戦い終えて
閉会式は、優勝旗も優勝盾も1校分しかありませんが・・・
AI音声の放送が流れた。
「入場行進なしで、そのまま閉会式を行います。両校の選手はキャプテン、副キャプテンを中央に、正面を向いて並んでください。また、応援席等にいる両校すべての選手もグランドに入り整列してください」
磯部凪は、「私も下りていいの?」と周囲に聞きながら走り出した。
岐阜分校から次々と補欠選手がグランドに下りるのにつられて、仙台A高校のスタンドで、応援に明け暮れていた数十人の野球部員も駆け下りてきた。
高野連の役員は、「聞いていない」と不満顔だったが、柊が「どうせ、メダルもないので何人下りてきても関係ないですよ」と言うと、「それもそうだ」と変に納得してしまった。
空飛ぶ車椅子に乗った昇太も、救護室からやってきて、副キャプテンの位置に収まった。
閉会式は突然の暗転から始まった。2枚の巨大スクリーンには、2校のこれまでの得点シーンが次々と流れた。虹華が凪をお姫様抱っこして退場するシーンも映し出された。
そして、最後に決勝の得点シーン。三津のホームランに、小さくガッツポーズする柊の姿。
三津が頬に手を当てて、最大にデレる。
監督の悲喜こもごもの顔。
虹華が祈るように両手を組んで、「尊い」と涙ぐんでいる。
スタンドの応援の姿。
風太と琳は、自分の姿を見つけて大はしゃぎしている。
すべての映像が終わった後、スポットライトが当たり、恋子内親王の挨拶が始まった。
続いて、高野連会長の挨拶だが、約束の5分が過ぎるとスポットライトが消えてしまった。またしても、挨拶が長かったようだ。
続いて、スポットライトは2校のキャプテンに当たった。
マリーネと岳人が2人で優勝旗を受け取りに前に進んだ。
「まるで、結婚式みたいだね。ゴメンね。私には夫と子供がいるの」
「結婚式じゃないから」
岳人が苦笑いした。
優勝旗の後は、優勝盾授与だ。虹華が車椅子の昇太の肩に手を置いた。
「盾は重いから、小鳥遊君が持って」
冷たそうな虹華から、意外な言葉を聞いて、昇太は虹華を見上げた。虹華は雲雀の横顔しか見ていなかった。
続いて、AI音声が流れた。「では、選手の皆さん。スタンドの方を振り返って下さい」
振り返った選手にスタンドから、大きな拍手が送られたが、どうも様子がおかしい。何人もの観客が、選手を指さしている。
「おい、お前の胸にメダルが映っている」
「補欠も含めて全員の胸に、メダルが・・・」
映像担当の賀来人が、決勝後に作った力作だ。多少選手が動いても、メダルは胸に下がっているように見える。
AI音声が続けた。
「では、監督、選手の皆さん。中央に集まってください。両校で記念写真を撮ります」
両端から押されて、マリーネと岳人の肩が触れた。
「ゴメンね。私には夫と子供がいるの」
そう言いながら、マリーネが岳人の肩に手を回してきた。
「おい。夫がいるんだろう?」
「私の夫の愛は海よりも広いんです。仙台A高校の皆さん。後ろの人はもっと岐阜分校の後ろに広がってください」
3年間ずっとスタンドで応援を続けていた仙台A高校の補欠選手達は、監督の指示を受けないと中々行動に移せない。
決勝で出番がなかった岐阜分校の投手陣が、業を煮やして、仙台A高校の後ろの選手を引っ張ってきた。試合に出たのに後ろに引っ込んでいた美丘は、磯部凪に腕を引っ張られ、岐阜分校サイドに連れてこられた。
「あの後ろでいいです」
「いや、みんなに顔を覚えて貰わないと」
振り返ったマリーネが、空いているもう一方の手で美丘の肩を抱き寄せた。
「いいね。鷲尾姉弟、両手に花だ」
「おーい。みんな、正面向いて、写真撮るよ。キ・ム・チ」
賑やかな写真撮影が終わって、閉会式も終了したタイミングで宮内庁の職員が、仙台A高校の監督に話しかけた。
「お忙しいところ、申し訳ありませんが、恋子内親王と懇談会がありますので、選手2名を連れて貴賓室においで下さい。あれ?岐阜分校の監督は?」
仙台A高校の監督は面白そうに、岐阜分校のスタンド前を指さした。
「監督の胴上げをするんだそうだ」
「ああ、では、すぐ終わりますね」
「そういくかな?」
岐阜分校の胴上げの輪は、スタンドから下りてきた応援の人々も参加して、とてつもなく大きくなった。
「みんなー。優勝したよー。雲雀監督の胴上げできるよー」
虹華はもう雲雀を抱き上げていた。
「投げ上げるのは、3回までだからね。あまり高く上げないでね。きゃーーー」
雲雀の叫びは、歓声にかき消されていた。でも、雲雀の上半身は、虹華が死守しているので、危険はなかった。
「優勝、万歳ぃー。わっしょい、わっしょい、わっしょい」
無事下ろされた雲雀に、虹華はどさくさに紛れてまだ抱きついていた。
「こら、次は?百合さんは?」
三川百合と星椿は、君子危うきに近寄らずと、スタンドでひらひらと手を振っていた。
「あれ?母さん。なんで、母さんがいるんだ?」
柊の声を聞きつけた涼が、大きな声を上げた。
「皆さん。今回の総務、狼谷柊も胴上げしたいと思いますが、いかがですか?」
「いいよー。おー」
恐ろしい「女性」の雄叫びが聞こえた。涼はそれに付け加えてとんでもない提案をした。
「皆さ~ん。狼谷柊君を胴上げする前に、彼のポケットには大事な結婚指輪が入っています。落とすといけないと思いませんかぁ~」
「いけないなー。胴上げの前に指輪交換をしろー」
後で誰もいないところで、二人っきりで指輪を渡そうとしていた柊は、ダッシュで胴上げの輪から逃げだそうとしたが、涼の力にはかなわなかった。輪の反対側から、アン・ミナに担ぎ上げられた三津も運んでこられた。
大きな円の中央に置かれた柊と三津は、逃げ出す場を探して周囲を見回したが、チームメイトや応援の人達が幾重にも円になって、芝に腰を下ろしていた。
三津は、貴賓席にいる恋子内親王がこれを見ているという確信があった。
「柊、お願い。ここで指輪交換をしよう」
「いいの?こんなところで」
「最高の舞台だわ」
涼が2人の間に立って、左右それぞれの手に、深い紫色のリングケースを持った。
柊が深呼吸をして、ケースから女性用リングを取りだし、ぎこちない手つきで三津の指にはめた。
三津も、男性用リングを柊にはめながら、小さい声で囁いた。
「結婚式だったら、ここでキスがあるんだけれど」
三津の小声を聞き取った涼が、神父さながらに厳かな声で宣言した。
「では、誓いのキスを」
柊は、恨めしい目で涼を見上げた。それでも、三津の腰を抱いて、おでこに軽くキスをした。そこで離れようとすると、三津に両頬を挟まれ、唇にキスを返された。
貴賓室の恋子内親王は、二人のキスシーンを見たくなくて、グランドが見える窓から離れた。
「もう少し、時間がかかるでしょうか?」
「すいません。恋子様、職員を呼びに行かせているのですが、お帰りの時間もありますね。呼んで参ります」
もう一人の職員も部屋を出て行ったので、恋子は貴賓室で図らずも一人になった。有り難いことに、目に浮かんだ涙も、誰に見せることなく拭くことが出来た。
トン・トン・トン
ドアを叩く音がするので、恋子は深呼吸をして、いつもの笑顔を顔に貼り付けた。
「どうぞお入り下さい」
「失礼します。選手と監督が後5分でこちらに参ります。椅子を並べますので、失礼します」
入ってきたのは、小畑氷高だった。
「すいません。総務の狼谷がご覧の通り取り込んでいますので、代わりに参りました」
恋子内親王は、人の顔を覚えるのは得意であった。
勿論、御礼を言うために那須の御用邸に呼びつけた氷高の顔も覚えていた。
「あの、もしかして小畑さんですか?」
氷高は、ゆっくり恋子内親王のほうに顔を向けた。思いがけず声をかけて貰って、天にも昇る気持ちだったが、苦労して平静を装った。
「その節は、失礼いたしました」
「いいえ、わざわざ那須まで来ていただいたのに、私こそ失礼いたしました。あの後、母に教えて貰ったのですが、小畑さんと私は、小さい頃お目にかかっていたんですよね」
跳び上がりたい気持ちを抑え、氷高は声を一層落として答えた。
「思い出していただけましたか。私は、小さい頃はかなり太っていましたので・・・」
「いいえ、私が小さい頃、いじめに遭っていた時も、守っていただいたこともあったのに、すぐに気がつかず失礼いたしました」
外から人の話し声がした。
氷高は、すっと胸ポケットから名刺を出して、恋子内親王に渡した。
「私、現在、桔梗村の診療所で医者をしています。お近くにお寄りの節はお声がけ下されば幸いです」
名刺の裏には、氷高の個人的なアドレスも手書きで書かれていた。恋子内親王は、それをスーツのポケットにすぐにしまい込んだ。優勝校の監督とキャプテン、副キャプテンが貴賓室に入ってきたからだ。
マリーネと虹華は、シャワーを浴び、この時のために用意した「制服」を身につけていた。
仙台A高校は岳人と美丘。岐阜分校はマリーネと虹華が監督と入室してきた。
貴賓室入り口で岳人がマリーネに囁いた。
「岐阜分校は校歌はないけれど、制服はあるんだ」
「美丘さんにも着て貰うわよ」
「なんで、美丘は岐阜分校には転校はしないぞ」
「この服は、9月にLAで行われる女子野球ワールドカップの日本選手団の制服でもあるから」
岳人は、9月に沖縄で行われる「WBSC U-18 野球ワールドカップ」の選手に選ばれることは確実だったが、姉にもそんなチャンスが回ってくることを、我が事のように喜んだ。
恋子内親王の話を聞いている間も、いつもクールな岳人の口元がほころんでいるので、監督と美丘が不審に思ったくらいだ。
懇談も後半になって、恋子内親王は今後の彼らの夢について尋ね始めた。
「皆さんは高校3年生なんですよね。卒業後の夢などはお持ちですか?」
マリーネは、誰よりも早くそれに答えた。
「2033年4月から、女子プロ野球リーグが発足するのですが、そこで初代チャンピオンになることが夢です」
仙台A高校の監督が眉をひそめた。それを見て、雲雀がマリーネの話を補足した。
「今回の大会に出た選手が、全国の桔梗学園の分校でチームをそれぞれ作る予定です。野球をしたい有望選手はそこで受け入れ、将来的には、チーム運営や球場経営、ホテル経営ができる人材に育てます」
「素晴らしいお話ですね。もう募集は始まっているのですか?」
恋子内親王は目を輝かせた。
「はい。世界中から希望者が殺到しています」
岳人は思わず声を上げた。
「日本のリーグですよね」
「男子選手がどんどん大リーグに挑戦しているんですから、女子野球では、世界の女性が日本リーグにチャレンジして欲しいですね」
「現在の岐阜分校も、外国人が多いのですか?外国人は体も大きいし、有利ですよね」
虹華が厳しい目つきで睨み付けようとしたが、マリーネがそれを抑えた。
「身長155cmの山田のホームランを見ましたか?体が大きいだけでは有利とは言えませんね。ただ、うちの選手が平均より体が大きいのは、栄養とトレーニングのお陰です。日本の野球は練習時間が長すぎて、体を作るのに必要な休息時間も取れませんよね」
マリーネの言葉に、仙台A高校の監督が不快感を表した。
「メンバーが多いと、三部練にしないと練習できませんからね」
「仙台A高校には、優秀な選手がたくさんいるのに、3年間1回も公式戦に出られない選手がいるなんてもったいない。『鶏口牛後』ですよ。うちは、1チーム25人までにしてありますから、1日3時間くらいしかボールを使った練習はしませんね」
岳人はここでも疑問を持った。
「練習時間が1日3時間って、でも、みんな色々なポジションが出来るじゃないですか」
「他のチームは投手だったら投手の練習しかしない分業制ですよね?
1つのポジションしか練習しなかったら、体を壊しますし、他のポジションの考え方が分からなくなります」
雲雀の言葉には、言外に、多くの選手を集めて使い捨てにする強豪チームへの怒りが込められていた。
「お話が盛り上がっているところ、申し訳ないのですが、恋子内親王のお帰りの時間になりました。本日はありがとうございました」
恋子内親王は、宮内庁の職員をとどめた。
「最後に、他の皆様の夢をお伺いしたいわ」
虹華がぼそっと呟いた。
「大好きな人の夢の実現をお手伝いしたい」
「まあ、お好きな方がいらっしゃるのね。鷲尾岳人選手の夢は何ですか」
「大リーグへの挑戦です」
「最後に、美丘選手の夢は何ですか」
美丘は、黙ってしまった。親には「野球をするのは高校までで、将来に向けて何か手に職をつけろ」と言われていた。
「えーと、看護師とか?」
雲雀がすぐさま食い付いた。
「あら、桔梗学園の島根分校に4月から、看護師を養成する大学が出来るのよ。女子野球部もあるから考えてみない?」
日赤で嘱託職員をしている恋子内親王は、その話に首をかしげた。
「米納津雲雀監督、私、そのお話を日赤で伺っていたのですが、確か、医学部をお作りになるのではなかったですか」
「はい。正確に言えば、新しい大学では産婦人科、小児科、助産師・看護師を養成します。もともと島根分校にはもともと保育士を養成する専門学校がありました。でも、先日そこも含め大学とする認可が下り、4月から『山陰医療センター付属子育て大学』として開校することになったのです。山田三津も、そこで看護師の勉強をしながら、野球も続ける予定です。美丘さんにも後で大学のパンフレット渡すね」
「あの、岳人も大学に行くので、私は大学に行けません」
美丘は、何もかも諦めたような顔をした。雲雀はニコニコ笑った。
「大丈夫よ。うちの野球チームの選手として働くんだったら、給料が出る上に、学費は無料。生活費もすべて出るのよ」
マリーネもそれに付け加えた。
「妊娠しても出産費は出して貰えるし、子連れだったら保育園費用も払わなくていいんだよ」
「あの男子選手は募集していないんですか?」
仙台A高校の監督も思わず、声を上げた。
「子供が産めたらいいのですが・・・」
虹華が皮肉たっぷりに答えた。
懇談会が終わった時、美丘は大学のパンフレットを宝物のように抱きかかえて帰った。
仙台A高校の監督には、世界大会に向けた練習スケジュールが渡された。
貴賓室のドアの外では、氷高と柊が並んで、恋子内親王達を見送った。
恋子内親王が立ち去ると、2人はひそひそと話し出した。
「悪い、椅子並べなんて、お医者様に頼んで」
「いや、暇だったからいいんだ。それが指輪か?重ねづけしてもいい感じだな」
「二人で選んだからね」
「今夜は、三津ちゃんと一緒に泊るのか?」
「母さんが、梢を連れて行ったから、やっと水入らずだ」
恋子内親王の耳は、二人の会話を微かに聞き取った。その手はスーツのポケットの中の名刺をしっかり握りしめていた。