新しい風
新たな登場人物が増えそうな予感がします。次回は、ついに柊君が大きな決断をします。
実業団の大会が終わって一息つく間もなく、旧桔梗高校跡地の話し合いが始まった。柊はまだ、喘息の発作が完全に治まっていないところだが、次の会議まで1週間しかないので、取りあえず、各方面へ連絡をつけることにした。
旧桔梗高校事務員、佐伯頼子の連絡先は、大町が知っていた。高齢の母と弟家族が住んでいる実家に現在避難しているが、居心地が悪いので、再就職先を捜していたところだったので、桔梗村役場への就職は二つ返事で、受け入れて貰った。
次の連絡先の氷高は、意外なことにまだ、東城寺に滞在していたので、すぐ会えることが出来た。東城寺に尋ねていくと、外に連れ出された。
「僕は、東城寺で話をしても良かったんだけれど・・」
「柊君、流石に姉の家とはいえ、俺は居候なんで、少し息抜きがしたいんだ。海が見たいな。今日は薄曇りだから、海もそんなに暑くないよね」
花火事故以来、柊は、藤が浜にあまり行きたくなかったが、話の内容も人に聞かれたくない話なので、しょうがなく藤が浜に向かった。
「へー。日本海って、波が荒いって聞いていたけれど、まるでプールみたいに穏やかじゃないか」
無邪気な氷高に、柊は少し呆れた。
「沖にテトラポットがあるじゃないか。あれで波から海岸を守っているんだ。あの外は、遊泳禁止だよ。外海に出たら強い波を受けて、テトラにたたきつけられて大怪我をするよ」
柊は、あの無数のテトラポットが、津波と一緒に桔梗村を襲ったことを思い出した。
「テトラがないと、浜が削られるんだね。あー。日が差してきた。あの浜茶屋は上がれる?」
「ああ、桔梗学園のものだから、桔梗バンドがないと上がれないけれど、僕と一緒なら氷高君も上がれるよ」
今日は、誰も浜茶屋を使ってはいなかった。
早速、氷高はひんやりした板場に寝転がって、柊の話を聞く体勢になった。
「いい場所だね。で?話って何?」
柊は、夏休み前にN女子大学が目白台に移転するので、旧桔梗高校の跡地が空くこと。そこに桔梗村の役場の機能を持っていくこと。氷河さんが現在行っている予防接種などもそこで行うことなどを、手短に話した。
「だから、あそこなら、以前氷高君が提案してくれた、氷高さんの産休代理も出来るよ」
「そっか、あくまで代理だけなんだね」
「でも、氷高君はお父さんの病院に今、勤務しているんだろう?そもそも、兼務できないんじゃないかと、僕は思うんだけれど」
「そうだよね。実は、俺は今、北海道医療センターに戻れない状態なんだ」
「何かやらかしたのか?」
「そう、那須の御用邸に恋子様に会いにいったことで、大騒ぎが起きているんだ」
「あー。恋子様のお相手候補ということで、マスコミが殺到した」
「正解。マスコミは怖いよね。直接、親父にインタビューしたらしい。そこで親父が怒って、『跡取り息子なのだから、皇室関係者と結婚することはない』とマイクの前で吠えたんだ」
柊は、首を振って(さもあらん)と納得した。
「ところが、マスコミの調査力は怖いもので、俺たちも知らなかったんだが、親父の隠し子を発見して来ちゃったんだ。東京に勤務していた時の看護師との間の子で、男の子が2人、女の子が1人いるらしい。みんな、T大学医学部を卒業して、麦穂会の東京医療センターで、働いているらしい」
「年齢は?」
「長女が30歳、長男が28歳、次男が俺と同じ年の25歳。なんで、全部実の子と同じ年齢なんだよって。流石に最後の子が生まれた年には伯父にバレたらしくて、親父は北海道に送られたみたいだけれどね」
「その子達は、看護師をしていたお母さん一人で育てたのか?すごいな」
「いや、将来は東京医療センターで医者として働かせるってことで、生活費と学費は全部貰ったらしい」
「女の子も?」
「そこまでは詳しくないけれど、学費を貰ったのは男2人らしい」
「で?マスコミにはどう書かれたんだ?」
「だから、北海道医療センターの跡取りは、その男の子で、俺は恋子様と結婚することになっているって」
「うわー。マスコミは適当に話を作るな-。で?氷高君は、マスコミから逃げてここにいるの?」
「まあ、不倫スキャンダルに、後継者争い。騒ぎが収まるまで、北海道から離れろって・・・」
「なあ、氷高君のお母さんはどうしているの?」
「家の母親は、政治家の娘だよ。内心はどう思っているか知らないけれど、平然としているね。姉ちゃん達もびっくりしていた」
「じゃあ、氷高君は当面、桔梗村の診療所で働くことはできるね」
「ああ、渡りに船だ」
「でも、桔梗学園の中じゃないから、マスコミに嗅ぎつけられるかも」
「そうなったら、誰かに偽装結婚でもして貰おうかな?」
「あれ?恋子様はいいの?」
「覚えて貰ってもいないんだから、脈なしだね」
「ところでさ、診療所には内科医と歯科医が必要なんだけれど、心当たりはいる?条件は女医、子連れでも妊娠中でもいい」
「給料は?」
「未定なんだ。桔梗学園だと、生活費、保育費等すべて無料で、診療に必要な高額医療機器も入れて貰えるし、研究費も出して貰える。日常の健康管理と、当直以外は基本的にみんな先生方はのんびりしているよね。給料は多分払っていないけれど、アルバイトは自由だし・・・」
「あー。それはきついな。ほとんどの人は奨学金貰って医学部に行っているしね。現金収入がないと困るな」
「奨学金は、すべてこっちで払うことになっているから、大丈夫だよ。確か、1年以上働けば全額立て替えるんじゃなかったかな?」
「それなら、俺は給料なくていいから、桔梗学園所属がいいな。働く場所は桔梗村でもいいからさ。だって、研修医は、残業まみれで収入はほとんどないんだ。だから、俺はこれからもスキー場でバイトするつもりだったし」
「そういえばそうだね。と言うことは、桔梗学園の条件で求人を出すと、希望者が殺到するんだね」
「歯医者は研修医は少ないし残業はないけれど、開業するには、レントゲンなんかの機器を揃えないといけないし、歯科衛生士や歯科技工士も雇わないといけないからね。最初は物入りかもね」
「歯科技工士は外注でもいけるんじゃないかな?歯科衛生士は、いるか・・・」
「俺は、今のところ、氷河の産休代理は決定でいいね。その後のことは、そっちで相談だろ?その間に、俺の方も氷河に聞いて、女医の候補を捜してみるよ」
浜茶屋に、気持ちいい風が吹いてきた。柊にとって、嫌な思い出のある浜茶屋だが、氷河と話している間は、すっかりそのことを忘れていた。
氷高も、浜まで歩いてくる間、聞こえていた柊の喘鳴が、今は聞こえなくなってきたことに気がついた。
柊と同様に、宿題を課せられた由梨は、農家レストランに、古田円、大町信之、猪又純の3人を呼んだ。呼んでもいないのに、伊勢亀忍と牛腸永遠もやってきた。
(3人一緒じゃないと行動できないの?)
由梨は少し呆れてしまった。
「皆さんお忙しいところお時間をいただいてすいません」
「由梨ちゃん。随分堅苦しい挨拶するね」
大町は、自分の義理の娘、玻璃や琥珀と同じ年の由梨に、気軽に話しかけた。
「すいません。今日は九十九農園の経営者として、お話しさせて貰ってます。
ところで、大町さんは、N女子大学の移転の話をいつ頃、誰から聞いたのか教えていただけますか」
純は、信之に小さく手を合せて、(ごめんなさい)と声を出さずに謝った。
大町も、移転の話があまり公に出来ない情報だとは知らなかったので、罪悪感から、少し口ごもって答えた。
「えっと、何時だったかな?毎朝ランニングしている時に、散歩しているN女子大の佐藤教授とよく会うんで、世間話するようになって、そこで聞いたんじゃなかったかな?
『なんか、夏にはお別れですね』とか、『でも、代わりにC大の男子学生がやって来るので、賑やかになりますよ』とか、言っていたんだ」
由梨は頭を押さえた。
(早く動いて正解だった)
「その情報の後半は間違っています。N女子大学が移転した後は、旧桔梗高校の跡地に、桔梗村の役場や診療所を作る予定なので、男子学生が来ることはありません。
確かに、C大学から『同じ学部の男子大学生もこちらに呼びたい』という希望が伝えられたことがありますが、こちらがそれを受け入れたことはありません」
由梨は、今度は純の方を向いて話し始めた。
「猪又さん達が希望していた保育園は、旧桔梗高校と県道中道を挟んで反対側に土地を確保しました」
「え?建設していいんですか?」
「はい。現在ある五十嵐義塾やハンバーガー屋の跡は解体して、整地するのは古田さんが中心になって行ってください。
それから、保育施設の管理者、越生五月さんに頼んでありますので、3人で桔梗学園の保育施設の見学をしてください。その後、設計を行うこと。
県道中道に隣接しているので、桔梗高校や白萩地区、桔梗ヶ山、桔梗学園と空中遊歩道でつないで、安全に行き来出来るように建設してください。
施工については大町さんが、ボランティアスタッフを集めて行ってください。
それから、桔梗ヶ山の一部でも子供が遊べるように、山の所有者の東城寺住職と交渉してあります」
猪又純が嬉しそうに答えた。
「森の幼稚園ですね」
「そうです。基本的に桔梗学園では、幼稚園でお遊戯などはやらせません。感性を育てることが大切なので、たくさん外に出て、自然に触れ合って欲しいと思います。保育士も確保しますが、山に入る場合は、人手が必要です。白萩地区からボランティアを募るようにしてください」
夢のような提案に浮かれていた純は、大切なことに気がついた。
「保育園の建設費用はどうなるのでしょうか?」
「桔梗学園の子供達も使いますので、資材の確保や重機の貸し出しはこちらでします」
大町が、純の肩を叩いて言った。
「俺たちは、新桔梗村を作った経験があるから、ノウハウがあるよ。安心して大船に乗った気持ちでいていいよ」
由梨は大町をちらっと横目で見て、純に釘を刺した。
「施設を作る補助はしますが、管理費の負担や運営は利用者がするので、それについては後日、利用者会議を開いて、検討してください」
「あの、農園の仕事も継続するんですよね」
「勿論、家のアルバイトの福利厚生の一環として、ここまで協力しています。是非アルバイトは続けてください」
「それでは、大学の授業を受けながら、農園での仕事と保育園の建設のすべては、できるとは思えないのですが・・・」
「大学も農園の仕事も、週休2日ですよね」
「それに妊娠中なので、悪阻がひどい時はどうしたらいいのですか?」
由梨は肩をすくめた。
「休めばいいじゃないですか。保育園を使うのは純さん達ですよね。納期が決められているわけじゃないですよ。
子供が生まれて、動き出すまでに、整地ができていて、雨風がしのげればいいんですよね。
慌てず楽しく作ってください」
「そうだよ。俺やボランティアが平日は作るし、無事出産することを第一に考えな」
そう言って、また純の肩を叩こうとすると、古田が低い声でそれを制した。
「大町さん。女性へのボディタッチは、セクハラです。自分のお嬢さんもそろそろ嫌がりませんか?」
「なんでわかるんだ?」
「実の親でも、中学過ぎたら、父親を嫌う子がいるんですから・・・。それは生理現象です。気をつけてください」
大町は、肩を落としてしまった。
純はもう一つ尋ねたいことがあった。忍や永遠も、視線でそれを応援してくれた。
「由梨さん、この機会に聞いてもいいですか?C大学の男子学生が来られないって話ですが、私達の子供の父親はここに来られないんですか?夫婦で子育てしたいんですが」
「純さんの彼氏は大学生ですよね。大学から子供の父親も『育休』はもらえるんですか?」
「わかりません、まだ入籍もしていませんし。ただ、彼は、子供が出来たことは喜んでくれました」
由梨は気づかれないように、静かに息を吐いた。
(どこまで甘ったれているんだろう)
由梨は、心とは裏腹に営業スマイルを3人に向けた。
「桔梗村は現在、津波で浸水した旧桔梗村中心地をかさ上げして、整地が終わりましたので、これから住民が増えると思います。ただ、住宅はすべてコンテナハウスです。それで良ければ、是非購入の上、ご家族で住んだら良いと思います。ただ、大学生の彼氏がこの村に来るには、リモートで授業を受けるか、休学するか・・でしょうか」
「九十九農園では、もうアルバイトがないのでしょうか」
「家族を養うのに、夫婦共にアルバイトですか?お勧めしません」
突然、今まで静かにしていた牛腸永遠が話し出した。
「ごめんなさい。呼ばれてもいないのに来ている上に、質問していいですか?
実は、私の兄弟がこの村に来たいと言っているのですが、コンテナハウスは誰でも買うことが出来るのですか?」
「はい。桔梗村のHPではもう販売が開始しています。価格もコンテナのサイズや装備品によって違いますが、兄弟はお一人ですか?」
「いいえ、私の四つ子の兄弟全員が来たいと言っているんです」
純がびっくりした。
「全員、大学2年でしょ?」
「そう、全員リモートで授業受けているから、どこに住んでもいいんだって、私の子育てに協力してくれるって、言ってきているんだ」
由梨はタブレットで、四つ子の個人情報を確認した。
「では、赤ちゃんも入れて5人で住みたいんですか?
今、大型のコンテナハウスは、3LDKが一棟2,000万円、4LDKが一棟3,000万円が売り出されています。
敷地、ガス、電気、上下水道込みでこの値段です。ただ、庭は塩害で、まだ植物は植えられませんが・・・」
「兄に聞いてみます。ネットで申し込みすればいいんですよね」
「永遠ちゃんの家って、子育てでお金がないって言っていたよね」
「うん、両親は火の車だけれど、兄と姉はそれぞれ稼いでいるんだ」
由梨は、コンテナハウス購入時の家計状況アンケートで、兄弟についてもっと調べようと思った。