ると鞠斗はつぶやいた。


「あいつにしては、珍しいな」


「それにしても碧羽は、ちょうどいいところにいたね」


「うん。京さんも真子学園長も事件が2つ重なったから、無線から離れられなくて、私がたまたま陸医師とお会いして、お手伝いしました。

お姉ちゃんや舞子ちゃんも、聞いたらショックを受けちゃうから、すべてが分かるまで、知らせないそうです。あの鞠斗さんの足は・・・」


「大丈夫だよ。破片がいくつか足に刺さったけれど、すべて摘出したし、レントゲンで確認したけれど、細かいものは入っていなかったらしい。(けん)も筋肉も大きく損傷していないから、抜糸(ばっし)したら、普通に歩けると思うな」


 「良かった」碧羽はまた涙をこぼした。

「碧羽は圭のことでそんなに泣いたの」

「馬鹿ですか?」

「馬鹿呼ばわりするな」

「泣いたのは、鞠斗さんが無事だったからなのに」

「はいはい。もう(だま)されませんよ」

そう言いながらも、鞠斗の慇懃無礼(いんぎんぶれい)な口調は、大分(くだ)けていた。鞠斗が碧羽に対して持っていた嫌悪感は、知らず知らずのうちに、薄れていたのだ。



「柊、元気か?心配掛けたな。足はちょちょっと縫っただけなんで、1週間したら抜糸できるよ」

保健室2で、涼に抱きついて半狂乱になっていた柊は、鞠斗の元気な顔を見て、また泣き始めた。

「ほら、もう泣き()めよ。事故だったんだから、柊は全然悪くないよ」

涼も鞠斗と一緒に、柊を慰めた。そこには、いつもの計算機のように冷静な柊ではなく、小さな子供のように泣きわめく柊がいた。


「そうだよ。引率していた俺たちがもっと注意していたら、初心者の柊が後ろからもう1頭の熊に襲われるなんてへまはしなかったよ。本当に悪かったな。村長は転んですりむいた怪我だけだったし」

「落ち着けよ。もう少ししたら、警察の事情聴取に行かなきゃならないんだから。よし、一緒に風呂に行って、着替えようぜ」

やっと解放された涼の服は、土と柊の涙でドロドロだった。


 涼は車椅子を押しているのが碧羽で、少し違和感があった。

「晴崇じゃなくて、碧羽ちゃんが車椅子を押してきてくれたんだ」

碧羽は柊に聞こえないように、涼に圭のことを耳打ちした。圭同様に、舞子や紅羽(くれは)も事故のことを聞いたら、涼や蹴斗のことを心配して動揺することは、容易に想像された。

「碧羽ちゃん。圭の様子が分かったら、後で教えてね」


「鞠斗さんを保健室1に戻したら、すぐ行きます」

「いやいや、この流れなら、そのまま分娩室に行った方がいいだろう」

「分娩室に行くんですよ。鞠斗さんは男ですから不都合じゃないですか?」

「晴崇も男だ。分娩室の廊下にいるはずだ」



 碧羽が、鞠斗の車椅子を押して分娩室の前に行くと、放心して椅子に座り込んでいる晴崇がいた。

「大丈夫か?」


晴崇が、意識を取り戻したような声で答えた。

「圭は、今、点滴をしながら寝ている。圭も赤ちゃんも大丈夫だ。圭はこのまま出産まで、入院するけれどね。鞠斗は大丈夫?手術終わったんだよね。ゴメン。廊下で待っていなくて」

「ああ、俺は足から3つの破片を取り除いたよ。もう破片はないと思うし、歩行に支障もないから、抜糸したら通常営業だ」


鞠斗は車椅子を押している碧羽に、さも緊急の要件のように依頼をした。

「碧羽、多分、紅羽達は情報が集まる食堂にいると思うから、圭の様子を知らせてきてくれ。帰りは晴崇に押して貰うから、ありがとう。助かったよ」



碧羽の後ろ姿を見ながら、鞠斗は晴崇の背を撫でながら言った。

「大分動揺しているな。圭と付き合っていることは知っていたけれど、そこまで本気だとは思わなかったよ」

晴崇が頭を抱えて絞り出すように言った。

「圭のお腹にいるのは、俺の子供なんだ」

「やっぱり。今日のお前の取り乱し(よう)を見て、そう思ったわ」


「言いたくなければ12月まで待つけれど。話して楽になるなら聞くよ」


合理的で、時に人を傷つけることも厭わない晴崇とは思えない男がそこにいた。


「俺、ずっと前から、ドローンレースで活躍している圭に憧れていたんだ。蹴斗と一緒に、個人的に匿名で会話もしていたし。それで、東京でオフ会をすることになったんだけれど、圭は再婚した連れ子のお兄さんのところに泊まるって言っていたんだ」

「その義理のお兄さんのこと、圭は好きだったのか?」

「いや、よく分からない。でも、心配だから、圭のスマホのGPS情報をハックして、駅で待ち伏せしていたんだ」

「立派なストーカーだな。そう言えば、1回だけ珍しく、お前が上京したことがあったな」

「うん。始めて上京した。駅で、圭はお兄さんと会ったんだけれど、彼女が来るって、泊まるのを断られていたんだ。それで、渋谷当たりをあの銀髪でふらふらして、危なかったんでうっかり声を掛けてしまった」

「『さっきオフ会で会った晴崇です。もう少しお話ししませんか』とか」

「ほぼほぼ正解。勿論、ハンドルネームで名乗ったよ。でも、人の弱みにつけ込むって、卑怯だと思いながら、このままでは、名も知らぬ誰かに連れ込まれるよりいいとその時は思った。それで、俺の泊まっているホテルに一緒に行った」

「高級ホテルだろうな」

「そんな安宿に泊まる勇気もないし、路地裏も道が分からないから、駅のすぐ近くのホテルに泊まっていたんだ。ベッドだって、一人で泊まるって予約したのに、何故か2台あるような、でかい部屋を借りていたんだ」

「それ、1泊2万円くらいするところだろう?」

「よく分かるね」


「そこで、寝ている圭に襲いかかった?」

「まさか。いや、なんか悩みとか聞いているうちに、なんとなく合意の上で。でも、俺は変装も兼ねて、髪もスプレーで染めていったし、服装も着慣れないパンクな格好で行ったから、4月に会った時も圭には気づかれなかった。思い出して貰えなかったんで寂しかったけれど、少しほっとした」


「は~あ。生まれた子供がお前に瓜二つだったら、言い訳できないよな」

「いつ、どうやって言おう?」

「俺は年下の女の涙にコロッと(だま)される、見た目28歳の童貞男だぞ。相談は・・・涼しかいないな。仲間(うち)で経験者はやつしかいない」



どたどたと病室の前の廊下を走る音がした。

「あっ。紅羽と舞子が来た」

晴崇がいつもの仮面を被って、しっかり座り直した。もう一つの秘密を聞いていなかった鞠斗はダメ元で食い付いた。

「京の話は何なんだ」

「それは、京が話したい時に言うよ。無理に聞き出すなよ。あいつの『兄』として忠告する」

「わかった」


壁に耳あり。障子に目あり。秘密の話は個室の中で。


ついに圭の子供の父親が分かりましたね。

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