あれから10年
今日で、本編は終わります。続編や、後日談はまだ書くかも知れませんが、長い間、ご愛読ありがとうございました。
超満員の飛騨GFドームでは、今まさに女子ワールドカップの決勝が始まろうとしていた。決勝のカードは日本対キューバ。昨年、キューバチームに優勝が奪われ、今年はその雪辱を晴らそうと、日本チームは燃えていた。
7年前、世界女子野球リーグが発足して以来、女子野球の人気はうなぎ登りで、今回のチケットも中々一般では手に入らなかった。狼谷一家も、今回、三津が始球式に出るというのでバックネット裏の特別な席が用意された。
「父さん、始球式って打たれちゃうもんなの?」
狼谷柊と三津の8歳になる息子桐は、我が事のように顔を赤くして、恥ずかしがっていた。
始球式で三津が投げた球は、素晴らしいストレートだったはずだが、バッター米納津虹華が、容赦なく、バックスタンドまで運んでしまった。三津は大げさに嘆いて見せて、球場の笑いを誘った。
「まあ、普通は空振りしてくれるもんなんだけれど、虹華選手は、そうしたくなかったんじゃないか?」
柊も、日本チームのベンチにいる米納津監督をちらっと見て、笑いを堪えながら答えた。監督は野球帽の下で目を押さえているところを見ると、想定外の出来事だったということが分かる。
数年前、同性でも正式に入籍できるようになったので、米納津雲雀監督と、チームのキャプテン佐曽利虹華は結婚した。虹華のファンはそこで減るかと思いきや、ますます増え、今日もダイアモンドを悠々と走る虹華には、大きな拍手と嬌声が飛んでいた。
「母さんって情けない。大リーグの鷲尾岳人選手からホームラン打ったって言っていたのも本当は嘘なんじゃない?」
「兄ちゃん、嘘じゃないよ。ウィキペディアで、鷲尾選手を調べてみなよ。鷲尾選手から最初にホームランを奪った選手で、母さんの名前が載っているよ」
桐の2歳下の妹、桜は、タブレットでデータを開いて、桐の膝にぽんと乗せた。
「お決まりのショーよりずっと面白いじゃない?ねえ、梢ちゃん?」
柊の妹の梢も今は、小学6年生だが、誰もが目を引く美少女になっていた。いつもは母の椿と一緒に、岐阜分校にいるのだが、今日は特別な席に座れると言うことで、兄たちの隣に陣取っている。母の椿は色々と多忙なので、普段は岐阜分校のコーチになった山田一雄や京が、梢の面倒を見ている。
「そうだね。コーチの一雄ちゃんも頭抱えているから、虹華様の独断だね。素敵」
ここにも虹華様ファンクラブが1名いた。
桐は桜から渡されたタブレットで、自分の母親の名をサーチした。
「へー。母さんって、世界女子野球大会でMVPになったことあるんだ」
「兄ちゃんまさか、今日初めて知ったの?最優秀投手賞を『狼谷賞』って言うじゃない。あれ、うちの母さんが、女子リーグ初代最優秀選手賞を受けたから、その名前になったんだよ」
「そうなんだよね。その時、次点が虹華様で、そこから2人の因縁が始まったの」
ダイアモンドを悠々と走る虹華に、梢は熱い視線を送っていた。
「梢、2人はそんなに仲は悪くないよ。ほら見てご覧」
ホームベースまで回った虹華は、泣き真似しながら帰って行く三津に走り寄って抱き上げた。三津も泣き真似を止めて、スタンドに両手を振って、二人仲良く帰って行った。
「ずるい。三津ちゃん。私も抱っこして欲しい」
「何言っているんだ。抱っこして貰ったことあるぞ。ほら」
柊は、夏の全国高等学校野球選手権の夜、打ち上げ会場で、虹華に抱き上げられている写真を、自分のスマートフォンから探し出して、梢に見せた。
「うそ。兄ちゃん。この写真転送して」
「梢、岐阜分校にいるんだから、何度でも会えるだろう?」
「お子さんの鷹希や鳩虹とはよく遊んでいるんだけれど、お迎えはいつも雲雀監督なんだよね。食堂で虹華様を見かけても、尊くて、話しかけられない」
「こじらせているな。俺はミナちゃんの方が可愛いと思うけど」
桐は、秋田分校で監督兼選手で活躍しているアン・ミナがお気に入りのようだ。
女子野球を支えているのも、岐阜分校から各チームに散らばった実力派選手の存在だった。
話題の三津は2回の表が始まる頃、着替えを終えてやっと帰ってきた。
「お待たせ。飛騨GFドーム名物、『佐曽利シェイク』を買ってきたよ。それから、梢ちゃんは、虹華のサイン入りのユニホームが欲しいんだっけ?さっき私が着ていたユニホームにサインして貰ってきたよ」
「ありがとうございます。三津様」
「虹華が不思議がっていたよ。『いつも会っているんだから、サインなんているの?』って」
「いいんです。『押し』とは、遠くから拝むものなんです」
「そうそう、柊、さっき宮内庁の人が、『貴賓室においで下さい』って」
柊は、ものすごく嫌そうな顔をした。
「なんで、元同僚に貴賓室に呼びつけられなきゃならないんだ」
「まあまあ、暇なんじゃない?今日は治子内親王様もいらしているみたい」
「島根分校にいらした時はみんな一緒に保育施設にいたな。同じ年だから桐も、治子ちゃんに会いたいよな」
「俺は行かないよ。変な噂を立てられても困るから」
柊は三津と顔を見合わせた。
「そりゃ、そうだ。同じ年だからって、お婿さん候補にされたら困るもんな。じゃあ、子供達は置いて行くか」
「兄ちゃん、私は試合が見たいからここに残ります。子守もしますよ」
桐と桜は「子守」と言われて微妙な顔をしたが、行きたくないことは共通見解なので、黙って手をひらひらして、親を送り出した。
貴賓室は10年前と変わらない佇まいだったが、今回は、恋子が天皇になったので、「天覧試合」になり、警備も物々しくなっていた。
「失礼します」
宮内庁職員に導かれ、柊と三津は貴賓室に入った。
中では、子供達を連れていかなかったせいか、少し残念そうな顔が出迎えた。
10年前、氷高の渡した名刺から、恋子内親王と小畑氷高は連絡を取り合い、最終的には結婚するまでになった。そして、恋子は皇室から離れ自由の身になった。
氷高は、柊の協力で「山陰医療センター」のセンター長に就任し、恋子も日赤の嘱託を辞め、「山陰医療センター」で夫氷高を支えた。
2人は男女2人ずつ4人の子供を持ち穏やかな日々を送っていたが、5年前、突然、女性天皇を合法とする法案が国会を通ってしまった。それは、震災の間、海外に避難していたことで、先の天皇の弟君への信頼が国民から失われたことに加え、その次の天皇候補春仁様に、子供が生まれなかったことが、国に危機感を感じさせたからである。
そこで、突如、皇居に呼び戻された2人は、子供を4人も産んだことをかなり後悔した。しかし、それも後の祭り、また、最初に生まれた子供は女児だったことで、自動的に長女治子内親王にも、天皇の可能性が出てきてしまった。
そして、今年2030年、令和天皇が80歳になり譲位したことで、恋子天皇が誕生してしまったのだ。
自動的に氷高は、「氷高皇配」として宮中で、天皇を支える役目を持つことになった。
「恋子天皇、遅ればせながらご即位おめでとうございます」
柊と三津は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。山陰医療センターは、東雲水月さんがセンター長におなりになったと伺いました。お元気でしょうか?」
柊は、上品に笑って答えた。
「はい。看護師長には鷲尾美丘さん、子育て大学の方も東城寺舞子さんから、百々梅桃さんに理事長が替わりました」
「では、狼谷柊さんは、大学の運営から外れたのですね」
「はい。3年前からアートコーディネーターとして活動を始めました」
恋子天皇は、三津にも笑顔を向けた。
「奥様は、プロ野球選手を引退されたんですよね」
三津は「奥様」という言葉に引っかかったが、大人げないのでそのまま答えた。
「はい、現在は産婦人科医として、桔梗村に戻って働いています」
「お子様達は今日は、球場に来ていないのですか?」
「来ておりますが、試合に夢中で」
「治子が会いたいと申しておりましたのに」
氷高皇配は、柊の耳元で囁いた。
「特に、息子さんは連れてきたくなかったのではないですか?」
柊は、涼しい顔で答えた。
「息子は、アン・ミナさんのファンなので、今日を楽しみしておりました」
治子が少しがっかりした顔をした。
貴賓室には、中国四国州知事が次に挨拶に来たので、柊達はそのままお暇をした。
少し氷高が寂しそうな顔をしたが、柊は満面の笑顔で退室を述べた。
部屋を出るなり、三津が柊に話しかけた。
「氷高さん寂しそうだったね」
「そうかぁ?あいつは『皇配』になることも覚悟して、恋子様と結婚したんだから大丈夫だよ」
「そうなの?」
「当時の状況を考えたら、女性天皇の可能性は大いにあっただろう?だから、一般人として5年も暮らせたんだから、良かったんじゃないか?」
「ふーん」
「そして、僕がこうやって自由を謳歌できているのは、三津様のお陰です」
「え?聞こえない」
「いや、何も言っていませんよ」
そう言って、柊は駆けだした。それを捕まえようと三津も駆けだした。2人の子持ちのするような追いかけっこではないが、2人はまだ30歳。
桔梗学園の若者達の物語は、まだまだ未来に続く。
次回作は、ぽっちゃり男子が主人公の学園ドラマです。乞うご期待。