体育祭 朝から開会式まで
いよいよ、体育祭の始まりです。
今日は桔梗学園発の公開体育祭。
N駅から桔梗駅までの路線は通勤ラッシュ並みの混雑で、事情が分からないJR職員は、何かのコンサートでもあるのだろうかといぶかしい顔をしていた。
桔梗駅も8時前には混雑のピークが来ていた。こちらは桔梗村村長から連絡が来ていたので近隣の駅員を総動員して人をさばいていた。
桔梗学園への無料の送迎のバスは入場券がないと乗車できなかったが、そこでのトラブルは桔梗村役場や桔梗村警察から応援が出て対処していた。
「あの子達は無事に入場できただろうか」1時間の混雑をさばいた後、五十嵐巡査部長は、半月前に会った双子の小学生を思い出していた。
その双子は、会場まで走っていた。バスの周辺で、例の女子高生ストーカーに会うかも知れないと予定より1時間早く自宅を出て、バスに乗らずに走って会場に向かっていた。
しかし、澄子は桔梗学園の入場ゲート前にすでに着いていた。期末考査が終わったから友人と遊ぶと言って、親に車で運んでもらっていたのだ。写メした入場券を参考に、偽造入場券を作って、琥珀の代わりに入場しようとしていたのだ。
その日、受付には4カ所のゲートがあった。
1つめは招待状の確認。確認した人には手の甲にスタンプが押された。それにはGPS機能が内蔵されたスタンプで、帰りには専用の布で拭き取って帰ってもらうことになっていた。
2つめのゲートは荷物預かり場。
3つめは身体検査のゲートで、カメラやスマホの持ち込みを防いでいた。
4つめのゲートでは1,000円の支払いをしてもらい、その後、簡易桔梗バンドが装着される。これを付けていればすべての学園内の食事がタダになったり、備品が使えたりする。最後に、体育祭のパンフレットが渡される。
ここには警備員などはいないが、招待券がない人や荷物を預けたがらない人などには、足下が静かに下がり、自動的に別の場所に送り出されることになっていた。
しかし、この仕掛けにかかった人は2人しかいなかった。舞子の父、東城寺誠二と澄子だけであった。
誠二は、1つめのゲートで散々、「何故男は入れないのか」と騒いで、仕掛けに引っかかって、藤が浜の海岸近くの洞窟まで運ばれてしまった。後から来た舞子の母、勝子は自分の亭主がそんな恥ずかしいことをしたとは気がつきもしなかった。
澄子もニセの入場券をパネルにかざした瞬間、変なおじさんが叫んでいる洞窟に運ばれて、怖い思いをした。
琉の妹の双子は、ドキドキしながら3つのゲートを通り、最後のゲートのパネルに写るAIのお姉さんに「これ学園長の息子さんにもらったんですけど」と五十嵐瑛の名刺と裏のメモを見せると、ゲートが自動的開いた。ほっとした2人に涼が優しく簡易桔梗バンドを着けてくれた。
「もしかして、違っていたら御免ね。琉君の妹さん?」
「はいそうです」緊張が解けて半泣きの玻璃が答えた。
「お兄ちゃん、招集係で今はグランドにいるけれど、最初の瑠璃ちゃんの競技が終わったら、瑠璃ちゃんと一緒に保育施設に行くから、後で、お兄ちゃんが迎えに来るよ。俺はお兄ちゃんの友達の、榎田涼って言うんだ」と言って、グランドの外来者の観覧席まで2人を連れて行ってくれた。
「琉~!妹来たよ」
グランドの上から大声で、琉に叫ぶと、琉は妹を見つけて大きく手を振ってくれた。
「涼」と観客から声をかけられ振り返ると、母の榎田真理が座っていた。
「涼、舞子さんのお母さんってどこにいらっしゃるの?」
「すいません。初めましてご挨拶が遅れました。舞子の母の勝子でございます」
真理のすぐ目の前に座っていた女性が、立ち上がって振り向いて、挨拶した。
涼はすぐさま腹をくくって、
「母さん。こちらが舞子のお母さんです。勝子さん、こちらが母です」
その先は、大人の会話が始まったので、涼は「すいません。自分、受付の仕事に戻らなければならないので」と、すすっと後ずさりをして、観客席を後にしようとすると、
1人の高齢女性に呼び止められた。
「すいません。板垣圭という子はどこにいるのでしょうか」
「圭ですか?圭は午後の発表の準備で、多分体育館にいると思うのですが、失礼ですが、圭さんとのご関係は?」
「圭の祖母です」
圭は自分を育ててくれた祖母をこっそり呼んでいたのだ。
「あ。探してきます。少し待っていてください」
と言って、涼はスロープを昇る人波を器用にかき分けて、5階のグランドから2階の体育館まで駆け下りていった。
圭はすぐ見つかった。蹴斗と賀来人とお揃いの「ドローンレース部」というビブスを付けていたからだ。
「圭、今少しいい?」と言って涼は圭の耳に口を寄せて、「観客席に圭のお婆ちゃん来ていて、圭を探しているんだけど」と言った。
圭は2人に「御免。すぐ帰ってくるから」と言って、涼の後について、5階まで駆け上がった。
「おばあちゃん、ありがとう。よく来れたね」
「健の船がちょうど帰っていて、受付まで送ってきてくれたんだぁ」
「父さんが帰っているんだ。父さんには桔梗学園のこと直接は話してなかったもんね」
「不登校だからって、勝手に高校退学してって、びっくりしていたよ」
「まあ。元気だからって、言っておいて。私の出番は午後だから、あーどうしようか。1人で来られるかな。体育館に。」
涼は圭の心配に気がついて、
「母さん。こちら、クラスメートのおばあさん。午後の体育館の出し物にお孫さんが出るんで、それまで一緒にいてくれる?」
小学校教員の真理は、すぐ息子の意図を理解した。
「東城寺さん、こちらの方も一緒でいいですよね」
3人で午後まで過ごしてくれるらしい。
出入り口近くの観客席では、紅羽の叔母の智恵子と、妹の碧羽が一緒に座っていた。階段を下りて持ち場に戻ろうとした涼は、入寮の日一緒に来た智恵子を見て、挨拶した。
「こんにちは」
「久し振り、榎田君。元気だった?こちら紅羽の妹の碧羽」
そこへ紅羽が上がってきた。
「碧羽、久し振り。あー。ここにいるのは、クラスメートの榎田涼君。東城寺舞子さんと一緒に入学してきたの」
「あー。あの」碧羽の返事に涼の眉が曇った。
「涼、違うんだって、碧羽は涼が潔いって、褒めているんだよ」
涼は片方の眉を上げて、「どうも」と言った。
涼が紅羽の耳に口を寄せて、舞子の母がいる場所を教えた。
紅羽も涼の耳に「一緒に話している人は?」と尋ねた。
「俺の母さんと、圭のお婆ちゃん。お婆ちゃんには、圭はあんまり真実を話してないらしい」
「やばいね」
ささやきあっている2人に向けられる碧羽の視線を感じて、涼は紅羽から離れた。
それから少し声を張って、
「智恵子さん、碧羽さん、頼みがあるんですが、あそこに2人並んで、グランドに手を振っているのは、俺たちのクラスメート大神琉の妹なんです。小学生なんで、ちょっと寂しいかと思うんで、迷っていたら声をかけてやってくれませんか」
涼にも妹がいるが、この会場にいたら寂しいだろうなと考えてしまった。
突然会場が暗くなった。涼が急いでグランドに下りていった。
グランドの上部の大型映像装置に巨大な時計が映し出された。時間は「9時」。
その時計をコロコロ転がして、桔梗学園マスコット「ココちゃん」が現れた。
「本日は桔梗学園体育祭にようこそ」と言って
両手を広げると、走り回っている体育祭実行委員の面々の顔が映し出された。
最後に、実行委員長越生五月の顔が映し出され、
「本日は一日楽しんでいってください」と挨拶した。
実は、映像などの演出は晴崇が行っているのだ。
大型映像装置の映像が消えると、グランドの屋根が静かに開いた。
そこにはD2と書かれたドローンが一機浮かんでいた。
ドローンが静かにに高度を下げ、グランドに着陸すると、そこからは真子学園長が下りてきた。会場が拍手に包まれた。
「すげー。オリンピックの開会式みたいだ」柊が本部で感嘆の声を上げていた。
「みなさん、こんにちは。本日はようこそ桔梗学園の体育祭においでくださいました。
撮影禁止にご不満の方は多いと思いますが、だからこそ、子供達の勇姿をしっかりと心に刻んで帰ってください。ご来場の皆様には昼食も用意しておりますので、午後までじっくりお楽しみください。
本日出場する選手の皆さん、賞品も出ます。準備してくださった皆さん、ついに本番です。準備はいいですか?」
観客席から「おーーーっ」という歓声が聞こえた。
では、怪我のないように楽しんでください」
そう言うと真子学園長はドローンに乗って、静かに上昇していき、その姿が見えなくなると、グランドの屋根が静かに閉まった。
次回は各競技が始まります