壁の向こう
「塀」の向こうには、テトラや材木を運ぶドローンしかいませんでしたね。桔梗村では、こんな津波被害が出たのに、他の日本海沿岸では、被害は出なかったのでしょうか?
自動運転のバスを見送った、牛腸永遠の兄の恒久、永劫、そして姉の久遠は、桔梗駅にぽつんと残されてしまった。
「恒久って、本当にT大の人から嫌われているんだね」
「久遠、それは違うよ。言葉のチョイスが間違っているんじゃないか?普通、『こんなところ』なんて言ったら、嫌みにしか聞こえないよ」
「『こんなところ』って、東京で会っていた人に、新潟で会ったら、そう言わないかなぁ?」
兄妹の皮肉にも動じない恒久は、飛び級をし過ぎて、早いうちから大人と過ごしているうちに、子供同士で育まれるコミュニケーション力が欠如している。見た目だけで言えば、爽やかな好青年なだけに非常に残念だ。
「恒久は、あの女の人とどこで知り合ったの?手が早いんだから」
「おい、そういう言葉を使うから、俺が誤解されるんだ。あの人は、内科研修に行った時の指導教官だよ。見た目より優しい人だよ」
「ほら、また言葉のチョイスがおかしい。『見た目より』って失礼だろう。生意気なお前にも我慢強く指導してくれた優しい先生なんだね」
「そうだね。他の科では、初日から『こんな子供に何を教えたらいいんだ?』なんて、相手にしないか、無視するかだったからね」
次男の永劫は、恒久が今まで飛び級をしては、クラスで仲間はずれになっていたことを知っているので、いじめに対して、敢えて感じないようにしている恒久に対して、同情的だった。
永劫も飛び級を勧められたことがあったが、恒久の状況を見て、年齢相応の進学を選んだ。だから、小学校から続けたサッカーの仲間にも恵まれ、そこそこ楽しい学生生活を送ってきた。T科学大学に進学してからは、1年から某ゲーム会社でインターンとして働き、将来はそこへの就職が約束されている。そこでの人間関係も充実している。
恒久に対して優しい永劫に対して、妹の久遠は手厳しかった。
「あんなに嫌われるようなことを言わなければ、バスに一緒に乗せていって貰えたかも知れないのに。兎に角、永遠に連絡して、迎えに来て貰おう」
「おいおい、永遠は妊婦だよ。まずは、俺たちが買った家に行って、荷物を置いてから迎えに行こうよ」
「恒久の言うとおりだね。バスが向かった方向と、俺たちが買った家の方向はちょうど逆だね」
そう言うと、永劫は地図アプリを頼りに歩き出した。
桔梗駅南口を出ると、商店街が広がっていた。それぞれの店には「桔梗マルシェ」の小さな旗が下がっていた。
3人は、駅を出てすぐの「Hackberry」というコーヒーショップに入って、まずは水分補給をすることにした。入るとすぐにタッチパネルがあって、3人分のアイスコーヒーを注文した。
自分たちを示す番号がディスプレイに表示され、永劫が珈琲を取りに行くと、他の客の調理をしている店員と目があった。
「こんにちは。美味しそうなホットドッグですね」
初老の婦人がにっこり笑って答えた。
「このウインナー、ジビエなんですよ」
「何の肉ですか?」
「これは鹿かな?近くの山で捕れたんです。たまに人里に下りてくるんで、ハンターが駆除してくれるのです」
「へー。店員さんは桔梗村の方ですか?」
「はい。この店は最近出来たばかりなんですよ。夫婦だけで営業していますが、この店は、村についての情報センターの役割もしていますよ」
厨房の奥に夫とおぼしき男性も見える。
「僕たち、桔梗村に今日から住むんですけれど、村について教えて貰えますか」
「はい、これをお客さんに出したら、お席に向かいますね」
会社でインターンをしている永劫は、こういうところが如才なかった。
3人がアイスコーヒーを飲んで一息ついていると、先ほどの店員がタブレットを持ってやってきた。
「最初に桔梗村の地図を見せますね」
そう言って店員は、この商店街の奥にC大学工学部の敷地があり、その南に広がるのが、牛腸兄弟が住むことになる「元桔梗村」があることを教えてくれた。
「あの、私達の妹がC大学にいるんですが、学生寮とかはどこにあるのですか?」
アイスコーヒーのストローを口に咥えた久遠が尋ねた。
「桔梗駅を挟んだ反対側に、C大学の女子寮があります。もう少しすると、その北側の桔梗高校跡地に、桔梗村役場が開設します。でも、転入手続きなどは桔梗村のHPで出来ますよ」
恒久が言葉を選びながら、店員に話しかけた。
「駅から出ている自動運転のバス以外、余り車を見かけないんですが・・・」
「そうね。マルシェの東側に1ヶ所、駅の北側に1ヶ所パーキングがあるけれど、桔梗村から郊外に行く時にしか、みなさん車は使わないですね。荷物運搬用の自動運転バスはありますが、桔梗村って基本的に歩いて回れるくらい狭い場所なので」
「僕たちは、自動運転のバスには乗れないのですか?」
店員は、手首の桔梗バンドを見せた。
「このバンドを持っている人は、自動運転バスもノースエクスプレスにもタダで乗れますけれど」
久遠はストローをガシガシ噛み始めた。少し苛ついている時の癖だ。
「C大学の人は、バンドを持っているんですか?」
「はい。白いバンドを着けていらっしゃいますよ」
「そういえば、正月はドローンで、近くの駅まで送って貰ったって、永遠が言っていたな」
永劫の言葉に、店員はにっこり笑った。
「あっごめんなさい。もっとご説明したかったんですけれど、お客さんが混んできたので失礼します。そこのQRコードを読み込んでHPにアクセスしてください。HPには多くの情報がありますし、質問を入力するとチャットボットが返事をしてくれます」
店員が指した案内ポスターには、確かに桔梗村HPのQRコードがあった。
肝心の質問の答えが中途半端に終わって、久遠は少し肩をすくめたが、「桔梗バンドについては、永遠に聞けばいいや」と、気を取り直した。
「さて、新居まで歩きますか」
精算機で支払いを済ますと、3人は元桔梗村まで歩き出した。
永劫が、HPから地図をダウンロードしてあったので、新居まで迷うことはなかった。少し上り坂なので、新居に着いた時は3人とも軽く汗をかいた。
新居では購入した時に入手したパスコードを入れて、玄関の鍵を解除した。
「うわー。4LDKのコンテナハウスってこんな感じなのね」
山田家が購入した時は、家庭菜園がしたいと言うことで、庭を広く取った2階建てだった。しかし、転売するに当たって、牛腸家の希望のレイアウトに直したのだ。彼らは子育てを考慮して、4つの部屋をすべて1階に並べ、すべての部屋を回遊できるような作りを選んだ。
「平屋はいいけれど、庭が狭くてカーポートもないね」
永劫は、窓から周囲の住宅を見回して言った。
「どの家にも駐車場はないね。住宅地の入り口には車止めがあったし、自動車が入れないようになっているんだね。まあ、子供が車を気にせず、路地で遊べていいけれど」
兄弟全員で、ワゴン車に乗って旅行がしたいと考えていた恒久は少しがっかりした。
しかし、タブレットを見ていた永劫が駐車場の注意書きを確認して、答えた。
「村の外れの駐車場には、無料で自家用車が置けるみたいだ」
久遠はずっとスマホを見ていたが、永遠からの返信がやっと来たらしい。
「永劫、恒久。永遠から返信が来た。午前は授業中なので、12時に『九十九農園』に来て欲しいだって」
永劫がそのままタブレットで九十九農園を探した。
「結構、遠いな。海の近くだよ。今から歩き始めないと間に合わないかも」
「早く桔梗バンドが欲しいね。後で、転入手続きした時に、バンドのもらい方を調べよう」
温暖化が進んだ日本の夏は、もう6月でも30度を超える暑さだが、農園に続く道は緩やかな下り坂になっていて行きほど疲れることはなかった。なにより、道の正面に海が見えた。
夏の日差しに輝く海は、3日前に津波があったとは思えないほど美しかった。
「行きは上り坂でしんどかったけれど、海が見える道っていいね。津波で流された後、『元桔梗村』は大分かさ上げしたんだね」
「ああ、西側を流れる藤川を遡ってきた海の水で、この辺りはすべて水没したらしいからね」
「右に見える高台に住民が避難して助かったんだろう?」
「3日前にも大きな津波があったって言うよな。大丈夫だったんだろうか?」
3人は、坂を下りて海に繋がるまっすぐな道を歩き始めてすぐ、その違和感に気がついた。
「恒久、海が見えなくなったよ」
「ああ、坂の上から見えていた海が、塀に遮られて見えなくなっている」
タブレットをいじっていた永劫が、すぐその原因にたどり着いた。
「あれは、防潮堤だ。普段は地下に潜っていて、海に出ることが出来るが、津波の危険性がある時は、せり上がってくるらしい。3日前の津波のせいで、まだ上がったままなんだろう」
3人は防潮堤に夢中で、道の右手にあった「古民家農家レストラン九十九」の表示を見落としてしまった。
防潮堤は3日前にせり上がった高さから、少し下がって、今日は3m位の高さになっている。それは浜辺で流れ込んだ材木やテトラポットの撤去作業をしているためだ。
好奇心旺盛な久遠が、防潮堤に耳を着けた。
「壁の向こうで、何か重機の音がする。見てみたいな」
恒久と永劫は、嫌な予感がした。
「ちょっと二人でそこに立って。私を肩の上に乗せて」
「おい、中学生みたいなこと考えるなよ。俺たちの上に乗ったって、向こうは見えないぞ」
恒久も永劫も、身長は少し低くて165cm程度しかない。当然、久遠の身長も157cm。兄の肩の上に立ち上がってどんなに背伸びをしても、そのままでは防潮堤の向こう側は覗けない。
「その後は、防潮堤によじ登るから大丈夫。早く」
恒久と永劫は周囲を見回し誰もいないのを確認してから、壁の前に並んで立った。久遠は慣れた手順で、兄弟の肩に乗り、壁の縁に手を掛けた。ダンス部だった久遠は、片足の踵を壁の縁に掛けると、ぐいっと体を壁の上に持ち上げた。
「何をしているんですか?」
「キャー」
妹の叫び声で、下にいる兄弟は落下する妹を受け止める準備をした。しかし、久遠が落下することはなかった。久遠の腕は強く掴まれ、壁の向こうに引っ張り込まれてしまった。
というか、正確には壁の向こうで作業していたドローンの中に引きずり込まれてしまったのだ。
「あなた達は誰?」
「見て分かりませんか?津波の後の瓦礫を撤去しているんですよ。誰も入らないように防潮堤をあげておいたのに、そこをよじ登る子供がいるなんて」
「柊、琳や風太だって、そんな馬鹿なことはしないぞ」
「子供って、失礼ね。私は大学生よ」
久遠の言葉は無視された。
「琉、もう少し、ドローンの高度を上げてくれ。ああ、いた。仲間の男が2名」
「仲間って、私達悪いことなんかしていないわ」
「危険だとは思わなかったんですか?下の2人以外に仲間はいますか?」
「『仲間』って犯罪者みたいな言い方をしないでよ。妹が妊娠したから、子育てを助けに来たんだから」
「あー。妹の子育てに来た兄弟ね。それなら、牛腸さんご一行ですか?では、九十九農園で事情聴取ですね」
琉は、他に作業していたドローンのメンバーに昼食休憩を指示して、防潮堤の外側にいた2人も回収して、九十九農園に向かった。
兄弟2人は、ドローンに乗せられて観念したが、久遠は初めて乗るドローンの方に意識が向かって、すでにご機嫌が直ってしまった。
驚いたのは、農園の入り口で兄弟を待っていた牛腸永遠だった。
歩いてここまで来るはずの兄弟が、ドローンで運ばれてきたのだ。
「あれー。由梨さん。家の兄弟を駅まで迎えに行ってくれたんですか?」
「いや?そんなことは頼んでないよ。柊さん、どうしたんですか?」
柊はちらっと3人を見た。ドローンを下りてもまだ、ドローンの周りを観察している久遠に呆れながら答えた。
「津波の瓦礫を撤去していたら、3mの防潮堤をよじ登ってきた大学生が3人いたんだよ」
「いや、俺たちは上ってない・・・」
永劫の小さな声は、誰の耳にも届かなかった。
永遠はすぐに状況を理解した。
「久遠!また、2人に我が儘を言ったんでしょ?」
「またって、壁の向こうを見てみたいって、人類共通の願いじゃないか」
久遠がどんどん状況をまずくするので、永劫が久遠の頭を押さえつけて、頭を下げた。
「すいません。危険な作業に従事なさっていたのに、妨害をするようなことをしてすいません。自分たちは、永遠の兄弟で、今日から『元桔梗村』に住むことになりました。今後このようなことがないように、妹を監視しますので、今日は許してはいただけないでしょうか」
常識人の永劫の後に続いて、恒久も頭を下げた。
頭を下げた3人の後ろから、珠子が定食を持って現れた。
「はいはい。永遠ちゃんは午後からまた授業があるんでしょ?早くお昼を食べて頂戴。お兄さん方の分も用意してあるわ。柊君、琉君。今日のところは私に任せて頂戴。ごめんね。仕事を中断させて」
「珠子さんがそうおっしゃるなら、お任せします。琉、僕たちも食堂に行こうよ」
農家食堂の定食に舌鼓を打つ久遠を横目で見ながら、兄たち2人は小声で永遠に事情説明をした。
「全く、私達が築いてきた信用を一瞬で壊してくれたわね」
「ごめん。ところであの2人は誰?」
「桔梗学園の総務を取り仕切っている狼谷柊さんと、KKGのドローンパイロットの大神琉さん。特に柊さんは、結構保守的な人だから、こういうことがあると困るんだよね」
「2人とも若いよね」
ものすごい勢いで定食を平らげた久遠が、話題に割り込んできた。
「ねえねえ、永遠の手首に着いているピンク色のバンドは何?駅前の喫茶店で聞いたんだけれど、バンドがないと自動運転のバスに乗れないんでしょ?そのバンドはバスに乗れるの?」
「え?これは、桔梗村の妊婦さんに配られたバンドで、村からの補助金がここに振り込まれるって印かな?このバンドで、自動運転のバスには乗ったことがないけれど」
「でもさ。ドローンには乗れたよね。私達も今回、ドローンで運んで貰ったんだよね。ドローンはバンドがなくても乗れるの?」
定食の食器を片付けに来た由梨が口を挟んだ。
「ドローンも基本的には、スタンプか白いバンドがないと乗れません。今回は要救助者扱いで、例外的に乗せました」
「ありがとう。可愛いね。こんな小さな子も、桔梗学園のシステムについて説明できるんだね」
今回も、恒久が失礼な言葉を発してしまったので、永遠が立ち上がった。
「すいません。深海さん。恒久もいつも失言が多くて・・・」
由梨はゆったりと笑いながら答えた。
「そうね。中学生がこの農園の経営者なんて、普通は考えられませんよね。
永遠さん、夕方は出荷用の箱詰めですよ。最近暑いので、体調が悪くなったら、すぐ言ってください。
別の仕事を用意しますので」
そう言うと、唖然とした3人を置いて、由梨は厨房に戻ってしまった。
「もう、なんてこと言うのよ。私の手伝いをするためにこっちに来たのに、邪魔ばっかりしているじゃない。私達妊娠したC大学の3人は、由梨さんのご厚意でここでアルバイトさせて貰っているの。
猪又純も保育園を作りたいって希望を出したら、用地の取得から建築のスタッフの斡旋まで、すべて由梨さんが段取りしてくれたのに、もう!」
「あの子もギフテッドなの?」
恒久は由梨に興味を持った。自分と同じ境遇の子が、のびのび仕事しているのが羨ましかったからだ。
「さあ、この学園にいるのは、ああいう子ばっかりだから、彼女が特別かどうかは分からない」
勿論、深海由梨と四十物李都は別格だが、どの子にも大人顔負けの仕事を割り振るのが、桔梗学園の流儀だ。
玲が昼前の収穫物を持って、厨房に入っていった。
「玲君、お疲れ様。後、30分したらお昼だから、シャワー浴びてきてね」
甘えた由梨の声が、厨房から漏れてくる。
久遠が永遠の腕を掴んだ。
「ねえ、今入ってきた男の子超イケメン。あの子もギフテッド?」
更に声をひそめて永遠は答えた。
「玲君ね。あの子は琉君の弟で、この九十九農園の後継者。でも、栽培は得意だけれど、経営は苦手なので、彼女に任せているの」
「彼女って、あの経営者の女の子?」
そうやって話している席に、笑顔で玲がやってきた。
「初めまして、いつも永遠さんにはお世話になっています。お食事どうでしたか?」
今日は珠子の奢りで無料だったが、カウンターの上の黒板には「今日の定食500円」と書いてある。永劫はそれを確認して、会話を続けた。
「はい。ご馳走様でした。いつもはこの定食は500円なんですよね。安くないですか?」
「そうですね。よそでは1,200円くらいが相場でしょうが、ここでは農園で採れたものしか使っていませんので、ワンコインでお出ししています。元桔梗村からは少し遠いですが、是非また来て下さい」
「この定食は800円出しても充分ですよ。どうして利益を出さないんですか?」
玲は、柔らかな笑顔で答えた。
「僕も農園で働き出した頃はそう考えました。1年ほど働いているうちに、その理由が少しずつ分かってきました」
そう言いながら、玲は利益を出さない理由についての答えは教えてくれなかった。
残った食器を下げていく玲の後ろ姿を見ながら、永劫は深いため息をついた。
「なんか、いちいち質問している俺たちが子供のような気がしてきた」