日曜日の薫風庵
体育祭が終わっても、戦士達に休息はないんですね。
体育祭は梅雨晴れでありがたかったが、一夜明けた今日は一転、たたきつけるような雨が降っていた。薫風庵の主、真子学園長は昨日のうちに、北海道分校の方に2泊3日の視察旅行に行ってしまった。そして、桔梗学園の中にも、招待した親族と一緒に帰省した者も少なからずいたので、大食堂も今日は休業していた。
時間になると、予約した者だけ、九十九農園から配達されたお握り弁当が受け取れたが、
ここに寝転んでいる3名は、薫風庵で1日留守番がてら過ごすことを選んだのである。
「おーい。誰が朝ご飯作るんだよ。畑まで下りるなんて嫌だよ」
「レトルトをいくつか貰って、食べちゃおうぜ。ご飯は炊いてあるから」
「たまにはパンが食べたいなぁ」
言いたい放題、わがままを言っているのは、蹴斗、晴崇、鞠斗の3人。全員、頭を庭に向けて、うつ伏せに寝転んでいる。こうやって見ると18歳の高校3年生らしい振る舞いである。
空腹に耐えかねた蹴斗が動いたので、晴崇と鞠斗は、我慢比べに勝ったというように、次々とお願い事をする。
「蹴斗、カレーは大盛りのやつ温めておいて」
「蹴斗ぉ、飲み物はヨーグルトを出してね。安井ヨーグルトがあるから、開けちゃっていいよ」
真子学園長が帰ったら、冷蔵庫は空っぽになっているね。
「わかったよ。サラダとかないの?晴崇」
「金曜日に舞子が大量に作ってくれたポテトサラダが、ボールごと入っているよ」
「そう言えば、朝ご飯当番は7月入学生に変わるんだな」
まったく動く気配がない鞠斗が、足をバタバタさせながら言った。
28歳の顔をしてバタバタとは・・・。
「今度も、料理上手だといいな」
舞子はずいぶん料理上手だったようだ。
「男どもは7月はどこに連れて行くの」
タブちゃんを確認しながら、鞠斗が力強く答える。
「九十九農園2ヶ月コース。俺が連れて行く!」
「ずるいぞ。連れて行った後は、珠子さんや一生さんにお任せだろ」
男性陣は九十九農園の労働力として貸し出されるようだ。九十九夫妻は給金を払ってくれるのだろうか。
「じゃあ、最後に残った俺は6月入学組の女性陣に畑作業教えるの?うげ、梅雨時なのに。もう、雨降ったら、毎回休みにしようっと」レトルトカレーを温めながら、蹴斗がつぶやく。
「いいんじゃない?雨で休みになれば、舞子と紅羽は朝からトレーニングするし、圭も研究始めるから」
こうやって3人は毎月緩~く役割分担していたのである。
「ところで、鞠斗は絵やグッズの売りゆきはどうだったんだ?」
蹴斗がポテトサラダを3等分しながら聞いた。
「う~ん。今、販売画面を見ている。おい、ほぼ完売だぜ。俺ってアーティストに向いているかも」
台所にやってきた晴崇が空になったボールを見て、
「3等分じゃなくて4等分にしろよ。日曜日は10時頃、京が上がってくるんだから、あー、そのカレーは京のお気に入りだぜ。あいつそれ見たらぶち切れるぞ」
「ヤバッ。俺、久しぶりに京に会うわ。生きているんか?」
「ああ、風呂に長い髪が落ちているから、風呂にも毎日入っているみたいだよ」
言いながら、晴崇はみんなより先に、ヨーグルトを飲み始めた。
「鞠斗も台所で一緒に食おうぜ。いただきます」
3人は、台所の中央にある広い配膳台で、一緒に食べ始めた。
ところで、「京」って誰だろうか?
「売れても、ブツの方はこれから梱包して発送しなきゃ。全部、NFTだったらいいんだけど、リアルは面倒くさいな」
鞠斗が、食器を洗いながら言う。蹴斗も食器を流しに入れて、「ついでに頼む」と台所を出て行った。
「そう言えば、ラッピングは、涼が上手だったな。あいつ、レジンでアクセサリー作って、ネット販売していたらしいから」
「その情報網で、鞠斗、明日入学の皆さんの情報を教えて。明日朝から薫風庵で調理実習だから」
晴崇はやっぱり少し人見知りの気がある。毎月、新しい女性と会うのは苦痛なのかも知れない。
少しでも情報を得ておきたいのだろう。
「7月入学生は3人。桔梗高校3年から須山深雪、栗田卓子が入学。もう1人、蓮実水脈はすでに、3年前に16歳で妊娠して退学。再度妊娠して19歳で桔梗学園に入学。だから、空って2歳の男の子を連れてくる」
「子供の父親は同じ男なのか?」蹴斗が台所から出てきながら言った。
「あぁ、義理の母親との関係が悪くて離婚したんだが、その後に妊娠が分かったらしい。
1人で2人抱えて暮らすために、勉強し直したいって話だ」
「親権はどうしたんだ?」
「父親は別のところで子供作っていて、離婚直後、再婚したらしい。だから、蓮実はきっぱり縁を切りたくて、何の条件も付けずに離婚したようだ」
「ひでぇ、男だ」
「まあ、でも主婦していたんだから、料理はできるんじゃないか」
晴崇の心配は、別のところにあるようだ。
「ところでさぁ、6月入学組の基礎学習って、数学Ⅲ終わったの?」
タブちゃんを見に戻ってきた鞠斗が、蹴斗の質問に答えた。
「あー。数Ⅲは一番数学ができない涼も一応終わっているね。次はプログラミング言語だ。下のグループはPythoneでいいかな」
「何でもいいんじゃない?どうせ複数の言語やるんだから。教えるのは、生駒篤?そんなにできるやつじゃなくてもいいんじゃない?深海由梨くらいでいいんじゃない?」
晴崇がアイスコーヒーを作りに台所に向かいながら言う。
深海は小学校6年生だが、ここの生徒のレベルが高すぎる・・・。
「プログラム言語なんて教える必要ない上級者クラスはどうする?彼らの苦手な手作業をやらせるか?」
鞠斗が計画表を出して入力を始めている。
ゆるいシラバスだ。
「圭がどのくらい手芸や工作ができるか分からないけれど、まあやらせるなら、学校の備品作りだよな」
蹴斗は冷蔵庫の中を漁りに再び台所に向かった。
2人が台所に向かったので、声が届くように体を起こして鞠斗が聞いた。
珈琲と、秋田分校からの土産、高級桜桃の「佐藤錦」をお盆入れて2人が戻ってきた。
3人が車座になって、話し合いを続けた。
「備品は何が足りない?」鞠斗が話の続きを促す。
「『ソーイング部』が猿袴のいいやつを売っちゃったので、貸し出し用のやつが不足している。勿論、彼ら自身の猿袴も夏・冬用に各2枚は欲しいだろう」
「じゃあ、1人10枚くらい縫わせるか?」
「鬼だな」
「いや、午前の英語の時間も、涼と舞子以外は、家庭科させればすぐ縫い上がるだろう」
「おい、晴崇、お前1人で佐藤錦すべて食うな。話にも加われ」
晴崇は1人で、佐藤錦を半分ほど平らげていたところだった。
「ん?例年通りでいいじゃん。
午前は1時間産婦人科と小児科を呼んで、保健講話。その後、英語苦手なやつは英語。得意な人間は家庭科。
午後は数学苦手なやつに、深海をインストラクターにして、Pythoneを勉強させる。プログラム言語を複数マスターしている3人は引き続き家庭科。
家庭科で作らせるものは猿袴。他は各分掌に不足しているもの一覧を作らせて、必要性の高いものから、作らせる。
本当に話し合いに時間を使いすぎだ。時間が無駄にあるから、ぐだぐだ話し合いをするんだ」
と、最後の佐藤錦に両手を出したところで、蹴斗と鞠斗に両手を捕まれた。
突然「こいつの前に、餌を置いてはいかん」と言いながら、
小柄な女の子が最後の佐藤錦を口に放り込んでしまった。
「京!」
京、と呼ばれた少女は、肩まで伸びた髪を無造作に二つに結んび、今起きたという感じダボダボのTシャツ姿だった。京はそのまま、台所に向かい、
「おい、このカレーの封を切ったのは誰だ」
「まだ、食べていないから許せよ」
「しょうがない、許す。サラダも盛り付けてあるからな。安井ヨーグルトは・・・ブルーベリー味か。まあいいか」
蹴斗と鞠斗から解放された晴崇が、佐藤錦の種の入った器を持って台所に向かい、京と話を交わした。
「昨夜は何時に寝た?」
「文化祭でいろんなところにアラートが出ていたから、客が退場するまでは気が抜けなかったけれど、退場後はいつもの株価チェック後、朝の3時には風呂に入って寝たな」
少女に見えているが、京はここにいる3人同様18歳の女性で、学園の重要な情報管理を担っているのだ。
蹴斗が台所に向かって声を掛けた。
「久しぶりだな、京。いつぶりだ?」
晴崇に切ってもらったメロンの器を持って、京が台所から出てきた。
「あー。婆ちゃんの葬式?かな」
そのまま、縁側のいつも真子の使っている籐椅子にどかっと座った。
四之宮京も、ファーストチルドレンの1人である。四之宮の母飛鳥は15歳で妊娠し、1年間桔梗学園で過ごしたが、その後普通に受験して桔梗高校に入学した。
産まれた子供は当時35歳だった飛鳥の母、江津子の子として届けられた。つまり戸籍上は、飛鳥と京は姉妹ということになる。
京の祖母、江津子は、シングルマザーで飛鳥を高校に通わせるため、仕事を掛け持ちしていたので、真子学園長が、京を桔梗学園で預かることを提案した。江津子は一も二もなく、その提案に乗った。それから18年間、江津子は度々桔梗学園を訪れ、京に会っていったが、飛鳥が来ることはなかった。
昨年暮れ、江津子はガンで亡くなって、東城寺で葬式をあげた。その時、京は初めて母親の飛鳥を見たが、飛鳥は京を決して見ようとはしなかった。京はその日、兄妹のように育った晴崇に手を引かれ、桔梗学園に帰り、薫風庵でしばらく泣いていた姿を、蹴斗や鞠斗に見られたので、その話題にこれ以上触れたくないようである。
「冷えてないけれど」
晴崇は佐藤錦を平らげたお詫びのつもりか、蹴斗達の分もメロンを切って持ってきた。
蹴斗が自分の作った気まずい雰囲気を変えるように、晴崇に話しかけた。
「晴崇、時間が無駄にあるなら忙しくすればいいのか」
「イベントなら夏祭りか、校外学習あたりかな」と鞠斗が言う。
「真子学園長が、紅羽達を桔梗学園総会に参加させたのは、分校との交流にあの2人に任せた一定とがあるんだろう?」と蹴斗が受けた。
「つまり、分校との交流を兼ねた行事が望ましいと真子学園長は・・・」
「やめようぜ。マーの意図を忖度するのは」
「そうだな。勝手にやっていても多分そっちに向かっていくんだ。自由にやろう」
真子学園長はお釈迦様か?晴崇は個人的に学園長のこと「マー」って呼んでいるんだな?まあ、「バー」って呼んだらたたかれそうだけど。
「では、どっちにする?」鞠斗が聞くと、
「はいはい、また無駄な話し合いをする。『校外学習』は夏は暑いので却下。『夏祭り』に今度こそ桔梗村の人を招待するかどうかだけど、この夏、桔梗高校には甲子園出場がかかっている野球部がいるし、高木碧羽のオリンピック出場もあるから、うちの祭りに村の人を招待してもあまり来客は見込めない。だから、どこかの分校を招待して夏祭りを開催する。どうだ」
晴崇がバッサリ切った。
「さんせーい。招待するのは近場の富山と秋田の2校。それぞれ大型ドローンに乗せられる40名ずつの80名招待で決定」
口のまわりをメロンの汁でべちゃべちゃにして、台所に向かう京が口を挟む。
台所から再度顔を出して、京が付け加える。
「富山と秋田の巨大ドローンの試乗を兼ねて来いって言えば、分校の人は喜んでくるって」
鞠斗が「タブちゃん」に計画を書き込みながら、口をとがらす。
「晴崇と京と一緒だと話し合いが成り立たないよな。10手先ぐらいまで考えて話をするんだもの」
「まあ、それでも計画通り行かないから面白い。
今回だって、生駒篤あたりに仕切りをやらせようとしたら、予定外の越生五月が体育祭実行委員長に立候補するから当初の計画がかなり狂ったよな。
今回も本来なら紅羽と柊にやらせるのがいいと思うけれど、・・・ほら、立候補しそうなやつが来た」
蹴斗が指さす方向を見ると、三川杏が薫風庵への坂道を駆け上ってきた。
「あれ~?みんな揃ってる。京ちゃんまでいる」
「杏、誰に用があってここまで来たの?」
鞠斗が尋ねると、杏は誇らしげに肩から下げているポシェットから運転免許証を出した。
「えっへん。運転免許1番乗り!今朝、免許センターで取ってきたんだ。だから、鞠斗、桔梗学園のシェアカー貸して」
「いいよ。その代わり、頓所パン屋で、『頭脳パン』買ってきて」
車のキーを持って、ぱしりなのに喜んで出かけていく杏を見て、蹴斗と鞠斗が顔を見合わせた
「体育祭実行委員って暇だったんだね。俺たちが走り回っている間に、運転免許なんて取りやがって。じゃあ、杏に夏祭りの仕切りをやらせますか」
悪い笑顔で鞠斗が言うと蹴斗が答える。
「あいつ、分校の情報とかそこら中で話そうじゃん。大丈夫?」
「分校に打合せに行かせるのは、分別のある紅羽と柊。当たり前じゃないか」
「柊は子守から解放されるって、喜びそう」晴崇が口を挟む。
「あー。それも癪だな。瑠璃ちゃん連れで行かせよう」鞠斗が答える。
「そうだ、涼を子守に連れて行かせるってどうだ」晴崇が提案する
「涼がいなくても、舞子の相手には、マリアとオユンがいるから大丈夫だ」
「ドローンの打合せに行くのは誰だ」京が聞いた。
「リモートで行う」蹴斗が胸を張った。
「ドローンレース部のメンバーは手放さない算段しているよ」
鞠斗があきれて、最後のメロンを口に入れた。
京が地下の仕事場に戻った後、大男3人組は夕方まで薫風庵でゴロゴロして、分校からの差し入れを食べきってしまって、2日後帰ってきた真子学園長にしこたま叱られたのは後の話。
新しいファーストチルドレンが登場しました。一村蹴斗、不二鞠斗、三川杏、四之宮京。狼谷柊、杜晴崇もそうでした。もう少し立ったら、分校に行っている男子もご紹介します。