ドローンレース体験
今回で、体育祭の巻は終わります。
1階の大食堂に向かう前に、多くの人たちは2階の体育館をのぞいてみる。
そこには、研究科の学生の研究発表ブースが置かれていた。
3時のドローン体験乗車の前に、板垣啓子が、孫の研究発表を見るために下りてきた。
一緒に舞子と涼の母親も下りてきた。
3人は、体育館の大型映像装置の前の座席に座って、賀来人から渡されたヘッドホンを耳に装着した。座席にはすでに30人以上の人が着席していた。琉の妹、琥珀と玻璃も兄のドローンが見たくて、最前席に座っていた。
ヘッドホンからは賀来人の声がした。
「みなさん、『ドレーンレース部の展示』にようこそおいでくださいました。これからお見せするのは、実際に外のグランドで行われているレースの様子です。まず、どのようなコースか、みなさんと見て回りましょう。途中、映像を見て気持ちが悪くなった方がいらしたら、手をあげてください」
最初の映像は、小型のドローンでゆっくりと障害物の下を潜ったり、輪を潜ったりする映像だった。周囲の校舎の風景がゆっくり流れていくので、桔梗学園の全体像が見える楽しい映像だった。
「では、次に実際のレースの映像をご覧に入れます。俯瞰で見る『映像A』の他に、ドローンに実際に乗って動く『映像B』も見ることができます。ただ、これは回転も伴いますので、酔いやすい方にはお勧めしません。もし、見ている最中で具合が悪くなった方は、すぐ、目をつぶって手を上げてください」
「映像B」を希望した者には、特別なゴーグルが渡された。板垣啓子が元気にゴーグルを付けるのを見て、多くの見学者が「映像B」にチャレンジした。
「映像B」は板垣圭の運転するドローンの視界だった。
「3,2,1 GO」の合図と共に、圭と蹴斗と琉の3台のドローンがスタートした。
賀来人は、観客の対応をするスタッフとして働くので、このレースには参加できなかった。
圭は、いつもはスタートから飛ばすタイプなのだが、それだと見学者の目の前に他のドローンが見えなくなるので、今回は後方から追い抜くことにした。
「圭、早く追い抜け」板垣啓子が騒ぐ
「兄ちゃん、1番だ。あー。駄目。後ろから追い抜かれる」双子も声を揃えて応援する。
声援を受けながら、先頭を飛ばす琉のドローンに、ぴったりと張り付くように追尾する蹴斗のドローン。琉は、抜かれないようにコースをコントロールするのだが、蹴斗は、毎回嫌らしい位置につき、抜けるくせにわざと追い抜かない。ラスト3周目の表示が出ると、蹴斗が抜きにかかった。それをロックするように少し下がった琉のドローンと障害物のわずかな隙間を、圭のドローンがすり抜けて行って、いつものように圭のドローンが勝った。
観客がため息と共にゴーグルを外すと、大型映像装置にドローンレース部の次回大会参加予定が映し出された。
イヤホンを外して「圭はやっぱり強いのぉ」と板垣啓子はご満悦で、圭の銀色の頭をポンポンとたたいて昼食会場に向かった。琥珀と玻璃は、琉の肩を揺らして「もっと頑張って」と文句を言っていた。琉は「俺はメカ担当なんだよ」と小さい声でつぶやいた。
グランドから体育館に戻ってきた紅羽と碧羽は、ドローンの次回の椅子に座った。
突然、背後からやってきた鞠斗が、2人の肩に手を置いてささやいた。
「僕も展示しているから見に来てね」
碧羽は一瞬誰が来たのか分からず、紅羽に聞いた。
「誰、あの人、超イケオジ」
紅羽は鼻で笑って、「あいつは、誰にでもああいう態度取るんだわ。ああ見えて18歳」
「うそ。28歳くらいだと思った。あの人、紅羽の彼?」
「妊婦に何言っているの」
「じゃあ、私が迫っちゃおうかな?」
「あんまりお勧めはしないけどね」
碧羽は意外と本気だった。
桔梗学園に潜り込むには、まずは彼氏を作らなければならなかったからだ。
鞠斗は、デジタルアートの販売コーナーを設けていた。
Tシャツのデザインが素晴らしいとは、桔梗学園のみんなが知っていたが、彼の創作活動はそこでとどまらなかった。NFTアートを販売していたのだ。ただし、一般向けに部屋に飾れるリアルな絵画や、Tシャツの販売も行っていた。希望者にはチケットを配り、そこアクセスし入金すると、希望の絵画やTシャツが自宅に届く仕組みだった。
部活動の展示はもう一つあった。「ソーイング部」だ。ここでは、涼がレジンで作ったアクセサリーや、舞子が考えた制服のデザイン画などが展示されていた。体を酷使している舞子は、手芸するほどの気力は湧かなかったが、デザイン画などを描くくらいの元気はあったからだ。
圭に「自由に服が着られるのに何故、制服を考えるの?訳わかんない」と文句を言われたが、制服を敢えて着てディズニーランドに友達と行く「制服ディズニー」が流行っている心理が舞子は分かるような気がした。
そこで制服の絵を描いているうちに、ふと「妊婦が着られる制服ってないかな」と考えて何枚かアイデアを書いてみた。それを偶然見かけた研究科の先輩が、デザイン画どおりに縫い上げてくれたのだ。トルソーに飾られた何枚もの制服は、OGに人気があって、「私たちの若い頃にこんなのがあったら良かったわ」などと盛り上がっていた。
「ソーイング部」の研究科の先輩達は他にも、日常で多くの桔梗学園生が身につけている猿袴も展示していた。
東北や会津などで古くから伝わる野良着である猿袴はお尻に適度なゆとりがあって、かつ、ふくらはぎから足首は細くて、ストレッチ機能がない綿で作られても、体の動きを妨げない。昔は、作業ズボンとして、桔梗学園に入学するとすぐ家庭科の時間に自分で縫ったものだ。現在も先輩達が作った服を、着替え用として、そこここに置いてあるのは、その名残だ。
「ソーイング部」はそれを現代風に色々アレンジして縫い上げていた。
近隣の着物地、鶴田縞を安く仕入れて、パッチワークのように色々な縞のパーツで縫い上げたり、古着の着物をほどいてサルエル風な猿袴にしたりして展示した。これらは、体育祭が終了後、20枚すべてネットで注文が入り、完売した。その他に、型紙やカット済みの生地も、50セットほど作ったが、すべて完売した。来年は子供用の型紙の販売も計画されている。
部活動ばかりでなく、研究所は、作品を展示し商談もしていた。例えば、現在、桔梗学園で普通に使われている洗濯乾燥機や使用済みおむつBOX、人の排泄物を利用した発電システム付き災害用トイレなど、自治体や介護施設、保育園などからの問い合わせが多かった。
笹木の開発した反射材を使わない三次元動作解析装置は、舞子が優勝したら、発表する予定らしく、今回は発表していなかった。
「チーム舞子」は様々な女性の夢を乗せているようだった。
校内放送で突然ココちゃんの声が流れた。
「3時からグランドでドローン体験乗車が始まります。体験者の方は5階グランドにお集まりください。見学は無料ですので見学希望者は6階、観覧席にお集まりください」
食堂でまったりしていた板垣啓子が、放送を聞いて、すっくと立ち上がった。一緒に食事をしていた勝子と真理も我が事のように、わくわくしてきた。
「板垣さん、私たちも観客席で見ています」
「おうよ。手を振るから、見えたら振り返して」
グランドには、騎馬戦の抽選で当選した人達と碧羽が、今や遅しと待っていた。
グランドの天井がゆっくり開くと、上空からは巨大ドローンが下りてきた。
観客から歓声が上がった。
「すごい。大きい!開会式のドローンとは比べものにならない」
「ヘリコプターと違って、風も音も静かだ」
この性能があるから、屋内グランドに着陸させられるのだ。その上、ステルス性能も搭載しているので、レーダー探知もされない。こんな機体があることは、外部に知られてはならないので、撮影不可の条件がついているのだ。
そんなことを知らない体験乗車の5名は、わくわくしながら乗車した。板垣啓子は真っ先の乗り込み、運転席の後方窓際の席を獲得した。碧羽も助手席後方の窓側の席に着いて、早々とシートベルトを締めた。
運転席には圭が座って、啓子に親指を立てて見せた。
全員のシートベルトと簡易桔梗バンドでの心拍数の計測が終了後、巨大ドローンは静かに上昇した。もっと速度は出るのだが、まるで飛行船のようなスピードで、ゆっくり桔梗学園の敷地を旋回した。
啓子は、圭が操縦する姿に興奮して、観客に手を振ることも忘れてしまっていた。
その頃、観客席で玻璃と琥珀は、琉と話をしていた。
「琉兄ちゃんは、2台のドローンにもう乗ったの?いいなぁ」
「将来、兄ちゃんも大きなドローンを運転するの」
「まあ、努力するよ。とりあえず自動車運転免許を取るけどね」
「それもお金出してもらうんでしょ?いいなあ」
「桔梗学園って、勉強も食事もタダなんでしょ」
「でも毎朝、竹林に行って、筍取ったりメンマ作ったりするし。休みの日は瑠璃だけじゃなくて、他の子供の子守もするよ」
「それでも、来年から大学にも行けるんでしょ?いいなあ」
「今着ている服も、ここでもらった服なんでしょ」
玻璃の「いいなあ」攻撃は想定内だが、次の言葉も想定の範囲内だ。
「私たちも赤ちゃん連れていれば、ここに入れるの?」
「それは違うよ。まず、18歳を超えること。次にここでの勉強と仕事について行けること。
ここは携帯電話も使えないし、親とも友達とも連絡着かないんだよ」
多少、悪い面を誇張して話をしているが、妹が現実逃避して、夢を見ないように釘を刺しておくという仕事を、最後に兄の責任でしなければならない。
「俺はさ、いつも苦労しているお前達に1日楽しい経験をして貰えたらと思って、ここに呼んだんだ。決して、いつか誰かが助けてくれるという他力本願な考えを持って欲しくて、ここを見せたわけではない。18歳まで後6年。頑張って勉強して、自分の力で独立して欲しい」
琥珀と玻璃は兄から突き放されたような気持ちになった。そこで少し心配させたくて、琉には話さないでおこうと思っていた話題を持ち出してしまった。
「そう言えば、ここに来る時、兄ちゃんの恋人って言うストーカーに追いかけられたんだ」
「うそ、なんでそれ早く言わないんだ」
「言ったって、しょうがないじゃん」
「まあ、俺はお前達を助けられないけど」
「その人から逃げている時、五十嵐っておまわりさんに助けてもらったんだ」
「そして、そしてそのおまわりさんに、『玻璃が入場料がなくて困っている』って言ったの」
「2,000円の入場料が払えなかったのかぁ。気がつかなかった。すまん」
「そしたら、おまわりさんが実は、学園長の息子さんで、この名刺くれたの」
と言って、名詞とその裏のメモを見せてくれた。
「それは知らなかったなぁ。困ったことがあったら、そのおまわりさんに相談したらいいかもな」
「そうだね。学校の先生に相談すると、すぐ親に話しちゃうしね」
「あら?それうちの夫の名刺?」
観客席の後ろから、女の人の声がした。
え?そう言えば、おまわりさんは、「嫁が行く」って言っていたなぁ。
そうして五十嵐巡査部長の奥さんの車で、琉の妹達は安全に自宅まで送って貰えることになったそうだ。めでたし。
夜8時過ぎ。会場のすべての片付けを終わって、生徒会室で、真っ白に燃え尽きた体育祭実行委員の面々が机に突っ伏していた。
「無事終わりましたね」
「委員長。お疲れ様」生駒千駿が、五月の肩をもみながら言った。
「私は、紅羽様と碧羽様のサインが欲しかった」
久保埜万里は、笑万がサイン付きTシャツを貰ったことに、まだこだわっていた。
「琉さんのとこの双子の妹、足が早かったね。でも、勝った人はいいけれど、なんで勝ち負け付けるんだろう。悔しくて眠れない」深海由梨がブツブツ言っている。
「真子学園長が言っていたよ。勝ち負けを学ぶ必要があるって。正しく負けを学ばない人は、すぐ人のせいにするって、だから若い頃に負けを学んで、負けることで成長して欲しいって」
と生駒篤が言った。
「それでも、作戦通り勝てば、嬉しいけどね」五月は騎馬戦で負けたことを、まだ根に持っていた。
「はいはい、出たよ。中学部の孔明!」と言って、賀来人が今日使った団扇を投げつけた。
「危ないじゃないですか。ドローンレースの下働き!」
疲れると、くだらないことで争うものですね。
みんな疲れ果てたところに、
「開けて、開けて、学園長から差し入れ来たよ」三川の声がした。
「待っていました」ドア近くにいた久保埜がドアを開けた。
真子学園長からは、学園内ではなかなか食べられないジャンクフードの差し入れがやってきた。Mバーガーとキングサイズのコーラ、山盛りポテトだった。
「ん~。学園長は子供の気持ちが分かっていらっしゃる」
全員が、口いっぱい頬張って、頷いていた。
明日からは7月。生徒会室は、次の企画を持ち込んだ者の根城になる。
昔、後夜祭ってありましたね。今はファミレスで打ち上げでしょうか。桔梗学園はジャンクフードで我慢して貰いました。