盆踊りの夜
薫風庵の着付けは、30分刻みで高校生がやってきて、さながら戦場のようだった。
「最初は、久保埜万里、笑万です」
蹴斗が入ってきた高校生の名前を読み上げ、用意していた浴衣を悠子に渡す。悠子は脱いだ服を籠に入れさせ、金魚柄のステテコを渡す。腰巻きは高校生には扱いづらいとソーイング部が商標登録した「ステテコ」だ。久保埜姉妹は裾を切らなくても背が高いので大丈夫だが、小さい子は足の長さに合わせて、裁ちばさみで裾を切ってしまう。それでも裾がほつれないのが、売りだ。ウエストは紐で調節できるので、どんなサイズでも対応できる。
「ステテコは赤と白、どっちがいい?赤は色っぽいわよ」
悠子にそそのかされて、二人とも赤を選んだ。浴衣は勿論、戎井呉服店に大量にあった金魚柄。身長に合わせて、張りのある兵児帯を大きく膨らませて結んだ。
それを見て、蹴斗はつぶやいた。
「あの2人で、ステテコがジャストサイズなら、あれより大きいのはどうするんだ」
耳のいい舞子が聞きつけて、ニヤニヤした。
「蹴斗、紅羽のことだったら心配しなくても大丈夫。外国人でも紅羽でも大丈夫なように、ステテコの替わりに穿くプリーツスカートもあるの」
蹴斗は慌てて言った。
「紅羽の心配ではなく・・・あの俺たちのような大きいサイズの着物はないなという話」
それには松子が答えた。
「190cm超えた人の浴衣も縫ってあるわよ。2反使って、縫ってあるのよ。流行を取り入れて、片身代わりで縫ったの」
色の違う反物を使って、左右の色や柄が違うもので組み合わせた着物が、用意してあった。
「かっこいい。幅のある人も、スマートに見えるね」
「舞子ちゃんのは、涼君のとお揃いで、結婚祝いを兼ねて、片身代わりのを作っておいたの」
涼ははしゃぐ舞子を見て、お揃いなんて勘弁してくれと言うように目を覆った。しかし、実物は桔梗の模様が共通するだけで、よく見ないとお揃いと分からないような浴衣なので、少しほっとした。
「次は、駒澤賀来人とあれ?越生五月。ああ、高校生がついていれば中学生も盆踊り行けるんだな。賀来人、いつの間にそういう関係になったんだよ」
蹴斗に突っ込まれて、賀来人は涼しい顔をして、答えた。
「越生のお母さんに頼まれたんだよ。Mバーガーで釣られた」
そんなことを言っているが、着物を着た賀来人は、まんざらでもない顔で、白地に赤い金魚柄の浴衣を着た五月と祭りに出かけていった。
「青春ねえ」
悠子が目を細めてみていた。
「次は、オユンとマリア」
「明日の花火より、今日の盆踊りをしたいので、越生さんに子供を預かって貰いました」
マリアはそういうと、オユンと嬉しそうに着付けて貰っていた。マリアはプリーツスカートを下に穿く着付けが気に入ったらしく、何度も回って見せていた。オユンは逆に、正統派の着付けをしてもらっていた。帯も半幅帯を変わり結びにしてもらって、下駄まで履いていた。
「大丈夫?坂道を上り下りするんだよ」
2人を案内するのは、三川杏だった。
「大丈夫。慣れているから。マリアのサンダルの方が、ヒールがあって大丈夫ですか?」
子供がいても、みんな二十歳前の、お洒落のために、頑張る乙女だった。
着付けは、盆踊りが始まる直前まで続いた。
「松子さん、悠子さん、お疲れ様でした」
そう言って、蹴斗は2人に籐椅子を勧めた。
「ねえ。折角だから浴衣着て、ちょっと盆踊り見に行かない?」
舞子が涼に言った。
「舞子、明日花火を見て、双方の家族で夕飯を食べるって約束だろう?今日は疲れているから、早く休め。ほら、寮まで一緒に行こう」
「けち」
「あら、もう夫婦喧嘩?」
松子が心配して聞いた。蹴斗が松子の耳元でささやいた。
「舞子さんは甘えているだけです。気にしなくて大丈夫ですよ。それより、お二人こそ、ご自宅に送ります。帰ってきた生徒の着物ぐらいは、自分たちで畳めます」
「そうね。今晩は、着物ハンガーに吊して汗抜くので、あなた達でも大丈夫ね。松子さん、蹴斗君に送って貰いましょう。夜のドローンって、私初めて乗るの。楽しみだわ」
悠子は、疲労の色が濃い松子を促して、蹴斗の運転していくドローンで帰って行った。
留守番は舞子と涼の二人だった。
「みんな出かけた?」
晴崇と京が地下の部屋から上がってきた。
「お握りでもいいか?」
晴崇が2人に声を掛けた。京は2階の鞠斗を呼びに行った。
今年できたての梅干しを入れた、お握りは疲れた体に嬉しい塩味だった。
2階から下りてきた鞠斗に、舞子が声を掛けた。
「昼間のこと、ゴメンね?」
「え?何のこと、さっさと2階に上がらないと手伝わされるから、脱出したんだけど」
鞠斗は、昼の話をぼんやり思い出しながら答えた。
「晴崇、塩昆布もあったよね」
京が晴崇に声を掛けた。
「自分で握れ」
「私が握るよ」
舞子が台所を漁りに行った。
「塩昆布とシーチキンもあるね。大葉もあるじゃん。蹴斗も帰ったら食べるんだよね」
舞子は梅以外のお握りを、いくつか握ってきた。
「ここいいね。和むわ」
そう言って、お腹がいっぱいになった舞子は、今の畳の上で、涼の膝を枕に寝てしまった。
「お熱いことで」
晴崇に構われたが、涼は気にせず答えた。
「最近、すぐ眠る。妊婦の体調は俺にはよく分からないんで、やりたいようにさせているんだ」
「なあ、あんまり2人で話すことないから、聞いていいか?」
晴崇が珍しく涼に立ちいったこと話しかけた。
「お前らは、舞子が出産して、舞子の大会が終わってからの計画ってどうなっているんだ?」
晴崇の意図を図りかねた涼は、逆に質問を返した。
「逆に、晴崇は真子学園長に何か、言われているのか?」
「俺と鞠斗と蹴斗は一緒に、学園長に呼ばれて、桔梗学園の将来構想について、話を聞いた。紅羽と舞子と柊は、体育祭の時、大食堂で総会に参加したろう?その後、直接、学園長から何か話があったのかと思って」
涼は、晴崇と鞠斗、それから少し離れたところで聞き耳を立てている京の顔を見回して、しばらく考えた。そして言葉を選びながら、話し出した。
「つまり、お互いに情報共有しようと言うんだろ」
「まあ、そういうわけだ、お互いが憶測で動いていると、自分たちの身の振り方を考える時、判断ミスをしかねない」
「まあ、4月入学の6人について、俺の知っていることを話せと言われても、正直に言うと俺には、舞子が体育祭の時、『食堂に何の集会か分からないけれど呼ばれた』と教えてくれた以降の情報はない」
「じゃあ、涼は桔梗学園に残りたいのか」
鞠斗が質問した。
「俺はもう少し、柔道をしたいので、剛太が『同じ実業団のチームで試合をしよう』と言ってくれたのは、嬉しかった。ただ、ここに残るなら、研究員として研究テーマが必要だとは思う。実は今、俺はシスターコーポレーションに興味がある。男性が子連れでも、仕事をするには男性の『ナニー』がいるのではないか。そのシステムを作れないか。そのためには、まずは保育士の資格を取らなければならないかとも、思っている」
「それは舞子に言ったのか?」
「今言った。起きているんだろ?舞子?」
「バレたか?」
舞子はむっくり起き上がってきた。
そして、舞子は自分の話を始めた。
「涼に言ってなかったけれど、紅羽と柊と3人で、真子学園長に呼ばれたんだよね。
私には学園の運営を将来的にやって欲しいって言われた。真子学園長の代わりってことだよね。珠子さんの代わりは剛太君。美子さんの代わりは柊にしたいと考えているって」
鞠斗が疑問を呈した。
「村長代理じゃなくて村長を、柊にさせたいって言ったのか?」
「柊は即、断ったけれどね。政治に興味はないって」
「紅羽には外部との交渉、つまり俺の代わりをして欲しいと言わなかったか?」
鞠斗は今までため込んでいた疑問を吐き出した。
「いや、紅羽にはなんかシークレットミッションがあるって。それは出産後に話すって言っていた」
「晴崇、それに関して、知らないか?」
情報部門のかなり深い話まで知っている晴崇に、鞠斗は水を向けた。
「知らないな。真子ちゃんが、今、スウェーデンとオーストラリアに分校を作ろうと奔走しているのは知っているけれど」
鞠斗は目を落としていった。
「そこに最終的には俺と蹴斗が行くことになっている」
「そうだね。でも、それぞれ誰かを連れていくことには、なっているみたいだよ」
晴崇が新たな情報を開示した。
「でも2年後に、俺がスウェーデンで、蹴斗がオーストラリアに別々に行くんだろ?」
「寂しいか?」
図星を突かれて、鞠斗は晴崇に反撃した。
「お前だって、京と分かれて海外に行けって言われたらどうする?」
「俺は京の気持ちは分からないが、その2校のシステム構築のため、海外赴任するのは全然ありだな。そろそろ外に出たい気持ちは持っている」
「私も晴崇とおんなじかな?修学旅行に行った時、別に桔梗学園に閉じ籠もっていなくても大丈夫って、思ったんだよね。海外もいいね」
鞠斗は、自分だけが現状維持にこだわっていることに気がついた。そして、自分一人が被っていた多くの仕事は、他に譲ってもいいのだということに気がついた。
涼が寂しそうに話に加わった。
「今の計画に、俺と圭と琉が入っていないなぁ」
「いいじゃない。好きに自分の進路を決めていいってことだもん」
舞子の言葉に涼は答えた。
「舞子は、学校経営をする話は受けたのか?」
「分校と対等な立場の経営なら、いいかなって思った。分校をすべてまとめて管理しろと言われるときついけれど。でも、それは涼にも、手伝って欲しいという話ではないよ。ずっと涼に我慢して貰って、私の補助をして欲しいとは思っていない」
外にドローンの着陸音がした。蹴斗が帰ってきた。
「蹴斗、お握りあるよ」
舞子が手を洗った蹴斗に、お握りの皿を渡した。
「ありがとう。お腹すいていたんだ。みんなお話も聞いていたよ」
「悪い。蹴斗抜きでこの話をするのも、どうかと思って、蹴斗にも聞こえるようにマイクを入れておいた」晴崇が頭をかいた。
鞠斗は「蹴斗と離れて寂しい」などと話さなくて良かったと、胸をなで下ろした。
「下の方から、盆踊りに言った連中が上がってくるのが見えたので、この話は今日は終わりだな。ただ、話があった後、俺は一人で学園長に頼みに行ったんだ。『海外に行く時、誰か連れて行っていいなら、自分に選ばせて欲しい』って、そうしたら学園長は『相手が了承したら、他の仕事に就いている人を引き抜いて連れて行ってもいい』って約束したんだ」
鞠斗は、蹴斗が連れて行きたいのは、紅羽なんだろうなと寂しく思った。