初めての日曜日(午後)
初めての日曜日、中身が濃いので2回に分けました。
紅羽が鞠斗と2人で話しているのを、舞子と涼は遠くから観察していた。
「なんか、絵になる2人だね」
「バスケが好きって共通点もあるしね」
「涼、紅羽の子供の父親、知ってるの?」
圭が舞子を伺った。
(紅羽の相手については女子だけの秘密ではなかったか?涼に話すにしても、紅羽の許可がいるのではないか?)
しかし、圭の心配をよそに、涼はその話を続けはしなかった。
「紅羽の相手は、桔梗高校の誰かではないかって予想はしていたけど、紅羽はもうそいつに義理立てする必要ないじゃん」
今までの涼とは思えない返事だった。涼も1週間で色々考えることがあったのだろう。
「舞子、圭。それより時間だ。三川さんが待っているよ」涼に促されて、3人は武道場に向かった。
武道場では、三川と午前圭と一緒に研究していた笹木が待っていた。
「初めまして、東城寺舞子さん。私、動作解析が専門の笹木と申します。こんなトップアスリートのデータの解析に携われるなんて光栄です。
昔は、反射マーカーを付けて動作解析をするのが主流でしたので、2人の人が組み合う動きとか、柔道着を着た選手とかは、三次元動作分析装置が最も苦手としていました。
ですが、反射マーカーを使わない技術が開発されたので、今回それを使って舞子さんの動きを計測してみたいと思います。」
舞子と涼は、柔道着の下に、笹木が用意した長袖、長ズボンのボディウエアを着用している。
このウエアには、反射マーカーの代わりに極細の電極が、格子状に張り巡らされていて、柔道着を通して、電気信号を動作分析装置に送るのだ。
「最初に4月の全日本女子柔道選手権の、舞子さんの1回戦のビデオを見てください」
開始早々、相手が内股をかけてきたのを、舞子が足を軽く上げてすかし、相手が自分の勢いそのままに一回転して飛んでいった映像だった。
「では、涼さん、ビデオと同じ角度で同じように舞子さんに内股をかけ、舞子さんがビデオと同じようにすかしてください」
午前いっぱいで、笹木は柔道用語までマスターしてくれたようだ。
涼は、対戦相手の、釣り手と引き手の位置を何度か確認して、試しに、ビデオと同様に技をゆっくりかけた。
「こんな風に入るぞ」舞子に確認を取ると、今度は試合と同じように全力で技をかけた。
舞子は、足をひょいと外して、見事な内股すかしで、涼を投げた。
すかした足を上げたまま、一本足で「これでいいですか?」と笹木に聞いた。
圭は目にもとまらぬ技と、涼の落下音の大きさにビクッと肩を震わせた。
「すごい」
笹木も興奮していった。
「涼さんもすごいですね。全く同じように技に入れるんですね」
「あまり上手くいきませんね。組み手が逆ですから」
「すごいでしょ。涼は本来、左組なんだけれど、右組でも同じように技をかけることができるの」
舞子が我がことのように自慢する。
舞子も涼と同じ左組なので、2人は相四つという組み合わせだが、対策の時は、涼に喧嘩四つを頼むこともできるのだ。
舞子が試合前に、対策を十分立てることができ、勝利を重ねてきたのには、涼の存在があったのだ。
そんな話をしている間に、コンピュータで動作解析が終了し、画面には、3Dの映像ができあがった。画像変換すると、本来相手の体で見えない部分もみえるように、涼の体が透明な針金人間になった。
「ここのビデオが役に立って嬉しいです」三川が大げさに喜んだ。
「すごいですね。相手の小さな初動に対応して、舞子さんは位置をずらしている。反応速度が異常に速いですね。上げた足をいつまでも下ろさないでいられる両足の筋肉、バランス。それから大臀筋や腸腰筋も発達していますね」
笹木とは違う観点で、圭が話し始める。
「釣り手って本当に釣り上げるんだね。あれ?舞子と涼の釣り手は形が違う」
舞子と涼は画面に目を凝らした。涼が言った。
「あー。舞子の釣り手は親指と人差し指、中指で釣り下げるように襟を持つけれど、俺は親指、人差し指は軽く持って、後の3本で巻き込むようにするよね」
笹木が興味を持って、その違いを確認して質問した。
「技によって変わるんですか?それとも性別や腕力の違いで、釣り手の持ち方は変わるのですか?」
「考えたことなかった」天才肌の舞子は、ぼけーっと答えた。
理論派の涼は、自分なりに分析した。
「柔道では、小さい頃背負い投げから習い始めるんだ。そうすると、俺みたいな釣り手の方が襟を上手く巻けていい」といって背負い投げの形をやって見せた。
「でも、こうやって技に入ると肘を痛めやすい。また最近の柔道着は襟が堅いから、この形の釣り手だと、力のある人しか最後まで襟を巻けないという弊害がある」
「舞子は小学校から年齢の割に背が高かったので、背負い投げをほとんどしてこなかった。そして、相手の襟を上から持って押さえつけることができたんだ」
舞子がふざけて、涼の襟を持って頭を押さえつける。
「まあ、こんなふうにだな。もうわかったから、やめろよ」舞子が肩をすくめる。
「相手の首の後ろの襟を持つと、自然と親指から中指の3本の指を使うことになる。そして、この持ち方の良いところは、こうやって手を返すことによって、指が襟から離れても、手の甲で相手の後ろ頭を巻き込んで投げることができる」
圭はその話を聞いて、ゲームのジョイコンの角度について考えていた
(ジョイコンの角度は、舞子タイプの釣り手と、涼タイプの釣り手の両方に反応させないといけないのか。ボクシングより複雑だな)
このように舞子の持ち技すべてについて、データを取り終わるまで、涼は投げ続けられた。
その間、舞子は何度か、悪阻で、洗面所に駆け込んでは、吐いていた。
今日の撮影が終わった後、2人は、三川からスポーツドリンクをもらって飲んでいた。
「お疲れ様です。舞子さんは胃酸で歯が溶けそうなので、良く口をゆすいでから、ドリンク飲んでくださいね」と三川杏は、舞子の体に気を使った。
「舞子は小指を立ててペットボトル飲むんだね。きどってる」
圭が茶化す。
すると、涼が自分の手を見つめて、考え始めた。
「俺は小指を離して、ペットボトルを飲んだことがなけど、小さい頃からそうだったよな?
もしかしたら、釣り手の持ち方と同じかもしれない」
笹木が食い付いた。
「ペットボトルの持ち方に違いについて、統計を取るのもいいですね。
ああ、駄目だ。今は舞子さんの動作解析しなければ、研究論文の案が一つできたのに、来年それに取り組んでみよう」
笹木と圭は、また地下の研究所に潜っていた。
「夕飯は?」舞子が聞いた。「お握り頼んである」圭が答えた。
「今日はありがとう。期待しているね」
「今日は早めに寝ろよ。朝から測定ばかりで、午後は大分、吐いていたろう?休養も大切だから」
圭にしては優しい言葉が帰ってきた。
「涼も、いつもありがとう。すべての対戦相手と同じ技がかけられるパートナーがいるなんて、私は幸せなんだなって。今日実感した」
(今更気づくなよ)
「お休み。俺も早めに寝るよ」
部屋に帰ると、柊と琉のいびきが廊下に響いていた。彼らも大変な休日を送ったようだ。
明日は「初めてのお使い」の話を書こうと思っています。