9回裏
試合が終わりました。次回は試合のその後の話です。
仙台A高校のエース鷲尾岳人の双子の姉、美丘は、監督が相当の勇気を持って、自分を起用してくれたと言うことが分かっている。しかし、それに気負わないのが美丘だ。回って来るチャンスが少ないので、チャンスが来たら、しっかり期待通りのことが出来る準備をいつもしている。
多分、9回表に他の選手が代打に入ったら、満塁ホームランを狙って、大振りするだろう。しかし、美丘は強肩、磯部嵐の返球より、岳人が早く走れないと判断したので、嵐のいないライト方向に打球を飛ばした。1点入れれば、仙台A高校の同点優勝のチャンスが回ってくるからだ。後は、岐阜分校の攻撃を0点に抑えればいいのだ。
仙台A高校のキャッチャーには、そのまま鷲尾美丘が入った。小学校の頃からの姉弟バッテリーだ。代打の希望者はあんなにいたのに、昇太の代わりに、キャッチャーの重責を担うものは他にいなかった。美丘は柔らかい足腰を使って、左右に大きく振れる双子の弟、岳人の球をしっかり捉える。岳人も美丘のサインに首を振ることはほとんどない。二人とも考えることがほとんど変わらないからだ。
美丘は、これから回ってくる岐阜分校の選手への対策を考えた。まずは、ホームランを警戒しなければならない。岐阜分校の7番8番バッターは、ホームランを飛ばす力がない。
警戒するのは9番にいる磯部嵐だ。守備に難はあるようだが、肩は強いし足も速い。
だからこそ、7,8番を塁に出してはいけないのだ。
美丘は岐阜分校の監督の行動を、目を凝らして見た。
その頃、雲雀はメンバーを集めて一言。
「まさか、もう優勝したと思って気を抜いていないよね」
虹華が、「単独優勝あるのみ」と叫んだ。
「じゃあ、最初の打席はどうする?」
「明日華に替えて、騎西を出したほうがいい」
「明日華はそれでいい?」
明日華は悔しそうな顔をしたが、しっかりと答えた。
「騎西の方が足が速いです」
明日華は、アン・ミナに頭を撫でられた。
「偉い、チーム全体のことを考えられたね。後で、私が飴をあげよう」
チームから笑いが漏れた。
雲雀が立ち上がって、代打を申請した。美丘が想像していた選択肢の中で最悪のカードだ。
足も速いし左バッターだ。美丘は、騎西の脇深くに、速度を落とした球を要求した。騎西は、速い球を弾くつもりだったようだが、少しタイミングがずらされ、打球はキャッチャーの頭上に上がった。美丘がノーバウンドでそれをキャッチした。
1アウト。
美丘は、タイムを取って、ゆっくりと岳人のところまで歩いて行った。ショートとセカンドも呼んだ。
「焦らず、1人ずつ打ち取ろう。岳人、ピッチャーの頭上に球が来ても、取ろうとしちゃいけないよ。岳人も少し、足に来ているから、避けていいから。その代わり、後ろの2人は必ずカバーに来てね」
「岳人ばっかり狙っていたのは、岳人を疲れさせるためだったのか」
(それだけが狙いではないようだが)
「もしかして、昇太の足が悪いことも分かっていて、わざと塁に出したのか?狡いな」
ショートとセカンドが、今更ながら、岐阜分校の戦略に気づいて、罵り始めた。
美丘は、2人の選手の胸を軽くグラブで叩いた。
「落ち着いて。岳人の球を、必ず同じ位置に返せる力があるってことだよ。
昇太の捻挫にも、本来なら、うちらが気づいていなきゃ行けなかったんだ。
冷静になろう。岳人も内野も、岐阜分校の同じパターンの攻撃に慣らされている。それこそ罠だ。
これからは、ゆっくり相手の作戦を見極めて、一つずつアウトを取っていこう」
岳人は、自分たちが決勝という舞台で、冷静な判断が出来ていないことに気がついた。
「美丘、2番目のバッターは誰が来ると思う?」
珍しく岳人が美丘の意見を聞いた。
「さあ、向こうは磯部までに、もう一人出塁させたいはず」
「1点でいいのに?」
「勿論、塁に誰か出れば、岳人は盗塁も意識しなければならない。岳人の集中力が切れなければ、いつも通りの投球で大丈夫」
「美丘の構えたポイントに入れることだけを考える」
誰かに判断を任すことが出来るのは気が楽だ。今まで、キャプテンとしてチームを引っ張っていた重荷を、岳人はあっさり美丘に預けた。
雲雀が舌打ちをした。
「ちぇっ。あの美丘ってキャッチャーが入って、仙台A高校は冷静さを取り戻したね。あんな隠し球がいたんだ。まあもっと早い回にあの子が出ていたら、うちも危なかったかも知れないけれど、9回なら大丈夫」
雲雀はゆっくり補欠の選手の席を振り返った。。
「ゆっくり1人ずつ勝負するつもりだね。磯部の前にもう一勝負するよ」
8番のバッターにも、雲雀は代打を出した。三津の次に背の低い俊足の1年生岩田を選んだ。
しかし、その小さいストライクゾーンを、岳人は針の穴を通すようなコントロールで攻めた。
2ストライク3ボールの場面で、岩田は次はストライクだと思い込んでしまった。
しかし、美丘はギリギリでボールになってしまう、スライダーを要求した。岩田がバットを振らなければ、塁に出られたはずだったが、ストライクが来ると信じた岩田は思いっきりバットを振ってしまった。
2アウト。
「やられたね。ここでボール球を投げさせるなんて」
雲雀はここでもまだ冷静だった。相手がゆっくり勝負するなら、こちらにも覚悟がある。嵐は確かに一発があるが、塁にさえ出れば、打順は先頭に回ってくる。雲雀は嵐を呼んだ。
「嵐、ホームランなんて打たなくていいから、あんたの足なら、2塁くらいまで走れるよ。次のバッターに必ず回せ」
磯部嵐は、やっと回って来たチャンスをどうしても生かしたかった。昨日試合に出た姉の凪は、2塁打を打って褒められていたが、自分ならバックスタンドにたたき込むことが出来る。練習では何度もホームランを打っていたのだ。そう気負う嵐の背を、観客席の「ホームラン」コールが後押ししてしまった。
「雲雀さん、あいつホームランを打つ気十分ですよ」
虹華が、雲雀の側で呟いた。
「駄目かぁ。もう少し念を押せば良かったかな?」
「まぁ、決勝の舞台の最終バッターになっちゃったら、何を言っても聞こえないと思うな。雲雀さんのせいじゃないですよ」
マリーネも少し諦めた口調だった。
「三津が、鷲尾選手からホームラン打っちゃったから、自分も打てると思ったんでしょうね」
三津が少し膨れた。三津の頬に人差し指を突っ込んで、虹華がケラケラ笑った。
「三津は、一週間も『夫絶ち』をしたんだ。たまったもんがあったんだろう」
「変なことを言わないで」
そう言いながら、三津は貴賓席の恋子内親王を見つめた。
ベンチの残念な予想通り、嵐は岳人と真っ向勝負をした。一球目に来たのは、岳人の自慢の剛速球に見えた。
「ストレートなんて、舐められたものね」
そう思った嵐は、渾身の力でそれを打ち返した。岳人の球はストレートに見えて、手元で少し横に曲がった。芯で捉えたと思った球は、ほんの少し詰まり、深く守っていた仙台A高校のライトのグラブに吸い込まれてしまった。
3アウト。ゲームセット。
バッターボックスで、今更ながら雲雀の言葉を思い出した嵐は、その場で立ち尽くしてしまった。
仙台A高校の選手が、歓喜の笑顔で戻ってくるのに反して、優勝したはずの岐阜分校は苦笑いで集まってきた。
試合終了のサイレンが鳴り、選手が整列した。
大型スクリーンには、一つの優勝旗をマリーネと岳人が2人で持つアニメーションが流れた。
「優勝 桔梗学園岐阜分校・仙台A高校」
2校が向かい合った時、マリーネが岳人に一歩進んで囁いた。
「2人で優勝旗を持とうよ」
岳人が、スクリーンを振り返って見て、「いいですね」と答えた。