訪問者
訪問者と襲撃者?ですかね。女は怖いって話でした。
午前6時は、桔梗学園の起床時間だが、田舎の高齢者の朝はそれよりも早いようだ。
宿泊施設の黒電話が鳴ったのは午前5時半だった。
ジリーン、ジリーン
その時間起きているのは、通常昼夜逆転の京だけだった。聞き慣れない黒電話の着信音に、半分寝ぼけた京が出ると、
「あんれま、やっと出た、昨日の騒ぎでみんな帰ってすまったと思ったすけ。わし、村長のカカのタズだぁ」
ほとんど聞き取れない訛りに、京がパニックを起こし、晴崇を起こすために男子部屋に入ろうとすると、入り口近くにいた瑛に蹴躓いてしまった。
「はあ?京?どうしたの?こんな朝早く」
「あの、変な人が・・電話・」京は訳の分からないことを言いながら、瑛を電話口まで引っ張っていく。
「電話?こんな朝早くに」緊張しながら瑛が電話に出ると、
どうも村長さんの奥さんが、朝ご飯を持って、柵の外まで来ているということを聞き取った。
「京、2階で寝ている・・・千尋さんは疲れて寝ているだろうから、名波医師を呼んできて」
半分目が開いてない名波が下りてくると、瑛と名波は2人で柵の外に出た。そこには村役場職員の若槻と、割烹着姿の高齢女性が立って待っていた。
「すいません。朝早くに。奥様が、『昨晩のお詫びに』と朝ご飯を作って持って来たので、受け取っていただきたいのですが」
若槻が申し訳なさそうに頭を下げる。
黄色いジムニーの車内を見ると、後部座席いっぱいに、お重や大鍋、大量の西瓜が押し込まれていた。
「お一人で作ったのですか?」名波が聞くと
「うんにゃ、隣のチエさんと、坂下のマリさんが、息子が迷惑掛けたって」
なるほど、チエさんとマリさんの息子が、昨夜の酔っ払いだったわけだ。
「では、ありがたく頂戴します。2人では運べないので、何人か起こしてきますね」
「遠慮すんな。わしらがうちの中に運ぶすけ」
「まだ小さい子も寝ていますので、ここで受け取ります」
かなり強引に、柵の中に入ろうとするのを、押しとどめて、瑛はやっと柵の中に戻った。
そして、玄関を開けると、ちょうど、舞子と涼、マリアとオヨンが朝練習の支度をして、出てくるところだった。
事情を話すと、4人とも気持ちよく手伝いのために、柵の外に出てきた。
「あらー。外人さんもお嫁さんとして呼んだのね。うちの息子にも、分けて貰えないかね」
村長夫人は盛大に勘違いをした。
「違います。彼女たちはスポーツ選手として日本に呼んだんです」
舞子が切れ気味に言った。
「スポーツなんて遊び、結婚するまでの腰掛けだすけ、早く嫁に行って子供産めばいいさ」
マリアが、「腰掛け」の訳語が「chiar」とされたため、「椅子?」と聞き返した。
「わしらの村で一番若いのが、行き遅れの『若槻』さん一人で、40過ぎた大年増じゃ、子供なんぞ産めやしない。わしらも孫が見たいし、わしらの老後の世話をする嫁が必要なんさね。若い娘さんがいっぱいいるって聞いたんだがね。んだけ、ちょっくら、家さ上がらしてくんなせ。若い子の顔だけでも拝まして貰えないかの」
村長夫人は、お詫びにかこつけて、嫁候補を物色しに来たに過ぎなかった。
「『行き遅れ』って、なんて女性に対して失礼な・・」
舞子は、もう爆発寸前である。
「もう少し、おとなしい女がチエのところには相応しいがね」
嫁が来ないという割には、贅沢なことを言う村長夫人は、都合の悪いことには聞こえないふりでやり過ごすタイプのようだ。
涼が舞子を背中に押さえ込んで、勘違い村長夫人に語りかけた。
「失礼なことを言うな。人の妻を侮辱しないでください。そもそも、女性をタダで働く、家政婦や介護職員だと考えているから、息子さん達は結婚できないんですよ」
「なんだ、おめさん、このお嬢さんの旦那さんかね。もう少し、嫁の躾けをしっかりしないとなあ。尻に敷かれてはならんぞ」
「舞子、押さえて。若槻さん、申し訳ないが、この朝食はいただけません。そのまま、お持ち帰りください」
涼は、昨夜に続いて、舞子を抱え上げて、柵の内側に駆け込んでしまった。
瑛はもう少し大人だった。
「若槻さん、僕らは朝ご飯の用意はもうできているので、嫌な思いをしながら、差し入れ頂く必要はないんですよ。このままお帰りください。それから、失礼を承知で言いますが、早く、役場を辞めた方がいいですね。このように、あなたの尊厳を傷つける上司の言動は、『パワハラ』と言うんですよ。我慢しないでください。では、多分もう村役場に行く用事もないので、鍵はポストに入れておきますね」
桔梗学園の全員が柵の内側に入った後、村長夫人はあっけにとられて立ちすくんだ。
「年寄りを大切にしないなんて、失礼な輩じゃ」
若槻さんは、さっさと車に乗り込んでしまった。
車の中から「乗りますか?麓までは送りますよ」と村長夫人に声を掛けた。
「何を偉そうに言っているんじゃ。もう一度、中の連中を呼び出せ」
「嫌ですよ。だいたい、私は村役場の職員で、あなたは私の上司でも何でもないですから、命令を聞く筋合いはないですよ」
そういうと、若槻さんは村長夫人を残して車を出した。
村長夫人が歩いて山を下りた時には、彼女の辞表が、村役場宛てに投函された後だった。
里山村は、たった一人の「若い」女性を失ってしまったのだ。
「村おこし協力隊なんて言葉に惑わされて、10年もこの村にいたけれど、何もできなかったなあ。海外旅行でもしようっと、お一人さま、万歳だ」
バリア越しに、村長夫人を置いて、若槻さんが帰っていくのが見えた。みんな、外に聞こえないのをいいことに、若槻さんの勇気に拍手を送った。
こんなことがあった後も、舞子達のモーニングルーティーンは代わらなかった。ランニングの代わりに、施設の外階段を往復し、パートナーを背負ってのジャンプや手押し車。打ち込みをする頃には、ほとんどの人が起き出してきた。早くに目覚めた者が朝食の支度を始め、7時には全員が食卓に着いた。
朝の挨拶も琉がするはずだったが、昨晩の事件がすべて自分のせいだと思い込み、まだ奥の部屋の布団に潜っている。しょうがないので、代わりに柊が朝の挨拶をした。
「おはようございます。昨夜は皆さん協力ありがとうございました。本日は、本来なら川遊びに行こうと思っていたのですが、また、森のくまさんに出会っちゃうと困るので、庭で西瓜割りとそうめん流しをすることにします。子供達には、プールも用意してあるので、楽しみにしてね。では、ご飯に感謝して、いただきます!」
「俺って何をやっても柊に叶わないな。みんなを怖い目に遭わせてしまった」
琉が落ち込んでいると、布団の中にするっと潜りこんできた者がいた。瑠璃にしては大きいし、柔らかい人間だった。圭くらいの大きさだが、圭とは全く違う甘ったるい声が耳元でささやいた。
「琉、落ち込まなくていいわ。琉は、みんなのためを思って行動したんですもの」
琉の胸がドキドキした。
「誰だ?夢か?」
それでも琉の心が、「これは危ない」と警鐘を鳴らしている。しかし、Tシャツの上から、ドキドキしている胸を触られて、身動きできなくなった。
「琉もドキドキしているの?私も」
胸を触っていた手が、琉の手首を握って・・・。
その時、布団が派手にめくりあげられた。
「何しているの」
顔を上げると、圭がものすごい形相で睨んでいる。そして、自分の隣にいるのは、杏だった。
「何って、琉が落ち込んでいるのに、誰も慰めてあげないから」
「へー。昨夜は陸洋海を慰めていたのに?お優しいこって」
「はいはい、見ていたならしょうがないわね。琉は圭に譲ってあげるわ」
「琉はモノじゃないから」
胸のボタンを1つ留め直して、杏は、朝ご飯を食べに広間に戻った。
そして、布団には怯えきった琉が残された。
「ご免なさい。ご免なさい。俺何も知らなくて・・・」
琉の目には涙まで浮かんできた。
「ふん」
圭が、琉の腕を取って立ち上がらせた。
「誰も琉が悪いなんて思っていないよ。琉を迎えに行こうと思ったら、あの女が琉の布団に潜り込むのが見えたんだ」
「・・・・」
琉はなんと返事していいか分からなかった。すぐ、押し出さなかったことを、怒られるのか?呆れて、絶交されるのか?
魂の抜けたピノキオみたいな琉を引きずって、圭は晴崇と京がパソコンルームにしている小部屋に入っていった。
「どうしたの?」晴崇がパソコンから目を離さず、聞いた。
「杏に襲われていた」圭が軽く答えた。
「未遂?」
「間一髪」
「良かったね」京がパソコンから顔を上げてニコニコした。
「あの子はとにかく妊娠したいんだよ。相手は誰でもいい。妊婦が大事にされているのも、妊婦に与えられた特典もうらやましいんだ。2年前、匠海と関係した時も、上手く妊娠しなかったもんだから、今回は手当たり次第だな」
京は恐ろしいことをさらっと言う。
「そんな話は早く教えて欲しかった」
琉は涙がこぼれ始めている。
「言えば、琉の楽しい夢が台無しだろう?」
晴崇はまだパソコンから目を離さない。
「おっ。やっぱり動き出した」
晴崇の言葉に、圭も画面をのぞき込む。
「昨日、熊肉持ってきたとか言っていたけれど、母熊、生かしているじゃん」
「何?話が見えない。この地図上の2つの赤い丸は何?」
「熊につけたGPS発信器の信号だ。久保埜先生に2頭の熊に麻酔だけじゃなくて、発信器も打ち込んで貰ったんだ」
2人は、今回の旅行前に旅行先の情報や天候など、細かく調べた。そして、宿泊先の里山村について、奇妙な情報を見つけたのだ。宿泊者のコメントの中に、「村の人から助けて貰った」という感謝が異様に多い。それも、冬眠前の秋や冬眠明けの春ではなく、「交流施設」や「滞在棟」を運営している夏に、熊の被害が多いのだ。
そこで事の真相を確かめるために、今回の荷物の中に麻酔銃やGPS発信器を持ってきたのだ。
「待ってよ、熊が出るって分かっていたら、別の宿泊場所を探したのに」
琉が涙を拭きながら、訴えた。
「危ないとは思っていなかったよ。蹴斗も昨夜、言っていたけれど、子熊なんか、檻慣れしていて、自分から檻に入っていったって」
「じゃあ、感謝されるために熊を毎回放していたってこと?」
琉の疑問は普通の感想だったが、2人の予想は全く違っていた。
「『吊り橋効果』を狙っていたんじゃないかな?危ないところを助けることで、恋が産まれて嫁が来る。そのために、熊を放していたんじゃないかな」
京が説明を始めた。
「はあ?確証はあるの?」
「まず第一に、熊の解体はそんなに早くできないのに、昨夜、熊肉を持ってすぐやってきたよね。次に、それが失敗すると、朝から村長夫人がすぐやってきた。俺たちが帰る前に無理にでも、面会して、同情を引こうとした?って、ところかな?」
晴崇がいつものように論理的に話を進める。
「見てみろよ。今日の子熊は、滞在棟の方に放されたぜ。大体、車に乗せて運ばなければ、熊がこの速度で移動するわけないよな。滞在棟の向こうの川で、俺たちが遊ぶと思って放されたのかな?」
晴崇と京は面白がっている。
「どうしてくれよう。動物虐待だな」
琉はすごい剣幕だ。
「琉が選んだ場所で、たまたま面白そうなことやっているから、俺たちは推理ごっこしただけだよ。推理ごっこはここでおしまいだし。琉が必要以上の罪悪感を持たないように教えたけれど、他の人にはこの話しないし。村の人に対しても、別に何もしないよ」
「え?警察に通報しないの?」
「多分、この村の警察に通報しても、村長とグルだと思うから、無駄だよ」
京が答えた。
「じゃあ、SNSで嘘を暴くのは、どうだ?」
琉は自分の怒りの持って行き場に困っている。
「マー、いや真子学園長だったら、『放っておけば』って言うな」
「なんで?後に来た人が、また怖い目を見るんだよ」
「まあ、怒りのはけ口にSNSを使っちゃ駄目だよ。SNSは劇薬だから、使い方間違えちゃ駄目だ。
そんなことより、修学旅行はあと半日しかないんだよ。楽しんでおいでよ」
晴崇はあきれて言った。
「あっ、そうだね。10時頃から西瓜割り、その後、流しそうめんの準備をしなくちゃ。俺、もう竹の加工はしてきたから、組み立てるばかりなんだ」
琉が元気を取り戻して、庭の方に走っていった。
「まあ、元気を取り戻せば、それでいいんだけれど」
圭が肩をすくめて言った。
「放っておけないというのも、もてる男の条件かな?」
晴崇が、圭の顔をのぞき込んでいった。
「晴崇だって、すぐ頭に血が上るじゃん。放っておけないなぁ」
圭と京が顔を見合わせて言った。
「俺は一人の人にもてればいいんだ」
晴崇がつぶやくように言ったこの言葉は、圭の心に小さな棘となって刺さった。
圭は晴崇が好きなんですかね?でも、晴崇の心は他に向いているみたいですね。