戦い疲れてお休みグッナイ
タイトルを悩んだ挙げ句、ポケモンの歌詞を使ってしまいました。
桔梗学園に来るのは、何ヶ月ぶりだろう。
ドローンは薫風庵の前庭に停まり、柊の案内で加須恵子は薫風庵に向かった。
(以前来た時は、もっと背の高いハーフの青年に案内されたな)
柊の背中を見ながら、恵子は西日本知事会の前に、長尾財務大臣と尋ねた時のことを思い出した。
「島根分校の寒風庵と建物の作りは似ていますね」
柊は足を止めて、振り返った。縁側から差し込む光が、色素が薄い柊の目に入って、キラキラ輝いて見えた。
「5つの分校の庵は、庭以外はほぼ同じ作りにしてあると聞いています。真子学園長が訪ねた時、戸惑わないように同じ設えになっているらしいです」
「真子学園長はよく他の分校を訪ねたのね」
「さあ、僕はここに1年半しかいませんのでよく分かりませんが」
柊はそう言うと、静かに美規がいる部屋に、恵子を誘った。暮れの薫風庵は、縁側の内側を仕切る雪見障子も閉めてあり、中はほんのり温かかった。
その中で美規はゆったりしたパンツに、長Tを来て、柔らかく編んだカーディガンを羽織って、寛いでいた。いつも部屋の中央にある机の足が、半分外され、炬燵カバーのような布が下がっていた。どう見ても掘り炬燵である。
「よくいらっしゃいました。どうぞお好きな箇所にお座りください。ご希望ならば、座椅子か寄りかかれるクッションをご用意しますよ」
そういう美規はクッションを当てていたが、結構寛いだ姿勢になるので、座椅子を所望した。
立ち上がろうとする美規を手で制して、柊が肘掛けのある座椅子を持ってきた。
「お疲れ様でした。母からも伯母からも、是非加須恵子さんを労うように言われていました」
「嬉しいね。政界からも国民からも、見捨てられたのに、桔梗学園の人は温かいね。今まで利用されていたと思っていたけれど」
「まあ、最も利用しやすかったというのも、嘘ではないですが。加須さんは見返りを求めませんでしたから」
恵子は力なく笑った。
「はは、見返りを求めている暇がなかったね。それに人命を助ければ助けるほど、総理に遠くなっていくことが分かったよ」
柊が、二人に「金鍔」とお茶を差し出した。金鍔は、桔梗学園の食堂で作られたものだ。
「金鍔は、少し濃いお茶にぴったりね。疲れた身体に甘みが染みるわ」
「うちの食堂で作っているんです。新潟にも和菓子屋さんがたくさんあったのですが、地方に移転したり、廃業したりして、今はなかなか和菓子も食べられないですよね」
確かに、金鍔は小豆を上手に煮れば、家庭でも作れる。
「あれ?こちらはカボチャで出来た金鍔ね。洒落ているわ」
「お口に合ったようで」
そう言ってかすかに笑うと、柊はさっと奥に引っ込んだ。
「うちの母や伯母は、炬燵にすると動けなくなると嫌がっていましたが、私はここでまったりするのが好きなので、掘り炬燵のように布まで掛けてしまいました」
「迎賓館の和風別邸も外国人賓客用に、掘り炬燵風にしてありますが、ここは掛け布団のようなこの布がいいですよね」
「もともと床暖房なので、この布があるだけで、炬燵のように温かくなります。小さい子が来て潜っても、火傷もしないので、いい感じです」
「小さい子も来るのですか?」
「晴崇や舞子が、たまに子供を連れて遊びに来ますね」
「お若いのに、お祖母ちゃんのような話しぶりですね」
美規は困ったような笑顔を浮かべながら、雪見障子越しに、縁側の外の庭を眺めた。
「バリアのせいでしょうか?雪も降らないんですね」
美規は庭から目を離した。
「今だけですよ。降灰や放射能の影響が収まったら、バリアの強度をもう少し下げます。あまりバリアの強度が強くて雪も風雨もないと、農作物に影響が出ますから・・・」
政治の話は堅苦しいので、お互い話題を捜して遠慮をしていると、話題が途切れる。
台所で柊が、京と話をしている声が聞こえる。
「一雄がさっき梢ちゃんを迎えに行ったから、保育施設に慌てていかなくてもいいよ」
「一雄は、梢を気に入っているのは有り難いけれど」
「まあ、気にするな。梢は瑠璃ちゃんの方が好きだぞ」
「そうじゃなくて、京は、よその子供を一雄が溺愛することは嫌じゃないのか?」
暫く二人の会話は途絶えた。
美規が、急に話立ち上がった。
「お茶のお代わりいりますか?それとも夕飯にしますか?」
「いえ、お構いなく」
「いや、そろそろ食堂から料理を取って来る時間です」
「食事は、いつも薫風庵で取るのですか?」
「他に誰もいない時は、食堂まで降りますが、『加須さんは、流石に今日は食堂には行きたくないだろう』と柊が主張するので、滞在中はここに食事を持ってきて貰うよう頼んであります」
「お気遣いありがとうございます。ではお言葉に甘えて、今晩はここで食事をさせていただきます」
台所から柊が顔を出した。
「食事が届きました。僕はこれで寮に戻ります」
柊が玄関のドアを閉める音がして、京が階段を降りて地下室に向かうと、静寂が戻ってきた。
「遅ればせながら、お母様と叔母様がお亡くなりになったことは、本当に残念です。心よりお悔やみ申し上げます」
掘り炬燵から出て、畳の上に正座して、恵子はお悔やみを申し上げた。
炬燵から出もせずに、美規は顔の前で手を振った。
「亡くなるのは2回目なので、『二人』とも今回は満足な一生だったと思います」
美規は、美子が生きていることなどおくびも出さずに淡々と答えた。
二人は食堂から来た夕飯を静かに食べた。
白いご飯に、蕪と胡瓜の漬物。ちょっと大ぶりの器には『のっぺ』が入っていて、味噌汁の具は油揚げと大根だった。
「お口に合いますか?」
「『のっぺ』の具材に鮭といくらが入っている以外は、精進料理ですね。出家した気分です」
「『のっぺ』という名前はご存知なんですね」
「新潟の郷土料理ですよね。
サイコロ状の里芋や鮭、蒲鉾、人参などを薄味の出汁で煮込んであって、その上に『いくら』まで乗っている。正月料理なんですか?」
「正月以外も食べますが、結構大きな鍋で一気に作るので、普通の家では正月や来客が来る時に作るみたいですね」
二人は暫く、1cm角に切った里芋や人参を箸でちょこちょこ摘まみながら、ゆっくり夕飯を食べた。
「お茶は私が入れます。美規さんは夜、お茶を飲まないですか?」
「いや、珈琲を夜でも飲みますから、カフェインは気にしません」
台所は、新入生が朝食を作る時に困らないように、誰にでも使いやすいように整然としている。柊が急須の茶殻を捨てて、洗っておいてあったので、恵子はそれを使ってほうじ茶を入れた。
「ほうじ茶を入れました」
恵子と入れ替わりに、美規が席を立って、羊羹を数切れ切って持ってきた。
「とらやの『夜の梅』です。半年前に柊が買ってきたものだから、まだ食べられるかな?」
「柊君は、お菓子が好きなんですか?」
「さあ?でも、いつも美味しい有名店の菓子をお土産に買ってきてくれます」
「前にいたハーフの男の子は今はいないのですか?」
「鞠斗ですか?海外にいる母親のところにいます」
美規は嘘は言っていない。
「柊君は2代目の総務なんですね」
「鞠斗がやっていた仕事を、肩代わりしてくれています。
加須さんは、母と一緒に、舞子と柊を五稜郭に連れて行ったんですよね。
恋子内親王に引き合わせるためですか?」
「石頭首相のもとでは、男系天皇案が有力ですから、内親王には静かな結婚生活を送って欲しいです。そこで、色々な出会いをお勧めするのも良いと思ったんですよ。
でも、長尾財務大臣が総理になると、残念ながら、恋子天皇案が浮上します」
「柊なら『皇配』に相応しい。いや、都合がいいと考えたんですかね。
柊は恋子内親王と10歳も年が違うんですよ」
「桔梗学園生まれの男性で一番年かさが、現在19歳ですからね」
「それは、柊と結婚すれば、桔梗学園の後ろ盾が得られるという意味ですか?」
京が階段を上がってくる音がしたので、二人の会話は途切れた。
勿論、美規はこの会話が、京や晴崇に筒抜けであることを十分承知している。
「みー、羊羹まだある?」
「個包装の羊羹もあるよ。抹茶羊羹は残しておいて」
「オッケー。あぁ、みーも30日は餅搗きに行くんだからね」
「えー。餅は搗かないよ」
「俺も搗かないよ。でも、搗いた餅の加工には人手がいるから来るんだよ。晴崇が連れて行くって張り切っていたから覚悟していて。加須さんもどうぞ参加してください」
京が足音を立てて階段を降りていった後、会話はまた始まった。
「餅搗きするんですか?」
「らしいですよ。クリスマスマーケットやったり、餅搗きしたり、イベントが多くてね。今回は珍しく、晴崇が言い出したらしいんだけれど、仕切っているのは舞子らしい」
「参加者は誰なんですか?」
「KKGの研究員が今回は張り切っているらしいけれど、桔梗学園も、旧桔梗村出身者も、希望者は受け入れるはずです。加須さんも是非参加してください。その日の食事は餅ですから、参加しないと食事はありません」
美規は最後の羊羹の一切れを口に放り込んだ。
「そうだ。ここは新聞は取っていないし、TVも必要な時以外つけないのですが、ニュースをご覧になりますか?」
加須恵子は、不思議だったが、今までTVがついていなかったことすら、気にならなかったのだ。
「ああ、いや、今晩は何も見ずに寝たいと思います」
美規が炬燵からすっと立ち上がった。美規は、炬燵からいとも簡単に立ち上がる。腰が軽いのだ。
「では、寝る前に、この家の案内をしますね」
最初に1階のトイレと風呂を案内された。
「ここは京も使うので、灯りがついている時は使えません。じゃあ、2階の寝室を案内します」
2階は蹴斗と鞠斗の部屋だった場所がある。どちらも、居間は客間として使えるようにされている。少し前まで、美子も使っていたが、今は前の住人の荷物は跡形もない。
「洋間が良ければ、階段上がってすぐの部屋、和室が良ければ奥の部屋をどうぞ」
長い間、簡易ベッドのようなところで寝ていた恵子は、迷わず和室を選んだ。
美規は1階から持ってきたタブレットを差し出した。
「朝は起きた時に、このタブレットを見てください。1日の学園の連絡が入っています。
ここで、朝食を頼んでもいいし、食堂にあるもので食事を作ってもいいです。
私はこの後、入浴して私室に戻ります。
加須さんは、服を着替えたらハンガーに掛け、この箱の中に洗濯物を入れておいてください。朝には洗濯が終わっています。押し入れの中には、着替えや生活用品が入っています。不足があったら、そう入力しておいてください。係の子が持ってきてくれます。
朝は大体、7時頃朝食を食べます。
桔梗学園は圏外ですが、このタブレットを使っての通信は出来ます。ニュースを見てもいいし、TVも見られます。では、お休みなさい」
そう言うと、美規はトコトコ階段を降りて行ってしまった。
恵子は押し入れから布団を出した。布団の隣には、着替えの服が置いてあった。美規達が着ている長Tシャツと猿袴だった。木綿の服に着替え、着ていたスーツをハンガーに掛けると、恵子は布団に大の字にひっくり返った。そして気がつくと、軽い鼾をかいていた。
朝、恵子が起きると、不思議なことに布団がしっかり掛けられていた。
押し入れに置いてあった、歯ブラシやタオル、ヘアブラシを持って、1階に降りると、恵子は風呂場に向かった。幸い風呂には誰もいず、湯船のお湯は温かかった。
食卓に顔を出すと、美規が朝食を食べている最中だった。
「一緒に食べますか?」
「はい、自分で用意します。あれ?これは私の分ですか?」
台所には、トレーに朝ご飯が用意されていた。
「そうです。後はパンを温めてスープをよそえば、食べられるようになっています」
「京さんは食べないのですか?」
「京は、食堂で一雄と一緒に食べています」
「あの?夕べ誰か、布団を掛けてくれましたか?」
「さあ、夕べ、晴崇が交代できた時、掛けていったかも知れませんね。私も炬燵で眠っていると、布団まで運ばれていることがありますから」
恵子は年甲斐もなく赤面した。
朝食は、中身のずっしり詰まったパンに、コーンスープ。青菜のお浸しに、ゆで卵とポテトサラダだった。ゆで卵の殻をゆっくり剥きながら、塩を捜した。
「塩はありますか?」
「セルフで」
美規のそんなぶっきら棒にも聞こえる言葉が、自分が客ではないという気にさせてくれる。
台所に立った恵子に、美規が更に声を掛ける。
「冷蔵庫にデザートがあるので、好きな物を取ってください」
冷蔵庫を空けると、カップに入ったヨーグルトやアップルパイが冷やしてあった。
「このアップルパイも、食堂で作ったものですか?」
「晴崇が作ったものかな?」
「晴崇君って、家庭的なんですね」
「『家庭的』というのがどういうものか分からないけれど、桔梗学園の子は、全員料理も菓子作りもしますよ。食堂で働くという勉強もありますから。
まあ、晴崇は舞子たちが入学してきた時は、1ヶ月彼女たちに食事の特訓をしていたらしいから、中でも料理は得意かも知れないね」
「つかぬ事を聞きますが、桔梗学園の食堂で働く人はどこから雇っているのですか?」
「雇ってはいませんよ。調理を専門でやりたい人は数名いて、その人達は毎日食堂で働いていますが、他は、在校生やKKGの研究員が輪番で作っていますね。メニューもAIが作るし、機械もかなり導入されていますから、下拵えや配膳などはロボットがやっています」
「まあ、まだ、みんなが働いている時間なので、学園を回ってみますか?朝、7時から8時半までは、子供も大人も関係いなく『朝飯前の仕事』をしていますよ。うちは『働かざる者食うべからず』ですから」
食後、二人が庭に出ると、2人乗りの小型ドローンが待機していた。
「美規さんも操縦できるのですね」
「小学生でも出来ますよ」
学園の案内は、残念ながら美規さんが行けなくなりそうです。