戎井呉服店
お婆ちゃんのうちで、楽しく着物地を見るはずが、最後にはとんだことになりました。
昼休み、旧小学校前に集まった女性達を見て、涼は考え込んでしまった。
「鞠斗?どうしてこうなったんだ?」
「さあ?」鞠斗にもこうなった理由が分からなかった。一応、全員の外出は許可されたので文句を言う筋合いはないんだが・・・
「ばあちゃんには、こんなにいっぱいで行くとは言ってないんだが」
「どうにかなるでしょ」糸川芙美はのんびりした調子で、九十九農園から借りたバンの運転席に収まった。助手席には道案内を兼ねて涼が座った。
後部座席には鞠斗、マリア、オユン、圭、舞子までいた。
舞子は自分の猿袴を抱えて、自分がいなくてどうする?という顔で後部座席に収まった。
戎井呉服店は桔梗村商店街の端、信用金庫の道路を挟んで向かいにあった。車通りも少ないので、店の前にバンを横付けして、店の中に入っていった。
「ばあちゃん。久しぶり、涼です」
「よく来たね、あらあらお友達もいっぱい連れて、奥に机を用意してあるから、まずは麦茶でも飲んでね」
呉服店の奥は、壁いっぱいの反物が入った棚に囲まれた、広い畳の部屋が広がっていた。
「なんか運動部の合宿でもできそうな広さだな」鞠斗の感想に涼が答えた。
「実際、毎年2月に東城寺道場の合宿で宿泊所として使っているんです。冬の寺は寒いんで」
奥の台所から舞子の声が聞こえる。
「松子ばあちゃん。手伝います」
「舞子ちゃん、いつもありがとうね。この西瓜を切って、皆さんに運んで」
「松子ばあちゃん、西瓜こんなにたくさん、どうしたんですか?」
「畑からリヤカーで運んで来たんよ」
「この暑い中、無理しちゃ駄目ですよ」
奥の会話を聞いて圭が涼に言った。「もう嫁さん扱いだな?」
「違う。合宿で毎年使っているから、子供の頃から、ばあちゃんと知り合いだし、ここも勝手知ったる場所なだけだ」
机いっぱいの西瓜に舌鼓を打ちながら、鞠斗は今日訪ねた理由を説明した。
「あー。いいよ。この家も処分するから、早めに反物を売りに出そうと思っていたんだ」
祖母の松子の意外な話に、涼は慌てた。
「ばあちゃん。聞いてないよ。ここ売るって?母さん達も知っているの?」
「うんにゃ、母さん達には相談していない。東城寺の誠二さんが連れてきた不動産屋さんが、この家を高い金額で買ってくれる上に、商店街の跡地にできる老人ホームにタダで住まわせてくれるって話で、早く決めないと売却金額がどんどん下がるって言うから・・・」
涼と舞子が顔を見合わせた。どう考えても詐欺だ。
涼はすぐさま、小学校に電話して、母親を呼び出してもらい、事情を説明した。
案の定、母親も寝耳に水だったらしい。すぐ、年休を取ってこちらに来るとの話だった。
舞子も勝子の携帯に電話して、誠二がしていることを報告した。勝子も悠山と共にすぐに、こちらに向かうようだ。
松子お婆ちゃんは、慌てふためく2人に気づかず、鞠斗と話を続けている。
「じゃあ、西瓜片付けたら、よろっと、反物だそうかね」
畳の上には、色とりどりの金魚の浴衣地が広がった。この地区の夏祭りには、金魚の形をした台輪を子供が引っ張って歩くという出し物があるので、金魚柄が人気だった。
「My sister Daisy loves golden fish.So I want to send her these photes,OK?」
(妹のデイジーは金魚が好きなの。だから妹にこの写真を送っていい?)
興奮したマリアは、妹とTV電話を始めた。
「デイジーだって?」
涼は、マリアのTV電話の画面を慌てて覗いた。
そこにはT大学で知り合ったデイジー・ガルシアの顔が写っていた。
「Why is Ryo there?」(なんで涼がそこにいるの)
鞠斗はすべての事情を理解して、マリアに、デイジー達がどんな服が着たいのか、聞いて貰った。
その希望を反映した案を、糸川芙美がさらさらっとデッサンして見せると、デイジーはものすごく喜んだ。
また、画面越しに金魚の反物を何枚か見せて、気に入ったものを10反ほど選んで貰った。
サイズは舞子サイズでいいので、帰国するまで10日ほどあるから、それまでに仕上げて欲しいとの注文が入った。
価格交渉は鞠斗が行って、仕事は終わったはずだったのだが、反物の海はどんどん広がっていった。涼が慣れた手つきで、反物を巻くそばから、女性陣が気に入った反物を広げていって収拾がつかない。
部屋の端で、芙美まで帯地を手に取って、ああでもないこうでもないと見入っている。
その側で、オユンが厚手の木綿の生地を探している。やはりモンゴルは寒い気候なので、そういう反物が気になるんだろう。
準備のいい鞠斗は車から大きな衣装ケースを、いくつも持ち込み、女性陣の気に入った反物を次から次に詰め込んだ。
「涼?この引き出しは何?」
圭が、鍵がかかった引き出しを見つけた。それを聞いて、松子が金庫から鍵を持ってきた。
「これはじいちゃんの道楽。これで身上を潰したと言っても過言じゃないね」
松子が開けた細い引き出しには、高価な帯留めが所狭しと入っていた。
涼がレジンで作るアクセサリーのアイデアの原点はここにあった。
亡くなった涼の祖父が、趣味で集めた帯留めがそこに隠されていた。
祖父は、花や動物、昆虫など生き物の形をした帯留めをコレクションしていた。
「買うだけじゃ飽き足らなくて、骨董市で輸入物のブローチを見つけては、帯留めに作り直していたの」
中には、ブローチとしても素晴らしいものも含まれていた。
「これには、宝石がちりばめられている」圭が感嘆していった。
「ルビー、エメラルド、ガーネット・・・REGARD(敬愛する)ね」芙美が小さい声で言った。
「ああ、そんなところにあったのね。それは私におじいさんが買ってきてくれたもの。
でもこれを貰った時、『そんな物にお金を使って』って私が言ったから拗ねて隠してしまったの」
「おばあさん。これは19世紀フランスで流行ったんですよ。宝石の頭文字で気持ちを伝えるんです。流石に『AMORE』(愛)は恥ずかしかったんじゃないですか?」
芙美の言葉に、松子は涙を浮かべてこう言った。
「結婚の申し込みの時だって、何の告白もなかったのに・・・」
「じゃあ、おばあちゃん。今日は楽しかった。また、来るね。それから、これから父さんと東城寺の住職が来るから、うちの売却や老人ホームのことはまず親族に相談して決めてね」
嵐のように桔梗学園のバンが帰るのとすれ違うように、黒いセンチュリーが戎井呉服店にやってきた。その車から、東城寺誠二と怪しい2人の男が下りてきた。
「おばあちゃん、こんにちは。今日はいらない反物を高価買い取りに来ましたよ」
羽織袴が変に似合わない30歳くらいの男は、愛想よい口調と裏腹に店の中を鋭い目で見渡した。
「あれ?反物減っていますね。どうしたんですか?」
「ああ、孫がまた手芸に持って行ったんだわ」
「価値の分からないお孫さんにタダで渡したんですか?うちの方が高価で買い取りますのに。
特におじいさまの有名な帯留めコレクションは、うちが責任を持ってオークションに掛けますので、安心してお任せください」
何故、帯留めコレクションのことを知っているのか?松子は初めて、この男達を疑いの目で見だした。
それでも娘達が来るまで時間稼ぎをしようと、ぼけたふりをして話を続けた。
もう1人のスーツの男が机の上に、書類を広げて話を始めた。
「おばあちゃん、この間の老人ホーム入所の書類持ってきましたよ。今ならタダですからね」
老人ホームの入所書類と重ねて、住宅の売買書類をこっそり並べて出した。
「眼鏡と判子がいるね。今持ってくるからね」
「おばあちゃん。実印ですよ。間違えないでね」
ニヤニヤしながら3人の男達は顔を見合わせた。
店先に出た松子は、センチュリーを挟むように、赤いランドクルーザーとNBOXが停まるのを見た。ランドクルーザーから出てきた東城寺悠山は、小声で言った。
「婿が来とるか?」
NBOXからは、小学校から駆けつけてきた榎田真理もささやくように言った。
「母さん、久しぶり。私たちが忙しさにかまけて、あんまりこちらに来なかったせいで・・・。ごめんなさい。涼は帰りましたか?」
「子供に修羅場は見せたくないから帰したよ。涼が、おじいちゃんのコレクションもすべて受け取っていった」
なかなか帰ってこない松子を不審に思って、誠二が店先に顔を出した。
「あっ、お義父さん」
「お義父さんじゃない。戎井さんのうちでお前は何をしている」
すべてばれていることを理解した誠二は、勝手口から逃げようとしたが、既に勝子が先回りしていた。
怪しい2人組は書類をつかんで逃げようとしたが、呉服店の表と裏に、鞠斗の通報で警察官が待機していた。
ついに舞子のお父さんが捕まってしまいました。彼のその後については、また後の話と言うことで。
次回は、帯留めコレクションのその後について話をします。昨晩の予定と変わって書き直しました。すいません。