ドローン講習会
ドローン講習会は、楽しいだけじゃなかったみたいですね。
夕べは、しっかり自分の布団で寝た恵子は、気持ちよい朝を迎えた。
「お早うございます」
「美規さん。今日は一緒にドローン講習買い受けさせて貰います」
「じゃあ、準備したら、食堂に行きましょう。下はズボンを穿いてください。
琉君と食堂で待ち合わせしています。朝ご飯も食堂で食べましょう」
美規に言われるまま、猿袴を借りて着替え、2人で薫風庵の坂を下りていった。
「朝食を食堂で食べるのは初めてです」
「昨日はお餅をみんなが食べたから、朝は洋食かな?」
「楽しみですね。朝ご飯もメーヴェに乗れるのも楽しみですよ」
「鷗と言うよりはアヒルですけれどね」
「1度長尾財務大臣と一緒に乗りました」
小学生練習用の2人乗り小型ドローンは「メーヴェ」という。先日、柊が校内案内に使ったドローンは、8人は乗れる小型機だ。美規はメーヴェを操縦する練習もせずに小型機に乗ろうとしたわけだ。晴崇も怒るのも納得の暴挙だ。
確かに美規は、こっそりシミュレータのある部屋で、練習はしていたが、実機に乗りもせずにいきなり人を乗せて操縦するなど、晴崇でなくても怒る。
ベーグルにポテトサラダ、コーンスープの朝食を済ませた2人は、琉に連れられ、ドローンの発着場に向かった。そこには古田円も待っていた。
「お早うございます。KKGの古田円です。加須さんの指導をさせて貰います。まずお二人はこれを着てください」
2人はヘルメットと「飛行機が落下しても大丈夫なスーツ」を着せられた。これは「熊に叩かれても大丈夫なスーツ」より、遥かに性能が高いスーツだ。K国にバリアを設置しに行った時にも着用していったほどの高性能なものだ。ただし、今回はレンタル用に作られたもので、少しぶかぶかしている。
「かっこ悪い。琉達の着ているのがいい」
「美規さん、嫌そうな顔しないでくださいよ。パイロット用のは、フルオーダーメイドなんですから」
美規は文句を言っているが、ベルトで各部分を締めるとそれなりに体にフィットする。そして、小学生に着せる関係で、かなり軽量でもある。
「軽いですね」
「でも、飛行機事故で地面に落下しても、大丈夫な強度はありますから安心してください」
恵子は、KKGの技術力の高さを改めて、理解した。
円に連れられて、恵子は2人乗りメーヴェに乗り込んだ。
「まずは私が操縦して、一周回りますので、よく見ていてください」
円は何の解説もせず、手首の桔梗バンドをパネルに近づけた。
パネルが白く光り、文字が浮き上がった。
「上がる(UP)」のボタンを指で押すと、ドローンは静かに上昇した。
後は、パネルに浮き上がった地図の目的地を指先で触れば、そこに最短ルートで向かって行くし、曲がりたい時は、指で地図上でカーブを描くような軌跡を描けば、そのカーブに添って、曲がっていく。
高度は、ドローンが自動で設定してくれるし、2機のドローンは決して近づかない設定がされていた。1回、緩やかにドローンが止まった時は、美規のドローンが目前を飛んだ時だった。設定には、一緒に飛ぶドローンの軌跡も映し出せるようになっているので、編隊を組んで飛べるようになっている。
「下がる(DOWN)」のボタンを押して、スタート地点に戻ってから、円は口を開いた。
「どうですか?何か分からないところがなかったら、すぐ交代して操縦して貰います」
なかなか乱暴な教え方だ。しかし、説明されないと分かると人は必死に覚えるものだ。
1時間後には、どうにか施設の周辺を自由に回れるようになった。
美規はまだ、時間が掛かりそうなので、円がおまけの講習をしてくれることになった。
「じゃあ、後はおまけで、海まで行ってみましょうか?」
かなり自信をつけた恵子は、海まで乗り出したが、そこは釣り堀と外洋くらい違う世界だった。
とにかく、冬の日本海の強風の前では、メーヴェは風に飛ばされた凧のようなものだった。
「吐く時は、ドアのボタンを押してください。エチケット袋が口を開けますよ」
「いや、吐きそうと言うより、目が・・・」
「あー。加須さんは、目眩がするタイプですか?操縦代わります」
そう言うと、円は自分の座っている席の前から操縦桿を引き出した。
「じゃあ、1回だけ旋回して帰りましょう」
そう言うと、緩やかにドローンを上昇させ、風に煽られたのを利用してくるんと1回旋回して、結構な速度で海上から離れ、元の発着場に戻った。
そこには美規達が戻っていた。
「円さん。美規さんが羨ましがっちゃうよ」
「いやー。加須さんの様子見たら羨ましいなん言えないよ」
恵子は、ドローンから円の腕の中に転がり出てきた。眼振が激しく、降りた場所で嘔吐してしまった。
「あーあ。俺がかたづけておくから、保健室に運んで上げて」
恵子は今日も、お姫様抱っこされる羽目に落ちいった。円は背はさほど高くないが、がっしりしていて、軽々と恵子を保健室まで運んで行った。
美規はと言うと、二人には着いて行かず、一人ですたすたと薫風庵まで帰って行った。
加須恵子の目眩が治ったのは、午後も遅くなってからだった。
「加須さん?目を見せてください。あー、眼振も治りましたね」
そう言って、飯酒盃医師が恵子の背を支えて、起こしてくれた。
「すいません。今何時ですか?3時?ここは?」
「ここは保健室です。円と海まで出かけたんだそうですね。風が強かったでしょ?」
「はい。木の葉みたいにくるくる回って、目も回って・・・。ここまでは誰が?」
「円がお姫様抱っこして連れてきてくれましたよ」
「今日も結局、お姫様抱っこされたんですね」
飯酒盃医師が楽しそうに恵子を見つめた。
「ここでの生活はどうですか?」
「毎日が新しい経験ばかりで楽しいです。なんと言っても三食昼寝付きで、ゆったり出来ています」
「良かったです。うちも加須総理代行には、かなり無茶振りしましたから、しばしの休息を楽しんで貰いたいのです」
「『しばしの休息』ですか?」
「石頭総理が失脚したら、次の総理からお呼びが掛かると思いますよ」
(また予言か?)
恵子は、目の前の医師に警戒感を持った。
「そんな、新しい家に連れてこられた猫みたいな顔をして、警戒しないでください。
我々医師も、この天国のような環境を守るために、情報収集を怠ってはいませんよ。
多分次期総理は、長尾財務大臣と黒州三郎外務大臣の一騎打ちでしょうか?どちらも、あなたと九十九カンパニーとのつながりを利用しようとしてくるので、官房長官復帰は時間の問題だと我々は思っています。間違っていると思いますか?」
確かに、今、官房長官に着いている久喜宗一は、石頭総理と同期と言うだけの使い勝手のいい男だ。女性活躍推進委員長としての仕事も実にお粗末だった。次期総理に選ばれる可能性は低い。
「次は黒州外相じゃないでしょうか?石頭総理の覚えもめでたいし、なんといっても血統もいいし、私より10歳も若いし、ルックスもいい」
「そして、立ち回りも上手い。災害復興なんて、泥水をすするようなことをしたがると思いますか?長尾さんに災害復興を数年やらせて、国際空港も出来て、国際交流も始まって、なにもかも軌道に乗ったら、総理として出てきた方が美味しいですよね」
「桔梗学園やKKGは、黒州君の協力はするのですか?」
飯酒盃医師はそれに答えず、すっと立ち上がって冷蔵庫に向かった。
「お腹がすきませんか?磯辺餅って好きですか?」
暫く、保健室には醤油のいい香りが立ちこめた。
「餅はやっぱり、磯辺ですよね」
そう言って、指をしゃぶりながら、飯酒盃医師は恵子の顔をまっすぐ見つめた。
「加須さん、私達が恩返しという目的だけで、あなたをここに招待したと思いますか?」
「え?」
「女は自分の家族を守るのが、一番大切だと思っているんです。国土や名誉なんてそのためにはすぐ捨てても構わない。命と平和な日常が大切なんです。
桔梗学園という家族を守るために、黒州大臣が役に立つと思ったら、協力はします」
保健室に琉が迎えに来たのは、夕方5時過ぎだった。
「飯酒盃医師、加須さんの具合はどうですか?ああ、良かった。もう起きられるんですね。夕飯はどちらで召しあがりますか?美規さんはもう疲れて寝ちゃっているらしいですよ。
夕飯より風呂を先にしますか?温泉もありますよ」
温泉という言葉に、恵子の目が少し光った。
「加須さん、温泉には円がご案内しますよ。是非入ってください」
「おい、琉はもう『円』呼ばわりなのか?お熱いこって」
「飯酒盃大都!五月蠅いよ。いい男は、早めに唾をつけないとね。
琉と付き合っていると、みんなに分かるようにしないとお姉様方に横取りされるからさ」
そう言って、琉の後ろから、顔を覗かせた円は、琉の腰に抱きついた。
「あー。これでついに、柊だけしか残っていないのか。血の雨が降るな」
琉がニヤニヤして「柊は残り物じゃないですよ」と口を挟んだ。
本日の保健室当番は、熊が恋人、飯酒盃医師でした。