女子バスの中では
予告通り、女子バスの中の話が書けました。
男子バスが自己紹介で盛り上がっているのに引き換え、女子バスはそれぞれが思い思いに過ごしていた。
その理由の1つは、オリンピックの女子バスケットの試合が放映されていたことだ。紅羽と舞子は勿論、助手席に座るはずの久保埜医師まで、ディスプレイに張り付いていた。
今まさに、紅羽の妹碧羽がコートに現れた。現地に応援に行っている高木夫妻にも、TVカメラが張り付いている。
「行け、碧羽!ナイスインターセプト。そのまま行け」
紅羽の応援に応えるように、コートに入ったばかりの碧羽が、そのままゴール下まで運んでポイントを上げた。
アナウンサーが絶叫している。
「高校2年生、碧羽選手。交代直後のゴーーーール。あぁ、ご両親もスティックバルーンをたたいて喜んでいます。アメリカに渡ってバスケ修行中のお姉さん、紅羽さんは会場にいないようですが、同じアメリカなので、次の試合は応援に来るでしょう。」
元オリンピック選手だった解説の立山が、話を続ける。
「そうですね。パリオリンピックの時の東瓜姉妹のように、2人で活躍してくれると思っていましたが、残念です。特に紅羽さんは女性ながらダンクシュートもできますし、碧羽さんと組むとアリウープもできたんです」
「その上、美人姉妹ですよね」
アナウンサーの言葉に、解説者の立山は同意しなかった。彼女たちの素晴らしさを、本当に分かっていないのだと、ため息交じりに次の言葉を続けた。
「高木姉妹の素晴らしさは、もっとあります。長い手足を生かした、ディフェンス。それに加えて、3ポイントシュートの精度が80%を超えていました」
放送を見ていなかったように見えた圭が、いつものように突っ込んできた。
「いよ!美人姉妹」
久保埜医師がそれに答えた。
「そこじゃないでしょ。ダンクにアリウープ、3ポイントまでできる身長188センチの女子選手は、日本の枠に収まらないのよ」
画面の向こうでは、碧羽が徹底的にマークされていた。いつもは紅羽にマークが集まり、自由に動けていた碧羽は、経験したことのない状況にあい、焦りからミスが続いた。
「碧羽、マークが集まったら、ラッキーなんだから、他の選手が空くでしょ。焦るな」
紅羽は必死で応援した。
悪いことは続くものである。
ピーー
試合が止まった。碧羽がゴール下で鼻を押さえてうずくまっている。
相手選手の肘が鼻に当たって、大量出血をしているのだ。碧羽は退場を余儀なくされた。
久保埜医師がぼそっと言った。
「あの出血じゃ、鼻骨骨折だな」
舞子が励ますように言った。
「大丈夫、涼も鼻を折ったことがあったけれど、今はほとんど分からないでしょ」
舞子は顔のことを心配していたが、紅羽は違った。
「すぐ試合に出られる?」紅羽は顔を覆ったまま、聞いた。
「1日目は痛みと腫れで目も開けられないけれど、1週間もあれば、腫れは・・・」
途中まで言って舞子は気がついた。碧羽のオリンピックがここで終わったことを。
久保埜医師が励ますように言った。
「アメリカの医者は、きれいに治してくれるわ。それより、眼窩底骨折や頬骨骨折がないといいよね。相手のセンターは、それまでも目立たないように、肘張って顔にぶつかるように、プレイしていたものね」
マリア・ガルシアが話に加わった。
「バスケットも格闘技ですものね。でも、柔道と違って、試合中、フェイスガードしてもゴーグルしてもいいんでしょ?」
ラグビー選手の栗田卓子も頷いている。
どうも、格闘技系の人間は、怪我に対する考え方が一般人と違うようである。
紅羽を慰めているのか空気が読めないのか、久保埜が話を続ける。
「鼻が折れても、膝の靱帯が切れても、すぐ競技に戻ろうとするけれど、外科医の立場から言わせて貰うと、競技の一線で戦っている人は、体が壊れきってしまうまでスポーツをする傾向があるよね。人生100年時代にそういう生き方をすると、例えば40歳まで競技続けたとしても、残りの人生60年不自由な体で過ごすことになるぞ」
オユンがそれに答えるように語る。
「私たちの国のようなところは、家族の中で1人有名なスポーツ選手が出ると、家族が幸せになれる。だから無理してでも続ける。そして、子供ができて競技ができなくなると、家族が不幸になる」
オユンが妊娠したことによって、家族から非難されたことは想像に難くない。
マリアとオユンの付けている自動翻訳機は、かなり優れていて、完璧に会話に参加できる。
マリアが後を続ける。
「日本は、スポーツ選手にならなくても、食べていける。どうして無理して体壊しても競技続ける?」
圭が同意する。
「日本はさ、運動できる子にすぐ『将来はオリンピック選手だね』って言う。家族も指導者も、小さい頃からそういう子を鍛え上げて、『オリンピック選手の親』『オリンピック選手の指導者』になることを夢見る。
運動ができる子が何の運動もしないと、『もったいない』って言うんだ。
それに引き換え、eスポーツはいいぞ。ゲームもいいぞ。オリンピックより稼げるのに、親に強制されることないから」
最後は、自分が行こうとする道の正当性を主張した。
卓子が反論する。
「私は、怪我もしたけれど、ラグビーを通して、たくさんのものを身につけて、いい経験をして、仲間もできた。そんな一番いいものを子供に伝えなくていいのか?」
舞子は卓子に答える。
「私は、親に強制されるのがいけないんだと思う。私も兄も父親の操り人形だった。何も考えず、勝っても褒めて貰えず、休むことすらできなかった。だから、今回初めて、自分で勝ちたいって思っているから、柔道を楽しめている。
でも、私たちの子供には、柔道をやらせるかは決まっていないなぁ」
議論が続く中、バスケの試合は日本の勝利で終わっていた。高校生の碧羽がいなくても、日本チームは勝てるし、次にはまた別の選手が活躍する。
バスケの試合が終わってしばらくして、バスはトイレ休憩のために、「里山道の駅」の駐車場に入った。道の駅には、多くのバスが駐車していた。桔梗学園のバス2台は、少し離れたところに駐車した。紅羽や舞子は、車内のトイレを利用してバスを降りようとはしなかったが、小さな子供は外に出たがった。
「ここで30分休憩します。悪阻が苦しい人は後部座席広げて、寝られるようにしてあるので、休んでください」名波産婦人科医が妊婦の健康状態を見て回った。
久保埜医師は、五十嵐瑛と次のルートの打合せをするため、外に出て行った。
「京、車降りようよ。学園長にお土産買わなきゃ」
三川杏は、真っ白な京の腕を引っ張ってバスから降ろした。外では同じくファーストチルドレンの、岐阜分校の米納津雲雀と島根分校の百々梅桃が待っていた。
杏は、いつも男子に仲間はずれにされていると思い込んでいるので、今日の修学旅行に4人組で行動できるのが嬉しくてたまらない。
しかし、京の方はできるなら圭の方が話が合うのだが、腕を捕まれているので逃げ出すことができず、しぶしぶ引きずられていった。
圭はというと、いつもの服装で、とても修学旅行生には見えない格好で、売店に向かってぶらぶら歩いて行ってしまった。売店では琉と蹴斗に呼び止められて、夏のドローンレース部合宿の話で盛り上がった。
そこへ突然、甲高い声が聞こえた。
「琉く~ん。琉君でしょ?何をしているの?こんなところで、私たちこれから、2泊3日の学習合宿に行くの」
聞くもおぞましい声の持ち主は、琉だけでなく、妹も追いかけ回していたストーカー女子、近澄子(通称イカスミ)だった。
そういえば、この時期に桔梗高校の3年生は、涼しい場所に行って、朝から晩まで缶詰で勉強するのだった。
「何?学習合宿って」圭に聞かれて、琉は耳元に口を寄せて、「自分で勉強できない連中が、缶詰にされて問題集を解きに行く合宿」と答えた。
「琉君、その不良は誰?」
「失礼な。俺の憧れの師匠だ」
琉はイカスミから圭を守るように、体半分前に出て高らかに宣言した。
「やめろよ。しょーしい(恥ずかしい)」
圭は軽く琉の背中をたたいた。
「何やっているの。私の琉君に気軽に触らないで」
イカスミが圭に手を出そうとすると、蹴斗が圭を守るように2人の間に入った。
「圭、バスで待っている2人にアイス買ってやるんじゃなかったか?」
「そうだ。忘れていた。ブルーベリーソフト買ってやろうと考えていたんだ。琉、手伝って」
2人がアイスを買いに行った後、蹴斗はイカスミに低い声で言った。
「あんまりつけ回すと、ストーカーとして警察に届けるよ」
「違うわ。私たち付き合っているの」
「それは君の妄想だな」
冷たく言い放つと、蹴斗はイカスミに背を向けて、アイス売り場に走って行った。
集合時間を伝えに来た桔梗高校の女子生徒に、イカスミは
「ひどい。琉君と私の間を引き裂く人ばっかり」と涙ぐんで訴えた。
勿論その友達も、琉がイカスミから逃げ回っていたのを知っていたので、
「はいはい」と耳半分でその話を聞き流し、「今の人、かっこいいわね」などと別の話に夢中になっていた。
30分の休憩時間が終わると、子供広場で梢を遊ばせていた柊が待っていた。
「琉、会ったか?桔梗高校の連中に」
「会った、会った。それもイカスミに遭遇」
「涼と俺は、バスのプレートに気がついたんだけど、止めるまもなく琉は出て行っちゃったもんな。瑠璃ちゃんは涼が子供広場に連れて行ったぞ」
「ごめん。寝ていたんで、起きる前にと思って急いで出ていったんだけどな」
珍しく五十嵐瑛が、警察官目線で注意した。
「琉君、そうやって車に子供を置き去りにする事件が、多発しているんだ。寝ているからって車において行っちゃいけないよ。子供はすぐ脱水症状を起こして死んでしまうんだ。
また、特に多くの人がいる時は、誰かが見てくれるだろうって考えて油断することも多い。
そうやって迷子になってしまう子供も多いんだ。瑠璃ちゃんの保護者は、琉君、君だからね」
金のない琉は、みんなのためにアイスの差し入れなどできなかったが、代わりに蹴斗がバスに残っていた人に「ガリガリ君」を買ってきた。子供広場で汗だくになった子供達は、バスで着替えて、小さく砕いたアイスで喉を潤していた。
女子バスでも、紅羽と舞子が、圭からのブルーベリーソフトを舐めていた。窓の外には、この暑い中、制服を着た桔梗高校の3年生がバスに押し込まれて、合宿の地に走り去っていった。
次回は、震災学習をします。