決勝戦
嵐も美丘も坊主頭ですが、私は女性のベリーショートは好きです。ただ、男女問わず坊主頭を無理強いされるのは、嫌ですね。野球は好きだけれど、坊主が嫌だと言って、別のスポーツに移る高校生は多かったですよね。今は、頭髪は自由みたいですが・・・。
決勝に残っていることに満足しているスタンドの応援団と違って、ベンチには、かなりの緊張感が漂っていた。なんとしても優勝して、監督雲雀を胴上げするのだ。そんな気持ちで一丸となっている。
勿論、対戦相手は一筋縄ではいかない強敵だった。仙台A高校のエース鷲尾岳人は、今回のドラフト1位確実の投手。準決勝まで、相手チームに与えた点数はわずかに1点。そのピッチャーをどうやって攻略するかが問題だった。
そして、4番の岳人を含むクリーンナップは、飛騨GFドームでもホームランを打ち込める力がある選手が揃っている。
対する岐阜分校の先発は、今まで1回もこの大会のマウンドに立ったことがない三津だった。楽天モバイルパークでの始球式の時は緊張してコントロールが定まらなかったが、その悔しさをバネに三津はコツコツと投球練習を重ねてきた。
現在は、120km/hに近い球が投げられるだけでなく、コントロールも良い。そして何より「打たせて取る」投球が出来るところが、最後の試合の先発に選ばれた理由だ。
三津の球は仙台A高校の選手に取って、さほど早い球ではないので、どのバッターも手を出すのだが、バットを振った瞬間、微妙に芯から外れた感覚に襲われるのだ。それは、投げる瞬間、薬指の指輪に微かに球がひっかかり、三津の球は不思議な変化をするからだ。そして大きく飛んだ球は、外野の選手に難なく取られる。3人のバッターは首をかしげながら、1回の仙台A高校の攻撃は3アウトで終わった。
1回の裏、岐阜分校の攻撃は、先頭打者アン・ミナからスタートした。岳人の球は、今までに何度もAIでシミュレーション練習してきた球だ。岳人の球には150km/hを越えるストレート以外にも、カーブとスライダーがあり、今シーズンはスイーパーもマスターしてきて、今大会も要所、要所でスイーパーを使っている。
難敵ではあるが、アン・ミナの狙いは一つ。どんな球にも当て、ピッチャーの膝下に返すことだ。狙い通り、1球目は外してきたが、2球目のカーブを、アン・ミナのバットは上手く捉えた。アン・ミナは、岳人の膝下を直撃するピッチャー返しを打った。当然、岳人は何の苦もなく、それをさばき、ファーストに送った。アン・ミナは1塁まで必死に走った(振りをした)が1アウト。
続く虹華も、マリーネもピッチャー返しを狙った。特にマリーネの打球は、マウンドの手前にぶつかり、イレギュラーにバウンドしたが、岳人はそれを冷静に処理し、マリーネが1塁にたどり着く前にファーストに送球した。
試合は、3回の裏まで全く同じ展開だった。三津の球は必ず打ち返されたが、どれもホームランにならず、三者凡退に終わる。岳人の球は図ったように、ピッチャーに打ち返され、岳人とファースト以外の選手が、ボールに触ることがなかった。
仙台A高校の選手が三津の球に慣れた4回からは、三津と交代して、岐阜分校本来のエース石田満留がピッチャーに起用された。高校生には苦手なサイドスローだが、流石に決勝まで残るチームである。5回の表に岳人が満留の球を捉えて、3塁打にした。
4番の岳人の次に、5番の小鳥遊昇太は大きな打球をセンター方向に飛ばした。岐阜分校のセンターがそれを捉えたのを見て、岳人はホームベースに向かって全速力で走った。
しかし思いの外、返球が早く、ホームベースでマリーネがニヤニヤ笑って、「お疲れさん」と言って、岳人にタッチをした。
走っていた岳人は気がつかなかったが、センターの選手は、捕球した球を磯部嵐に渡し、嵐はそれを外野からノーバウンドでホームまで返したのだ。レーザービームのような返球だった。嵐は、捕球は下手だが、肩は超高校級なのだ。
同じような展開に飽き飽きしていた岐阜分校のスタンドは、大きく盛り上がった。
仙台A高校の5回の攻撃も結局0点に抑えられた。
5回裏、岐阜分校の攻撃になっても、しつこくピッチャー返しは続いた。しかし、試合には大きな動きがあった。
三津の打順の時、明らかに三津の目より高い球が、2回もストライクカウントになったのだ。誰が見てもアウトの球を、人間の審判が2球もストライクと判断した。岐阜分校スタンドからあからさまなブーイングは出なかったが、会場は異様な囁きに包まれた。
190cmを越えるマリーネの後に、身長155cmの三津の打順があるので、人間の球審にはなかなかバッターゾーンが見きれなかった。
三津も、このままストライク3つ目を食らってはたまらない。三津は審判に抗議する代わりに、大げさに肩をすくめて、一生懸命背伸びをして、バッターボックスに立ったのだ。三津の不満の表れだった。会場は、皮肉な笑いに包まれた。審判は、自分を揶揄する三津の行動に苛ついた。
しかし、岳人は冷静だった。高い球を二つ投げた後は、落差のある低い球が定石だ。まして、背伸びをする三津が、低い球を打てるはずがない。そこに落とし穴があるとも気づかなかった。
岳人は迷わず、三津の外角低めに剛速球を投げ込んだ。しかし、背伸びは三津の撒いた餌で、三津は岳人の投球モーションが始まるや否や、グッと腰を落として、足幅を広げて、岳人の球を捉えた。そして、球は大きく岳人の頭上を越えて、ホームランとなってしまった。
三津は、再び同様の仕草で肩をすくめて、ゆっくり1周グランドを走った。このホームランは、岳人が初めて全国大会で浴びたホームランであった。
観客も他の選手達もホームランに夢中になっている間に、もう一つの事件が起きてしまっていた。それは今まで、AI審判だったため、仙台A高校のキャッチャー小鳥遊昇太が後ろに、球審がいることを忘れたために起こった事件だった。
球審は急に姿勢を下げた三津に合わせて、グッと姿勢を落とした。そしてほんの少し、前のめりになったところに、ホームランを打たれたことで、昇太が立ち上がって一歩下がってしまった。球審の足を踏んだ昇太はそのまま球審の上に倒れ込んでしまった。昇太の体重は今回参加選手の中で最重量の130kg。球審の右足首は見事に踏み砕かれてしまった。
球審が担架で退場するが、代わりの審判がいない。昨日の台風で交通機関がストップし、本来来るはずの控え審判が来ていないのだ。
三津は、球審が消えたホームベースまでたどり着いて、可愛らしくキョロキョロした。
(可愛すぎる)
柊が、こっそり拳を握った。
代わりの審判がいないことで、試合の続行が難しくなってしまった。高野連の役員達は、大混乱を起こしてしまった。そして最終的に、恋子内親王の側で、試合の解説をしていた高野連の会長のところに、判断を求める電話が届いた。
「何?控えの審判が来ていないって?審判が一人足りない状況では、試合が続行できないではないか」
会長は、恋子内親王の方をチラリと視線を送って、声をひそめた。
「しょうがない。球場の担当の狼谷に連絡をつけろ」
それでも「狼谷」という単語を聞いて、恋子内親王の胸は、どくんと鳴った。高野連の会長の電話の向こうに、柊がいる。
「もしもし、総務の狼谷柊さんの携帯でしょうか?今、どちらにいらっしゃいますか?」
高野連会長は慇懃な口調で、狼谷柊に話しかけた。柊からすれば、想定内の電話だった。それでも、何も状況が分かっていないような振りをして受け答えをした。
「はい。何でしょうか?今?スタンドで応援していますよ」
「じゃあ、試合を見ていらっしゃるのですね。球審が担架で運ばれたのをご覧になりましたか」
「はい。怪我がないとといいですね」
「それで、昨日の台風のせいで交通機関が停まっていて、代わりの審判が来ていないのです」
「はい。それで?」
「申し訳ないのですが、今からAI審判を使うことは出来ませんか?」
「できますが、料金は時間割出来ませんので・・・・」
「1日分をお支払いします。宜しくお願いします」
「はい。承りました」
柊は、高野連会長の電話を切るとすぐさま、桔梗バンドで交信を始めた。
「賀来人、AI審判起動して」
柊と賀来人は、昨日の台風があった時点で、AI審判のセッティングを解除しなかった。実業団の試合の時のようなことが想定されたからだ。
AI審判の起動ボタンが押されるとすぐ、会場の巨大モニターに「これからAI審判を起動します」という看板を持った飛騨GFドームのマスコットキャラクター「グリーンちゃん」が映し出された。
そして、得点表示に「1」点が追加された。5回裏、岐阜分校の攻撃、2アウトから試合は再開された。
マウンドの岳人は、ぐるっと振り返って、指を一本立てた。本当にこの男は冷静だ。チームもしっかり鍛えられていた。6回の表には、下位打線ながらヒットをバントでつないで、仙台A高校は1点を返してきた。
スコアは1対1。
球場の応援は、双方に1点ずつ入ったことによって、ヒートアップしてきた。
岐阜分校の6回の攻撃は、少しずつ変化してきていた。相変わらずのピッチャー返しだが、今まで膝下を狙ってきたピッチャー返しが、今度はピッチャーがジャンプして取れるギリギリに返されるようになってきたのだ。
岳人は自分の頭上のギリギリを通り抜ける球も、ジャンプして捕った。普通は、内野の選手が捕ればいいのだが、体は既に、打球を捕ることに順応してしまっていた。本来なら、副キャプテンのキャッチャー小鳥遊昇太が、試合を止めてそれを注意すべきだったが、昇太にもそれが出来ない理由があった。
昇太は審判の足を踏んだ時、足首を捻挫していたのだ。しかし、決勝の舞台から下りる気などはないので、きつく足首にテーピングをして、なるべく動かないようにしていたのだ。ピッチャー返しだけなら、対応できるから・・・。何事もなく7回の攻防が終わり、運命の8回が始まった。
7回の表から、岐阜分校のピッチャーはエース佐曽利虹華に替わっていた。仙台A高校の打順は4番から始まる。岳人は虹華からシングルヒットを奪った。
5番は昇太だった。岳人には悪いが、この足では塁に出て走ることは出来ない。代走を頼むことも出来ない。
「空振り三振をしよう」と、昇太が打つ気満々の振りでバッターボックに向かうと、岐阜分校の監督がこともあろうに、「申告敬遠」を申し出てきた。仙台A高校のベンチもスタンドも歓喜の雄叫びを上げているが、昇太は泣きたい気持ちになってきた。いかにも余裕があるような振りで1塁まで走ったが、次のバッターが塁に出たら、追い越されないように走らなければならない。
仙台A高校の6番は、バントの指示が出たらしく、胸の前でバットを構えている。
「無理しなくてもいいんじゃない?」
昇太が振り返ると、ファーストを守っているアン・ミナがグローブで口元を隠して、目配せをしている。
「うるさい」
「しょうがないな。代走立てれば、勝てるかも知れないのに」
後で考えれば、アン・ミナのアドバイスは正しかった。代走を立てれば、2点が入る可能性があり、守備も9回の1回だけであり、チームには昇太の球を受けられるキャチャーが他にいたのだ。
それでも、決勝の舞台から下りる決断はつかなかった。6番のバッターは綺麗に1塁線にバントを決め、2塁の岳人が3塁に走り出していた。走らなければという気持ちとは裏腹に、昇太の足は全く動かなかった。2塁に迎う途中で無様にも前のめりに転倒をした。
1塁に向かう前にバッターは刺され、転倒した昇太を振り返った岳人も3塁前で足を止めてしまった。併殺で8回の表が終了した。
倒れた昇太は涙で顔が上げられなかったが、誰かが脇を抱えて抱き起こしてくれた。
「ありがとう」
顔を上げるとファーストのアン・ミナが、抱き起こしてくれていたことが分かった。
昇太を助けるために走ってきた、仙台A高校のチームメイトを手で制して、アン・ミナは空飛ぶ担架を要請した。そして、変な方向に捻った足首を支えながら担架に乗せてくれた。
試合は8回の裏、岐阜分校の攻撃。こちらも先頭バッターのシングルヒットから、バント織り交ぜて、岐阜分校が1点をもぎ取り、また1点リードに変えた。
スコアは1対2。
最後の仙台A高校の攻撃が始まった。下位打線とはいえ、先ほども1点をもぎ取ってきた力がある。
2アウトで、1、2塁に走者を出してから、仙台A高校の代打攻撃が始まった。
最初の代打は、小鳥遊昇太の1つ下の弟隆太だった。「兄の無念を晴らす」と、シングルヒットを打った。
走者はすべての塁を埋めた、1打出れば同点。仙台A高校の監督はベンチをぐるっと見回した。どの選手も監督を見つめていた。監督が選んだのは、スコアを熱心に書いていて監督を見ていなかった選手だった。
「美丘、出ろ」
鷲尾岳人の双子の妹、美丘の名を呼んだ。
「え?私?」
控え選手はみんな、首をうなだれた。美丘は、幼少期からずっと岳人と一緒に野球をしてきた。高校でも公式戦には出して貰えなかったが、練習はすべて男子と一緒にこなしていた。どの男子よりも高いレベルの技術を持っていることは、チームの全員が知っていた。
「そうだ。この大会は女子も出ていいんだよ。最後にあいつらをたたきのめせるのは、お前しかいない。行ってこい」
監督は全国大会のルールが変わっても、OB会の手前、なかなか美丘を出すことが出来なかった。しかし、決勝だけは相手が岐阜分校ということもあり、こっそりメンバーに入れておいたのだ。
「代打 鷲尾美丘」
球場全体が盛り上がった。今大会初の女子同士の対決である。岳人と変わりない身長、頭は坊主であるが、豊かな胸としっかりした尻がぴったりとしたユニホームでくっきり見える。岐阜分校にも彼女のデータは全くなかった。
虹華はまず、ギリギリでアウトになるボールを投げた。美丘はしっかりそれを見切って、アウト一つを得た。次の球は、虹華渾身のスライダーだったが、美丘のバットはしっかりそれを捉え、外野に運んだ。3塁ランナーがホームを踏み、9回の表の仙台A高校の攻撃が終わり、2-2の同点になった。
延長戦はないので、9回裏に得点が入らなければ、両校の優勝が決まる。
岐阜分校が、単独優勝するためには、どうしても9回裏に点を入れなければならない。