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愛されない男

喘息だけでなく、コロナや百日咳など、最近、咳に絡む病気についての報道が増えました。咳は体力を奪うし、辛いですよね。大人の喘息も辛いそうです。

 KKG男女のチームの優勝と、3つの大会の運営が無事終わったことを祝って、その晩は、富山分校の食堂で「打ち上げ」が行われた。特に運営に携わった子供達は、いつもは許されない夜更かしと、スイーツバイキングに目を輝かせ、はしゃぎまくっていた。

 KKG技術班も、サンドイッチ片手に今日の成果を語り合っていた。空飛ぶ救護車の制作者、蓮実水脈(はすみみお)は、氷河(ひょうが)氷高(ひだか)に使用感や改善点をしつこく聞いていた。自分の子供奈津(なつ)に足の障がいがある水脈は、空飛ぶ乳母車、空飛ぶ車椅子と次々に製品の幅を増やしている。両足が義足の氷河が来てからは、彼女の意見も取り入れるようになった。

 氷高は、熱心過ぎる2人の会話についていけず、席を離れた。そして柊を探そうと食堂を歩き回った。昼の話の続きがしたいと思ったのだ。しかし、柊の姿は食堂にはなかった。


 桔梗学園の分校の作りは基本的に本校とほとんど変わりがないが、初めて施設内に入った氷高は、柊の居場所に見当がつかなかった。そうやって1人でいる氷高を女性陣が放って置くはずはなかった。最初に声を掛けてきたのは、猪熊(いくま)美鹿(みか)の姉、須山深雪(つやまみゆき)だった。今日は2人の応援のため富山に来ていたのだ。


「誰か、お探しですか?」

「あー。狼谷柊(かみやしゅう)君って、ご存知ですか?」

「はい。私も狼谷君達と同期なんです。一月遅れで桔梗学園に入学したんです。初めまして、猪熊と美鹿の姉、須山深雪です」

身長180cmの深雪は、自分より背の高い男性を見つけるとすぐアプローチすることにしている。

氷高も女性の扱いには慣れているので、如才(じょさい)なく挨拶を返した。

「初めまして、小畑(おばた)氷河の弟、小畑氷高です。今日は妹さんも弟さんも大活躍でしたね」

「ありがとうございます。2人とも正式な桔梗学園の生徒ではないんですが、仕事を通して、認めていただければ、いいなと思っています」


氷高は、「正式な」という言葉にひっかった。

「え?『正式』な生徒とそうではない生徒がいるのですか?」

「はい。桔梗学園は基本的に、妊娠した女子生徒で、スカウトから推薦があった生徒が入れます。また、そこで生まれた子も桔梗学園で教育を受けられるんです」

「柊君は?」

「柊君は、お母さんがもともと桔梗学園の生徒なんです」

「入学方法は他にはないんですか?」

「いくつか例外がありますが、例えば涼君は妊娠した子供の父親枠で入りました。あと、妹の子育てで苦労していると言うことで、柊君の親友が入ったことがあります」


「入れなかった人は、いますか?」

「お恥ずかしながら、うちの弟猪熊は、入学を希望していますが、いまだに許可が下りません」

「入れない基準は何ですか?」

「よく分からないんです。でも、まあ、うちの弟は学習能力が足りないんじゃないかな?後、中にいる人に迷惑を掛けたりすると、問答無用で退学です」

「『迷惑』って例えば?」


深雪は周囲を見回し、声をひそめた。

「桔梗学園に入りたくて、中の人に無理矢理、色仕掛けで迫ったり、襲いかかったり・・・」

「え?」

「あー。今のは聞かなかったことにしてください。美鹿?ちょっと来て。柊君どこに行ったか知らない?」

「お姉ちゃん?柊君はさっき電話するために外に出て行ったよ」

「どっち方向に出て行ったかな?」

「うーん。校舎の裏手かな?私は校舎の周りはよく分からないんだけれど」

「ありがとう。美鹿」


氷高が怪訝(けげん)な顔をしているのを見て、深雪が片目をつぶって見せた。

「うちの妹、柊君のファンなんです。だから、いつも目で追っているんですよ。さて、校舎の裏か。うちで言う『沈黙の花園』方向かな?」


氷高は言葉が聞き取れなくて、再び怪訝な顔をした。

「桔梗学園には校舎の裏手に恋人と逢い引きできる『沈黙の花園』という庭があるんですが、富山分校もそういう名前で呼ばれているかな?柊君が、誰かと逢い引きしていたら、()が悪いしね。多分そこの出口から出ていって右手に折れて、校舎沿いに行くとあるんだけれど・・・。あんまりお勧めしないな。電話が終わると帰ってくるんじゃないかしら」


 突然、食堂中央で歓声が上がった。

(たちばな)、勇気を出せ!」

冷やかす声をものともせずに、チューリップの花束を持った橘が、氷高と深雪の前にやってきて、(ひざまづ)いた。

「須山深雪さん、僕とお付き合いしてください」


なんと、富山分校柔道部、今日大将として活躍した橘が、須山深雪に一目惚れしたらしい。自分の農園のチューリップで巨大な花束を作って、明日、新潟に帰ってしまう深雪にプロポーズするらしい。会場は、突然の出来事に大騒ぎになってしまった。


 氷高は、すぐ状況が理解できない深雪を置いて、騒ぎに(まぎ)れて校舎の外に出た。



 色とりどりの紫陽花に彩られた、富山分校の「沈黙の花園」はすぐ見つかった。静かな外の風に乗って、人の声がした。


「どうしてそれが僕のせいなんだよ」

柊の電話の相手はかなり大声で話しているらしく、庭の端にいる氷高にも途切れ途切れ声が聞こえてきた。応答する柊の声は、かなり抑えているが、それでも氷高の耳には届いた。


『だから、柊のせいで、母さんが外務省を辞めさせられたんだよ。柊が悪い』

「何度も言うが、僕が何をしたって言うんだ」

『柊が、恋子様と結婚すれば良いだけだろう?』

「なんで、僕が結婚しなきゃいけないんだ。血筋ならお前だって同じ血が流れているだろう」

『は?それは俺の母親がお手伝いさんだったってことを当てこすっているのか?あんたの母親はT大学卒だし、柊もT大生だろう。浪人している俺を馬鹿にするのか?』

「僕はT大を辞めるかも知れないし、そうなったら高校卒業ですらないぞ」

『はあ?俺が苦労して入ろうとしている大学を、よくも簡単に辞めるなんて言うな。いつもいつも、俺のことを馬鹿にしやがって。(こずえ)を育てながらも全国模試で10番以内のお前に、俺の気持ちは分からないよ』

「ごほん、ごほん・・・」

『また、都合が悪くなると、(せき)して誤魔化(ごまか)す。俺の話を最後まで聞け』



 氷高は咳き込んでベンチに座り込んだ柊のところに駆け寄った。背中に耳を当て、喘息特有の喘鳴(ぜいめい)を確認すると、柊のスマホを受け取って、相手の男に話しかけた。


「もしもし、どなたですか。柊君は喘息(ぜんそく)の発作を起こして、もう話が出来ません。電話を切りますよ」

『お前誰だ。俺は柊の兄弟、桜治郎(おうじろう)だ。こいつはいつも都合が悪くなると、咳き込んで誤魔化すんだ』

話し相手の名前を確認すると、氷高は柊のスマホの電源を切った。桜治郎が、かけ直してこないようにするためだ。そのくらい柊の容態はひどかった。


柊は激しく咳き込み、何回か吐いた後、唇を真っ青にしながら意識を失った。氷高は、柊をそのまま抱え上げ、食堂の入り口から、氷河を見つけ手招きした。


「柊君?どうしたの?」

「喘息の発作を起こした。ここの医者に頼んで吸入薬を処方して貰って」

ちょうど、トイレから帰ってきたオユンに道案内を頼んで、氷高は柊を保健室に運んだ。


 柊は保健室のベッドで意識を戻したが、ゆっくり水を飲んでも、即効性がある薬を吸入しても、咳は(おさま)らなかった。体を横たえると苦しそうなので、氷高が柊を抱きかかえて体を起こし、優しく柊の背中をなで続けた。


 オユンは、柊の吐いた後を片付けに行って、柊がいつも持ち歩いているポーチを持って帰った。分校の内科医はポーチから柊の吸入器を取り出した。

「あれ?これはかなり古い薬だわ。桔梗学園の医師に、狼谷君の病歴を確認してみないと・・・」



 柊の呼吸がかなり治まり、氷高の肩に頭を乗せて安らかな寝息を立て始めた時、ドローンの整備を終えた琉が駆けつけてきた。


「ああ、もう治まったんだね。桔梗学園に来て1回も発作が出ないから喘息は直ったと思っていたのに」

富山分校の内科医が、琉に柊の喘息について詳しく聞いた。


「柊の喘息が何時(いつ)から始まったかはよく分からないけれど、(こずえ)ちゃんが生まれた後、父親も桜治郎も子育てしなくて、1人で子育てしていた頃はひどかったな。

母親は産休が終わったらすぐ、海外に出かけたし、柊は(うち)に帰りたくなかったんだろう?いつも夕方になると咳が出始めたんだ。

バドミントン部も辞めざるをえなくなって、顔も青白くて、自分はスナック菓子かじりながら、子育てと家事一切していて、無精髭(ぶしょうひげ)を生やしてぶくぶくに太っていて、今と全く違う外見だったよ」


氷高は、自分腕の中で、子供のように眠り込んでいる柊の背を、更に優しく撫でた。


氷河が氷高に尋ねた。

「柊と毎日バドミントンしているけれど、息が切れたことなんて1回もなかったの。氷高は見たんでしょ?発作が起きた時何があったの?」

「桜治郎君と電話をしていた」

「ああ、あいつは柊が余りに優秀だからひがんでいるんだ。家事も子育ても何も手助けしないのにだよ」


氷高は、静かに寝息を立て始めた柊をベッドに横たえて、他の人に保健室から出るように(うなが)した。

「ご協力ありがとうございました。自分が柊君についていますので、みなさん、打ち上げ会場に戻ってください。当直の先生も、自分が待機していますので、会場で夕飯食べてきてください」


 そして、最後に琉が病室を出て行こうとするのを、氷高はこっそり引き止めた。

「琉君少し、聞きたいことがあるんだ」


「俺も。桜治郎との会話が聞こえたのかどうか聞きたいと思っていた」

「一部分は聞こえたよ。お母さんが外務省を辞めさせられるとか、それは柊のせいだとか桜治郎君が(ののし)っていた」

琉がどこまで情報を知っているか分からないので、氷高は情報を小出しにした。


「何故、柊のせいでお母さんが外務省を辞めさせられるんだって?」

「なんか、結婚がどうとか言っていた」

「恋子内親王との?」

琉は氷高の目をまっすぐに見た。


「弟たちがスキー合宿で世話になって、御礼も言ってなくて悪いんだけれど、正直に知っていることを話してくれないか」

琉の言葉が強くなった。


「君には、柊君は何か悩みを話していないのか?」

逆に質問を返されて、琉は大きくため息をついた。


「正直に言うと、最近、すれ違いが多くて、話す機会がなかった。俺も彼女が出来たので、柊が遠慮していたのかも知れない。でも、聞いてくれ。柊は追い詰めちゃいけないんだ」

「喘息の発作が出るから?」

「いや、あいつは『希死念慮(きしねんりょ)』があるんだ。どこか、自分は生きていてもしょうがないと思っているところがある」

「そうは見えないよ。仕事も出来るし、頭もいい。女の子にももてるし、死にたい要素なんてないじゃないか」

「それが危険なんだ。一見何もなさそうな人間が、ちょっとのきっかけで、死を選ぶ。

以前も、柊の猟銃がうっかり暴発して、人を傷つけたことがあった。その時も、気が狂ったように泣いて、心療内科の先生が『危険だから1人にするな』とアドバイスをくれて、一晩中、あいつが自殺しないか見守ったこともある」


「琉君は、その原因がどこにあると思う?」

「あいつは、小さい頃から家族に愛されてなかったんだ。多分、それが原因だと俺は思っている。だから、愛のない政治的な結婚なんかしたら、あいつの心は壊れてしまうぞ」

 

「柊君のお母さんは、柊君を守って外務省を辞めるんだろう?お母さんには愛されているんじゃないか?」

「どうかな?自分の親の介護や、小さい子供の世話を柊に任せて、仕事三昧(ざんまい)の母親の愛情って偏っているんじゃないか?柊はそれでも『嫌だ』と言えなかったんだ。母親に嫌われると思っていたから。

柊は親に愛されるために、優秀な姿を無理して保っているような気がする。期待された仕事が出来なかったり、成績が落ちたりしたら、すぐ親に飽きられてしまうと思っているんじゃないかな?」


 氷高は自分について振り返ってみた。父親は、医者の跡取りとしての子供を欲しがっていた。姉の氷魚(ひお)は獣医になり、氷河は外科医になったが足に障がいがある。自分は親の出身校T大学の理科Ⅲ類に入れず、北大医学部に入った。たまたま、父の運営する病院が北海道にあったから、北大でも許して貰ったが、今でも「氷高は姉より頭が悪い」と外部の人に話している。

ただ、姉たちは本当に氷高のことを愛している。そして必ず守ってくれるという信頼関係が、姉との間にはある。


琉は話を続けた。

「氷高君は俺の弟、(りん)を見て我が儘(わがまま)な子だと思ったろう?」

「い、や、あ。自由奔放な子かな?」

「あれはさ、どこまで我が儘をしたら許して貰えるか、それで、どのくらい愛されているか計って、大人を試しているんだ。俺の兄弟は、どの子もあの時期を通過した。そして、何をしても愛されているって実感を持つと、安心して我が儘を言わなくなるんだ」

「まあ、俺も姉にはいじめられたけれど、可愛がられていたよな」


「じゃあ、桜治郎との関係はどうしてあそこまで悪いんだ?」

「あの子もかわいそうな子だけれどな。柊とは異母兄弟なんだけれど、不満はすべて柊にぶつけるしか自分を保つことが出来ないんだ。まあ、サンドバッグにされる柊も苦しいけれどな」

「琉君は、結構、桜治郎君に対して優しい見方をするんだな」

「まあ、俺もそこそこ優秀なんで、すぐ下の弟を傷つけている実感はある」


「ところで失礼ついでに聞いて良いかな。嫌なら答えなくて良いけれど。柊君はお母さんが桔梗学園出身だから、ここに入学できたんだよね。琉君はどうして、桔梗学園に入学できたの」

琉は(しばら)く考えてから答えた。

「柊と俺は、当初は『ヤングケアラー』枠で、入学できたと考えていたんだ。でも、今は違う理由があったと考えを変えている。多分、男子は桔梗学園で不足している技能を持っているという理由で採用したのかな?俺はドローンのパイロットや研究のために入れられたのかと考えている」


「ふーん。じゃあ、桔梗学園では、男性医師の募集はないのかな?」

「急に話が変わったね。氷高君自身が、桔梗学園に就職したいの?」

「ああ、氷河姉ちゃんが、産休に入ったら俺が代理では入れないかなって、今ちょっと考えた」

「難しいな。男姓医師が嫌いな人も多いし、そもそも、子育てしても医師も研究も続けられるということを、女性医師採用の(うた)い文句にしているからね。後は、性転換手術をするか・・・」


鵜飼羊(うかいよう)は、女性に性転換して、桔梗学園の助産師をしている。その例について琉は考えたのだ。

氷高はその事情を知らないので、即答した。


「いや、そこまでは出来ないよ」


「うちの家族も、俺以外は桔梗学院に正式に入学できていないんだ。ここに潜り込むのはかなり大変だよ」

琉は、人の良さそうな笑顔を浮かべながら、きつい言葉を言い放った。



「ありがとう。美味しい夕飯をいただきました」

当直の医師が帰ってきて、2人の会話はそこで途切れてしまった。



 翌日、桔梗学園に戻る時には、柊の喘鳴が納まったが、心なしか、柊の言葉数(ことばかず)は少なくなった。


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