舞子と涼
桔梗駅から桔梗高校を過ぎて、農道をまっすぐ進むと標高700メートルほどの桔梗ヶ山がある。その山の南斜面に、東城寺という寺がある。山全体が東城寺の所領である。桔梗ヶ山と並行に並ぶように藤ヶ山という,これも500メートルほどの標高の山があるが、二つの山に挟まれた谷には、広大な桔梗ヶ原が広がっていて、そこも東城寺の所領である。
ちなみに藤ヶ山は西願神社の所領である。西願神社には、東城寺の現住職東城寺悠山の妹が宗教を越えた恋を実らせ嫁に行っている。
藤ヶ山は、北に広がる日本海からの津波から、桔梗ヶ原を守るようにそびえている。
2011年の東日本大震災の後、津波被害のない平地のニーズが高まり、藤ヶ山と桔梗ヶ山に囲まれた、桔梗ヶ原に大規模な工業団地の計画が持ち上がった。それを強力に後押ししたのは桔梗村村長だった。
以前から進んでいた藤ヶ浜原発の計画が、震災の影響で頓挫したため、当時の桔梗村村長は、新たな財源として工業団地を誘致しようと考えたのだ。
しかし、工業団地誘致に反対している東城寺の住職悠山は、その土地を桔梗学園建設のために寄付してしまった。
その時に、孫娘、東城寺舞子の桔梗学園への入学が約束されたかは神のみぞ知ることである。
舞子は、悠山の娘勝子と婿の誠二とのあいだの子だ。悠山には息子がいなかったので、跡継ぎは勝子にするつもりでいた。
東城寺の遠縁から婿入りしてきた誠二は、悠山の気持ちが変わって自分を跡取りにしてくれる希望を捨て切れてはいない。しかし、藤ヶ浜原発推進派の村長を応援していた誠二を悠山は信用してはいなかった。工業団地誘致の話にも乗り気だった誠二は、悠山のやり方に不満をくすぶらせていた。
誠二はほどほどの能力の男だった。東城寺の柔道場での実力もそこそこ。高校まで柔道を続けたが、県大会2位で最後の大会を終えた。大学は仏教系の大学に進学したが、そこでも柔道部には入ったが、団体戦のレギュラーにはなれなかった。
誠二と勝子の間には一男一女が生まれている。長男は悠太郎。現在、柔道の強豪校T大学に進学し、2年ながら柔道部では団体戦の中堅として活躍している。
長女の舞子は、生まれた時から4キロ近い赤ん坊で、小学生でも中学生でも重量級のチャンピオンだった。悠太郎とは二つ違いで、お互い良い練習相手だった。女子の成長は男子より早いので、小学生まで体格は互角だった。
兄妹は中学の練習が終わった後も自宅の道場で、9時過ぎるまで稽古をさせられた。誠二のしごきは酷く、誠二は自分の叶えられなかった夢の実現のために子供たちを育てているようにも思われた。
榎田涼は東城寺の柔道場で、幼稚園の頃からそんな2人を見て育った。涼は舞子と同じ年だったのでよく乱取りをしたが、立ち技では身軽さを生かし、舞子を倒すことは出来たが、寝業の練習では体格差はどうやっても埋められなかった。小学校6年の道場内の練習試合でも、50キロの涼が90キロの舞子に縦四方固めで押さえ込まれていると、つきたて供え餅の下から、足が2本見えているだけと言う状態で、涼が「デブ、どけ」と泣き叫んでいる現場を多くの人が見ていた。
しかし、悠太郎が桔梗高校に進学すると舞子の相手になる中学生はいなくなり、軽量級にしては背が高い涼が、いつも舞子と組むことになった。舞子たちの代の子供は軽量級が多く、涼以外の中学生には舞子を担ぐことも投げることも出来なかった。また、涼には、舞子を怪我させずに余裕で投げる力があり、当然涼の長い手足と並外れた力は、全国でも通用するものになっていった。
舞子は柔道の推薦枠で、柔道の強豪桔梗高校に進学した。そして県下有数の進学校でもある桔梗高校に、涼も一般受験をして合格した。毎日舞子の練習相手を務めながら、受験勉強をする涼の心には、舞子に負けたくないというライバル心と、舞子の相手を他の人には譲りたくないという気持ちがあった。
舞子は1年生からインターハイに出場し、2年ではインターハイを制覇してしまった。
涼も2年生でインターハイに出場し、ベスト4まで進出した。
父の誠二は、舞子をオリンピック選手にしようと高校生になってからは、ますます厳しい練習を課した。部活動が終わった後も、東城寺の道場で毎日10時近くまで練習させた。
兄の悠太郎が大学に進学してからは、涼を毎晩、道場に呼び出し舞子の練習相手をさせていた。
舞子と涼は高校3年に進級し、春の地区大会が終わった日も東城寺道場で練習をしていた。
新月が窓からのぞく静かな道場で、稽古が終わった舞子と涼の2人は、濡れた柔道着を脱いで、Tシャツと柔道着の下履きだけの姿で広い道場を掃いていた。今日は、誠二が柔道部保護者会の祝勝会に参加すると言って出かけている。
「涼、遅くなったけれど帰る前に誕生日プレゼント渡すね」
2人のプレゼント交換は中学生から続いている。4月2日生まれの舞子と3日生まれの涼。体重だけでなく誕生日も1日負けているのが、涼にとっては悔しいのだが、手作りのものを送り合うのが暗黙の了解だった。
舞子は涼のために、ブルーのゆったりしたオックスフォードシャツを手作りした。
「涼は強化選手になったから、東京での強化練習会の時に着てね。外に出るときジャージでカッコ悪いって言っていたでしょ?」
舞子は柔道をしてはいるが家庭的で、裁縫や手芸、菓子作りが大好きで、東城寺の法事などの料理も母親と一手に引き受けている。
シャツは売り物にしてもよいぐらいの出来で、涼が目を見張っているのを舞子は満足な顔で見ている。
「着ていい?」
涼は濡れたTシャツを脱いで、素肌にシャツを羽織った。涼は、3年になって一回り体が大きくなったが、それでもゆったり着られるサイズだった。
涼の方も小さな紙袋を渡した。
「開けていい?」
中からは、小さなダイアモンドをペンダントヘッドにつけたネックレスが出てきた。
涼は、見かけによらず手先が器用で、毎年、刺繍をしたハンカチや手作りのアクセサリーなどを贈ってきた。しかし今年は18歳の誕生日なので、どうしても誕生石のダイアモンドをあしらったアクセサリーを贈りたいと考え、1年間自作のアクセサリーをネットで販売して、コツコツと資金を貯めていたのだ。
「つけてくれる?」
夜の道場は薄暗く、涼は背をかがめて、クラスプをつけようとした。乱れた髪が首に張り付いて邪魔なので、「髪を持ち上げて」と言うと、舞子は「ちょっと待って」と一端髪をほどいて結び直した。舞子の緩い天然パーマは、短いと髪が爆発するので、いつも一本に結んでいる。そのゴムも涼が、毎年3本のゴムをきつく三つ編みにして作っている。
もう一度、かなり顔を近づけてクラスプをつけようとした。首筋に涼の息がかかる。
舞子が振り返ると目の前に涼の顔があった。照れかくしに舞子は言った。
「デブ臭がするでしょう?」
「お前のことデブなんて思ったことない。だいたい痩せないように、誠二先生に、無理矢理食べさせられているじゃないか」
「小学校の頃、デブって言ってたじゃない」
「そんな子供の頃のこと。お前だって俺のことちびって言っていたじゃないか」
「今は背も追い抜かれちゃったね」
身長170センチで自称98キロの舞子は、体重だけでなく身長でも女子選手としては大柄で、恵まれた体格を生かして試合に勝ってきたが、その体格は悩みの種でもあった。
しかし、涼は高校3年生の今は身長175センチで、軽量級の階級に体型を維持するために10キロ以上の減量をしなければならなかった。
「憧れの壁ドンしてやろうか」
壁ドンの後、2人の影が重なって、その後何があったかは、窓の外の新月だけが見ていた。
高校生の男女を2人きりで、夜練習するように命令したのは、舞子の父である。責任は本来大人が担うべきである。