桔梗学園岐阜分校に戻って
最近、気温が30度程度だと、「今日は涼しい」と思ってしまいます。でも、外で働いている方は、暑いでしょうね。熱中症に気をつけてください。
「ただいまぁ。負けちゃいましたぁ」
佐藤颯太が明るい声で、岐阜分校のバス降り場で待っていた女子チームに報告した。
「見ていたよ。盗塁を刺されて笑いものになっていたじゃん」
蛇のような目に笑みを浮かべて、練習試合で3番目にピッチャーをやった少女が皮肉を言った。
「さあ、待っていたよ。もっとズタボロにしてあげるから、グランドにおいで」
3時間後、桔梗高校野球部は、今度こそゆっくり温泉につかった。
「やばかった。彼女たち、来年甲子園に出たら、優勝しちゃうんじゃない?」
3年の重圧から解き放たれた一雄も、珍しく軽口をたたいている。
「見た?俺、蛇目のお姉ちゃんから、ヒット打ったぜ」
健太も遠慮なく言い放った。
「見たぜぇ。あの大きなお姉様に外野からレーザービームみたいな投球で刺されたのも」
1年生も、3年生の話題に遠慮なく入ってきた。
「俺も見たぜぇ。味方なのに、一雄先輩が刺されたら、健太先輩が拍手して喜んでいたでしょ?」
みんながはしゃぐ中、雄太だけが何も言わず、脱衣場に上がって行った。
「雄太先輩。どうしたんですか?」
「あ?颯太か。お前、この5日間の練習どう思った?」
「多分、同じことを考えていました。彼女たちは、来年までこの練習ができるんですよね」
「1年後に俺たちはどうなる?桔梗高校の1年に可能性がある奴が、たくさんいるって思っても、それを伸ばす練習はさせてやれない」
「帰りのバスの中で、三津と明日華は、岐阜分校に転校したいって言っていました。でもコーチが、『誰でもここに入れるわけじゃない。まして妊娠したから入れるって訳でもないから、変な考えは起こすな』って言っていました」
「そうだよな。紅羽さんも舞子さんも、オリンピッククラスの選手だったもんな。ここに入学できる人はレベルが違うんだ」
「ん?紅羽さんと舞子さんって、桔梗学園にいるんですか?」
「あ・・・・。何でもない。今聞いたことは忘れてくれ」
雄太は、そそくさと風呂を後にした。
大食堂に入ると、女子チームから盛大な拍手と大変失礼な言葉で迎えられた。
「せーの。3回戦敗退おめでとう」
ただ、会場中は笑いに溢れ、風呂上がりの女性達はグランドで見るより、遥かに美しかった。
そして、なんと夕飯は飛騨牛ステーキに最高級の葡萄、勿論、保護者差し入れの幸水も並んでいた。
「今日はチートデイです。栄養に気をつけずに、食べたいもの食べてください」
雲雀の声を聞いて、女子選手は一斉に果物やデザートに群がった。勿論、男子も飛騨牛ステーキに駆けつけた。
「誰だ、あんなに可愛い子を食べられるかって言っていたのは?」
「可愛い牛ちゃんの菩提を弔うんだ」
そう言って、高校球児はステーキの列に何度も並んだ。
蛇目の少女が、監督のところに飛騨牛を運ぼうとするマネージャーを捕また。
「自分の分を食べた?」
首を横に振る3年生のマネージャーと共に、監督のところに行くと大声で、
「監督。マネージャーに自分の給仕をさせるとは何事ですか」と説教を始めた。
「いや。マネージャーは親切で・・・」
「うちの監督を見てください。自分で好きなだけ取って、一人で食べています」
そう言われた雲雀は、アイスクリームの3種盛りを前に、きょとんとした顔をしていた。
「監督?雲雀さんは野球部の監督なんですか?」
コーチがびっくりして言った。
「米納津雲雀18歳。3年前から選手勧誘、育成、データ収集、分析の責任者やっています」
「そう。だから、雲雀ちゃんが、うちらの監督です」
蛇目の少女は、雲雀に可愛く抱きついた。
「まあ、この中の誰より年寄りってことは認めますけれどね」
アイスのスプーンを止めることなく、雲雀は言葉を続けた。
「でも、たまに鞠斗にお金使いすぎって怒られます」
そばで、一緒にアイスを食べていた鞠斗が地を出して答える。
「お前は、遠征先の食事代が高すぎなんだよ」
コーチは恐る恐る言った。
「まさか、鞠斗さんも僕より年下なんてことはありませんよね」
雲雀がニコニコして答えた。
「年下で~す。今回皆さんのお世話をしたスタッフ全員18歳で~す」
「鞠斗と蹴斗は本校のスタッフ。他の5人は各分校の責任者です」
野球部全員は、全員が目を見合わせた。
「私たちも、全員16歳なの。だから来年の甲子園の出場を楽しみにしているわ」
色黒の大柄な選手が、一雄の頭をなでながら言った。
爆弾発言の後、年がさほど変わらないと言うことで、野球部員と女子チームの面々はそれぞれ気に入った仲間とデザートを食べながらおしゃべりを始めた。就寝の9時までは自由時間だ。
雲雀が、食堂の端で暗く座っている山田一雄に声をかけた。
「最後の甲子園は、楽しめた?」
一雄は雲雀に気がついて立ち上がった。
「あ、雲雀さん、本当にみなさんのお陰です。素晴らしい試合でした。これで心置きなく引退できます。弟たちは明日以降、試行錯誤してもがくと思いますが。5日間で教えていただいた技術を生かして、頑張ると思います。ところで、選手の皆さん、いつもはどのくらい練習しているのですか?」
「普通は午前3時間と夜の自由時間のトレーニング2時間。午後は普通に勉強時間だし、桔梗高校の皆さんが体験したように、朝は1時間半、牛の世話をしたり、畑に行ったりするよ」
「牛舎まではドローンで行くんですか?」
「まさかぁ。走って行くよ。それもトレーニングだから」
「あの、最後に聞きたいことがあるんですが」
「答えられることなら答えるよ」
「桔梗学園って、妊娠した人が入るって聞いたんだけれど、分校も妊娠した人が来るんですか」
「質問の意図がはっきりしないな。何が知りたいの?誰か個人の情報が欲しいのかな」
「いや、個人情報ではなくて」
「さっき、健太君にも聞かれたよ。彼の場合は誰の情報が知りたいかすぐ分かったけれど」
「答えたんですか?」
「まさか」
「そうですか。じゃあ、いいです」一雄は肩を落として、席を立った。
再度、アイスクリームを取りに行きながら、雲雀は人間関係を頭の中で整理し始めた。
(一雄も紅羽が好きなんですか?なのに、紅羽は、健太の子供を妊娠して学校を去ってしまった。バッテリー組みながら、そんな確執があったんだね。でも、見るところ、健太は一雄のそんな気持ちに気がついてはいないみたい。
健太は健太で、甲子園が終わって、紅羽のことを考える余裕が出来た。だから、私に紅羽の近況を聞いた。
その上、蹴斗も九十九剛太も紅羽さんが好き。
うわー。青春だ。
紅羽は誰を選ぶんだろう。確かに、背も高くてモデルのような体型。友達思いの上に明るくて、知的で美人。非の打ちどころがないもんね。ますます、目が離せないな)
「噂と恋バナは、女子高生のスイーツ」
分校で、女子に囲まれていると、妄想と好奇心ばかり膨らんでいってしまう。
食堂の外のベンチでは、女子チームのピッチャー3人と雄太、颯太が話していた。
「えっとまず、5日間一緒にいたのに、自己紹介もまだでしたよね。僕は佐藤颯太。1年生です。今回、3回戦、先発で使っていただき、新たな自分の可能性を発見しました。
颯太は、薄い茶色のガラス玉のように透き通った目で、女性陣に甘い笑顔を見せながら、自己紹介をした。
蛇目の少女がそれに続いた。
「私は佐曽利虹華。颯太君、その目、太陽の下だとまぶしくない?」
(目がきれいって、いうんじゃないかい?)
「目の色素が薄い外国人のような対策するといいね。アイパッチやサングラスはしないの?」
「え?1年生だから」
「出たよ。忖度。そんなことより、健康や効率を考えないかな?甲子園はまぶしかったろう?」
「ええ、まあ。佐曽利さんはアイパッチとか使うんですか?」
「私は、ここで開発したコンタクトをしてる。うちのラグビーの選手も使ってる奴で、激しい試合中でも外れないんだ。残念ながら、研究段階だからあげられないけれどね」
「じゃあ、今、目に付けているコンタクトを見せてくださいよ」
虹華の顔にのばそうとした颯太の手首を押さえて、色黒で大柄な少女が意味ありげな笑顔を見せた。
「はいはい。次は私。マリーネ水野。ここでは3番手の実力だとは思っているけれど、キャプテンを任されています」
雄太が声を上げた。
「マリーネさんが、一番上手いと思っていたけれど、まだその上がいるんですか?」
「2人とも、今、妊娠8ヶ月だから、別メニューなんだ。筋トレや細かい技術トレーニングをしている」
雄太と颯太が同時に質問の声を上げた。
「妊娠8ヶ月でも運動するんですか?」
「特別なトレーナーがいるんですか?」
二人の反応に、練習試合の最初にピッチャーをしていた、すらっとした茶髪の少女が笑いこけた。
「ユウタ ト ソウタ ノ キョウミノチガイ ガ オモシロイ。ワタシ ノ ナマエ ハ アン ミナ」
アン・ミナが片言で話すのを聞いて、マリーネがポケットから、イヤホン型の翻訳機を出した。
「あー。これ、ミナの翻訳機だったの?脱衣場に置いてあったから、誰のか分からなくて。でも日本語も大分上手になったじゃない」
ミナはイヤホンを耳に装着して話すと、翻訳された音声は地声と区別がつかないほどナチュラルだった。
「ありがとう。後で風呂に取りに行こうと思っていたけど、食事をしていたら忘れていた。そうそう、雄太と颯太の質問に答えるね。
妊娠8ヶ月でも運動はするよ。ただ、体調管理しながらだけどね。トレーナーは研究員の人がしてくれる場合もあるし、医者も運動場には必ず1人はついているから大丈夫。本校ほどじゃないけれど、ここにも常駐のドクターが5人はいるからね」
「雄太、俺たち練習していた時、グランドに医者っていたか?」
「いや、グランドに妊娠している人は出てなかったから」
「何言っているの。私をはじめ、安定期の選手が3人いたから、ドクターはいたよ。それに、桔梗学園からバスの運転してきていたドクターもいたじゃない」
雄太と颯太は、マリーネのお腹当たりをじっと見つめてしまった。そう言えば、ふっくらしているのは、脂肪でないかも・・・。
「そんなに見ないでよ。私も今6ヶ月でやっと安定期に入ったんだから。私の彼氏、果樹園で見たでしょ?」
そういえば、果樹園には外国人の労働者が何人かいたようだ。
「ということは、桔梗学園の女性と結婚すれば、ここで働けるのですか?」
「雄太、そこに『愛』はないでしょ?」
雄太は黙ってしまった。
今自分はここで野球をしたいために、女性を道具のように考えていたことに気がついた。
マリーネが話を続けた。
「因みに私の母国は結婚は15歳から出来るし、彼氏と私は夫婦として来日して、彼氏は遠い祖先の水野家の後継者として働いているので、ここには『愛』があるのよ。私は農場で働いている時に、雲雀に声をかけて貰ったからここで野球をしているの。勉強もさせて貰えるし、一石二鳥だわ」
「妹の三津も桔梗学園に入学する方法を、雲雀に色々聞いていたらしいね。山田兄妹は桔梗高校になんか不満があるの?」
虹華が雄太に尋ねた。
颯太が代わりに答えた。
「皆さんと過ごした5日間があまりに素晴らしいので、元の環境で野球をしたくなくなったんだよな」
雄太は顔を上げられなかった。颯太の言うとおりだが、第三者として聞いてみると、子供っぽいことこの上なかった。
頭上から声が聞こえた。
「そろそろ、就寝時間だよ」
鞠斗だった。女子選手は声を揃えて、返事をして立ち上がった。
「鞠斗さ~ん。どこにいたんですか?」
さっきまでの声と大分トーンが違う声で、ミナは鞠斗に話しかけながらついていった。
「し・ご・と」
鞠斗は振り返らず、食堂中の人々に声をかけながら、食器の片付けをしていく。
「私も手伝います。みんな。食器片付け手伝って」
ミナの声で、女子選手がすっくと立ち上がり、10分も立たないうちに大食堂の片付けは終わってしまった。
厨房の中から、残りの食べ物を持って、ファーストチルドレンが出てきた。
鞠斗が「今晩の『打合せ』は10時までだよ」と小声で声をかけている。
「鞠斗の慰労会なのにつれないな」
蹴斗が、鞠斗の肩に腕をかけた。
鞠斗が「重いってば」と言いながらも、ほんのり笑みを浮かべて、蹴斗の腕を肩から外さず歩き出した。
次回は、「鞠斗」目線の「鞠斗の一日」を書いてみたいと思います。