炬燵で蜜柑
炬燵でのんびりするのもいいですね。
柊と学園の敷地を一周回ってきた恵子は、九十九農園に梢を迎えに行き、その足で食堂に向かった。
「ばーば、まんま」
独身で、政治の世界にのめり込んできた恵子は、「ばーば」という言葉に少し胸が痛んだ。
それでも、恵子の人差し指一本を、一生懸命つかむ梢は可愛くてしょうがなかった。
梢のスタイは苺の果汁がべったりついていたが、顔は玲に綺麗に拭いて貰っていた。見上げる梢の顔を見ると、冬の日差しが少し青い目を輝かせていた。恵子は、食堂の列に並んでいる柊の目を見つめると、梢ほどではないが、色素の薄いガラスのような目をしていた。
「恵子さん、どうしましたか?ああ、ここの食堂は個人個人、食事量とメニューが決められているので、僕よりも量が少ないんです。我慢してください」
「それで皆さん、肥満体型がいないんですね」
「まあ、食事がコントロールされるだけではなく、学園内はかなり歩きますし、毎朝1時間半、身体を使う労働をしますので、太る暇がないです。僕もここに来た時はかなり太っていましたが、1ヶ月もしないうちに今の体形になりました」
「私も1ヶ月もいたら、痩せられるかしら?」
「ご希望ならば、朝仕事も体験なさいますか?明日は餅搗きなので、いい運動ができますよ」
「餅搗き?何十年ぶりかしら。私も参加していいんですか?」
「加須さんがここにいると、口外する人はいませんよ」
加須恵子は現在、行方不明と言うことになっているのだ。
「まあ、TV見てない人も多いので、加須さんの現状を知らない人も多いかも知れませんね」
加須は食堂を見回すと、TVはあるのだが画面は真っ黒なままだった。それよりも、モニターに映し出される「餅搗き大会」の告知の方が、人の注意を引いていた。
「桔梗学園もちつき大会」
日時 12月30日10時
会場 体育館内グランド
情報 1 ただ今、つき手募集中。初めてでも講習会があるので大丈夫。
(講師 狼谷柊、榎田涼、五十嵐勝子)
2 もちのトッピング あんこ、きなこ、大根おろし、納豆
3 雑煮も用意してあります
4 伸し餅も作る予定なので、持ち帰り用、タッパーは各自用意すること。
「また、舞子は勝手に人に仕事を割り振って・・・」
柊の独り言を、恵子は聞き逃さなかった。
「柊君は、餅搗きの講師なんですね」
「そうみたいですね」
柊は肩をすくめた。
「梢ちゃんは当日どうするんですか?」
「保育施設から、小さい子の面倒を見てくれる人が来ますよ。もちを喉に詰まらせると危ないですから」
「当日の保育はもう頼んだの?」
恵子は「その日、梢の面倒を見て上げようか」と一瞬思ったが、柊はすぐ首を振ったので、言い出すタイミングを逸した。
「誰か面倒見ますよ。ここは子連れが通常運転ですから、子供がいるから仕事が出来ないと言うことはありません。なあ、こーちゃん。明日は瑠璃ちゃんと遊ぶんだよな」
梢は何度か、瑠璃の家にも泊まりに行って、姉のように慕っているので、「瑠璃」の名前に満面の笑みを浮かべた。
「あら?柊、こちらは?」
板垣啓子と圭が、双子を連れて食堂にやってきた。啓子は自宅でTVを見ているらしく、すぐ加須恵子に気がついた。
柊が目配せすると、察しのいい啓子は、にっこり笑った。
「お疲れ様でした。ここでのんびりされるなら、我が家にも遊びに来てください」
そう言うと、かなり大きくなった暁を抱き直して、子供用椅子を取りに行った。
「あの若い女性が、晴崇の嫁さんで、年配の人がそのお婆さんです」
「晴崇君って、双子の子供のお父さんなのね。奥さんも綺麗な人ね」
シルバーに染めた髪を肩で綺麗に切りそろえた圭は、客観的に見て、綺麗な女性だった。
柊は改めて圭を見た。
「まあ、綺麗ですかね?僕にとっては頭の切れる、強気なパイロットという評価しかないですが・・・」
「柊君は、なかなか美人の評価が厳しいのね」
「美人かどうかは、個人の判断ですから」
「西洋人形のように綺麗な梢ちゃんを見ていると、他の子は美人に見えないかも知れないわね。梢ちゃんはクオーターになるのかしら?」
「外国の血が入っているように見えますか?」
「柊君だって、目の奥に青い色が見えるよね。肌の色もかなり白いし・・・」
「え?」
柊は今まで梢は、母と「外国人の恋人」との間の子ではないかと思っていた。しかし、自分にも外国人の血が入っているなら、話は違う。母方か父方のどちらかに、外国人の血が入っていて、たまたま梢にその形質が強く出たのかも知れない。弟の桜治郎はどうだったろうか?
柊が自分の血筋について考え込んでいると、梢の手が柊のコップに伸びてきた。
「駄目だよ。こーちゃん。こーちゃんのコップはこちら」
梢にプラスチックのコップを私ながら、梢の食事の世話を始めた柊は、自分のルーツについて考えることを先延ばしにした。
食事が終わると、涼が明日の餅搗き講習会の打合せをしようとやってきたので、恵子は自分一人で薫風庵に歩いて帰ることになった。
「ただいま」
薫風庵の玄関に入ると、くぐもった声が聞こえた。
「お帰りなさい」
美規が顔半分まで布団を被って、炬燵に潜り込んでいた。
「美規さんは、お昼はこちらで召し上がられたんですか?」
「晴崇と一緒に食べました。朝のことをねちねち文句言われながら・・・」
晴崇に叱られる美規を想像して、笑みがこぼれそうなのを堪えた。
「食堂で晴崇君のお祖母さんと奥さん、双子ちゃんに会いました」
「啓子さんは、圭のお祖母ちゃんですね。お祖母ちゃんは、ドローン世界大会でも活躍しましたよ。漢字は違うけれど同じ『けいこ』さんでしたね」
「ご自宅に招待されました」
「白萩地区に、あっちの啓子さんは、晴崇家族と一緒に住んでいます。あの地区の見学も兼ねて行くといいですよ。あそこでは、桔梗学園の食堂と違って、食べたいものが食べられます」
「レストランでもあるのですか?」
「ネット注文するとロボットが運んでくれるので、会議やパーティーの時は、好きな物を食べているみたいです」
「美規さんは行ったことがないのですか?」
「白萩地区に行ったことはないですね。小さな店や手芸宇教室もあるみたいです」
美規は少し寂しそうだった。
「失礼ですが、美規さんと晴崇君はご兄弟なのですか?」
「いいえ、晴崇は親が若くして亡くなったので、真子学園長が育てたのですが、学園長が忙しい時は、私が晴崇達の面倒を見ていたので、姉弟というより、母親に近いかも知れません」
美規は炬燵布団から手を出して、蜜柑を取った。
「この蜜柑、当りです。美味しいですよ」
そう言うと、丁寧に皮を剥いて、房を一つずつ丁寧にとって食べ始めた。
「では、美規さんはご結婚は?」
「していません。今29歳ですが、結婚はしなくてもいいかなと思っています」
「ちょっと待ってください。私のように60歳近くなっても、独身の者が言うなら分かりますが、どうしてそう断言するのですか?」
「私は、人の気持ちがよく分からないんです。だから赤の他人と暮らすことは難しいんです」
「美規さんはハーフで、顔立ちも整っているのに、男の方から声を掛けられることはなかったんですか」
「アメリカにいる時は、発達障がいのクラスに入っていて、こちらに来ても、薫風庵からほとんど出たことがありません。出る時は、晴崇や鞠斗が一緒に行動してくれます。最近やっと敬語が使えるようになったけれど、桔梗学園の代表に任命された時は、死のうかと思ったくらい悩みました」
「お辛かったのですね」
「あー、でも、辛かったかも知れませんが、子育ての仕事が終わった私に、仕事を割り振ってくれたと、今は思っています。みんなが仕事をしているのに、何も仕事をしないのも居心地が悪いです」
恵子に対する嫌みではないが、少し気になる言い方に感じる。
会話が途絶え、いつの間にか2人とも机に伏してうとうとしていると、階下から、京が台所にやってきた。
「2人揃って寝ちゃって。TVでも見ますか?」
京が冷蔵庫からプリンを取って、帰りにTVをつけて行った。
加須恵子は、TVの音でぼんやり目を開けた。
「あー。国会では決算報告をしている。12月も末だからな。官僚ってすごいな。こんなギリギリでも決算書を仕上げられるんだから」
美規も顔を上げた。
「決算も何も、桔梗学園を動かしたお金はほとんど、『加須案件』で、支払いが生じていないから、大分余ったんじゃないの?」
「そうも行かないので、強引に費目替えをして、避難先の医療機関やインフラ工事に前払い金として、払っちゃったんだ。都内の地下工事や防衛費、四国の飛行場建設費として使ったのもあるけれど、目に見えないお金だよね。まあ、国会議員もそこは目をつぶるんじゃないかな?自分たちも何も活動していないのに、議員報酬は貰っているから」
「ふーん。今、選挙したらどうなるんだろう。避難した人は選挙権はあるのかな?」
「そうだね。人がすべて避難した場所は、投票所が設けられないよね。選挙運動も出来ないし、おー、なんか、石頭総理が話している」
「『内閣改造』って言っているみたい」
「うへー。官房長官の私もいなくなったし、牛島防衛大臣や長尾財務大臣も切りたいんだね」
美規が突然、炬燵からもそもそと這い出て、台所に向かった。
「喉が渇いたので台所に行くけれど、温かい飲み物と冷たいのどちらが好きですか」
「冷たい飲み物をお願いします」
美規が冷たい麦茶をグラスに入れて持ってきた。
「いただきます。うとうとしていたら喉が渇きましたね」
「内閣改造しても、石頭総理はそう長くは持たないでしょうね」
「え?」
TVを見ながら、まるで明日の天気を言うような軽いのりで、美規が呟いた。
「お知らせしていなかったですが、日本中の皆さんに押したスタンプは、加須さんが辞職なさった時に、すべて無効になりました。桔梗学園関連施設以外のバリアも」
「ちょっと待ってください。それは、K国に張られているバリアもですか」
「あのバリアは1年間は大丈夫。これからは、ドローンも使用料を取って運行します。今までは、人道支援でしたから、無料でしたが、燃料も安くはないですから」
「私の運賃は?」
「人道支援で・・・」
美規は面白そうに笑った。