白風庵
三重県のホテルヴィソン、一度行ってみたいですね。「ヴィソン」は「美しい村」という意味らしいです。因みに、「アゴラ」はギリシャ語で「広場」とか「市場」って意味です。飛騨地方の山奥に、すべて木造の野球場と、自然を生かしたホテルがあったらいいなって、想像してみました。
夕飯は、米納津雲雀が6人を白風庵に招待した。6人目は勿論、狼谷梢だ。
梢は、柊と三津の間に座って、ご機嫌で今日どんな遊びをしたかを説明していた。
「梢ちゃんは、おしゃべり好きね。ここの保育施設になじんでくれて嬉しいわ」
雲雀の母、鷹子がニコニコしながら、梢に話しかけた。
夕飯は食堂から持ってきて貰った定食が並んだ。
「ごめんね。うちの夕飯はいつもこんな感じなの。二人とも忙しくて、自炊したことがないの」
そう言いながらも、梢の離乳食もしっかり並んでいた。細かい気遣いが感じられる。
柊が器用に、梢の口元に離乳食を運びながら、自分も夕食を食べていた。
「母さん一人で、セキュリティー対策しているからね。たまに、選手が遊びに来ることもあるけれど、今は、レギュラー決めの時期なので、みんな遠慮して白風庵に上がってこないんだ。だから、久し振りに賑やかな夕飯で嬉しいよ」
「薫風庵は結構人の出入りがあるけれど、白風庵はほとんど2人なんだね」
「百合も普段はどこに住んでいるの?」
鷹子が同じく桔梗学園1期生の百合に尋ねた。
「KKGの社屋に、私の部屋があるからそこで暮らしているよ」
KKGの中から桔梗学園に出てこないのだから、桔梗学園に住んでいる人間が、三川百合と会ったことがないわけである。娘の杏も今は、秋田分校にいるので、百合は完全に一人住まいなのだろう。
鷹子は、突然百合に頭を下げた。
「今更ながら、百合ちゃん、忙しいのに娘の我が儘を聞いてくれてありがとう」
「全くだよ。でも、これで貸し借りはなくなったからね」
「百合おばちゃんは、うちの母に何か弱みを握られていたんですか?」
「雲雀ちゃん、聞いていなかったかしら?」
「何をですか?」
「鷹子ちゃんが、私と百々松葉ちゃんを、桔梗学園に誘ってくれたのよ」
「全く、3人が3人とも教師との間の子供を妊娠していたなんて、お笑い草だよね」
「まあ、鷹子ちゃんは独身新任教師が相手だったから、まだましだけれど、私達は相手の教師が妻子持ちだったからね」
狼谷夫妻と榎田兄妹は、お互い顔を見合わせてしまった。果たしてこの話を聞いていていいものだろうか?勇気を持って、春佳がその点を突っ込んだ。
「あのー。その話は私達が聞いてもいいものなんでしょうか?」
「別にいいわよー。もう時効だから。ねぇ、鷹子ちゃん?」
「まあね。昔は卒業後に、生徒が教師と結婚するってことは結構あったんだよね。でも、私達は、在学中に妊娠しちゃったから、まずかったんだ。私達は当然退学。相手の教師は辞職。結構、噂になっちゃって、新潟市内にいられなくて、家族は引越しを余儀なくされたんだ」
「で、当時、鷹子ちゃんの担任が一本槍先生で、義理の妹の真子学園長に話をしてくれたんだよね。そして、鷹子ちゃんが、真子学園長に私と百々松葉ちゃんのことも話してくれて、3人一緒に桔梗学園に入ったんだ」
百々松葉は、百々梅桃の母である。どうりで梅桃と雲雀の仲が良いわけだ。
涼も意外な名前に反応した。
「今から20年くらい前って、一本槍校長先生って、新潟セントラル高校の先生でしたよね」
「そうそう、新潟最難関高校での不祥事さ。新聞にも載っちゃって大騒ぎ。だから、私達その頃からの腐れ縁ってやつ」
「サイエンスコースの松葉ちゃんと私は、専門が情報処理だったんで、娘と一緒に各分校を任されたって訳。でもね。もう少し人材が欲しいよね。柊君を婿にしたいと狙っていたんだけれど、三津ちゃんに取られちゃった」
鷹子の冗談に、三津は身構えた。
「三津、冗談だよ」
柊は、怖い顔の三津を構った。そしてそのまま運営についての疑問点を雲雀に尋ねた。
「でも、人材が欲しいってところは冗談じゃないですよね。鷹子さんと雲雀さんは、飛騨GFドームとアゴラ飛騨の4月からの運営をどうするんですか?」
「まあ、女子野球部の子達に任せるけれど、一部、避難してきたバスケット部や剣道部の子達で、希望する子に手伝わせるつもり」
「女子ばかりですね」
「そうそう。ALL LADYSさ。そういう施設があってもいいじゃない?避難してきた大学生の子達も、もう1年一緒なので、大体人柄も分かって来たしね」
「今回の野球大会も、バスケや剣道の選手はスタッフとして使えるんですか?」
「是非使ってください。取りあえず、明日の朝、皆さんを『飛騨GFドーム』と『アゴラ飛騨』に案内するね」
「雲雀さん、出来れば、通勤ラッシュ時の交通渋滞を確認したいので、スタートはノースエクスプレスの『岐阜分校駅』からお願いします」
「了解。朝早いよ。みんな今日は、早寝してね。2階には2部屋ありますから、柊君と三津ちゃん、涼君と春佳ちゃんで1部屋ずつ使って下さい」
食事も終わって、うとうとし始めた梢を、柊は胸に抱いていた。
「雲雀さん、お心遣いは有り難いんですが、私と兄は寮で休んでいいですか?」
「いいけれど、兄妹で休むのは嫌かな」
「俺はいいんだけれど」
「お兄ちゃんはそういうところ、鈍いよね」
春佳は、雲雀に目配せして、兄を引きずって行った。
入籍して初めて、柊と三津は二人きりで休むことになった。二人の間には、梢が寝ている。
「川の字になったね」
三津の言葉に、柊は苦笑いをした。
「最初、呼び出された時は、選手から外されたと思って、悲しかったけれど、柊と一緒に仕事が出来て嬉しい。初めて、柊の仕事を間近に見ることが出来るね。ねえ、聞いている?」
三津は沈黙が怖くて、話し続けているが、柊はそういう三津をじっと面白そうに見つめていた。
「聞いているよ。北海道分校に行った時、お互いの仕事ぶりを見たじゃないか」
「そっか、そうだね。もう、何が面白くて笑っているの?」
「うん?僕に『偽装結婚』を申し込んだ人と同じ人なのかな?って思って」
三津は、枕に顔を伏せた。
「あの時は必死だったの。あの日を逃したら、もう柊と結婚できないと思ったから」
柊は、三津の髪をいじりながら、もう少し三津をからかうことにした。
「深海医師と四十物医師にも、はめられたのかな?結婚届にサインはしてあるし、指輪も作るように言われたし・・・」
「私は、二人には何もお願いしていないよ」
枕から、顔を上げて三津は唇を尖らせた。その唇を、柊はすかさず人差し指でなぞった。
「結婚は『偽装』でいいの?」
三津は柊の人差し指を掴んで、睨み付けた。
これからという時に、梢が泣き出してしまった。柊は、梢のおむつを触って、体を起こした。
「梢、おむつ替えるよー。気持ち悪かったねぇ」
三津はすぐ、替えのおむつを取りに立ち上がった。
柊は、その背中を見つめて、独りごちた。
「大会が終わるまで、手が出せないなんて、長い2ヶ月だな」