桔梗学園入寮日
バスが到着した場所は、旧桔梗小学校の木造校舎の前だった。舞子や涼の親の世代が通っていた小学校らしい。桔梗高校の生徒の大部分は、少子化のあおりを受けて、バスでN市中心部にある3校が統合された小学校に通っていた。
バスを降りると紅羽よりも背が高い、アフリカ系のハーフと思われる青年がいた。長いドレッドヘアを後ろに一本に結んでいて、それぞれの束がほうきの柄のように広がっている。白いTシャツに洗いざらしたGパンで、陽気な笑顔で表れた。
「蹴斗君?久し振り。校舎の方に来たのは何年ぶりかしら。木造校舎の方も大分リノベーションしたのね。」と智恵子が青年に話しかける。
「知恵子さんが最後に来たのはコロナ前の新校舎完成した年でしょ?僕は小学生だったじゃないですか」
「うん、あの頃と比べると、君は2倍くらいになったかな。」
「それじゃ化け物です。」
「では紅羽ちゃん、みなさん。私は先に学園長のところに行きますね。蹴ちゃんについて行ってね」
知恵子は勝手知った道であるように、小学校の体育館の方へ歩いて行ってしまった。
蹴斗は体育館に向かわずに、玄関の中をまっすぐ進んでいった。
蹴斗は歩きながら自己紹介をした。
「自分、一村蹴斗といいます。シュートはサッカーじゃなくて、バスケットのシュートに因んでつけられました。母がこの学校の1期生なので、桔梗学園生まれ、桔梗学園育ちです。18年ここにいますので、生き字引と呼んでください」
蹴斗の存在は3人の男子に勇気を与えた。柊がまず口火を切った。
「蹴斗さん、僕の母もここの1期生なんです。旧姓、星椿と言うんです。僕は狼谷柊。狼の谷って書きます。
桔梗学園で産まれた方は、みんな桔梗学園にいるのですか。そういう方で男の方は何人ぐらいいらっしゃるのですか」
蹴斗は笑いながら「後で詳しく話すね。まずは健康診断ですので全員こちらにお入りください。妹さん達も一緒にどうぞ」
最初に新入生が連れて来られたところは、玄関を上がって正面の「保健室1」と表示のある部屋だった。入ってすぐの所には、飛行場の手荷物検査場にあるようなゲートがあった。
「こんにちは。入学前に少し検査します。まずは、そのままゲートを潜ってください。」と30歳前後の女医が言った。通過する時、桔梗バンドが少し光った。
「熱なし。危険物の持ち込みなし。オッケーです。服についている鋲やチェーンも大丈夫だから、板垣さんもそのまま入ってね。」最後に女医は黒ずくめの少女に声をかけた。
黒ずくめの少女は、板垣と言う名前らしい。彼女はゲートを通過後、女医に質問した。
「このバンドは個人認証するためのバンドですか?」
女医は答えた。「建物や部屋に入るための鍵でもあるし、個人認証としても使います。そして、みなさんの健康データを測る機能もあります。みなさん、妊婦さんですから、脈拍や体温、心拍数だけではなく、採血なしで血液データも測れます」
板垣は「尿検査代わりにはならないですよね」と突っ込む。
「それはトイレでチェックされています。」
柊が「え?おしっこのデータもトイレに行くたび、毎回取られるのですか?」と大きな声を出した。
保健室内にいたもう一人の女医が「学校のシステムはオリエンテーションで説明されるから」と話の流れを止めた。
保健室の検査が終わった後は、みんな自分の腕のバンドを見て、「自分たちはモルモットとしてここに連れてこられたのではないか」との疑念を抱いたようで、口数も少なくなっていった。蹴斗はそんな生徒達の不信感を関知せずに、ずんずん校舎を進んでいった。
旧小学校校舎の廊下をまっすぐ進むと、屋根のある長い渡り廊下を進む。
渡り廊下から、子供達が遊ぶ園庭が見える。幼稚園や小学校の遊具のようなものは全くなく、大きな丸太が無造作に転がしてある。木登りをしている子も見える。ゴールデンレトリバーやビーグルとじゃれ合っている子供もいる。木の上で、本を読んでいる高校生ぐらいの少年もいる。瑠璃は遊びたくて、しきりに琉の腕を引っ張る。
「瑠璃、駄目だよ。今日はお兄ちゃんの言うこと聞いて」
蹴斗がそれに気づいて、振り返ってしゃがみ込んで、瑠璃に話しかけた。
「遊びたい?お兄ちゃんと離れちゃうけど、いいの?」
「遊びたい」
蹴斗はちょっと首をかしげて、木の上の少年に声をかけた。
「晴崇、この子達を今日の保育係に預けてきてくれる?俺たち、これから薫風庵に行くんだ。その後は、東棟B2で鞠斗と2人でオリエンテーションだから」
晴崇と呼ばれた少年は、木から軽々と飛び降り、新入生のそばに来た。オーバーサイズの黒いTシャツを着て、目が隠れるような前髪なので、少年のように見えたが、近くに来ると175センチ以上はある身長に口元にうっすら口ひげも生えている青年だった。
晴崇は何も言わず、柊の抱っこ紐のバックルを外し、優しく梢を受け取り、少し前屈みになって空いた手で瑠璃の手を引いて旧小学校の校舎の方に連れて行った。
不安そうな柊と琉に向かって、蹴斗は安心させるように言った。
「小学校の中に屋内保育施設があって、夕方まで2人とも一緒に預かってくれるよ。オリエンテーションが終わって、夕飯食べたら迎えに行こう。
それに、これから行く薫風庵も東棟へもかなり歩くから、小さい子が一緒だと大変だ」
柊が「晴崇さんも、ここで産まれた方ですか?」と聞いた。
「さっきの質問ね。1期生の子供をここではファーストチルドレンと言うんだけど、その中で、ここで働いているのは、自分と晴崇と、この後自分とみんなにオリエンテーションをする鞠斗の3人が男だね。2期生以降の子供もいるけれど、農園に行ったり、分校の方に行ったりで、桔梗学園の内部で働いている男は10人もいないかな?」
「あの竹林の奥の坂を上ったところに、五十嵐真子学園長がいらっしゃるので、頑張って上ろうね」
巨大な新校舎脇をぐるっと回って、遥か遠く小高い山の上の、さらに奥を指して蹴斗が言った。ここへ来て、琉が音を上げた。
「まだ歩くんですか。その上あの坂を上るんですか。今日はこの後も新校舎に戻って地下2階まで行くってさっき言っていましたよね。妊婦さんには辛くないですか」
琉は愚痴るが、今日来た妊婦は板垣を含めて3人ともまだ疲れた様子もなく涼しい顔をしている。男性陣も涼は勿論、実は柊も将棋部とバドミントン部を兼部していたのでそこそこ体力があるのだ。
「ここに来る妊婦さんの大部分は、運動経験者なんですよ。それに妊婦になれば運動を辞めざる人が多いので、日常生活でなるべく歩くように校舎が作られているんだ。勿論、切迫流産や障害のある人、高齢者のために移動手段も用意していますけれどね。見ますか?」
「D2、COME HERE」
蹴斗が桔梗バンドにコマンドを語りかけると、小学校の体育館の屋根が開いて、1台の銀色に輝くドローンがまっすぐ飛んできた。ドローン特有の大きなプロペラ音はせず、静かに新入生の前に着地して、「D2」と書かれた上部のハッチが自動的に開いた。中には2人用の座席があった。ロボコン部の琉は目を輝かして中をのぞき込んでいるが、それにもまして興味津々なのが板垣圭だった。
「どうぞ、圭さんは運転できるんですよね。琉君を薫風庵まで運んでくれますか。まあ、薫風庵の座標は、メニューにありますので自動運転ですが」
板垣圭は、ドローンの運転席に飛び乗り、琉を手招きした。琉がもたもたと乗車すると、圭は迷わずハッチを閉じるボタンを押し、まっすぐドローンを上昇させた。そして琉の叫び声を閉じ込めたドローンは、あっという間に薫風庵の庭に2人を運んだ。残る4人もUFOを見つけた子供のように、ドローンを走って追いかけた。坂道は彼らの好奇心の前には、何の障害にもならなかったようだ。
蹴斗も肩をすくめてから、ゆっくりと大きなストライドで、慣れた坂道を駆け上がった。