桔梗学園岐阜分校その1
甲子園って応援に行くのにも大変ですね。
甲子園は、1回戦で負けるのが一番金が余るそうだ。特に初出場の上、歴史ある学校だと寄付金などが実に多く集まる。しかし、2回戦に進出すると、応援団や補欠の選手の交通費や宿泊費で、寄付金のほとんどが使い果たされる。まして、熱中症予防の観点や選手の体調管理などで、試合日程が8月下旬まで延びている現在、3回戦はお盆を挟むことになる。
保護者会長が申し訳なさそうに、野球部監督に申し出た。
「すいません。保護者会はお盆に応援に来ることはできません。親戚一同、テレビ越しに応援させて貰います」
後援会長は頭を抱えてつぶやいた。
「お盆の最中、バスで桔梗村から甲子園まで来られるだろうか。甲子園は1試合1,000万円掛かるって本当だったんだな」
ダンス部部長と吹奏楽部部長は顧問に訴えていた。
「先生、秋の大会の準備が遅れています」
「この炎天下では、楽器が駄目になってしまいます。地元高校に友情応援を頼むことはできませんか」
野球部コーチが監督に耳打ちした。
「監督、選手を連れて帰ったら、バスでも新幹線でも大会に連れてこられませんよ。お盆を挟むんですから。次の試合まで、補欠も含めて宿を取るしかないですよ」
桔梗高校野球部監督は縋るような目で、教頭の顔を見た。
「事務長は、これ以上の交通費も宿泊費も出す気はないみたいです。今までは寄付金で賄っていましたが、桔梗村からの補助もバスも2回戦までって、約束でしたし、生徒から実費で応援に来て欲しいとは言えません。3回戦まで中5日ありますから、大阪で宿を取るにしても・・・」
(勝つ可能性を考えて、計画を立ててこなかったのか?この連中は)
「こほん」
鞠斗は咳払いをして話し合う大人達の注目を自分に集めた。
「あの。バスに乗る方は何人ですか?」
「あぁ、添乗員さん少し待ってくれないか」
「いいえ、私は添乗員ではなく、桔梗村の村長の代理としてここに来ている不二鞠斗と申します」
「村長から『もし、2回戦突破して、希望するなら、野球部員を岐阜にある桔梗学園の分校に宿泊させても良い』との伝言を受けていますが」
「桔梗高校の校長に許可を貰わなくては」
教頭が慌てて、スマホをショルダーバッグから引っ張り出そうとした。
「ここに、校長名で計画書を受け取っていますが」
鞠斗が校長からの文書として出した紙には、
「いちいち職員会議なんてしていると時間をくってしょうがないから、鞠斗が考えなさい」
と、五十嵐学園長に言われて、鞠斗が立てた計画が書かれていた。
勿論、桔梗高校の校長が後で、各方面に根回しするらしいが、時間が迫っている今、教頭は腹を括ってその計画書通りに行動することにした。
「野球部と監督、コーチ以外の方は、桔梗村行きのバスに乗ってください」
教頭は、大きな声で生徒や教員に指示を出しました。
「監督は野球部を、こちらの岐阜分校行きのバスに乗せてください。3回戦まで桔梗学園岐阜分校でお世話になることにします」
その後、応援の保護者が乗っているバスに教頭は向かった。
「保護者の皆さん。3回戦まで、野球部のお子さんは、桔梗学園の岐阜分校で宿泊させていただくことになりました。食事、洗濯、学習面はこちらで面倒を見ます。ご心配なさらず、無事帰宅ください」
「あの?3回戦の応援はどうなるのでしょう?」
山田選手の母親が、身を乗り出して質問した。
「皆さん、球場まで各自で来てください。応援は野球部の補欠の子達に頑張って貰います。近隣の学校からの友情応援については、今後交渉をしていきますが、お盆のため、高校からバスを出して応援に来ることはできません」
「親は岐阜分校には行けないのですか」
1番バッターの佐藤選手の母親が粘った。
鞠斗が教頭の後ろで、首を振った。
「選手、監督、コーチまでしか受け入れられないそうです」
「洗濯や食事の世話は誰がするのですか?」
(高校生なんだから、洗濯ぐらい自分でできないのか)
鞠斗はいらいらしながら、運転手に出発の合図した。
佐藤の母親の前で、バスのドアが閉まった。佐藤の母親に向かって、バスの運転手をしている研究員が言った。
「岐阜分校には食堂も、洗濯機もありますよ」
過保護な親に育てられた子供達のバスも、岐阜方面に出発した。
教頭も学校の代表として、バスに仕方なく乗り込んだ。夫に「3回戦まで帰れなくなった」とメールを打って、深いため息をついた。生徒のいる手前、校長と詰めた話ができないので、次のパーキングで、校長に質問する内容をメモしだした。
「教頭先生、監督さん、学校に着いてからの注意事項など話していいですか?」
鞠斗が教頭の方に顔を寄せた。教頭は不安に思う気持ちもあったが、もうまな板の上の鯉の気分で「どうぞ」と言った。監督も目を伏せて頷いた。
昨年恩師である監督の引退を受けて、今年から監督になった30代半ばの監督は、この状況に冷静な判断ができていない。教頭と違って、妻にメールを送ることすら忘れて、呆然としていた。
バスの上部にあるテレビやモニターが下がって、鞠斗の顔が映し出された。女子マネージャーは、鞠斗の端正な顔に釘付けになっていた。勿論、この男が自分たちと同じ年だとは思いもしなかった。
「桔梗高校野球部の皆さん、2回戦突破おめでとうございます。私の名前は不二鞠斗と言います。桔梗村村長の代理として、また、桔梗学園のスタッフとして、この場にいます」
生徒は、今まで添乗員だと思っていた男の正体を知って、少しざわついた。
「2回戦に敗退していたなら、みなさんは、他のバスと一緒に桔梗村まで帰るはずでしたが、3回戦は今日から5日後です。ここで帰宅すると、お盆のラッシュに巻き込まれて、再度甲子園に来ることが難しいので、桔梗高校の校長先生からの依頼を受け、野球部の皆さんは、次の大会まで桔梗学園岐阜分校で過ごしていただくことになりました」
「桔梗学園」という言葉に五十沢の眉が曇った。
「また、桔梗学園は女子校なので、皆さんの行動に多少制限は加わりますが、ご了承ください」
「女子校」という言葉に、何人かの野球部員の目が輝いた。
「では、桔梗学園での過ごし方について、ご説明します。
食事は、学園の食堂で召し上がっていただきます。宿泊は外来者宿泊棟を開放します。各部屋は3人部屋です。洗濯は各部屋に、洗濯物を入れると乾燥まで終わる機械が設置してあるので、そこに入れてください。
グランド、屋内グランドトレーニング室がありますので、使用してください。勉強も桔梗高校とオンラインでつないで行うことができます。
これからの日程は、教頭先生と野球部監督に決めていただきます。ただし、予定時間以外の施設の利用はできません」
野球部監督があまりにうまい話に、不安になって手を上げた。
「料金はどのくらい掛かるのですか」
「食費や各施設の使用については、無料といたします。その代わり、みなさんに朝夕2時間ずつ、農場の手伝いなどの仕事をしていただきます。仕事内容は多岐にわたりますが、こちらで『適性に応じて』割り振ります」
(「適性に応じて」って何だ?)
五十沢健太は不安になった。
「最後に、桔梗学園での禁止事項をお伝えします。
ここは学校なので禁酒、禁煙は勿論ですが、研究施設でもあるので、内部情報流出禁止のため、電子機器の使用や撮影を禁止しております。外部との連絡のために、インターネットに接続したパソコンを1台貸し出しますので、学校との連絡にはこれをご利用ください」
愛煙家の監督も、ネット漬けの高校生もこの話には顔を青くした。
それを無視して、鞠斗は最後の言葉を続けた。
「これから、皆さんにゲスト用バンドをしていただきます」
鞠斗と補助の運転手の二人で、外来者用の緑色の桔梗バンドを、一人一人の腕に付けて回り、携帯電話を回収した。
「これがないと食堂も使えませんし、施設にも入れません」
そう言って、自分の紫色の桔梗バンドを見せ、にっこり笑った。
バスに用意されていた弁当を食べ終わる頃、桔梗交通のバスはゆっくりと、岐阜分校のゲートを潜った。入り口には、ファーストチルドレンの5人が揃って待っていた。
「鞠斗、久しぶり。蹴斗もすぐ来るって」
修学旅行以来の米納津雲雀の明るい声が、鞠斗を迎えた。雲雀が指す上空には、蹴斗の乗るドローンが小さく見えた。
「派手な登場だね。それも大型ドローンで来たよ」
九十九剛太の声に、バスから降りた野球部の面々がドローンを見上げた。
「あの大きな男の人、五十沢先輩に似てない?」
1年生のマネージャーが、3年生マネージャーにささやいた。
「あんた、誰でも五十沢君に見えるんじゃない?」
「そんなことないですぅ」
ほのかな憧れを五十沢に抱いている1年生は、かわいらしく頬を膨らませた。
岐阜分校も作りは、本校と同じ配置になっている。薫風庵に相当する「白風庵」もあるが、真子学園長が泊まる以外は、米納津母子が暮らしている。今回、ファーストチルドレンはここに泊まることになっている。
野球部の面々が温泉で汗を流し、部屋で洗濯をし、食堂で明日のミーティングをしている頃、白風庵ではファーストチルドレンのミーティングが行われていた。
米納津雲雀は、ヘルプに来ている6人に、依頼したい内容を会議用スクリーンに大きく映し出して、会議を主導した。
6人はそれぞれ、自分の得意分野に会わせて仕事を選び始めた。
「飛騨牛の世話か。お盆でバイトが帰ってしまったのか。でもここの牛舎は涼しいんだろ?」
北海道分校の陸匠海が、口火を切った。
「なるべく体が大きい奴がいいな」
「リンゴや葡萄の果樹園の仕事も今は、剪定だろう?雑な奴は嫌だな」
富山分校の九十九剛太が、贅沢を言う。
「ここのトマトは加工品も作るんでしょ?」
百々梅桃は、収穫して工場に持って行けば良い楽な作業を選びたいようだった。
「農作業以外は、子守と服作りか」陸洋海と蹴斗が目を合わせた。
「マネージャー4人はどこに配置するんだ?」
蹴斗が雲雀に訪ねると、肩をすくめながら雲雀が答えた。
「コーチに聞くと、あの4人それほど仲が良くないみたいで、かえって一緒にしない方がいいらしい。ユニホームの洗濯という大仕事がなくなって、暇になって・・」
「面倒くさい女か」鞠斗が心底うんざりしたような顔をした。
「野球部の保護者にも、子供の洗濯と食事の心配をして、ここまで来たいって主張したおばさんがいたよ」
雲雀が選手のスマホを覗いたらしく、
「佐藤って子のお母さん、途中で下りて、岐阜市で宿泊しているみたいよ」
「おい、いくらスマホの情報見えるからって」
鞠斗が嫌そうな顔をした。
「あらー。1年生マネージャーのスマホの、鞠斗の写真はすべて加工しておいてあげたのに」
「加工って、なんだよ」
「消すとバレるから、微妙に違う顔と差し替えておいたのよ」
「雲雀のお母さんがやったのか?」
雲雀の母親は、白風庵の地下で岐阜分校のセキュリティ管理を一手に引き受けていた。
「とにかく、1年のマネージャーには近寄らない方がいいね。三川杏タイプかな」
三川の名前に、陸兄弟が反応した。それを感じ取った蹴斗が二人に何か言おうとしたが、鞠斗が目で止めた。めざいとい雲雀が、すぐそこに突っ込んだ。
「蹴斗、隠さないでよ。杏は修学旅行の後、どうしているの?」
「雲雀はその手の話が好きだよね」梅桃があきれて言った。
「噂と恋バナは、女子高生のスイーツなんだから、教えてよ」
少し悩んで、みんなの圧力に負けて蹴斗が口を切った。
「無事?妊娠したよ。診察した名波医師の口から多分、陸医師に伝わったと思うよ」
陸洋海は頭を抱えた。
「でも、お前達は杏のことを正しく知らないから、一応言っておくけれど、杏は妊娠したいだけで、相手は、言い方は悪いけれど、誰でもいいんだ」
「どういうことだよ」洋海が顔を上げていった。
蹴斗は言葉を選びながら言った。
「ん~。杏は、桔梗学園に残るために妊娠したんだ。妊娠してれば、しっかりした教育プログラムがあるし、研究員として桔梗学園に残ることが出来る。九十九カンパニーにも無条件に就職できる」
「いやいや、桔梗学園に入るには、それなりの能力がある子でないと駄目なんだろう」
剛太が異議を唱える。
「ファーストチルドレンだって、桔梗学園に残れるだろう」
陸洋海も口を挟む。
「杏は自分が、ファーストチルドレンの落ちこぼれだと考えているんだ。能力が高かったお前ら5人は分校を1校ずつ任されている。さほど能力が高くなくても、俺や鞠斗は責任ある仕事を任されている」
「能力が高い5人というところには疑問があるが、そうだな、お前達2人以外も、晴崇と京は、能力としては異常なものを持っているのは確かだ」
陸匠海が考え考え話す。
「なのに、杏は今年になってやっと、施設長を任されるようになった。でも、ミスが多いので、いつスタッフから外されるか、ビクビクしている」
「あいつ、言わんでもいいこと言うし、秘密もペラペラしゃべるよね」
楽しそうに雲雀が言う。
「それで、妊婦になることを選んだって訳か?妊婦なら学園から追い出せないって?それこそ考えなしだ」
そこで、全員が言葉に詰まってしまった。今まで、単なる「男好き」としか考えていなかった杏が、抱える深刻な悩みに誰も気づいていなかったのだ。
しばらくして、陸洋海が小さい声で言った。
「それでも、俺が杏を好きだと言ったら?」
「キター。美味しい展開ですね。恋バナは終わっていなかったのですね。期待していますよ。では、その後の仕事分担を、AIに提案して貰いますので、異議のある人はいますか」
雲雀はニコニコしながら、打合せを続けた。
本当にやばい人は雲雀かも知れないと、全員が深いため息をついた。
最後は、杏ちゃんの噂話で終わりましたね。次回は、岐阜分校での野球部の1日をお伝えします。