桔梗駅1時
「桔梗学園」の入学案内は入学の3日前に届いた。封筒を開けると、A4の紙1枚が入っていた。そこには以下のような記載があった。
入学おめでとうございます。入寮日は5月31日ですので、1時に桔梗駅改札口周辺に同封のバンドを装着してお待ちください。その後は案内の者に従って桔梗学園に来てください。
入学に当たっては以下の5点を了承してください。
1 学用品等、学園内で必要とするすべてのものを無料で貸与します。
2 学園敷地内は圏外です。通信機器は使えません。
3 学園敷地内は禁酒禁煙です。
4 学園外に出る場合は外出許可証を提出し、許可を得てください。
5 桔梗学園の生徒、学生の心身の安全を脅かす行為をする者は退学とします。
以上の5項目が書かれているだけで、持ち物については何も書かれていなかった。しかし、桔梗学園に入学する者は大抵、禁止されていないものは持ち込んでよいと考える楽天家が多い。
そして、封筒にはもう一つ、2センチ程度の幅のバンドが入っていた。色は紫で、表面に桔梗の紋が入っていた。腕に巻き付けて止める金具のようなものはないので、巻き付けてもするっと落ちてしまう。しょうがないので、封筒に入れて持って行くことにした。
桔梗駅12時30分
榎田涼が一人で駅に到着した。荷物は遠征に行く時に持っていく大型のキャスター付バック。駅近くに住んでいる榎田は荷物を一人で転がしながら来た。
今日は桔梗高校の体育祭の日で、生徒やその保護者はみんなN市にあるジャイアントスワンという競技場に集まっているので、駅に高校生は他に一人もいない。両親は涼の二つ下の妹の応援でジャイアントスワンに行ってしまった。涼はクラス対抗リレーのアンカーだったことを思い出したが、遠い昔の出来事のような気分でいた。
桔梗駅12時40分
叔母の智恵子と一緒に、高木紅羽が越後線で到着した。身長185センチの紅羽は、私服もスタイリッシュだった。黒いキャップに、コロンビア大学のロゴが入ったダボッとしたパーカーに、黒いスキニージーンズを穿いていた。紅羽も涼や舞子と同じスポーツクラスなので、お互いよく見知った顔なのだが、今日はなんとなく他人行儀に、軽く会釈をした。
桔梗駅12時45分
赤いランドクルーザーに乗って舞子がやってきた。舞子を下ろすと母の勝子はそのまま車に乗って帰って行った。舞子は母を見送る時、「お願いね」と言っていたので、この後、騒ぎそうな父親の対処を頼んだのだろう。
舞子は、涼が自分の作ったオックスフォードシャツを着ていることを満足そうに見てから、紅羽の所に柔道着が数枚入っているスーツケースを引きずって行った。
実は昨夜、涼は、舞子と持ち物について打合せをしてある。そのときに将棋部室での話を伝えてあるので、舞子は紅羽も今日来ることは知っていた。同じクラスだった2人は楽しげに会話をしている。
桔梗駅12時55分
賑やかな2人組がやってきた。狼谷柊は赤ん坊を抱っこ紐で前抱きにして、背中にマザーズバッグを背負って、7日くらい海外に行けそうな巨大なスーツケースを転がしてきた。大神琉は、3歳の瑠璃ちゃんの手を引きながら、肩から大きめな年季の入ったスポーツバックを提げていた。
「涼君、早いね。僕たち、時間に間に合わないかと思ったよ。途中で梢がうんちしちゃって。おむつ代えていたら、電車を一本逃しちゃった」
狼谷の妹は梢ちゃんと言うらしい。
友人には暴言を吐くが、TPOをわきまえている柊は如才なく、高木の近くに近寄り、叔母の智恵子に挨拶をした。
「すいません。智恵子クラークさん、遅くなって。妹の梢共々よろしくお願いします」
琉もその後に続いた。「こちら瑠璃と言います。よろしくお願いします。瑠璃ご挨拶は?」
瑠璃ちゃんはニコニコしながら、ぺこりと頭を下げた。
「6人全員揃いましたね。ではバスまでご案内します」
智恵子が言うと、桔梗高校の生徒は全員顔を見合わせた。「6人目?」
駅の向かいのコンビニエンスストアの前にいた少女が、たばこを消して、空のたばこの箱をゴミ箱に投げ込んで、こちらに向かってきた。短い銀色の髪、耳だけでなく、鼻と唇と眉にもリング状のピアスを付けた全身黒ずくめの小柄な少女だった。
いかにも遠足にでも行きそうな、カジュアルウエアに身を包んだ5人とはあまりに異質な風体にみんなたじろいだ。
少女はまっすぐ智恵子に近づき、低い声で「よろしくお願いします」と丁寧な挨拶をした。
「では皆さん、桔梗バンドを腕に着けてください」
入学案内の封筒に入っていた紫色のバンドを取り出して、再び腕に巻き付けると、不思議なことにちょうどよいサイズに腕に巻き付いて、落ちることはなかった。
智恵子はポケットから同じような、少し細くて薄い紫色のバンドを2本取り出し、梢と瑠璃の足に巻き付けた。
6人の新入生?は、智恵子に連れられて、駅のトイレの陰にある「関係者以外立ち入り禁止」の扉を開けて中に入った。扉の奥には10人ぐらい入れそうな大型のエレベーターがあり、全員で地下2階まで下りていった。
そこに桔梗学園行きのバスがあった。紫色の車体に、桔梗バンドにあるのと同じマークがついていた。もう車体の脇が開いており、荷物を入れると自動的に車体の奥に運ばれていった。
黒ずくめの少女は、最初にバスに入り一番後ろでイヤホンを片耳に入れ、携帯ゲームを始めた。
次に女子2人組が入り、子連れの男子2人が車内に乗り込んだ。最後に涼と智恵子が乗り込んでバスは発車した。バスに運転手はいなくて、自動運転車だった。小さな子供用にチャイルドシートもついていて、2人の男子は気が緩んだのか、「着いたら起こして」と涼に言うなり眠り込んでしまった。幼児を連れての外出がいかに大変か分かる。
バスは地下二階のトンネルを、静かに、しかし、かなりのスピードで進んでいった。トンネルを照らすLEDライトが後ろに飛ぶように流れていく。女子2人の密やかな話し声が聞こえるが、涼も、うとうとし始めた。
気がつくと智恵子の声が聞こえた。
「到着しましたよ。荷物はそのまま寮に運ばれますので、皆さんは下りたら、何も持たずに私の後についてきてください。あー。妹さんたちは忘れず連れて行ってください」
黒ずくめの少女が「ふっ」と鼻で笑った。
妹たちもバスの中でよく眠ったようで、ご機嫌がよかった。