長い休暇
いじめって陰湿ですよね。政界にもたくさんありそうですけれど。
5人の小学生を置いて、北海道分校から子供達が帰ってきた時、加須恵子は薫風庵の2階で隔離生活を送っていた。
「痛いのは、少し良くなりましたか?」
児島内科医が、朝食を持ってきた。
「すいません。脇腹が痛くて、動けなくて・・・」
「辛いですよね。帯状疱疹ですからね。早めに塗り薬と飲み薬を処方したので、1週間程度でかさぶたになるとは思います。ただし、痛みは1ヶ月くらいは続きますよ」
「休んで、楽しい生活していたのに、何かストレスになることありましたかね」
精神科医でもある児島が、にっこり微笑んだ。
「働き続けていた人は、全く仕事しないのもストレスなんですよ。そもそも、こちらにいらした時に大分、血尿が出ていましたから」
「あれ?尿検査しましたか?」
「うちは、桔梗バンドとすべてのトイレから、皆さんの健康状態を把握していますから」
「トイレも?」
「はい。バンドをかざして、トイレに入るじゃないですか?そこでトイレを使った人を認識して、排泄物検査データは、個人の健康情報として集約されます。勿論、排泄物は検査されてから、再利用されています」
脇腹の痛みに苦しみながらも、恵子は児島医師の言葉の違和感に気がついた。
「健康情報の集約?」
「あら?気がついちゃいました?」
「はい。桔梗学園の『発電するトイレ』から健康データが、ここにすべて送られてきているんですか?」
「Apple Watchと同じですよ。今や健康データはどこも喉から手が出るほど欲しいものです」
「でも、Apple Watchなら脈拍や血流、ライフスタイル、睡眠などのデータが取れるけれど、排泄物はそれ以上のデータが取れるでしょ?」
「そうです。現在は天皇陛下や石頭総理大臣も、現在うちのトイレを使って下さっていますよね。中には、国がひっくり返るようなデータも取れます」
「それは、お二人の健康状態がかなり悪いとか・・・」
それへの返答をせず、児島医師はアルカイックスマイルを浮かべた。
「余り考えると疲れますよ。さあ、背中を出して下さい。薬塗りますよ。恵子さんもここへ来て少し調子が良くなっていませんか?食事に薬も入っているんですよ」
(『食堂の食事は、人と替えてはいけない』というのはそういうわけだったのか)
恵子の背中に冷や汗が流れた。知らないうちに薬が投与されていると言うことは、簡単に邪魔者を消すことも出来ると言うことだ。不安そうな恵子を見て、児島医師は微笑んだ。
「心配しなくて大丈夫ですよ。聞かれればお薬内容もお教えしますよ。恵子さんの血尿は、尿管結石由来なので、石が出来にくくする薬などを処方しています。最近、血尿が見られないとは思いませんか?」
「そう言えば、・・・って、『石』って、あの世界三大激痛という『尿管結石』?」
「そう、レントゲンは取ってないから大きさは分かりませんが、恵子さん、珈琲をがぶがぶ飲んだり、ビターなチョコで頭をすっきりさせようとしたりしていませんでしたか?シュウ酸を含む食品には気をつけないといけませんよね」
一々思い当たることばかりだった。
「帯状疱疹の痛みに、尿管結石の痛みが加わったら、地獄ですよね」
恵子は涙目でぷるぷる首を振った。
「それもあって、桔梗学園にご招待したのです。早く治してしまいましょう?」
恵子は、薬を塗ってもらいながら、今は自分の健康を直すことに専念しようと心に決めた。
幸い恵子の帯状疱疹の痛みは、3月に入る前にほぼ完治した。脇腹のピリピリする痛みは時折襲ってきたが、これも1ヶ月くらいは続くと言われていたが、徐々に軽くなってきた。
今までは、痛ければ、座薬を入れたり点滴したりして誤魔化してきたが、今は、実に健康的な生活で、寿命が10年くらい延びたような気がしている。
薫風庵の2階での生活ばかりしていると、今度は筋力が落ちるので、帯状疱疹からのウイルスの放出が収まってからは、恵子は三食なるべく食堂まで下りるようにしている。
恵子は食堂では外が見える窓際で、座るのが常だったが、如才のない柊が挨拶をしに来た。
「恵子さん、大分顔色が宜しいようですね」
「柊君は、日焼けしているわね。スキーしてきたの?」
「はい、北海道修学旅行の2日目は、雪遊びでしたので・・・」
柊は大分、はしょって返答した。
「妹の梢ちゃんは喜んでいた?」
「勿論、子供達はみんな喜んで、1日では足りなくて、1ヶ月残った小学生がいます」
「引率も大変ね」
「引率なんて残りませんよ。小学生だけ置いてきました」
恵子は目を丸くした。
「ほら、始まりますよ。残った小学生が、毎日の報告代わりにビデオを送ってきているんです。結構楽しめますよ」
モニターを見ると、小学生の男女がリポーター役で、画面に映っていた。
「こんにちは。今日も皆さんお楽しみの『美鹿琵琶チャンネル』が始まりました」
放送が始まると、部屋の隅の方で、少女達がひそひそ話す声が聞こえだした。
「いやだ。いやだ。また、美鹿が映っている」
「狡いよね。女子一人で、もてようとして、ゾウみたいなデブなのに・・・」
「柊君、あの子達?」
「ああ、最初は美鹿と3人組だったんですが、最近、美鹿との力の差が出てきて、焼き餅焼いているんです。食堂の雰囲気が悪くなるから、追い出しますか」
「いやー。小学生だよ」
「桔梗学園には校則はほとんどないのですが、
『桔梗学園の生徒、学生の心身の安全を脅かす行為をする者は退学とする』
という項目があり、これに対する処罰はほとんど即時に行われます」
柊は自分を夜中に襲った久保埜万里と笑万が、翌朝には母親といなくなったことを思い出し、眉根を寄せた。
「ああ、美鹿の姉、深雪がもうあの子達のところに行った。ちょうど、食堂にいたんですね」
食堂中の目が深雪に釘付けになった。猪熊も遠くから加勢に来た。
「ねえ、あなた達、今うちの妹のこと、なんて言った?『ゾウみたいなデブ』って言ったよね」
「そんなこと言っていません」
「まあ、いいわ。今から、美規さんに連絡して、あなた達を桔梗学園の敷地内に立ち入り禁止にして貰うから」
そう言うと深雪は、少女達の座っていたテーブルに、ドンとモニターを置いた。モニターには、すぐ美規の顔が映った。
「美規さん、忙しいところすいません。この子達、うちの妹の悪口言ったり、仲間はずれにしたり、目に余ります。桔梗学園の施設立ち入り禁止を申請します」
「そんなことしていません」
「こんな大きなお姉さんとお兄さんが、小学生いじめるなんてひどい・・・」
小学生は少し泣き真似を交えながら、食堂の他の人に聞こえるように自分たちの正当性を訴えた。
しかし、その言葉が終わらないうちに、先ほどの少女達の映像が流れた。
「いやだ。いやだ。また、美鹿が映っている」
「狡いよね。女子一人で、もてようとして、ゾウみたいなデブなのに・・・」
「ほら、言っているじゃない」
少女達は、顔を見交わした。そして、二人とも大粒の涙を浮かべた。
「ごめんなさい。申しません」
「悪いことだって知らなかったんです。ぐす」
画面越しに、美規が言った。
「ここは、みんなが積極的に勉強したり、研究したりするところなの。下らない焼き餅などで、効率が下がるなら、その人には出て貰うことになっています。まずは、あなた達の親御さんに、今日あったことを正確に話しなさい。そして、もう1回悪口を言ったり仲間はずれにしたりしたら、親子共々、桔梗学園側の施設への立ち入りを禁止します。直接、嫌がらせや暴力を振るったら、即時、新桔梗村から出て行って貰います」
「この施設から、出たらご飯はどうなるんですか?」
「もうノースエクスプレスが開通しています。自分たちで新潟駅まで出て、食料を購入してきて下さい」
「新桔梗村から追い出されたら、どこに行ったらいいですか?」
「さあ、村民権を剥奪しますから、どこへでも自由に行って下さい」
「はい。分かりました。もう、しません。お姉ちゃん達も、もういじわるをしないでください」
深雪は反省しないその言葉に、もう少しで手が出そうになってしまった。
二人は食器を、食堂の流しに乱暴に放り投げると、何やらひそひそ話をしながら、食堂から出て行った。
「なかなかのお嬢さん達ね」
「多分、美鹿達が帰って来る前にあの2人は消えますよ」
「食堂の皆さんは、見て見ぬ振りなのね」
「人間関係構築とか『足の引っ張り合い』などということに、無駄な労力を使いたくないんですよ。みんな。『人は人、自分は自分』という考えの人が多いですよね」
「でも、舞子さんの手伝いなどに全力で力を貸すところもありますよね」
「まあ、そうですけれど。KKGの人達は舞子が負けても、『ああ、面白かった』って、気持ちよく終わったと思います。
負けたことだって、重要なデータが取れたわけですし、舞子自身も、それは分かっていたと思います」
「もし舞子さんが負けていたら、柊君はどう感じたと思う?」
「僕は、舞子が負けたらすごく悔しかったと思いますが、半面、チャレンジ出来て満足そうな舞子見て、嬉しかったかも知れません」
「ふうん。今回の災害に対する対応だって、失敗したら、どうなるかとこちらはヒヤヒヤもんだったけれど、君たちは、楽しんでいたって訳ね」
「人聞きが悪いですね。ここで失敗しても同じ災害が200年後までには必ず起こるんです。次への素晴らしい資料が出来たって、考えてもいいじゃないですか」
恵子は、モニターに流れる楽しそうなスキーの映像を見ながら、心を決めた。
「そうね。私も、『総理大臣』として名を残すより、自分の政策が人のためになったことの方が嬉しい人間かも」
因みに、柊の予想は当たった。
「美鹿琵琶チャンネル」は少女たちの嫉妬心に火をつける内容だったので、美鹿達が戻る前に、悪口の証拠が出揃い、2人とその家族は桔梗学園から追い出された。
その上、新桔梗村では親共々、騒ぎ立てたので、村民権を剥奪されて、新潟駅に放り出されたらしい。